妥協点
僕がいつも弟子との練習会に使っているのは、三階にあるゼミ室Fという比較的狭い部屋だ。
僕がそこの重い扉を開けると、中には既に弟子の二人が待機していた。
「あ、先生。おっすー」
「こんにちは、先生」
「やぁ、二人ともお疲れ様」
笑顔で僕を出迎えてくれたのは、アルティとエトだった。僕が師弟関係を結んでいる生徒は、今のところこの二人だけだ。他の教師を見回してみると、弟子が二人というのは少ない部類に入るが、平凡な新人教師にしては、まあ普通くらいだろう。それに、二人とも容姿端麗であり、僕に信頼も寄せている。そんな生徒二人と特別な関係を築くことのできるこの役割は、余計な負担も多いが、僕は嫌いではなかった。
「先生、今日フィーナちゃんが来るって言ってたけど、昨日の事件で『カグヤ』は公欠だよね? フィーナちゃんもやっぱり来ないの?」
「その可能性はあるけど……彼女は多分、来ると思うよ」
本当は来てほしくないんだけどね。
アルティの問いに答えると同時に、後ろの扉が静かに開く。
アルティとエトが僕の背後に視線を向け、驚いた表情を見せる。どうやら僕の予想は当たってしまったようだ。
「お待たせして申し訳ありません」
律儀にそう言って入ってきた人物に視線を向ければ、予想通り。
セルベス魔法学校の制服を身に纏ったフィーナが、当たり前のように立っていた。
「……よく来たね、と言いたいところだけど、今日は『カグヤ』の生徒は全員公欠を取っているはずなんだけどな?」
「はい。ですから、今日の授業は全て休ませていただいています。しかし、このカナキ先生との約束は個人的なものであり、厳密に公欠とは関係ないと思いますよ」
「まあそう言うとは思ったけどね」
僕は笑みに苦いものを含ませながら、肩を竦める。
「早速で申し訳ないのですが、先生にお願いがあります」
「唐突だね。何かな」
「カレン様を護る方法を私に教えてください」
間髪なく発せられた言葉のどれもが力強く、彼女自身の強い意志が感じられた。
あまりにも予想通りの展開だ――。
だが、今フィーナに力を貸すことは出来ない。何故なら、今日彼女を襲う者の中に、『狩人』だけでなく、あのマティアス達も含まれているからだ。
『狩人』ならフィーナでもギリギリ勝てるかもしれないが、セニア、マティアスクラスとなると不可能だ。相対すれば確実に死ぬ。フィーナの性格上、今夜はカレンの傍を片時も離れる筈はないから、それも阻止せねばならない。
全ては、彼女だけでも生かす為――。
僕はとりあえず、用意していた答えを提示した。これで説得できるならばそれに越したことはない。
「そんな方法はない。僕が今少し指導しただけで強くなることが出来たなら、今頃この室内は人がごった返していただろうし、そんなことが有りえないのは君自身良く知っているだろう」
「いいえ。昨日、先生は私の前で、『狩人』が放った不可視の矢を撃ち落としてみせました。失礼を承知で言いますが、魔力探知は私の方が優れているはずですし、先生にもあの矢は全く見えていなかったはず。にも関わらず、先生はあの攻撃を易々と防いでいました。それにはきっと、私には見えなかった攻略の糸があったはずです」
「昨日の敵が『狩人』だったということも知っているのか…」
僕はかろうじて舌打ちするのをこらえた。
仕方が無かったとはいえ、あの時フィーナの前で矢を撃ち落としたことがここで裏目に出てしまった。 確かに、フィーナほどの能力があれば、僕が少し教えれば、あの矢にも対応できるようになるだろうが、それは僕の本意ではない。
「……確かに、あの矢に対応する方法はある。だが、フィーナ君。それは一朝一夕で覚えられるものではないし、そもそもカレン君の護衛は、アルダール君に任せるべきだ。彼ならきっと、カレン君を護ることが出来る」
「私はカレン様の騎士です! カレン様の命が狙われている今を除いて、いつカレン様のお役に立てると言うのですか!」
「それは前にも話したはずだ。力だけが彼女に役に立てる唯一の方法じゃない。それを君と言ったら――」
「今カレン様を護れなければ他も何もありません!」
「ふ、二人とも落ち着いて!」
