ザギールへ 4
「アンタが皇国の軍人だってこと、バラしたときには頭がおかしいと思ったけど……こうなることを、最初から分かってたの?」
リンデパウルの一角、住民の“好意”で住まわせてもらっている小さな家で、壁に身を預けたアッシュが言った。その声音はどちらかというと、気味の悪いものでも見たような感じで少し凹む。
「そんなことが出来るなら、今頃皇国で最前線から程遠い安全な役職に就いてるよ。だから、そんなに露骨に警戒しないでくれるかな」
「ふん」
あれから一ヶ月、僕の立場はようやく安定してきた。
初めて憲兵に連行されそうになった日から、僕は軍からお尋ね者として追われるようになった。それも当然、なにせ今戦争している国の者だと身分を明かしたのだから、向こうとしては連行して少しでも皇国の情報が欲しいところだろう。しかし、そこに反発を見せたのが他でもない、僕がこれまで治療を行った住民たちだった。
元々劣勢に立たされ、住民への負担を重くしていた軍や政府に対して、住民は僕が思っていた以上に不満を募らせていた。つまりは既に燻ぶっていた火種に僕が油を注いだわけだ。最初の一週間は憲兵と住民の押し問答が続き、憲兵の強硬手段により国民の方で軽傷ながらも怪我人が出た。そうなれば「僕によって罪のない人達が傷つくのは耐えられない」と憲兵から逃げる大義名分も出来る。それからしばらくは憲兵と僕との鬼ごっこが続いたが、元々逃げたり隠れたりするのは僕の得意分野だし、いざとなれば魔法による偽装も可能なのだ。彼らに捕まる道理なく、その間にもちまちま続けていた治療活動で僕の協力者はますます増えていった。
事態をどう捉えていたのか僕には知る由もないが、ザギール軍の動きも緩慢だった。とはいえ、その理由の一端として、皇国が首都を包囲しようとする動きがあることは間違いないだろう。国境を越えた皇国の大軍が近づいてきているのは軍の情報統制の甲斐なく、既に国民に周知のこととなっていた。
そんなわけで、僕の慈善活動はその後も続き、先日には、ついに小さな家屋を診療所として使わせていただけることになったのだ。今では毎日人だかりが出来て、ちょっとした行列店になっている。もちろん、お金は一銭ももらっていないが。
ある日、その行列店に町医者が集まって抗議してきた。
「あんたが毎日患者を無料で見るせいで、私達は飢え死にしてしまう!」
「なら、僕があなたたちを雇いますよ」
「……え?」
「来て下さる方が増えて、丁度人手が足りなかったですしね」
幸い、イリスからは任務達成のための軍資金は医者十数人を雇うには困らないほど貰っていた。
ということで、人手も増えたことで、益々一日に訪れる訪問者は増えていった。そのうち、定期的に訪れる患者の中に精神的な負荷、つまりはストレスを緩和するためにカウンセリングを受ける者もあらわれた。
「最近軍の徴収が益々ひどくなって……これじゃあ家族全員飢え死にしちまう……」
「なんでも皇国がもうすぐ目の前までやってきているそうじゃないか……この国はもうおしまいだ!」
中には、皇国を恨み、僕に赤い竜の瞳を向ける者もいたが、治療を受けている以上、大半は自国への不満だった。ここになって、彼らの中で皇国を強く憎む、という者があまり多くないことを感じた。つまり、ザギールでは反皇国教育があまり勧められていないのだ。意外に思ったが、それはそもそも教育が十分に行われていないということなのだろう。確かに患者の中には十分に文字を読めない者も決して少なくなかった。首都でこのレベルなら、辺境の集落などはもっと酷いのだろう。まったく、皇国はまだマシだが、それにしてもこの世界では教育があまりにも軽んじられている。ザギールを陥落することが出来たら、軍事学校とか適当に名目を付けてイリスに学校を作らせよう。
事実、ザギールでの生活を通して、教育の重要性を身をもって感じられた。教育が進んでいないとは、ここまで敵国にとって有利な状況を作るのか。元から皇国に対しての敵意が強くなかった彼らは、目に見えない最前線で戦う自国の軍より、目の前で自分たちを助けてくれる敵国の男に救いを求めた。一度ある一定数の信頼を得られれば、あとは活動を続けるだけで自然と信者は増えていく。特にこの町には今の生活に、現世において辛い思いをしている者ばかりだった。人間は救いようのない現実に直面したとき、藁にも縋る思いで信じるものは決まっている。
そう、宗教だ。
「そうですか、あなたは今そのような状況に……さぞかしお辛いでしょう。しかし、あなたは立派だ。そんな過酷な境遇の中でも、家族を守るために、現実から目を背けず、立派に生きている。私達の考えでは、現世こそが地獄そのものであり、その中で辛い経験をすればするほどに、いつか救われる、と考えられているのです」
「この世は地獄であり、私達は毎日を生きるだけで精一杯です。その中で更に面倒で金も時間もかかる宗教行為など誰が行うでしょう? 私達が守るのはあくまで自分であり、友であり、恋人であり、家族です。それらを守るために私達は生きているのであり、神を信仰することはあくまで手段でしかありません。ですから、まずはエーテル教を、私を利用してください。例え今回の輪廻で信仰心が芽生えなかったとしても、エーテル教との縁は結ばれ、来世は今よりも救いのある人生を送ることが出来ます」
「神曰く、死とは救いであり、殺めるとは善行であるそうです。死は、次の輪廻へと転生することを示し、エーテル教と縁を結んでいたのならば、必然的に転生後は今よりも暮らし向きが良くなっているからです。つまり、他者を殺めるとは、相手をより幸福にすること、ひいては己をも、エーテル神への信仰を捧げることになるのです」
僕は昼夜問わず治療を行い、その度にエーテル教の教えを説いた。
ある者にはこの世の在り方を、ある者には来世の未来を、ある者にはエーテル教の価値観を説いた。ポイントは訪問者にとってエーテル教の教えをいかに都合のよい存在だと印象づけるかだ。その際には、カウンセリングで培った観察と話術を駆使して、相手の欲しい情報を拾うことに集中した。当然楽な仕事ではなかったが、その結果ついに僕はある快挙を成し遂げる。
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