森の洋館
「ああ、タイガ様、ありがとうございます!」
「いえいえ、また何かあればいつでもお越しください」
笑顔で教会を去っていく老夫婦に僕は安心させる笑みを向ける。
僕が来てから教会に来る人の数はさらに膨れ上がり、今では朝から夕方まで常に何人かの来訪者がいるようになった。しかも、その人たちの九割以上の目的が僕で、彼らの傷をいやしたり、時には悩みや相談事に乗ったりした。
教会にやってくる人達の悩みは十人十色だったが、共通して僕が感じたのは「ああ、魔法学校で教鞭を振るっていて良かったなぁ」ということだ。
あのとき、保健室に訪れた様々な生徒の悩みに真剣に相対し、解決方法を探ったり、ときにはあえて何も助言せず、聞くことに徹した経験は、今確実に自分の力となって根付いていた。
日本にいたころの僕は、普通の人の価値観は理解できたが、細かいところは分からなかったり、少しズレた所もあったものだが、今ではエーテル教の教えに準じた彼らの考え方を十二分に理解することができていた。
そのせいか、ロイなど、今では聖堂にも入ってこなくなったが、たまに僕のことを感情の灯らない瞳で見つめてくることがあった。面倒事にならないうちに、消しておくのが吉かもしれない。
カイルは、今となっては完全に信頼を獲得し、僕の一挙一動全てに注意を払い、僕のまねをするようになった。その子どもらしい行動にかわいさを感じる半面、煩わしさもあるのは事実で、手か足の一本でも引っこ抜いてしまえば少しは大人しくなるのかなぁとぼんやりと考えることもある。
そのような教会の中で、唯一シャロンだけは初めてあった時と変わらず、フラットな関係で僕と接し続けていた。夫であるロイの影響を受けて、少しでも僕を軽蔑、または逆の感情を持ったりしても変ではないのに、一か月経っても何も関係性が変わらないのは少し不気味でもあった。まあ、彼女が酒場で週に一度は会うモネと同一人物であるというなら、教会で会うシャロンは完全に表の顔、ということで割り切ることもできるのだが。
そのモネはというと、話した通り週に一度は『カミーム』で呑み、完全に呑み友達と化していた。
正直、このシスキマの町は娯楽も少なく、前の世界で活動拠点だった“シール”の町のように夜遊びもできず、端的に言えば、生活に女が欠いていた。
その点、モネという人物は美人でいて、さらに話も興味深く、一緒にいて飽きることなかったので『合格』と言えた。何度か“そういうこと”を遠回しに仄めかしたことはあったが、その度に彼女は曖昧な笑みでその場を濁した。とはいえ、完全に拒否されているような気配はなく、もう少しで落とせそうな気もしており、そういう過程も含めて、彼女は実に退屈しなかった。
そして、それら全てが順調に進む中で、やはり森の奥の洋館は唯一の懸念材料であり、他が上手くいっているが故に余計煩わしかった。大義名分を作ってから更に数日をかけて、ミッシェルに話を通した。彼も、あの日自分たちにゴロツキをけしかけた相手のことは気になっていたらしいし、洋館の場所が、その監視者を見失った場所と同じ森の奥ということで、彼も同行を志願してくれたが、それでは関所が憲兵だけになってしまい、ただでさえ仲が悪い憲兵と軍の関係を、更にややこしいことにする可能性がある。それはミッシェルも分かっていたらしく、僕がやんわりと断ると、彼も歯がゆそうではあったが、素直に頷いた。
そうして密かに、それでいて着実に準備を整えた僕達は、洋館を見つけた一週間後の夜、遂にそこへの威力偵察を決行した。
「――うん、この先十メートルに敵影ありません」
「よし、前進だ」
レンズを使ってティリアが人の姿がないことを報告すると、僕はエイラに指示を出す。
エイラは無言で頷くと、四人の班員が彼女の背中を追う。出来るだけ静かに移動することを指示したが、やはり真っ当な訓練を受けていない子どもだ。その姿は隠密行動とは言い難い。
だが、逆に一度戦闘に入ってしまえば彼らは並の兵士を上回る。あのウラヌス戦を生き延びた子どもたちなのだから当然といえば当然だが、相手からすれば当惑するだろう。更に、その先陣を切るのがエイラなのだから、生半可なことでは大崩れはしないはずだ。
しかし、進めど進めど、敵がいないのだからその強みも発揮されない。遂に洋館の目の前まで来ても、人の姿はおろか、気配すら僕でも感じられないのだから内心焦る。ここまで下準備を重ねて実行した任務だ。空振りで終わればとんだ笑い者だ。
レンズを使い洋館の外壁を調べたが、子ども一人がやっと出入りできるくらいの大きさの窓の他には裏口などは存在しなかった。奴隷兵士たちを使って窓からの侵入も考えたが、やはり僕自身も洋館内を調べたかったので、正面玄関から正攻法で入ることにした。
僕の身の丈の二倍はありそうな大きな扉をアックスが開き、その僅かな隙間をエイラが蛇のようにするりと通り抜け、中に入っていく。僅かな開いた洋館の中は真っ暗で、月明かりだけが薄暗い中を照らしていた。
「とりあえず誰の気配も感じねえ。入ってきな」
小声で言ったエイラに従い、僕達は続々と中に入っていく。
普通の家だと玄関に該当するであろう場所は、まるで舞踏会でも出来そうなほどに広く、タイガ隊の十五人が全員入っても、なお広すぎるといった印象を受けた。
『夜目』の魔術を発動し、室内が昼間と同じような明るさで観察できるようになったとき、僕は気づいた。
