教会の住人 2
だいぶ空きました。
それから数日は安穏な日々が続いた。
教会で彼女、シャロンと再会した時は多少驚きこそしたが、特に落胆や失望もしなかった。酒場で会ったときから何か複雑な事情を抱えているのは明白だったし、それほど彼女に執着があるわけでもなかった。
教会でロイ神父と話をしてから三日後にはいよいよ関所での任務も始まり、隊にも多少の緊張が走ったが、いざ始まってみればなんてことのない、ただ関所でカードゲームを行うだけの日々が続いた。
関所には、常に役人が複数人待機しており、関所を通ろうとする人々に対してその身分に合わせた通行料を徴収する。その通行料も決して安くはないため、それなりにトラブルも起こると僕は予想していたのだが、実際は拍子抜けするほどに平和そのものだった。
皇国の治安は決して悪いわけではないが、良くもないと聞いていた僕としては、まあこんなものなのかなぁというくらいの感想しか出てこなかったが、ある日ミッシェルの部屋で酒を飲みながら情報交換しているときにその真相が分かった。
「彼らはね、いわゆる賄賂を渡しているんだ」
「へえ」
ミッシェル達の隊が泊まっている宿は僕達の宿よりワンランク上の宿らしく、隊長であるミッシェルの部屋は、十人は入りそうなほどの大きさで、これでは掃除が大変そうだなと、どうでもいいことを考えていたところだった。
テーブルを挟んで座るミッシェルはこちらに詰め寄るように体を折ると、声のトーンを一段落として喋った。
「君も関所に詰めていれば分かっただろう。関所を通るのはほとんど貴族や商人ばかり、それも結構な富豪だ。あれくらいの金持ちになると、関所を通ろうと思えば結構な額が飛ぶっていうのに、奴らは頻繁に出入りしている。おかしいとは思わないか?」
「ふぅむ」
手に取った落花生の殻が思ったより堅く、僕は苦戦を強いられる。正直この話題に僕はそれほど関心がなかった。そんなことよりも目の前の落花生を裸にする方が優先だ。
「あまり大きな声では言えないけどね……関所を通る奴らの中に、ここ一帯で一番影響力のある商人がいるらしいんだけど、そいつがどうも、役人たちに自分の商品を格安で流しているらしいんだ。その代わりに奴の息が掛かっている貴族や商人の通行料を大幅に値下げ、下手すれば無料で通しているらしい」
「どこかで聞いたことのあるような話だね」
やっと剥けた落花生を口に放り入れた僕は、皮膚を裂いたときに最初に飛び出した血液のような色の液体を飲み下す。ミッシェルは正義感が強すぎることがたまに瑕だが、ワインを選ぶセンスはなかなかのようで、これからも定期的に情報交換の場を設けようと決意した。
「でも、賄賂なんてバレたら役人は即クビだろうに。役人全員がそこまでリスクを冒してまで欲しい商品なんてあるのかなぁ」
同じ仕事仲間とはいえ、一人だけ賄賂を受け取っていれば密告される可能性もある。関所を毎回顔パスで通るようにするには、あそこに詰める役人全員を買収しておく必要があるだろう。
ワインを呷ったミッシェルは、苦虫を噛み潰したような表情で鼻から息を吐いた。頬は夕焼け色に染まっており、酔わないと話せない内容なのだと理解する。
「これはまだ僕も調査中で、確証はないんだが……どうやら賄賂の中心となっている商人、奴隷を売っているらしいんだ」
奴隷、と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、うちの隊で面倒を見ている奴隷兵士の少年少女たち。しかし、次にミッシェルから聞かされた奴隷の話は、それとは境遇も扱いも大きく異なっていた。
「奴隷商人、仮にそれをXとしよう。そのXは、普段は普通の商人に紛れて普通の品物を取り扱い、顧客を増やしていく。やがて、その中から自分の“本来の”商品を買ってくれる人物に目を付けると、それとなく話を匂わせ、客の反応を伺う。そうして話に喰いついた客に商品となっている奴隷を売り、大金を得ているらしい。おそらく関所の役人たちも、Xの常客となって、ずぶずぶの関係なんだろうさ。僕がこれを知ったのは、関所の役人たちが自分の奴隷の話をしているところを偶然聞いてしまったからなんだが、その話は今思い返すだけでも胸くそ悪いものだったよ。聞くかい?」
「それじゃあ参考までに」
これが言葉通りの意味だとミッシェルは思いもすまい。
