六道
今話で、当初予定していた「神曰く」の一幕、つまり第四幕は終わりとなります。この四幕だけ、終わるのに半年以上かかったという……
「……分かったよ」
そのとき、僕の心中は決して穏やかではなく、それどころか数年稀に見るほどにさまざまな感情が渦巻いていたが、幸い、それらを全てのみ込み、表面に出さないだけの面の厚さは備えていた。
これだけコテンパンにされ、更にみっともなく駄々をこねれば、それこそここでイリスの逆鱗に触れかねない。
「ふふ、流石カナキね。一瞬でそこまで計算するなんて、益々気に入ってしまう」
「…………」
「別にあなたの思考を読む精霊装があるとか、そんな話ではないから安心して。ただ、分かってしまうの。私、優秀すぎるらしいから」
思考が読まれているわけではないか、と考えた僕の疑問に答えるイリス。もちろん、僕は先ほども今も一言も発していない。動揺しているとはいえ、思考が表情に出ていたとも考えづらい。本当に異能なしで僕の心を読み取っているのだとしたら……首筋が知らずのうちに粟立つ。
「とにかく場所を変えましょう。ここは私達が話し合う場としては無粋よ。モネ、移動させて」
「いてて……はぁい」
背後でモネが立ち上がったのを見て目を疑う。ただの打撃とはいえ、喉骨を破壊するつもりの一撃を入れたはずだ。それがたった数分であそこまで回復するなんてありえるのか?
「モネ、後で地下に来い。あれに負けた制裁を行う」
「ちょ、嘘でしょ翠連さん! わたし、そもそも専門は『対話』であって、戦闘は得意じゃないっていうか――」
「モネ、転移を」
「は、はい!」
イリスの言葉に慌てた様子を見せたモネは、すぐさま得物を振るった。
鎌の軌道に合わせて空間が裂け、この世界に飛ばされたあのときのように、別の場所へ移動することを想像したが、
「ッ!」
瞬きのあとには、僕は見覚えのある場所に移動していた。
ここには見覚えがある。そう、初めてこの世界に来たときの、イリスの見初め式が行われた玉座の間とも言うべき大広間だった。
「うぁあ、これ久しぶりに使うと結構くるなぁ」
「モネ、それは私の命令への不満?」
「と、とんでもございません!」
滅相も無い、とモネがその場でひれ伏す。酒場にいるようなお茶らけた印象が強い彼女がこのような態度を取ることが意外であり、つまりイリスはそれだけの行動を取らせることができるほどの存在ということか。
――それにしても、この一瞬であの場にいた全員が転移するとは、どういう手品を使ったのか。
「冗談よ――みんなは揃ってる?」
「はっ」
翠連がモネの隣に来て同じ体勢を取る。
「呼んで」
「はい」
モネが上体を起こし、大鎌の尻柄、先ほどの戦闘では透明化されていた鎖で一度、大理石の床を叩く。
ジャラジャラ――――
それだけで、最初からそこにいたかのように、モネと翠連の他に、四人の人間が平伏していた。
また一瞬。僕は段々自分は幻覚でも見ているかのように思えてきた。
「天道、聖」
「はい」
天女のような羽衣を纏った美女が三つ指をつけたまま答える。
「修羅道、翠連」
「はっ」
イリスの護衛をしていた女が勇ましく答える。
「人間道、裳涅」
「はぁい」
モネがいつも通り、それでも確かな畏敬の念を込めて答える。
「地獄道、閻魔」
「ここに」
跪いてなお、山のように巨大な男が地の底のような声で答える。
「餓鬼道、空離」
「はい……」
嘴のような拘束具を付けた長髪の女がくぐもった声で答える。
「畜生道、牙碌」
「オォ……」
最後の一人は最早人間なのかと疑うほどの異形。返事とも威嚇ともつかない返事をする。
「六道、御身の前に参上しました」
「うむ」
代表するように最初に天道と呼ばれた女がそう言うと、イリスはそんざいに頷いた。
「ザギールとの戦時下ですが、皆よく集まりました。エーテル神の名の元に労をねぎらいましょう」
「滅相もございません」
翠連が伏しながら言う。