最初に部屋が広い印象は受けたが、それは部屋自体が広いこともあるが、インテリアなどの物が全く置かれていないため、余計に広く感じるせいでもあったようだ。
僕はてっきり、この洋館は奴隷商人による店兼プレイルームだと思っていたのだが、これだけ簡素、というより殺風景な部屋は、あまりお客様を歓迎するような意図は見えない。これは、僕達のような軍関係者がやってきたときのことを想定したためか、または、ここがそもそも奴隷商人の棲み処ではないためか。
どのみち、ここまで来たのだ。手ぶらでは帰ることは頭にはない。
「あまり時間はかけたくない。ここからは三班に分かれて探索する。一班はエイラ、二班はティリア、三班は僕だ。何かあれば笛で知らせて。何もなければ三十分後にここで合流。いいね?」
僕の指示に子どもたちは無言で頷く。ティリアとエイラも顔の真剣味が増した。
戦力を分散させるのは不安だったが、それ以上にここで何らかの情報を是が非でもほしかった。そのためならば多少の損失には目を瞑ろう。例え全滅しても、僕には『魂喰』によってストックした“残機”があるのだ。僕さえ生きていれば後はどうにでもなる。
洋館の東側を担当した僕の班は、そこにあった数々の部屋を順番に回っていったが、人はおろか、最近人がいた形跡すら確認することができなかった。どの部屋も埃っぽく、床も薄汚れていて、所々床の木は朽ちて崩れかけていた。
「カナキさん、やっぱりここには誰も住んでないんじゃねえか?」
沈黙を破り、アックスがそう言ったのも頷ける。僕も、段々ここに人がいるなんて思えなくなってきていた。
「――止まって」
そうして僕も意識が緩んできたときだった。そのとき先頭を歩いていたフレシアが声を鋭くした。
足音が止まり、完全な静寂が訪れたとき、奥の廊下から「ひた、」という音がした。
全員が無言で銃を構える。優に三十メートルはあろう廊下で、窓から入る僅かな光で、その音の正体が分かった。
「――“あっぼ”」
それは、毛むくじゃらの化け物だった。
二本の足で立ち、体に人間に近いが、“ソレ”は腕が肩からではなく、両脇の下、横腹の辺りから人の腰くらいの太さの無骨な腕が生えていた。
更に言えば、“ソレ”に頭は付いているが、顔はない。つまり、のっぺらぼうだ。そのくせ、髪の毛量は不気味なほど多く、昔日本で見たホラー映画のお化けのごとく、二メートルを超える背丈の腰の辺りまで髪が伸びているものだから、見ているだけで鳥肌が立つような気味の悪さだった。
「あっぼ、あんちょ、お、おがって」
「な、なに……あれ」
まるで自分の声帯を確かめるように、たどたどしい口調で意味の分からない言葉を発する異形を前に、僕の班で最年少、九歳のマカロンが涙声で一歩後ずさった。特に足音を殺すことを意識せず下ろした足は、それだけで老朽化した木の板に悲鳴をあげさせる。
ぎしり。
「――――――――――ミツケタ。」
その言葉だけは、やけにハッキリとした発音だった。
そして、スイッチが入ったかのように、異形は突然物凄い勢いでこちらへ跳んできた。
「ひっ――」
そう、それは文字通り“跳んできた”。
魔力はもちろん、神聖力すら熾した気配もなく、異形は三十メートル以上あった距離を瞬時に詰めた。
フレシアたち奴隷兵たちはもちろん、魔力を熾していなかった僕でさえ反応できない。
まるで見えていないかのように途中にいた僕達を弾き飛ばすと、異形は一切迷うことなく最後尾にいたマカロンを、その太い両腕で捕まえた。
「ひ、ぃいいいいいいッ!?」
恐怖で壊れたように高い声で悲鳴を上げるマカロン。それに全く反応することなく、異形はマカロンを持ち上げると、
「あんちょ」
その二メートルに届きそうな長い髪がふわりと浮き、それらがまるで意志を持つかの如く一斉にマカロンの体へと突き刺さった。
「ぎ、ぎぃいあああああああ!?」
あまりの激痛に、マカロンが一度大きく痙攣する。それと同時に、微かなアンモニアの臭いが漂ってきた。優に千本を越える髪がマカロンの小さな体に突き刺さるが、不思議なことに、血は一滴たりとも流れ落ちない。その代わり、突き刺さった髪がドクドクと脈を打ち始めたかと思うと――
「ば、ばばば、おにーちゃちゃちゃ、あそぼうよ、、、、きょうははれてててて、てぃりあおねえちゃちゃちゃん、だいすきききき、、、、、あは、、、、あはははは、、、、、あはははははは、、、、、、、アハハハハハハハハハハハハハハハはははあははははははあっはあははははははははははははははははあははははははあはははははははははははははははははははあはははははははははあっはははははははははあっはははははははははは――――――――――おがって」
誰もが動けない中、異形の頭が、のっぺらぼうの頭が縦に裂けた。その隙間からは、鮫のような鋭く細かい歯がびっしりと見えた。
さらに異形は、頭――口を広げると、そこから頭の数倍の大きさはある真っ青な舌が伸び、針剣山のような状態になったマカロンの爪先から流れていた液体を丁寧に舐めとった。
そして次の瞬間、マカロンの体を巨大な口の中へと投げ入れていた。
ぶちんっ
「マカッ……!」
小気味の良い音と共に、異形の口に入りきらなかったマカロンの下腹部から下が床に落ちる。
無残に残ったマカロンの残骸を、異形は器用に舌で絡めとって口の中に放り込むと、今度はこちらに振り向いて、
「あっぼ、あんちょ、おがって、ま、まかろん――――――」
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