撒き餌
また間隔あいたよ……
こうして大物を釣る餌となった僕だが、海でただ浮かんでいるルアーのように、僕の生活にも特別な変化はない。強いていうなら、いつ何時“襲ってもいい”と思われるように、ひたすら警戒心を解いて、つまりリラックスして生活することだろうか。
あれからも診療所は大繁盛で、経営形態も確立させたら、もう今度は僕が四六時中いなくてもなんとか回るようになった。それでも、カウンセリングも兼ねて行っていた患者については、僕と話がしたい、異国の宗教の話を訊いてみたいということだったので、これまた譲り受けたもう一つの空き家を使ってお話をすることにした。
それは僕がこの世界に来てから、比較的安穏とした日々だった。もちろん、その間は常に自分が狙われていることを意識せざるを得なかったため、真に心が休まることはなかったが、それでもイリスの監視が絶対に付かないであろう国外での生活は、まるで初め一人暮らしを始めたときのような解放感をもたらした。
「あとはシャロンさんの目さえなければ文句ないんですけどね」
「マスターの命令は絶対ですので、その要望は請けかねます」
「分かってますよ。ただぼやいただだけです」
僕が狙われている以上、必然的に護衛を付けるかという話になったが、レジスタンスからの申し出は
「こちらが警戒していては向こうが現れない可能性がある」という言を以て丁寧に辞退した。しかし、前大司教の仇だというモネは、護衛を譲らず、それどころか当初は六道の戦力を総動員して奴を、聖天剋を潰すべきだと訴えた。
「イリス様にも事情を話せば動いてくれるはずよ! エーテル神が与えてくださったとしか思えないほどの好機なのよ!? 動かせる戦力は総動員すべきだわ!」
「だから、その六道を以てしても聖天剋は見つけられなかったのでしょう? しかも、今度は国内ではなく、他国での話です。その間にイリス様に何かあったらそれこそ本末転倒でしょう」
「ッ……なら、せめてイリス様にこのことを報告して、判断を仰ぐべきだわ! 今回の話は、私たちで解決する範疇を超えている!」
いつも自信家のモネがそこまで慎重になっていることに驚いた。それと同時に、今回の相手というのがそれほどに警戒せねばならない相手だということに改めて気を引き締める。
ラーマとの“取引”がある以上、今回の件については極力本国の力を借りずにすませたい。本音を言えば、報告さえも辞めさせたいところだが、忠誠心の高いモネがいる手前、それは難しいか。
なればこそ、イリスへの報告はせめて事後に回す。
「モネさん……おまけの僕はともかく、あなたは六道の、しかも上位に位置する人間道なのですよ? 当然、イリス様も六道には多大な信頼を寄せています。その信頼をあなたは『自分の解決する範疇を超えている』という言葉で裏切るのですか? いくら天才とはいえ、イリス様はまだお若い、しかも戦争中となれば、国を回すことでもかなりの重荷です。そこに更なる負担を強いても良いのですか?」
「くっ……」
痛い所を突かれたらしい。モネの顔が苦悶に歪む。
おそらく、今の言葉が僕の本心ではないことをモネは理解しているはずだ。成り行きとはいえ、六道の中で僕と最も過ごす時間が長かった人物であり、エーテル教では『審問』を担当する、いわば僕と同じカウンセリングのエキスパート。だが、同時に今の僕の言葉が本心ではなくとも事実であることも理解しているはずだ。つまり、経緯はどうあれ、このことを相談すれば、イリスの負担になることは変わりないのだ。だからこそ、国外の雑事について、モネがイリスに相談することはない。僕はそう踏んでいた。
「……分かったわ」
その一言が出るまでに、予想以上に時間は掛かったものの、僕の思惑通りに事態は進んだ。
だから仕方ないのだが、モネが僕の警護につくにあたって、人間よりもはるかに生命力の高いシャロンを僕に四六時中べったり付かせるのには、いい加減僕も辟易していたところだった。
