鬼との対面
「魔法か? ああ、いいぞ」
「軽いですね」
一緒に暮らし始めて一週間。その間ずっと機を狙い、ようやく切り出した魔法を教えてほしいという提案にセシリアは二つ返事で頷いた。
「お前から提案してくるのは目に見えていたからな。今後、お前が娯楽に耽るためにも、魔法を習得するのは必須だろう」
彼女と過ごしてまだ日は浅いが、この七日間だけでもわかったことがいくつかある。その中の一つとして挙げられるのが、彼女はとっても頭が良いということだ。
普段の何気ない会話から、初めて会ったときの緊張感のある会話の時まで、とにかく彼女は僕の考えていることを把握している。もちろん、それは魔法を使って思考を読んでいる、とかではなく、ただ頭が良いのだ。相手の状況、感情をトレースし、思考レベルを合わせる。そのうえで、そのときに相手が考えているであろうことを的確につかむ。言葉にすれば簡単だが、その机上の空論とさえいえることを彼女は日常生活で完璧に使いこなしていた。
「だが、教える前に、簡単にだが魔法について説明しなければな」
そこで僕はセシリアから魔法についての基礎知識を教授された。魔法を使うには魔力が必要なこと。魔力を扱うためには、他の魔法師から『魔力稼働』という魔法により、人体に眠っている器官を覚醒させなければいけないこと。魔法師の心得、などなど。
「……とりあえず理解はしましたが、最後の魔法師としての心得とか、完全にアウトじゃないですか? 自分で言うのもなんですけど、僕は必ず魔法を悪用しますよ?」
「うん、お前のそういう正直なところ、嫌いじゃないぞ。まあどのみち、私も魔法を悪用していた身だから大丈夫だ。クズの師匠なら、クズな弟子を作ったところで問題はない」
「そうですね」
ということで早速『魔力稼働』を施してもらった。
「……よし、これで終了だ。どうだ、感覚としては?」
「あまりピンと来ませんが、何か、痒い所に手が届いたような、不思議な快感があります」
「そんな表現をしたのはカナキが初めてだが……もしかすると、本能的にお前の身体の中に魔力を司る器官があることを体自体が知っていたのかもしれんな」
そうして僕は魔法師となり、毎日彼女から魔法の稽古をつけてもらうようになった。
どのみち二人とも定職についていない暇な人間だ。一日の大半を魔法の知識の定着、実践に費やし、僕はスポンジのように魔法についての理解を深めていった。
「お前は知識欲もあるし、魔力量は並みだが、扱いに適正がある。つまり吸収が早いということだな。私のお墨付きだ。誇っていいことだぞ」
聞けば、彼女はこの世界で有数の魔法師と認められていたそうだ。セシリアの非道な魔法実験さえ明るみに出なければ、今頃はこんなところで僕のような浮浪者に魔法を教えることもなかっただろう。
そうしてこの世界、ファンタゴズマに来てすぐに数か月の時が流れた。僕はその間、セシリアと良好な関係を作ることに注力した。とはいえ、別に彼女に特段を気を遣うわけではなく、基本的には自然体で接していた。唯一意識したのは、セシリアを自分の欲望の対象として見ないようにすることくらいだ。学生時代は衝動的に標的を襲ってしまい、結果自分の首を絞めることもあったが、流石に死刑判決を宣告された後は、そういう感情を完全にコントロールする術を僕は身に着けていた。
「『魔力執刀』」
「……ほう」
その日はいつものように庭で僕とセシリアは魔法のレクチャーを受けていた。僕が展開した魔法を見て、セシリアは感嘆したような声を上げた。「良い鋭さだ。薄すぎず、厚すぎず、絶妙な加減だ」
「ありがとうございます」
僕はこのとき、魔力執刀という魔法を集中的に練習していた。魔力執刀は下級魔法の一つだったが、魔力制御が難しく、同じ等級の魔法の中では難しい部類に入る魔法だった。しかし、僕はその魔法だけは完璧にマスターしようと、毎日緻密な魔力操作ができるよう鍛錬し、この魔法を極められるよう注力していた。
