従者の相談 2
「…………」
もう訳が分からない。
僕は無意識にポケットをまさぐるが、ここ数年煙草は吸っていない。
当然、ポケットの中に触り慣れた煙草の箱はなく、溜息を吐いて話を続ける。
「……とりあえず聞くけど、なんで僕に稽古なんて付けてほしいのかな? 自分でも言うのも悲しいけど、魔法師としてのレベルはフィーナ君と僕は大して変わらないし、仮に魔法を教えても半日も経たずに君に教えることはなくなると思うんだけど」
「先生は相変わらず自己評価が低いのですね。己を過信しないことは良いことだと思いますが、行き過ぎた謙虚は卑屈になり、やがて己を陥れますよ」
「君は本当に十六歳だとは思えないな……。そんなこと生徒に言われたのは初めてだよ」
十六歳とは思えない助言に乾いた笑いを浮かべながら、フィーナに続きを促す。
「正直魔法についての勉強は、カレン様から御指導いただいたり、学校で学んだりと、十分過ぎるほど良い環境を頂いています。しかし、学園に入学してから二ヶ月程度が経った今、私に足りないものについて考えると、やはり実戦における戦闘経験だと思うのです」
フィーナの話を聞きながら、僕は複雑な気持ちになる。
確かに、今フィーナの言ったことは正しい。一年生でここまで正しく客観的に自己分析できるのは、やはり桁外れの頭脳によるものか。担任として、彼女の能力は大変喜ばしいことだが、同時に、これからフィーナが何を言うのか大体検討がついてしまう故に、倦怠感を覚えたのも事実だった。
「カナキ先生には、先日カレン様と共に、少しだけですが体術の稽古を付けて頂きました。それは本当に短い鍛錬でしたが、しかし、それだけでも私は先生の指導にとても感服しました。的確な指摘、問題点の把握速度、先生自身の手並み。そして何より、今まで御指導して下さった方たちにはなかった、独特の発想を先生は私たちに提示してくださいました」
「いや、あの程度ならリヴァル教官とかも知っていることさ」
「それでも! 私は先生の指導方法全てに感動し、思ったのです。今の私自身のレベルアップ、そして来月の学生騎士大会で勝ち上がるためには、カナキ先生に御指導を仰ぐしかないと!」
「フィ、フィーナ君。落ち着いて……」
テーブルを叩き、身を乗り出してこちらの双眸を覗き込むフィーナ。彼女がここまで熱くなるのも珍しい。というか、カレン関係以外でこんな様子を見るのは初めてだった。
彼女から香り立つクチナシの匂いは、カレンと同じものだろうか。
僕は、逃避しかけている思考をなんとか動かし、状況を打破する方法を考える。
そもそもこの申し出、単純にフィーナとの友好を深めるためのイベントと考えると、断る理由はない。新学期当初は碌に話しすらさせてもらえなかったことを考えると、この申し出を受けること自体が大進歩だし、ここでこの申し出を受け入れれば、更に彼女からの信頼は深まるだろう。それは願ったり叶ったりの話だし、僕自身、喉が熱くなるような展開だ。
しかし、だ。問題は、彼女が望む体術を僕が教えることで、僕の“副業兼趣味”の方に支障が出ないか、ということだ。副業の方は、正体を隠すことを徹底している。そのために苦労して上級魔法を習得し、入念な準備を重ねて実行するときは人目に付かないところを選び、作業時間も三分以内で終わらせる。先日のレイン・アルダールからの襲撃事件は、むしろ僕の犯罪家業の中でも一、二を争うほど特異なケースだったのだ。それくらい入念な下準備をしなければ、僕程度の小物では簡単に捕まってしまう。
体術は、その中でも僕、『イレイサー』の正体を露呈してしまう可能性を含む情報であった。幸い、僕の体術を知る者は、治安維持部隊にはアルダールしか存在せず、彼のときでさえも、手の内の半分も見せていない。セニアさんあたりなら考え過ぎだと一笑するだろうが、僕は彼女ほど豪胆ではない。潰せる可能性は潰しておく。それが僕のモットーだった。