「しかし、恐れながら大司教様、今回六道を集合させたのはどのような用件でしょうか。まさか、そこにいる異教の人間のことではありますまい」
こちらを見向きもしないが、翠連から凄まじい敵意が向けられ、それに呼応するように跪いている連中からも多様な視線を向けられる。それは敵意であり、好奇心であり、殺意であり、好意であり、実に様々だ。
「いいえ、翠連。まさにその通りです。今回は、この男、カナキ・タイガについて話があります」
その中でイリスが正に今、呼んだ理由が僕だと公言したのだ。連中からの視線は人も殺せるのではないかというほどまでに強まった。
「そこの男、カナキは裳涅によりエーテル教のために利用できる人間なのか審査されていました。そして先ほど、最終審査を合格し、晴れてその地位は保証されました。これからは彼を六道に匹敵する権限を有する者として迎え入れます」
『――――ッ!』
声にならない怒号が、その場に反響した。
「鎮まれ、大司教様の御前だぞ!」
一触即発の雰囲気を翠連が一喝する。闘気すら孕んでいた空気が若干和らぐのを感じるが、次の言葉で僕の顎を汗が滴った。
「しかし、恐れながら聖イリヤウス様。私も、他の六道と同じく疑問がございます。なぜ、その男にそれほどの権力をお持たせになろうとするのです。無礼を承知で申し上げさせていただきますが、彼奴にそれほどの力量があるとは――」
「随分と、偉くなったものね、修羅道」
「――――ッ」
雰囲気が変わった。殺意が迸る空気から、よく僕が見知った、恐怖の空気に。
確信した。この中ではイリスが、聖イリヤウスこそが絶対なのだ。
「これは私、大司教聖イリヤウスの決定よ。その決定を、あなたは否定するのかしら」
「そ、そのようなことは、決して――」
「そうよね。私を否定するということはつまりエーテル神をも否定するということ。そんなことをすれば、あなたの輪廻は、一気に欲界へと落ちるでしょう。折角修羅道まで上り詰めたのに、そこから餓鬼や畜生に落ちるなんてあんまり――ああ、気を悪くしないでね、空離、牙碌。今のは失言だったかしら」
「とんでも、ございません」
震える声で嘴の拘束具をした女が頭を振る。
――なんだ、この光景は。
この中で、僕も含め、一番脆く、弱い人間は誰がどう見てもイリスだ。この中の誰もが、やれと言われれば一瞬でイリスを殺めることが出来るだろう。しかし、なぜだ。ここの連中はイリスに歯向かうどころか、まるで神と相対しているかのように委縮してしまっている。少なくとも、今か弱い幼子のように震える翠連は、僕を遥かに凌駕する化け物だ。彼女とて、イリスが片腕を振るっただけで殺せるものと分かっているはずだ。
エーテル教。
考えられるのはそれしかなかった。彼女は、イリスは宗教であの化け物達を従えているのだ。事実、先ほどもエーテル教の基本的な考えである輪廻の話も出ていた。おそらくは、自分に逆らおうものなら、輪廻転生した先がロクなものではならなくなる、とかそういう眉唾ものの、根拠のない話だ。しかし、イリスはそれだけで奴らを従えている。宗教と、自分の弁舌だけで。
気づけば頬を何かが伝っていた。
それは涙だった。僕は、まさに自分の理想とする人との関係性を目にした気がした。そう、力ではなく、対話のみで相手を屈服させ、あまつさえ畏怖の対象とする言葉の力。これに比べれば、僕の恐怖による支配など、児戯に等しいとさえ感じた。
「カナキには新たな六道、“無道”として非公式だけれど、エーテル教のために活躍してもらいます。カナキも、それで良いですね?」
イリスが僕を見る。見方によっては、それは僕に同意を求めるようなもの。六道の面々から、貫くような視線が向けられる。
「それは、僕にも彼らのように跪いて君の靴でも舐めろってこと?」
それでも、僕はあくまで屈服はしない、という意思を示す。
その台詞を吐いた瞬間、最早敵意と呼ぶのも生ぬるい程の憎悪の感情を向けられるが、僕は至ってポーカーフェイスを崩さない。悪いがハッタリだけは得意なんだ。
