地下に潜む老人
「あなたがカナキ殿だな?」
「はあ――――」
「少しお話がある。付いてきてもらいたい」
「今、患者さんを診ているので、少し時間をいただけませんか?」
既にこのとき、彼らが僕の待ち望んでいた相手であることはほぼ確信していたが、あくまで僕は街中に流布されている『カナキ』という人物像を壊さないよう、あえて否定的な態度を取った。
これで彼らが邪険にされたと激昂していたら困りものだったが、幸い彼らはそこまで短気ではなかった。むしろ「これは失礼しました」と、それから三十分、ずっと小屋の外で邪魔にならないように待っていてくれた。うんうん、既にこの時点で憲兵との差は歴然だね。
それから、他の医師たちに、しばらくここを空けると伝え、彼らの元へ駆け寄った。
「お待たせしてすみませんでした。なかなか患者さんの足が途絶えなかったもので」
「いえ、こちらが連絡もせず勝手に来たのです。どうかお気になさらぬよう」
「そう言っていただけると助かります」
僕が困った笑みを浮かべると、彼らはじっと僕を見た。
「な、なにか?」
僕は若干戸惑った声をあげる。
「いや、失礼。こう言ってはなんですが、あまりにも普通、というか、街であのような噂をされている人には見えなかったもので……申し訳ありません」
「街中でどんな噂をされているかは知りませんが、僕は今あなたが仰っていたように、ただのしがない医者ですよ」
無論、街中で僕がどのように噂されているかは知っているし、むしろアッシュを使って積極的に噂を流布させている張本人なのだが、そんなことはおくびにも出さず、僕は困った笑みをこぼした。彼の印象通り、どこにでもいる市民のように。
「それよりも、私の用、というのはどのようなことで……」
「ああ、そうですね。これから付いてきていただきたいところがあるのですが、よろしいですか?」
「ええ。しかし、一体どこに?」
「それについては実際に来ていただいてみたほうが早いかと」
少しの間思案するように顔を伏せる。まあ心中では答えなど決まっていたのだが。
「分かりました。行きましょう」
「ありがとうございます」
僕の返答に彼もほっとしたようだ。彼が無意識のうちに発していた緊張感も霧散する。これで少しはやりやすくなりそうだ。
「ただ、せめてあなた達がどういった方々なのかくらいは教えていただけないですか?」
「残念ですが、それも私の方からは何も言えません。ただ、これから向かう先にいる方なら聞くことは出来るかと」
なるほど。公衆の面前で言うのがはばかられる、となると、僕の予想はおそらく当たっているだろう。
そこから僕達が歩いたのは、大通りを避け、徹底して小道――路地裏と言っても差し支えのない、日の当たらない建物と建物の隙間のような道だった。そこには、乞食であったり孤児であったりといった、表の通りには住めない人々が肩を並べるようにしてうずくまっていた。
ある程度予想していた光景であるし、実際にこのような場所に赴いて治療活動も行った。それでもこれほどの規模の難民がいることには僕も多少面食らった。
「これが、今の我が国の現状です」
僕の様子を見た彼らの一人が吐き捨てるように言った。
更にそこから歩くこと数十分、ようやくたどり着いたのは、ただでさえ光の届かない路地裏の突き当たり、そこから地下深くへと続く長い階段だった。
「ここからは足元が見えなくなります。注意してください」
彼の言う通り、階段を数歩下れば、そこからは一寸先は闇と言って差し支えの無い一片の光さえも届かない闇の世界だった。魔術で視覚を強化するかとも考えたが、万が一前後にいる彼らが魔力を感知した場合は少々面倒なことになるかもしれない。僕はあくまで平凡な市民として手探りで階段を下ることにした。
どれほど下っただろうか。時折先導する男に補助されながら、ようやく階段を下りきった。
相変わらず真っ暗であったが、音の反響から目の前すぐに行き止まり、いや、おそらく扉があることが分かった。
「少々お待ちを」
彼はそう言って、扉を不規則的なリズムで叩いた。それで扉が静かに開き、僕は後ろの男に押され、中へと入った。
