ザギールへ 1
「はぁい、着いたわよ」
翌日、準備を整えた僕は転移先で大きく息を吸った。心なしか空気が皇国より緑くさい。彼女の話では王都の隠れ家に飛んだはずだが、もしやどこかで方位が狂ったのだろうか。
「大丈夫よ、ここじゃこれが普通だから」
モネの言葉で辺りを見渡す。どうやらここはどこかの民家のようで、壁際には病的なまでに大量の観葉植物が置いてある。これがにおいの原因か。
「仕方ないでしょ。ザギールは農耕中心で、誰もが青臭い匂いなのよ。多少きつくても、ここで数十分いてから外に出ないと、外の奴だって一発で分かっちゃうのよ」
「なるほど、それでこの大量の植物ですか」
確かに植えられた植物は、どれも強烈なにおいを発するものばかりで、皇国ならばまず観葉植物としては不適なものばかりだった。こういうところはやはりモネも六道か。『審問』のエキスパートとして、正体を気取られないよう細心の注意を払っている。
当のモネは自分の仕事は終わったとばかりに木製の椅子の背もたれの方に股を通し、行儀悪く座って訊ねてきた。
「ねえ、もうそろそろ君がなんで敵国であるザギールに来たいって言ったか理由を教えてくれても良いんじゃない? 体に匂いが付くまで暇なんだしさぁ」
「教えるかどうかはともかく、まずは姿勢をどうにかしましょうよ。女性なんですから」
「えー、カナキ君って女性にそう言うの求めるたいぷー?」
「強要する気は毛頭ありませんが、モネさんの魅力を損なう行為だとは思うので、差し支えないのならやめた方が良いと思いますよ」
「あれ、もしかしてカナキくん、私のこと狙ってる?」
「寝言は寝てから言ってください」
「あはは、それで、本当の目的はなんなの?」
軽口を叩いて煙に巻くつもりだったが、流石にそこまで間抜けではないか。
僕は溜息をつきつつ答えた。
「……敵情視察ですよ。別に、こちらに寝返るつもりなんてありませんって」
「そんなことをイリス様が憂慮してるわけないって分かってるでしょ。それより、敵情視察って、王都の守備を確認したかったの?」
「まあそれもありますけど……」
それ以上は言うのははばかられた。余計な期待を持たせても、ダメだったときに落差が大きくなるだけだからね。
それから小一時間は、モネの会話に適当に答え、時折混ぜてくる本気の質問にものらりくらりと答えた。
そうしているうちに体が良い感じに緑臭くなり、出発の頃合いとなった。僕の真意が掴めなかったことにモネは「ぶーぶー」とあからさまに不満を出したが、それも完全に無視した。
「うわぁ……」
外に出てみて、僕は思わず感嘆の声を漏らした。そこは皇国とも、日本や前の世界のオルテシア王国とも全く違っていた。言ってみれば、そこはまるで密林の中に密かに存在する王国のような町だった。
「蒸すな……」
そして熱気がこもっているというか、妙に蒸し暑い。ジャングルまでとはいかないだろうが、都会特有の人が密集している地域の暑さとは違い、どこか自然的な湿度の高さでそれほど不快感は抱かなかった。
「ザギールの首都は皇都よりもかなり気温が高いうえにむしむしだからねー。なんか懐かしいなー」
「そういえばモネさんはここに来たことがあるんですよね?」
でなければ『空間歪曲』による転移も行えていないはずだ。
「うん。まだ『シャロン』をいただく前だから、そのときは転移自体は使えなかったけどね」
「そういえばシャロンさんは」
「ここにいますよ」
「わ」
後ろから声を掛けられて振り向くと、そこにはモネと瓜二つな、しかしモネよりも明らかに表情の変化に乏しいシャロンの顔があった。
驚いた僕を見て、モネがケラケラと笑う。
「カナキくん驚きすぎー」
「いや、そりゃ実体化してたから……」
「“ご主人様”の命令で先ほどから実体化しておりました。私の本来の姿では、人前では目立ちすぎると……」
「いや、だからってこれも目立ちますけどね……」
事実、周りを通り過ぎる人はチラチラと二人に視線を寄越してくる。瓜二つの美女が並んでいるのだ。無理もあるまい。
それに……道を歩く人達を見て、僕はあることに気づいた。
「ザギールは黄褐色の人が多いんですね。白人系の皇国とは違う系統だ」
「あ、それザギールではタブーだからあまり往来の場では言わない方がいいよ。あ、ほら」
モネの視線の先を見ると、大柄な男二人がこちらを睨みながら横柄に歩いてくるところだった。
言わんこっちゃない。後ろでモネのため息交じりの声が聞こえた。
「おい、そこのあんたたち。見ない顔だがどっからきた?」
「この時期に観光ってわけでもないだろうし、後ろのお姉ちゃん方は明らかにこの国の奴じゃねえよな?」
僕は刹那の間、どう反応しようか迷った。
正直、ここで騒ぎを起こし、早急に首都を内部から陥落させる手も考えたが流石に強引すぎると却下する。それよりかは、純粋に偵察者として動く方が良いだろう。
僕はすぐに表情を作り、彼に安心させるよう笑顔を作った。
「いえ、私はザギール軍第四精霊騎士団所属、アッシュ・カタロン少尉であります。今は急務で一度前線から首都に戻ってきており、早く王宮に後ろの捕虜二名を連行せねばならないのです」
僕の対応に男二人はたじろいだ。
「ほ、捕虜ってあんた、それならなんでこいつらに縄の一つでも……え?」
「はい、皇国民は怪しい力を持つと言われていますからね。この通り通常の縄ではなく、特殊な手錠というものを嵌めさせています」
男たちは目を白黒させながらモネとシャロンの手首を凝視する。
勿論、本当はそこには何もないのだが、一般人程度なら僕の魔術で容易に幻覚を見せることくらいはできる。もちろん、時間も範囲も限られているので、それだけで町一帯を征服することなど夢のまた夢だが。
「では、そろそろ通してもらっても?」
「お、おう」
「ありがとうございます」
最後にもう一度笑顔を向け、僕たちは彼らを抜き去った。
十分に距離が離れたところでモネが言う。
「あいつら、エーテル神のお告げでも聞いたみたいにぼーっとしてるけど、なにをしたの?」
「別に大したことはしていません。ただ、こういう細かい仕事は僕に向いているってことですね」
魔術による幻覚と印象操作、そして口八丁と笑顔。セルベス学園では全員が魔法師だったために一度も使えた試しがなかったが、この世界ではそこそこに交渉時にも使えるかもしれないな。もちろん、過信は禁物だし、純粋な話術のみで乗り越えられることに越したことはないのだが。
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