「ふふ、ええ、ええ。もちろん、そんなことはないです。カナキ、私があなたに求めるのは結果のみ。それ以外の私に対する無礼は全て赦しましょう」
それをさも嬉しそうにイリスが肯定するのだ。連中の呆気にとられる姿は見ていて痛快だった。
「それじゃあ早速で悪いのだけれど、初仕事よ。今現在ザギールに攻められているシスキマの関所。あなたの力で死守しなさい」
「あれ、てっきりもう陥落したのかと思ってたけど」
「あなたの同僚が頑張っているから、かろうじて落とされていないわ。まあ戦力的には絶望的だけど、あなたならなんとか出来るでしょう?」
「無茶言ってくれるよ」
「ふふっ、頼みましたよ?」
最後は聖イリヤウスの笑顔で、イリスは僕を送り出す。
「裳涅。彼を向こうへ飛ばしてあげて」
「はい」
ジャラジャラ――――
鎖のぶつかる音の直後、僕の眼前には玉座ではなく、燃えるシスキマの関所があった。
戻って、これたのか。
怒号と悲鳴、そして埋め尽くすようなザギール軍を目前にして、僕はほっと息を吐いた。
「はぁ、やっと人心地付けるな」
よく見ると、最前線ではエイラが必死の形相で敵軍と交戦していた。他にも隊の奴隷兵やミッシェルなど、見知った顔が絶望的な戦力差の中で必死に戦っている。
そのとき、一機のレンズが真横を通り過ぎ、すぐに後ろから聞き慣れた声がした。
「か、カナキ大尉! 周辺はくまなく見張っていたはずですが、いつこちらに!」
驚いた様子でこちらに駆けよってきたのはティリアだ。彼女は、体のあちこちを血で染めながらも、しっかりと眼としての役割を果たしているようだった。
そうだ、ぼうっとしている暇じゃない。僕は、この状況をどうにか覆して来いと命令されていたのだった。
「ああ、ちょうどついさっきね。待たせてしまってすまない」
「いいえ、むしろ、よく一人であの化け物と奴隷商人を! これで退路は確保されました。一度森まで全員撤退を――」
「ああ、その必要はないよ」
ティリアの肩を掴み、優しく後ろへとやる。
遂にこの世界でも、隠し通すことは出来なかったわけだ。
「生き残っている者は後方支援に回してくれ。あとは僕に全て任せてくれ」
「え……む、無理ですそんなの!」
一呼吸の後、僕の言ったことを理解したティリアが悲痛な声を上げた。
確かに、これだけの手勢を相手にするのは骨が折れるが、先ほどの六道の一人でも相手にするよりは遥かにマシだ。あれだけ嫌悪していた戦場も、今だけは心落ち着く空間にまで思えてくる。
「大丈夫、僕を信用してくれよ――」
ティリアに笑みを向ける。それは人を安心させる笑みだ。
それで彼女から不安の色が若干和らぐ。それを確認すると、僕は握っていた魔晶石を砕いた。
速報。
シスキマ防衛戦、詳細。
昨日未明、皇国最東端に位置するシスキマの関所において、ザギール軍による侵攻が確認された。
敵軍戦力は推定五百、対する自軍は当時駐屯兵団は五十に満たないほどしかなかったが、結果的に関所の防衛は成功。ザギールの残存部隊も撤退した。
その正確な戦況は不明だが、生存した兵士から話を聞くと、どうやらタイガ部隊隊長、カナキ・タイガ大尉の功績が大きいらしい。噂では、「敵軍が跡形もなく消え去った」と報告した兵士もいるらしく、極度のストレスによる幻覚を見たのではないかという見方が今のところ強い。
ただ、カナキ大尉が活躍大との報告は真実らしく、これを受けた軍本部はカナキ大尉を少佐へと昇格、更にカナキ小隊を中隊規模になるまで増員し、特務隊として運用することを決定した。
特別軍事戦術官の肩書を持つカナキ少佐。今回の件で戦力としても評価された。今後も彼の戦果に期待したい。
カナキの六道の肩書は邪道と迷ったんですけど、こっちの方がしっくりきたので無道にしました。奇しくも名前と同じですけど、ほんとに思いつきの偶然です。
感想ご意見等頂けると、またモチベーション向上に繋がりますので、どうかよろしくお願いします。




