ザギール激震 5
Side アッシュ
今、どうして私はこんなことをしているのだろう。
銃をこちらに向ける憲兵の射線から抜け出し、『トライデント』による強化された脚力をもって一瞬で間合いを詰める。
「このっ……」
驚きと怒りに塗られたその男に槍を突き入れ絶命させると、男の身体を盾にして、他の憲兵の攻撃を無力化しつつ、アッシュは考えた。
今、アッシュが攻撃を受けているのも、盾代わりにしている男も、ザギールの兵士、つまりは同僚だった人達だ。それが何がどうして、今こうして殺し合いを演じているのだろうか。
自分のすぐ傍を擦過していた銃弾がピタリと止んだ。見ると、道のレジスタンスの本隊となる一団が駆けつけてくれていた。どうやら自分を助けてくれたようだ。
「余計なお世話でしたかな。お若い精霊騎士さん」
その先頭にいた小柄な老人(七十代くらいだろうか。こんな人まで暴動に参加していることにアッシュはとても驚いた)がそう言うので、アッシュは慌てて言った。
「いいえ、とんでもありません。ありがとうございました!」
「ほっほっほ、なに、実際にやったのは後ろの若いモンたちですから、感謝なら彼らに言ってあげてください」
老人は肩を竦めて言った。よく見ると瞳は珍しい碧色で、肌もザギール人よりもわずかに白い。出身はどこか違うところなのだろうか、とアッシュは思った。
アッシュは後ろにいた青年たちに礼を言い、先へ進もうとしたところで、後ろから呼び止められた。振り向くと、先ほどの老人が場にそぐわない穏やかな表情を浮かべていた。
「年寄りのお節介だと思って聞いてほしいのですが、一つだけ助言をさせてください」
「はあ……」
突然の提案にアッシュは戸惑い、曖昧な返事をした。
我ながら失礼な対応であったが、老人は気分を害した様子もなく穏やかな声音で言った。
「いや、そんなに呆けた顔をしなくても大丈夫ですよ。特段変わったことを言うつもりはないですし、むしろありふれた言葉と言っても過言ではありません――迷いは人の弱点になります。それだけです」
「……は、はあ?」
それで終わり? なんだ、この老人は。たったそれだけのことで自分を呼び止めたというのか。こちとら、この作戦の成功の有無で自分の命が決まると言うのに――
「ほら」
突然、老人が銃を抜いた。普段戦場にいるアッシュでさえ、目にも留まらぬ速さだった。銃弾はアッシュの髪を数本弾き、背後に命中。後ろを振り返れば、そこには地に倒れるザギール軍の憲兵の姿があった。
「あ……」
そこでアッシュは老人に助けられたことに気づく。そして同時に、通常の自分なら気づいたはずの奇襲だったことも。
「つい先ほど死角に回り込んだはみ出し者でしょうな。まあ、よっぽど正確に急所を狙わんと仕留められることはなかったと思いますが」
それは暗に、当たり所が悪ければ死んでいたという死の宣告だった。戦場で運が必要なのは友の死体を目にするごとに度々思うことだが、それでも今の敵に殺されていれば、戦友から間抜け扱いされることは目に見えるほどの失態だった。
「あ、ありがとうございます」
「ほっほっほっ、礼には及びませんよ。しかし、自分の今の状態は理解しましたか?」
「……はい」
思わず下唇を噛む。彼が言いたいことはそれだけで分かったし、自分があの程度の敵相手に後れを取りそうになっていたという事実に怒りを感じた。
「そうです。あなたは冷静でいるよりもそちらの方がかえって丁度いい」
老人がまるでアッシュの心を読んだかのように頷いた。自分の心を見透かしたかのようなその言葉は、普段ならアッシュを不快にさせたが、不思議とそのときは真摯に彼の言葉を呑み込むことができた。
「ありがとうございます……」
「ほっほっほっ、これくらいどうということはありませんよ」
アッシュの謝罪を、まるで老人は子どもの我儘を聞いた親のように(実際にそういう気持ちだったかもしれない)悠然と受けいれた。
ただし、その最後の一言だけが、アッシュの心をざわつかせた。
「どうせ、この後の者には老いぼれの力では全く助太刀にすらなりませぬから」
「え……?」
その言葉の真相を聞こうとしたときだった。
周囲から悲鳴が上がり、鮮血が舞った。
周囲を警戒しながら得物である『トライデント』を構えたときだった。
「――なんだ、中央を制圧できると豪語した奴の言葉はハッタリだったか」
目の前に降り立った男、両袖を血にぬらしたその男はまさしくアッシュには悪魔に見えた。
瞬時に悟る自分と相手の力量差、自分が数秒後には死ぬという覆らない事実。それでもアッシュが次の瞬間選択したのは、目の前の老人を庇うことだった。アッシュは自分自身がそれほど正義感のある人間だとは自覚していなかった。だからこそ、そのとき彼女が老人を――ラーマを助けようと動いたことはしばらく後になるまで分からなかった。
目の前の男――聖天剋が動いた、と思った瞬間には既に男の手刀が自分の首の数センチ手前まで迫っていた。
顔を限界までのけ反らし、その攻撃はアッシュの首の薄皮一枚を切り裂くにとどめる。しかし、限界までのけぞったその状態では、次の瞬間自分の首が飛んでいることは容易に想像できた。
視界の端で老人が銃を構える、が、間に合わない。体勢を崩した自分の体に男の手が迫る。自分の命など容易く刈り取る力を誇る死の一撃。よく死ぬ間際に眼前に浮かぶという走馬燈すらよぎる暇もない。音速の死の鎌がアッシュに届こうとしたそのときだった。
「――それは僕の部下だ」
「!」
まるで空を破って現れたように思えた。
突如現れたカナキが男に鎌を振るい、奴を退ける。仮面の奥で瞠目する男を前に、カナキは静かに言った。
「行きたまえ。君の仕事はここにはないはずだよ」
「あ……」
「早く!」
切羽詰まったカナキの声に弾かれたかのようにアッシュは走り出す。“あいつ”に礼だとか激励だとか言う暇すらなかった。
しかし、何故だろうか。後に背中から剣戟の音が聞えてきたとき、アッシュが不思議と不安を感じることはなかった。
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