入った時は真っ暗だったが、後ろで扉が閉まった瞬間眩い光が僕らを出迎えた。
「――よくぞ、いらっしゃいましたな」
出迎えたのは、優に八十は越えているであろう。小人かも思えるほどに腰を折り曲げた小さな老人だった。
「あなたは……」
「私はラーマ、と申します――ああ、君たちもご苦労だったね。奥で休むといい」
ラーマと名乗った老人が言うと、僕をここまで導いた男二人は奥の天蓋の中へと消えていった。部屋に残ったのは僕と老人、二人だけだ。
「さあ、まずはおかけください。老いているとはいえ、私だけ座るというのはお客様に失礼だ」
そう言うとラーマは部屋の中央にあった椅子に腰かけた。
僕は一瞬室内を見渡し、問題ないと判断すると、ラーマの正面に置かれていた椅子に座った。
「それで、ラーマさん、と呼んで構わないですか?」
「ほっほっ、構いませんとも。むしろ周りの者は、必要以上に私に敬意を表し過ぎましてなぁ」
ラーマが頬を掻く。それを自然と目で追っていると、彼の瞳が目に入った。まるで密林を思わせる、深い碧色の瞳だった。
「ありがとうございます。それで、私に用事というのは……?」
「カナキ殿、あなたなら既に私達がどのような存在か分かっているでしょう」
「生憎、私は察しが悪い方で」
「ほっほっ、謙遜しなさるな。その懐に入っている珍妙な石、ありえないほどの“魔力”が込められておる。そんなものを持っている人が只者であるはずがない」
その一言で彼の素性を知るには十分だった。
「――――なるほど。あなたもあの異世界、ファンタゴズマから来た転移者ですか」
「ほっほっ、やはり察しが良い。これなら話は手早く済みそうじゃ」
ラーマは小さな肩を揺らして笑う。この世界に来てから前の世界の者と会うのは初めてだったが、確かにザギールの国民にしては、やや肌の色が白い。
「あなたはいつからこの世界に?」
「もう半世紀ほど前になりますかね。そのときはクロノス共和国という所に住んでいたのですが、あなたはご存知で?」
懐かしい響きに僕は知らず目を細めていた。
「ええ、出身がそこの友人がいました」
「ほう、それはそれは」
頭に浮かんだのは、今はもうない何でも屋『カフス』を経営していた店主の顔。ハンサとはサーシャたちの襲撃以来、ほとんど会うことはなかったのだが、まだ元気にしているだろうか。
「では、ここで私達が出会えたのも何かの縁かもしれませんね。聞けばあなたは、隣国の皇国の者と聞きましたが?」
「ええ、僕が落ちたのはそこでした」
「なるほど。なら、今あなたがこの国にいるのも頷ける」
勝手に満足してラーマが頷く。なんだろう、この老人を前にしていると、自分の心が全て見透かされているような妙な不安に囚われる。
僕はその疑念を振り払うように本題に入った。
「昔話はいいでしょう。それで、僕を呼んだ本当の理由は?」
「ああ、そうでしたね。実はあなたに、私たちレジスタンスの助けになってほしいのです。ああ、みなまで言わなくても大丈夫です。報酬は現政府を打倒した後のこの国全て。それで請け負って頂けませんか?」
「…………」
突然世間話をするように。このラーマという老人は驚く提案を突きつけてきた。
呆気にとられる僕に、ラーマはあくまで淡々と続ける。
「カナキ殿が皇国の皇女に一泡吹かせるつもりでいて、そのためにまずこの国を掌握したいことは存じております。しかし、表向きはザギールは皇国に吸収されますので、普通に国を占領してしまえばザギールは皇女の物となりましょう。そう考えたあなたは、まずは国の内部、つまりは国民から信頼を勝ち取り、クーデターという形でこの国を内部から瓦解させるのが目的だったのでしょう? ならば、我々レジスタンスを利用して現政府を打倒すれば色々と話は早くすむでしょう」
「……何者ですか、あなたは」
僕と彼は初対面だ。そのうえ、今彼が話した内容は当然だが誰にも打ち明けたことはない。それをさも周知の事実であるかのように……。
「不快に思われたなら申し訳ない。しかし、私には少々特殊な力が備わっていましてな。相手を見れば、大体何を考えているか分かってしまうのですよ」