「なぜ、その魔法にそこまでこだわる? 今のお前でも既に並みの魔法師以上にはその魔法を扱えているだろうに」
そう問うたセシリアに、僕は少し迷った後、正直に答えた。
「いや、前の世界にいたときの僕って正直なところ、人心掌握術についてはそれなりに勉強しましたが、その反面で、人体の構造とか、そう言った医療関係というのに全く疎かったんですよね。だから、この世界に来て魔法の存在を知った時思ったんです。魔法を使えば――前の世界では出来なかったような苦しみも、相手が生きたまま味わってもらい続けることができるんじゃないかって」
「……ふ、あはははははは! お前というやつは! 本当に変わっているな!」
「こんなカミングアウトをしても笑い話で終わるセシリアさんも十分変わっていますよ」
そう言って僕が笑うと、セシリアも悪戯っぽく悪そうな笑みを浮かべた。
そのやりとりに、僕の心の中に温かい風が吹き込む。これまでの人生、自分のこんな考え方は理解もされなかったし、理解されると思ったこともなかった。だが、偶然が重なって出会った異世界のセシリアは僕を同類と呼び、こうして笑い合っている。世界は僕たちのことを異常だと言うだろうが、僕にとっては、これまでの世界こそが異常だった。この世界に来てから、僕は生まれて初めて生きていることを肯定されたように感じた。
「――――随分楽しそうだな」
「――ぇ」
僕が振り返ると、そこには一匹の鬼と、一人の少女がいた。
僕はその男を見た瞬間、怖気が走った。
違う。この男は日本にいたときの人、そして目の前のセシリアとも全く違う。あれは鬼だ。出会うことさえ憚れる、人の皮を被った化け物だ。
「あ、マティアス。来るのは今日だったか」
「お前の時間感覚のなさは把握しているつもりだが、それでも自分で呼び出したのだ。それくらいは覚えておけ」
「すまないね。如何せん社会との関わりを絶った生活を続けているものだから」
「その割には珍しく来客がいるようだな」
そう言って男は僕を見た。別に敵意だとか悪意だとか、そんなものは全くない。しかし彼に視線を向けられただけで、僕は思わず後ずさりそうになった。
「お父さん……」
そこで男の隣に立っていた少女が、男の袖を引いた。歳は小学校高学年くらいか? 連れ立っている男とは似つかない、まさに純真そうな可愛らしい少女だった。
「あんまりじろじろ見ない。お父さんの眼、怖いもん」
「む……」
「ふむ、鬼人と呼ばれたあのマティアスでも、娘には手も足も出ないか」
「……茶化すな、セシリア」
それで場が和んだのか、僕の身体に走っていた緊張も緩和する。だが、今ので確信した。あのマティアスという男、何があろうと絶対に敵に回してはいけない。彼に見られた瞬間、自分の首が刎ねられる光景が勝手に頭に浮かんだのだ。
来客の登場に、魔法の稽古は一旦終了し、僕らは居間に集まっていた。
セシリアの紹介したところ、男の方はマティアス、その娘である少女はエトというらしい。魔法と同時並行で、この世界の語学についても学んでいる最中だが、聞くのはまだしも、話す方はまだたどたどしい。僕のことについてはセシリアから説明してくれた。そりゃもう、異世界から来たことから、セシリアに近しい感性を持っていることまで、包み隠さず。
「ほう……」「……ひぅ」
話を聞き終えたマティアスは相変わらず無表情で、代わりにエトは恐怖の感情を隠すことなく顔に浮かべていた。うん、そうなるよねえ。
僕は抗議の視線をセシリアに送るが、絶対に気づいているであろうセシリアは素知らぬフリだ。
「いやいや、言っておきますけど、僕は別にセシリアさんみたいに大量の人間をどうこうしたりするつもりは毛頭ないですからね? 僕はこの世界で平穏な生活を送りたいですから」
「つまり魔法を習得することで、誰にも見つかることなく悪事を働きたいということだな」
「あの、セシリアさん、絶対楽しんでますよね?」
