ザギール併合 上
ここに来るのはいつぶりだろう。
靴越しにも伝わる上質な素材で作られた絨毯、華美にならないよう配慮されているインテリア、心落ちつかせる紅茶の匂い――
「結論から言うと、今回の貴方の働きは十分評価しているの」
聖イリヤウスは紅茶の注がれたカップを置くと、やがてぽつりと言った。「たとえ、その過程で六道の一柱、裳涅を喪ったとしても」
「……先に言い訳させてもらうと、今回ばかりは任務の内容が難しすぎた。聖天剋という化け物が出てくるのは君だって想定外だっただろう?」
「ええ。だからあなたの働きは認めているって言っているでしょう? どうして私の言葉を疑うの?」
「むしろ今まで僕にしてきた仕打ちを考えれば当然だと思うのだけど」
「ふぅ……過去のことを随分先まで引っ張る男は嫌われるそうですよ?」
溜息を吐いた聖イリヤウスは、窓の外に目を向ける。穏やかな秋の晴れ間が天空を突き、差し込む陽光は以前僕がこの部屋に来た時よりも奥まで届くようになっていた。
「確かに裳涅のことは残念よ」彼女は幾分時間を置いてから言った。
「しかし、言ってしまってはなんだけれど、聖天剋を退け、ザギールを予定通り、いいえ、予定以上に早く侵略できたことはそれを補って余りある功労よ。これで、動きのあったガルガンチュア王国とイスカン帝国を牽制することができるし、何より一番重要である我が国の国宝、『シャロン』はこうして私の手に戻ってきたのだもの。これ以上望む方が酷というものだわ」
「……」
気づけば、イリスの横にはいつの間にか大男が佇んでいた。地獄道、閻魔だ。彼はその手に“僕の”得物、シャロンを抱えていた。
「もちろん、次の使い手は簡単には見つからないけど、あれほど危険な男の手に、国宝であるこのシャロンが渡るという状況よりは数倍マシだわ。なにせ六道がそれぞれ持つ武器はシャロンと同等のS級精霊装ばかり。今ここで、他国、しかもどこの国かも分からない場所に彼の武器が渡ってしまったらと思うと私も少々予定を変えざるを得なくなっていたわ。ありがとう、カナキ」
「……いいえ」
シャロンをどうするかというのは僕も随分迷ったが、結果的にイリスに一度返すことが得策だという結論に至った。確かに彼女の性能は計り知れないし、聖天剋にだって彼女がいなければ勝てなかった。他の六道の力は未知数だが、『シャロン』があるからこそ勝てる相手だっているだろう。しかし、その絶大な力を持っているが故に『シャロン』はS級精霊装であり、イリスに国宝とまで言わしめるほどに皇国にとって重要な物になっているのだ。ここでモネだけでなくシャロンまで皇国が失うと、目の前の知略に長けた化け物がどれほど本腰を入れて事態に介入するのか検討もつかない。最悪、シャロンの行方を辿っているうちに、その持ち去った犯人が僕だとバレてしまうことにもなりかねない。それはまだ、得策ではない。
「ちなみに、モネさんの後釜――六道の空席に候補はあるのかな?」
「いいえ。流石に六道の空席をそう易々と埋めるような手駒は皇国といえどもないわ。シャロンも次の担い手が見つかるまではお休みかしら」
やはりか。六道クラスの化け物がうじゃうじゃいるならたまったものではなかったが、流石にそういうわけではないらしい。シャロンの担い手がすぐに見つからないと踏んだのも、シャロンを大人しくイリスに渡した理由の一つだったが、どうやら僕の予想は当たったみたいだ。
問題はこの後だ。僕は深呼吸したい気持ちを堪え、あくまで平常を心掛けて口を開いた。「それならさ――」
「ええ、いいわよ。この『シャロン』、あなたに一時的にですが預けましょう」
「え」「……」
「どうしたの。閻魔まで珍しく驚いて」
イリスが困惑したように僕と地獄道――閻魔を見る。
たった今僕から提案しようとしていた内容を先を越されて向こうから言われたことに、僕は最早半笑いしながら尋ねた。「ちなみに、どうして僕の言おうとしたことが分かったのかな……?」
「あなたの今の状況を考えたら当然じゃない? 六道、特に翠連との一戦で、あなたと彼女にどれだけの差があるのかは嫌でも理解しているでしょ? なら、丁度私が持て余している物がその差を埋めることができる可能性がある代物なら、それは手に入れたくなるのは道理ではなくて?」
「それはそうだけど、逆に言えばそれだけの立場の差がある僕が君に対してそんな大それたお願いをすると思うかい? しかも、今君の横に立つ人は、僕を簡単に屠ることができる人物なんだよ? そんな不敬な要求をした途端首が刎ねることも想像できないくらい君の目には僕が能無しに見えたかな?」
「能無しと有能は紙一重よ。そして、私は貴方が後者だということを知っている。ならこの結論に至るのは道理だし、貴方のこの質問自体、自分を能無しとして擬態することを目的としていることも想像がついているわ。あなたは既に爪を見せている。私を誤魔化すことは諦めた方がいいわね――いえ、少し違うかしら」
彼女はカップに残っていた紅茶を口に含む。そこには次の言葉を想像させるだけの絶妙な間があった。僕は彼女がカップを持ち上げ、口に含み、ソーサーに置くまでに、彼女の次の言葉を想像せずにはいられなかったし、逸る気持ちは彼女をより優位に立たせることは分かっていたがどうしようもなかった。
読んでいただきありがとうございます。