そう言うと、彼はまた小さく体を揺らして笑った。密林の瞳がそれに合わせて揺れる。
「ああ、生憎と手配書には載っていませんよ。私はこう見えて前の世界では国の中枢を担う賢者として知られていましたから。……と、すみません。こうして自分の能力を隠すことなく喋ることが出来る相手は久しぶりでしてね。少し興奮してしまったようだ。不快に思われたならすまない」
「……観察力に長けている、とかそういうレベルじゃないですね、ほんと」
もしや自分は無意識に口に出してしまっているのか、と思えるほど、そのとき考えていることを的確に当てるラーマに冷や汗をかく。つまり、今僕が彼をここで殺すこと、更には目を奪うことを考慮していることさえも彼は知っている。それでいてこうも朗らかに笑っているのだ。泰然自若とか、最早そういう言葉すら彼は越えている気がする。
「それは言い過ぎですが……それで、答えはどうですか?」
「……心を見通せるあなたなら既に分かっているのでは?」
「心とは常に変化し続ける雲のようなもの。その時々で変化しているが、言葉とは口に出した後決して形を変えることはありますまいからな」
つまりは言質を取ろうって言うわけか。全く、とんだ老人だ。
「その報酬を必ず用意するという保証は?」
「ほっほっ、カナキ殿の力を借りてクーデターが成功すれば、自ずと名声はあなたへと向かうでしょう。それに、あなたが思っているほど、ここから政府を打倒するまでは簡単ではありませんぞ」
これほどまでに国は弱り切っているのだ。仮に僕がいなくてもレジスタンスのみで打倒できそうなものだが。
そう考えていた僕の指摘を甘いとラーマは一蹴する。
「しかし、そうは言いますが、正直レジスタンスとの共闘が成立した今、この国を転覆させる障害は僕の中で無くなったと言っても過言ではないのですが」
「ええ、一週間前、“彼”が出てくるまでは」
「彼?」
含みを持たせるラーマの言葉に、僕は多少のイラつきを感じた。
ずっと自分の心の中を覗ける相手と会話しているのだ。そのストレスに加えて老人特有の持って回った言い回しをされればたまったものではない。
「おお、すみません。老いぼれなため、そこまで頭が回りませんでした。そうですね、単刀直入に言いましょう。ここ最近、この街で主要なレジスタンスの幹部が暗殺されています。そして、その犯人が、我々レジスタンスの身には有り余る強さなのです。あなたには、それをどうにか撃退していただきたい」
「暗殺……?」
常に情報収集を怠らなかった僕であるが、その情報は初耳だった。とはいえ、最近は医療活動でろくすっぽその時間も取れてなかったので知らなくて不思議ではないのだが。
「ええ。政府お抱えの手練れです。それも一対一の勝負なら、国内最強と言っても過言ではないかもしれません」
「国内で、ですか?」
「はい。そうですね、前の世界で言うならば……手配書が出ればレートSSは確実、超人ランキングならば一桁に食い込むかもしれません」
全身が粟立った。俺をこの世界へと飛ばした男の顔が浮かぶ。
――――エリアスレベルの実力者が、この街に?
「はい、とはいえ、あくまで今のは奇襲を受けたら、の話ですが。しかし、それを差し引きしても怪物ですよ。それでもあなたは引き受けていただけますか?」
「…………」
今までの僕ならば、確実に断っていただろう。危ない橋は、そもそも渡らないことこそが一番だ。
しかし、今の僕の最終目的を達するためには、この程度の試練、これからも幾度となくあるだろう。それに、強くなることを決めたのはつい最近のことだ。強敵と戦ってパワーアップするなど、そんな都合よく世界は作られていないことは分かっているが、強者を魔晶石に変えられるだけでも充分強くなれる。ここが僕の正念場、ということだろう。
「分かりました。引き受けます」
「ありがとう。そう言ってくれると思いましたよ」
ラーマはまるで準備していたかのように、朗らかな笑みを見せた。
読んでいただきありがとうございます。