「……本当に酷いものさ。まず、その奴隷たちというのは、俺たちが警護している関所を越えた先、小さな集落の住人や隣国から亡命してきた者たちから攫ってきた人達らしい。その多くが若い女か子供らしいんだが、非合法の奴隷だから、奴隷保護法には勿論該当しない。つまり、奴隷としての最低限の人権さえも守られない存在みたいなんだ。その役人たちが話していたのは……ああ、本当に思い出しただけで虫唾が走る……。奴ら、女子供を自分の玩具にしているらしいんだが、ただ犯すだけじゃ物足りなかったらしい。そのXが奴隷と共に販売している特殊な玩具――拷問器具を使って、どちらの奴隷がいつまで悲鳴を上げるのを我慢できるかを競わせたらしい。これで殴る蹴るだけならまだマシだったんだが、その方法が『奴隷の指先に一本ずつ釘を打ち込んでいく』っていう悪趣味極まりないものだったんだよ……。先に悲鳴を上げた奴隷はそのまま足に釘が刺さったまま何キロも走らせて、最後はそのまま外に捨てたそうだ……失礼」
話していて本当に気持ち悪くなったのだろう。ミッシェルが席を立ち一人になったので、残ったワインを一人でちびちびと飲む。
――まあそんな程度だよね。
ミッシェルの話を聞いた僕の感想はそれくらいだ。確かに、今僕の隊にいる奴隷の少年たちとは比べ物にならないくらい悪環境だが、その内容はいかにも素人が考えそうな陳腐なものだった。
彼らの奴隷の扱い方は正直気に入らないが、ミッシェルの話では、この問題には高い身分の貴族たちも複数関わっているようだし、首を突っ込めば面倒なことに巻き込まれることは明白だ。それに僕一人なら良いが、もしもこの話をティリアに聞かれてしまったら、正義感の強い彼女のことだ、確実に危険を省みずに問題解決に臨むに違いない。あくまで僕達の任務は関所の警護、その任務に支障を来たす恐れのある案件は極力手を出すべきでないだろう。
結局その日は、単独で事件解決に動くというミッシェルに何か進展があれば教えてもらうよう約束を取り付けただけに留め、彼の部屋を後にした。あれから早一週間、まだミッシェルからの連絡はない。
さて、そして肝心の教会での仕事だが、ハッキリ言って拍子抜けだった。
一日に教会に来る信者は精々六、七人が良いところで、その信者たちも祭壇に跪き、五分程度祈りを捧げたら早々に立ち上がる。シャロンやカイルが来訪した信者たちにお茶を渡せば世間話に華が咲き、祈った時間の十数倍も長い時間教会に居座る老人だっていた。
エーテル教は祈りについて厳格な規定はないため別にこれらが信仰として間違っているということでは決してないのだが、問題は教会に足を運ぶ信者の数が圧倒的に少ないことだ。信仰の形は自由とはいえ、教会に足を運ぶ信者があまりにも少なすぎるのは問題だ。だというのに、神父であるロイはそれについて「私は信仰の方法は人それぞれだと思うので、教会に足を運ぶことを強制しないと決めているのです」とかふざけたことを抜かす始末。当初は感心できた教会の敷地内の清掃も、十日も経てば、ただの布教活動をサボる口実にしか見えなくなり、ロイという男の信用も同時に失墜した。
この国は宗教国家であり、その国教はエーテル教だ。エーテル教の教えにより国が成立している限り、エーテル教の信仰の規模、つまり国民のほとんどが信者でなければ国の方針に納得しないだろうし反発も大きくなる。有り体に言えば「俺は信者じゃないのにどうしてエーテル教の教えに従って出来た法律を守らなきゃならない!」ということだ。
中央集権の色が強い皇国は、首都や大きな都市はともかく、地方になれば信仰団体も減り、信者の割合も劇的に低下することは以前イリスも嘆いていたことだ。彼女を助けるわけではないが、僕はこのシスキマで信者をもっと増やせないものかと考え始め、二周目の関所の警護任務についていた途中で一つの結論を出した。
ここは魔法を使うのが手っ取り早い、と。
「どうもご夫婦。何かお悩みですか?」
ある日、町の郊外を歩いていると、ロクに舗装されていない道で蹲る老いた男と、その妻と思われる老婆に出会った。
「ああ、良いところに。大変申し訳ないのですがこの人を町の病院まで担いでいってくれはしませんか? さっきこの道を猛スピードで通った馬車を慌てて避けたときに腰を打ってしまったようで……!」
この世界では神聖力を動力にする車は既に存在しているが、それらは現在ほとんど戦争に使われているため、一部の権力者を除けばほとんどが今でも馬車を使っている。
「それは酷い。憲兵隊は呼びましたか?」
「いえ……おそらく先ほどの馬車の家紋はサーブラ家のもの。憲兵隊はあてにできないですから、せめてこの人を早く病院まで運ぼうと思いまして……」
サーブラ家と言うと、この辺りでは結構大きな貴族だ。国内の秩序維持の役割を担う憲兵も、こんな辺境では役人と同じく腐っている、か。
「分かりました。しかし病院まで行く必要はありません。僕がここで診ましょう」
「え?」
僕は屈みこむと、老人に『下級治療』の魔法を施す。幸い、症状は軽い打ち身だけだったので、数秒で怪我は完治した。
「おお、痛みが消えたぞ……!」