「? ああ、もちろんそうだが?」
この人……。
楽しそうに笑うセシリアに非難の視線を送るが、もちろんそんなことが通用するわけもない。僕は恐る恐る対面に座るマティアスを見るが、彼の表情には相変わらず変化はなく、
「そうか」
と短く相槌を打っただけで終わった。これはこれで怖いんだけど。
「どのみち私とて非道な行為に手を染めている。セシリア、カナキ、私。過程や理由は違えど、やっていることはほぼ同じだ。結果が同じならば、私がお前たちを一方的に謗るのはおかしいだろう」
しかし、僕の心配は杞憂に終わり、マティアスはそう言葉を続けた。極端に口数の少ない男なのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。それに、考え方も極端ではあるが、一応筋は通っているし、潔くて心地よい。マティアスという男が最大限危険視する必要がある人物には変わりないが、それを抜きにして、彼自身を僕は好意的に捉えるようになった。
「ちなみに、マティアスさんは、どういった、御方、なのでしょう?」
こちらの言語で、思い切ってそう尋ねてみる。僕の身の上の話をした後だ。話の流れとしては間違っていない。
そして予想通り、答えるのが筋と考えたのか、マティアスはあっさりと自分のことについて話してくれた。
「私は殺し屋だ。依頼を受けて対象を殺す。それだけだ」
「この男、この界隈じゃかなりの有名人なんだぞ? 手配者なんだけど、これを殺すだけで三十年は遊んで暮らせるほどの大金がもらえるからな」
「……今のは、冗談として受け取っておこう」
「セシリアさん、流石に今のは失礼ですよ」
「む、そうか。すまんな、鬼人」
「気にしていない」
セシリアとマティアスは顔なじみ、と言っていたが、今までのやり取りを見ている限り、どちらかというと友人同士の会話、みたいな雰囲気が二人の間には流れていた。お互いの秘密を共有していることも、二人の関係の深さを現しているのかもしれない。
「ちなみにマティアスは徒手空拳においては恐らくこの国最強だ。今度、機会があったら稽古をつけてもらうといい」
「え」
さらにセシリアの言葉に僕は驚いた。なにせ僕は前の世界では、自分の趣味は自身を危険に晒すことは分かっていたからとにかく体は鍛え続けた。特に格闘技は凶器を必要としなくても対象を制圧することができる優れた手段になると考えていた僕は、幼少より続けていた空手の他、様々な格闘技を齧り、それらの中から自分に扱える技だけを盗み、自分の技術としていた。
だからこそ、腕っぷしにはそれなりに自信のあった僕がマティアスを前にしたとき、自分の抱いた感覚に驚いたのだ。自分が絶対に勝てない相手。見ただけでそう思わされた相手は初めてだった。
彼から教えを乞いたい。
そのときの僕は純粋にそれだけを求めていたが、しかし同時にマティアスが僕の要求を何の見返りもなしに応じるとは思えなかった。
「機会があったらな」
事実、セシリアの言葉にマティアスはそっけなくそう答えた。脈がないのは明らかで、セシリアも小さく肩を竦めた。僕も苦笑いを浮かべたが、そんなに簡単にこの世界最高峰の武術を諦めたくはない。
そんなことを考えている間に、セシリアとマティアスの仕事の話は終わりを迎える。
「お前の欲している物は理解した。入手方法はこちらに任せるらしいが、方法によっては必要な額が一桁増えることもあるが」
「分かっている。その代わり、確実に仕事をこなす。そうだろう、鬼人?」
「無論だ。一ヵ月後にまた来る。行くぞ、エト」
「あ……うん」
そう言って席を立った二人を、僕とセシリアは玄関まで見送る。
徐々に遠ざかる二つの背中。僕はそのうちの一つ、まだ幼さの残る小さな背中を、努めて無感情に見つめていた。
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