「それで先生、どうでしょうか……?」
なかなか口を開かない僕に、恐る恐ると言った様子で、フィーナが答えを訊いてくる。
露骨に押し黙っていても彼女を不安にさせるだけだ。とりあえずベターな言い訳を並べて時間を作る。
「フィーナ君がそこまで僕を買ってくれるのはうれしいけど、所詮は魔力を使わない体術戦だよ? 魔力を熾すのと熾さないのじゃ感覚も違うし、あまり参考にはならないと思うけど」
「それはそうですが、魔力を熾さずとも鍛錬した内容は、確実に体が覚えます。それは“学騎体”においてもそうですが、ここを卒業した後にも必ず役に立つ筈です」
学騎体、と学生騎士大会を略しながら、フィーナはやや早口に対抗する。まあ、フィーナの言ったこと自体は僕も同感なので、別のところからアプローチしてみる。
「でも、そういうのは、魔法師の師弟関係を結んだ人からすればあまり良い思いを抱かないんじゃないかな。このことはカレン君に話したいのかい? 自分を差し置いて、弟子の関係にある君が僕の指導ばかり受けていたら彼女も良い顔はしないと思うけど」
「それは、まだ話していませんが」
思わぬところに穴があった。
僕がその穴をこじ開けようと攻勢に出ようとしたとき、フィーナが思わぬ反撃に出た。
「でも、カナキ先生から指導して頂けることになった際には必ず説得してみせます! そんなことより、先生はそんなに私の指導をするのが嫌なのですか!」
「そ、それは……」
真っ直ぐにそう言われると僕も弱い。なにせ、狙っている女性からここまで頼み込まれているのだ。微粒子レベルで存在している僕の僅かな良心が痛まない訳がない。まあそもそも、その良心と呼んでいる感情も、完全な下心によって構成されているのだが。
「……分かったよ」
散々悩んだ挙句、結局折れたのは僕だった。しかし、僕自身の体術を見せるのはやはり不安が残る。彼女がもし『カグヤ』に入っていなければ話も別だったが、入隊した以上、これから敵として出会う可能性だって否めない。よって、僕はいくつかの条件を出し、それをフィーナが呑むようであったら、彼女を指導することにした。
「ただし、条件がある。一つは、僕はあくまで口頭での指導しかしない。僕にも色々事情があってね。この前のように直接組手をして指導っていうのはあんまりできるものじゃないんだ。それと、もう一つ。僕も色々と忙しくてね。君の稽古を付けるのは、僕の弟子たちの鍛錬をしているときに行うことにする。そのときは君だけに付きっきりで指導することは出来ないけど、この二つの条件を呑んでくれたら、僕は喜んでフィーナ君の力になるよ」
魔法師同士の師弟関係というのは、双方の了承が取れれば比較的簡単に構築することが出来る関係だ。一級魔法師の資格を持つ超エリートの魔法師の中には、自分と師弟関係を証明する証などを作る者もいるが、それ以外のほとんどは口約束の比較的緩い結びつきである。学園でも、師弟関係を結んでいる生徒と教師は結構な数が存在し、現在僕も三人ほど生徒に弟子を持っていた。
「……分かりました。確かにこちらの都合ばかり押し付けて先生を時間的に拘束するのは不本意です。その代わり、指導して下さるときは、厳しくお願いしますね」
マゾなのかい、という言葉は彼女相手には流石に呑み込んだ。
「……分かったよ。それじゃあ、早速明日の放課後、弟子の生徒達と練習会があるから君も来るといい。服装は別に学園指定の体操服じゃなくても構わないよ。場所は――」
それから明日の連絡事項を伝え終えると、フィーナは一礼して部屋を後にした。
一人になった僕は椅子にもたれかかり、夕焼けに染まる空を眺めて呟いた。
「面倒なことになっちゃったなぁ……」
――しかし、この日の夜、これと比べものにならない面倒事に巻き込まれるとは、この時思いもよらなかった。
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