「まあ、たったこの数秒で……!? 町のお医者様でもこんなに早くは治せませんよ!」
信じられないとばかりに驚く老夫婦。少なくとも皇国内の医療技術は精々日本の中世時代に毛が生えた程度のものだ。その点医療魔法ならば少なくとも二十世紀の医療技術などよりも遥かに上なので、彼らからすれば今の出来事は本当に奇跡のように見えただろう。
「大丈夫なようで何よりです。僕の方から後で一応憲兵隊の方にも連絡は入れておきます。お二人方は、道中くれぐれも気を付けてお帰りになってください」
「ま、待ってください! これだけのことをして頂いたんだ、大したもてなしは出来ないが、せめてうちでお茶くらいは飲んでいってください!」
「お気持ちだけ受け取っておきます。それに、お礼を言われるようなことはしていません。全てはエーテル神の御心のままに従ったにすぎません」
「エーテル神、というと、あなたはエーテル教の方ですか?」
「はい。先日首都からこの町にやってきました。軍属故、いない日もありますが、今は郊外にある教会に務めていますので、お礼というならば、時間がある日でいいので教会に足を運んでみてください。例えあなた方が信者でなかったとしても話し相手になるくらいなら喜んでさせていただきますので」
「おお……私達もエーテル教を信仰しておりますが、最近は仕事を理由になかなか教会にお祈りを捧げていなかったですから是非立ち寄らせていただきます!」
「ありがとうございます。もし、お連れの方などで、怪我をしている方がいらしましたら、そのときに一緒にいらしていただければお力になりますよ」
という感じで、僕は医者の物真似から信者を少しずつ獲得していく方法を選択した。
その日を境に、少しずつではあるが、教会を訪れる人の数は目に見えて増えだした。
最初はこの変化に戸惑いを覚えたシャロンたちだったが、教会を訪れる人の数が増えて単純に嬉しかったのだろう。これまでよりも明らかに忙しくはなったが、教会の仕事に張り合いが出始めたのだろうということは彼女たちの仕事中の顔を見れば明らかだった。
逆にこの変化に難色を示した者もいた。教会の神父であるロイだ。
教会を訪れる人達の応対で常に額に汗を浮かべるようになった彼は、目尻に皺を寄せて僕の行動を非難した。
「タイガ殿、これは不敬な行動です。教会を訪れる信者たちが増えたことは良いことですが、その方法が、まさかタダで信者たちの体の異常を治すことだなんて……これでは彼らは教会に祈りを捧げに来るのではなく、あなたに体を診てもらうために来ているようなものです。ここは教会であって病院ではないのですよ!」
訪れた信者たちから話を聞いたのだろう。
まくしたてるように早口でそう言った彼を落ち着かせようと、僕は穏やかな口調で誤解を解く。
「そんなことはありません。ロイ神父、考えてみてください。我々神父の最大の使命とは、エーテル教を広く人々に布教すること。しかし、そのためにはまず、なんとかしてエーテル教というものに人々の関心を向けさせなければ、我々がいくらエーテル教のすばらしさを説いても、彼らは聞く耳を持ちません。ならば、まずは彼らに対し、エーテル教に関心を持つきっかけを作ることが必要。私の行動とはそのきっかけとなる行動なのであり、別にこの教会を無銭病院にするつもりはありません」
「しかし、あなたの行為はイカサマだ! 話は聞きましたが、あのような方法で怪我がものの数秒で治るなど有りえません! あなたのインチキがいずれバレれば、この教会の信用は失墜し、今いる信者の皆さまさえ離れていくやもしれませんぞ!」
「ロイ神父、お言葉ですがあれはイカサマでもインチキでもありません。僕の力は、現世にいる信者たちを救うべくエーテル神から与えられたいわば神の力なのです」
「ふんっ、何を馬鹿なことを……」
完全に僕をペテン師扱いするロイに、僕は少しだけサービスすることにする。
僕は魔力を熾すと、ロイの背中、尻の辺りに『上級治療』の魔法を施した。
「な、なにを……おおッ!?」
彼が重度の痔に悩まされているのは前から分かっていた。
致命傷すらも瞬く間に治す上級魔法が彼の痛みの原因を取り去ったとき、僕は彼の尻を思い切り叩いた。
まるで鞭を打たれた馬のようにその場で飛び上がったロイを見て笑いを堪えるのは大変だった。ロイは、しかし直後に訪れるであろう痔の痛みが無いことに気づき、つぶらな瞳をこぼれんばかりに見開いた。
「こういうことです。これは神から授かった力の一端でしかありません。勿論、信者たち全員を救うことは、それこそエーテル神でもない限り不可能ですが、それでもこの町の信者くらいなら救うこと約束しますよ」
未だ呆然とするロイに僕はそれだけ言い残し、教会を後にした。
読んでいただきありがとうございます。




