死とは
「ふう……」
その日の業務を終え、僕は部屋に戻り、大きく息を吐いた。イスカン帝国領の市街地戦を終え、既に一週間が経っていたが、夜中に砲撃音も気にせずにしていられるのは何度味わっても幸福なことだ。
僕はあの市街地戦の中で最も過酷だった日――イスカン帝国将軍であるソルシオが襲来してきた日のことを思い出す。
ソルシオ達に逃げられた後、僕は忸怩たる思いに駆られながらも急いで本陣へと戻った。爆発の規模や位置から、正直、本陣はかなり壊滅的な被害を受けていると思っていた。
「なんだよ、これ……」
後ろを付いてきたエイラ達が唖然としているのが肩越しに伝わってくる。
しかし、実際にその場にあったのは、返り討ちに遭い、皆殺しにされた“両軍”と、そこに佇む黒装束に身を包んだ長髪の女だった。
その女の口には、鴉の嘴のような拘束具が付けられており、それだけで僕は瞬時に彼女の正体を知る。
――餓飢道、空離。
「退け」
「え?」「ああん?」
僕の短い指示に怪訝な声を上げた二人。
次の瞬間、目前に迫っていた空離の貫き手がアッシュの喉元に迫っていた。
「――――は?」
あまりの速さに反応できないアッシュ。かろうじて反応できたエイラがカドゥケウスを向けようとするが遅すぎる。
僕はその貫き手に手刀を当てて軌道を逸らし、彼女の頭めがけてハイキックを放った。
それを受け、紙のように吹き飛ぶ空離。「……速ぇ」とエイラが呟くのが聞こえた。
だが、当てたとはいえ、直前で威力を軽減させられたことは足から伝わる衝撃で分かっている。大したダメージにはなっていないだろう。事実、空離は空中で身を翻すと。まるで羽毛のような軽さで音もなく地面に着地した。
「……大した体術ですね。速さも、以前翠連に容易くあしらわれていた頃より格段に上がっている」
「そりゃどうも」
空離がまとも話したのを初めて聞いたが、拘束具のせいでくぐもっているとはいえ、彼女の言葉には理性が灯っていた。
「しかし解せません。“あの御方”より勅命を受けている私の任務を邪魔するとはどういうおつもりでしょう」
「勅命?」
彼女の言葉で、既におおよその検討はついたが、時間稼ぎのためにあえて僕はとぼけてみせる。
「ええ。私が受けた役目は、ここ一帯に侵攻してくるイスカン帝国軍の掃討、および私を認知した“あなた以外の全ての人間”の排除です。なので、あなたの後ろにいる人達も例外なく排除せねばならないのですが、状況は理解できたでしょうか?」
「理解はできたけど……」
おそらく僕以外の六道は自国の兵士にさえ秘匿したいということなのだろうが、それでもこれはいささか強引すぎる気がする。僕がこれまで出会ってきた中でもかなりの切れ者であり、僕の正体を破ったシズクすらも遥かに凌駕する頭脳を持つイリスだ。その彼女の指令にしては幾分大味すぎる気がする。
「――試されているのではないですか?」
「……どういうことですか」
空離は「いえいえ」と首を振る。
「私如き、イリヤウス様のお考えを推察することすらおこがましいことですが、もしかすると、イリス様はあなたの信仰心を試しているのではないかと思いまして。つまり、イリヤウス様、エーテル教のためならば、自分を慕う部下でさえ見殺しにすることができるのか、と」
彼女の言葉に、僕の後ろにいる一同は凍り付いた。
背後から感じる強烈な不安、警戒、猜疑心……大丈夫だよ、と振り返って彼女たちを安心させたいが、そんなことをした次の瞬間には、空離が全員を殺しているだろう。
「……だとしたら、随分意地の悪いことをするね。エーテル神は」
「経典にはこういう一節があります。『神曰く、死とは救いであり殺めるとは善行である』――奴隷兵である彼らにとって死とは救いになり得ますし、あなたにとっても彼らを殺めるとは善行になるのです――それに、ここからはイリス様のお言葉になりますが、ここで退けば、あなたにとっても有益な情報を差し上げる、と仰っていました」
その曖昧な言い方に僕は思わず聞き返した。「有益な情報?」
「ええ。詳しくは私も聞いていませんが、聞けば、あなたがここにきてからずっと探していることだそうで」
「具体的にそれはどういうことって聞いても、教えてくれないよね」
「そもそも私自身、そこまで聞き及んでいませんので」
どうしますか、とばかりに空離は首を傾げた。まるでこちらがどう動くか分かっているとばかりの大仰なジェスチャーだ。本当に腹が立つ。
だが、恐らく彼女は僕が本当に求めていることに気づいてるし、それを知ったうえで僕を泳がせ、更にはシャロンという皇国の至宝まで貸し与えたのだろう。全ては、僕にここで選択を迫るため――
僕は振り向き、後ろにいたエイラやアッシュ、奴隷兵士の子供たちに向かい合った。
子供たちは不安そうに、しかし顔には笑みを見せて僕の言葉を待っている。エイラとアッシュは得物に手をかけながらも、苦しそうにこちらを見ていた。
背中を見せても空離から仕掛けてくる気配がない。その処理は僕にやれ、ということか。
僕は大きく息を吸い、それから笑みを見せた。
「――――みんな、すまないね」
「チィッ!!」
僕の言葉を聞き終えるや否や、エイラは速攻で発砲するが、既にそこに僕の姿はない。
「……ッ!?」
僕が空離の顎を下から思い切り蹴り上げたとき、空離だけでなく、エイラ達からも驚きの気配があった。
「馬鹿にするなよ――――」
「ぐぉ……!」
落下したところに放った廻し蹴りを、空離は両腕で防ぎつつも、威力を殺しきれず、遥か後方まで吹き飛んだ。
遠くの家屋を土煙と共に破壊した僕に唖然とするエイラ、アッシュ、奴隷兵士に向かって僕は言う。
「……確かに、僕もエーテル教の教えとして死と殺人の概念については同じことを話したよ。でも、僕らは人間だ。同じエーテル教の信者だとしても、人間はそれぞれが別の感情を持ち、必死に生きようとしているんだ。それを僕らが、一宗教のために生を蔑ろにし、刈り取るなんて許されるはずがない!」
この世は理不尽に満ち溢れている。誰もがそういう理不尽を経験するし、そういう苦しみに遭った時、僕らは神様に祈りを捧げる。
つまりそれは自分の生活のための祈りだ。祈ることで、僕ら神を信仰し、その代わりに僕らを救ってくれと交換条件を出す。究極的に言えば、宗教とはそういうものなのだ。誰のためでもない、自分のための祈り。自己犠牲が前提の祈りなど、それは宗教としての根幹を否定することになる。
「僕らは全員、自分のため、そして自分の大切な人のために生きているんだ! 決して宗教のために神を崇拝するんじゃない! 自分たちのために神を崇拝し、祈りを捧げるんだよ!」
僕の言葉に誰も反応を示さなかった。まるで白昼夢を見ているかのように、その場にいた全員が反応を示さなかった。
ただ一人、空離を除いて。
「……それが、あなたの答えなのですね」
「ああ。イリスにもそう伝えてくれ」
空離は何も言わず、音もなくその場から消え去った。
その翌日、僕らの部隊は急遽、戦線をほかの隊に引き継ぐことになり、本国へ帰還することとなった。
読んでいただきありがとうございます。