徐々にヒートアップする僕達を見かねて、アルティが仲裁に入る。
僕も自然と早口になっていた。どうにも、生徒に一方的に糾弾されることはあっても口論することはないからこういうことには慣れていない。
こういう時は感情的になったら駄目だ。あくまで客観的な視点に立ったうえで、自分と相手の主張を擦り合わせていくことに注力する。
僕は肩の力を抜き、先ほどとは少し違う角度で妥協点を探る。
「……確かに、フィーナ君は正式なカレン君の騎士だ。それは学生であっても代わりはないし、君の気持ちを軽んじた僕に非がある。その点は本当に申し訳ない」
「い、いいえ。私も余裕を失っていました……すみません」
「ありがとう。じゃあ、それを踏まえて改めて話をしたいと思うのだけれど、フィーナ君も『カグヤ』の一員だし、今夜はカレン君の護衛に入るよね? 今日は具体的にどこの持ち回りをするとかは決まっているのかい?」
「いいえ。それはまだ決まっていません。勿論、私はカレン様を最も近い所でお守りしようと思っていますが……」
「なるほどね。……君の気持ちは分かった。なら、カレン君を護るために、あえて彼女から離れてみるのはどうかな?」
「……? どういうことです?」
訝しんだのはフィーナだけでなく、近くで不安そうに成り行きを見守っていたアルティとエトも同じだ。
だが、それも僕には気にならない。何故なら、たった今フィーナが護衛に入り、且つ生還の可能性が高い方法を見つけたからだ。
勿論、この案にも危険はある。フィーナが死ぬことだってあるかもしれない。しかし、マティアスやセニアと戦うより確実に生存確率は高いし、フィーナも、フィーナだからこそ、この提案には乗るはずだ。
「フィーナ君。最初はカレン君を傍で護衛していて構わない。しかし、『狩人』が攻撃を仕掛けてきた時――正確には、奴があの見えない矢を放って来たとき、君はカレン君の為に、彼女の傍を離れる勇気はあるかい?」
「え……それはどういう?」
「さっきはああ言ったが、『狩人』の見えない矢の攻略は、あるいは君のポテンシャルをもってすれば、この短時間で可能になるかもしれない。その方法を今、僕が君に教えることは可能だ。僕が君に訊きただしておきたいのはその後――見えない矢を叩き落とした君が、その矢が飛んできた方角から『狩人』の場所を割り出し、接近して奴を殺す覚悟はあるかということだ」
「――無論です」
語尾を強調し、僕がフィーナに覚悟を問いただすと、即座に頼もしい返事が返ってきた。
「カレン様の敵は誰であろうと私が倒します。それが仮に相手の命を奪うことになるかもしれなくても、私は迷いません。そんなもの、カレン様の騎士になった時から覚悟は出来ています」
「そうか。それじゃもう一つ。君が『狩人』を仕留めに行っている間、当たり前だけどカレン君の傍に君がいることは出来ない。その間、彼女の事を君は仲間に託すことが出来るかい?」
「はい」
今度はさっきよりも即座に返答が返ってきた。
「私はまだ『カグヤ』に入隊してから一月も経っていませんが、彼らはみな強者揃いです。勿論、カレン様には遠く及びませんが、ルイスやアンドレイも信頼できる仲間ですし……認めるのは癪ですが、アルダール先輩は、私以上の魔法師です。彼等ならば、私が離れている間も、カレン様を護ってくれると信じています」
「……そうか」
今の一言は、正にフィーナのこれからを左右する言葉となっただろう。
護ってくれると信じている、か。
信頼と言えば聞こえはいいが、過剰な期待は時として手酷く自分を裏切るものだ。
フィーナが今言った信頼は、果たしてどのように転ぶのか……。
先ほどより表情を硬くしたフィーナに、僕は柔和な笑顔を浮かべた。
「うん、君の決意には負けた。もう止めはしない。僕も全力で、君がカレン君を護れるよう協力するよ。――その代わり、必ず明日には元気な顔で学校に来ること。それが条件だ。いいね?」
「――はいっ! よろしくお願いします!」
部屋に少女達の安堵の声が湧き、あのクチナシの香りが、僕の鼻腔を刺激した。
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