そんな日々が一週間経ち、二週間経ち、いい加減平穏にも辟易し始めていたときだった。
その日の診療所の診察を終え、モネとともに帰宅する最中、僕が前の世界に置いてきた生徒たちのことを考えていたときだった。
気づけば、首が刎ねられていた。
「――――え」
舞う首から見た視界には今まさに倒れようとするシャロンと、狐の仮面を被った男の姿があった。けっこうな長身だ。黒いザギールの伝統服装を身にまとい、右腕は横に直角に伸ばされていた。右腕に返り血すら付いていなかったので、最初、その右腕が自分の首を刎ねたのだと信じられなかった。
狐の仮面を被った男――聖天剋が踵を返して去ろうとしたとき、僕の視界は暗転した。
聖天剋は対象の首を刎ねた瞬間、仕事を終えた充実感すらも感じなかった。
憲兵団が捕まえられなかったと聞いた相手だったが、全く話にならなかった。または、憲兵団にまともな人員を補給できないほどにこの国が弱っているということなのかもしれない。
潮時かもな、と聖天剋は思った。暗殺という条件ならば自分に殺せない人間はいないと思ったが、流石に戦争になると話は変わってくる。敵将の首を両手で数えきれないほどには殺せるとは思うが、戦争という数が物をいう戦場は自分と相性が悪いし、大軍を圧倒するような火力がないことも自覚していた。
だからといってザギールが降伏したあとに皇国に寝返りするには、かの国とは確執を深めすぎた。あのときの報酬はそれだけ見返りはあったが、自分の目標にはまだ届かない。この仕事の報告をしたのち、多少は残っているだろうザギールの宝物庫から報酬を頂戴しよう。
死体に踵を返し、歩を進めたときだった。
「――――?」
気配を感じ、咄嗟に体を後ろに捻った。その瞬間、猛禽類が擦過したかのような鋭い風が頬を撫でる。背中越しに後ろを見ると、そこには首を無くした先ほどの男が蹴りを放っていた。
聖天剋の中を、久方感じることのなかった悪寒が走った。男の両肩の間から、まるで蔦が伸びるかのように首が生え、やがて骨、筋肉繊維が再生し、赤い肉の間から双眸がこちらを見据えた。
男が手に持っていた何かを砕いた。途端に強力な神聖力が男の体を中心に巻き起こる。そこで聖天剋は初めて構えた。次の攻撃をまともに受ければ死ぬ。直感が死の警鐘を鳴らした。
「霧幻泡影」
再生を終えた男の拳が眼前に迫る。脱力しきった体からの無拍子。なかなか悪くない。
防御することは容易だったが、男の拳に纏わりつく黒い粒子が聖天剋の気にかかった。気にかかるとは大事なことだ。ただの人間である自分が精霊騎士相手に何度も勝つのは、そうした不確定要素を潰しているおかげだった。
故に、聖天剋はその一撃を多少強引な姿勢でも躱すことにした。上半身を限界までのけ反らせ、頭が地に着くのではないかというほどまで腰を折る。空には夕闇に黒い拳が月のように歪んでいた。
「うわ――」
男が何か言おうとしたが、その前に右足で男の顎を正確に蹴り砕く。露わになっていた顎骨が砕け散り、男の体が宙に浮く。
態勢を戻した聖天剋は、そのままがら空きになった男の胴体に拳を打ち抜く。皮膚を裂き、胸骨を砕き、その奥にあった心臓を掴むと、聖天剋はそれを男の体の中で握りつぶす。
「こふっ」
男の口から短い吐息とともに血が流れ落ちた。
手を引き抜き、数歩後退した聖天剋の前で、男は膝をつく。
――よもや、これほどとは。
だがそれだけだった。
聖天剋の目の前で、男の体はまたも再生した。赤い稲妻が男の体を這いまわり、欠損した箇所を瞬く間に修復していった。再生に三秒と時間はかからなかった。五秒後には、男は先ほど聖天剋が襲う前と同じように無傷で立ち、彼に対して笑みを浮かべた。
「やあ、初めまして。聖天剋さん、かな?」
なろうコン1次突破してました。
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