ナンパと宗教観
エーテル教説明回みたいな。
振り向くと、蒼い炎があった。
「――見ない顔だね、お兄さん」
それは酒場に入ってから一時間くらい経ったときだっただろうか。
店の端で温い発泡酒をちびちび飲んでいた僕は、店にやってくる人間をさりげなく観察していた。
この酒場は商人が経営している店ではなかったが、それなりに繁盛しているらしく、十個ほど並んだ丸テーブルは全て埋まり、喧噪に包まれていた。
それでも、時折横から見られている視線は分かっていたし、それが足音を立てて僕の方に向かって来たときも最低限の警戒は怠っていなかった。
「さっきからずぅっと店の人たち眺めてるけど、ここに来たのは今日が初めてだったりとか?」
しかし、目の前の女性を見たとき、僕はそういった警戒を一瞬にせよ解いてしまった。
瞳に炎を宿している。陳腐な表現だと我ながら思うが、僕が最初に抱いた印象はそれだった。
碧眼、とはまた違う、獰猛な光を宿した青い瞳。その何とも言えない凄みに、僕は刹那の間畏怖し、そして魅了された。
「…………うん、そうだけど、君は?」
本心から言葉に詰まることなんていつぶりだろう。少しだけ間を開けてしまったが、なんとかそれだけ返すことが出来た。
「やっぱり。ねえ、席一緒にさせてもいい? あなたと話してみたいな」
僕の質問をはぐらかすように彼女は上目遣いで僕を見上げた。煌々と燃える青い炎が僕を絡めとる。その瞳には僕に反論を許さない不思議な力があった。
「――それじゃあお兄さんは首都から来た人なんだ。でも確かに、どこか都会人っぽいもんねぇ」
「そう見えるかい? そんなこと初めて言われたけど」
「見えるよー。なんか、雰囲気が都会っぽい」
「てきとうだなぁ」
奇妙な光景だった。初めて来た町で、見たこともない女と何故か同じ席で酒を飲んでいる。相手の真意が分からない以上、最低限の警戒は必要だったが、彼女は美女の類に入る容姿だったため、他のテーブルの男からしばしば向けられる嫉妬の混じった視線を含め、彼女との会話はそれほど悪い気分ではなかった。
「首都にいたってことは大司教様をお見かけしたことももしかしてある?」
「大司教様というと……」
「聖イリヤウス様よ、イリヤウス・アグィナ・ヴァリニャーノ様」
なんだ、イリスのことか。
喉まで出かかったその台詞を呑み込み、代わりの言葉をすぐさま用意する。
「ああ、聖イリヤウス様のことか。うん、この前見初め式があったから、そのとき遠かったけど、少しだけお顔を拝見出来たよ」
というか、この前も実際に会って話したけどね。
「ほんとうに! いいなぁ、私も一度でいいから拝見させていただきたいなぁ」
「君はイリヤウス様を崇拝しているんだね」
イリスのフルネームなんて僕は知らなかったほどだよ、と言いかけたが、彼女の逆鱗に触れる恐れもあったので呑み込んだ。
「もちろん。エーテル教信者としてもそうだし、一皇国民としても、あの方は本当に凄いと思っているわ」
そう言ってウイスキーを飲んだ彼女は、しかしグラスをテーブルに置いた時には一転して沈んだ表情を浮かべていた。
「でも、強すぎる光には必ず影も生まれる。イリヤウス様は絶大な人気を誇っているけれど、それをよく思わない信者がいることも事実だわ。この町では特に、エーテル教を蔑ろにする貴族や商人も決して少なくない……」
「……僕はかなり酒が回ってるってことで怒らないで聞いてほしいんだけど、国教とはいえ、エーテル教を信仰するかは個人の自由なんじゃないかな?」
僕はエーテル教を信仰しているけどね、と付け足すのは忘れない。
「それはもちろん! エーテル教の教えに他宗教の信者に対しても寛容に接するべきという言葉があるのは信者なら誰だって知ってる。けど、聖書にはこの続きがあるの? 信者だって言うならあなたにも分かるでしょ?」
意地悪半分、僕を試すこと半分くらいといった口調で彼女は問いかけてくる。確かに、聖書でも細かい部分の話だ。皇国民にこの質問をしても、半分くらいは知らないか、間違った答えが返ってくるだろう。
「しかし同じ人類として、神への信仰の質を貶めるような行為、人格を持つ人間に対してはその限りではない……こんな感じのニュアンスだったかな」
「……ふふ、お兄さん、これを分かるとは、本当に信者なんだね」
「言ったじゃないか。見初め式にも出席するほど熱心な信者なんだよ」
「それはどうだか。聖イリヤウス様の御体を見たかっただけじゃないの。すけべ」
最後の言葉は見初め式のことを言っているのだろう。女は少女のようにコロコロと笑う。失礼な言い方になるが、見た目は僕と同じくらいの年齢に見える彼女だが、表情が豊かであること、そして今も瑞々しく燃える瞳の炎が見た目とはアンバランスな魅力として映える。
そして、彼女は一切自分の素性を話さず、僕の素性についても一切訊ねてこなかった。彼女は僕のことを首都からきたエーテル教信者ということ以外分からなかっただろうし、僕も彼女のことはこの町に住むエーテル教信者だということ以外、何一つ分からなかった。お互いの名前でさえも。
面倒なトラブルを生むことを恐れているのかもしれないし、ただ僕に興味がなかっただけかもしれない。
しかし、少なくとも僕と話すことについては興味があったようだ。
「エーテル教の世界観では、この世界っていうのは地獄で、私達はこの世界で生まれては死んで、死んだらまた違う何かとして生まれて、また死んで……っていうのは繰り返してて、こんな世界やだーくるしーって困ってる私達信者を、いつかエーテル神がこの世に現界して救ってくれるってなってるでしょ? 君はそれについてどう思ってるの?」
「……また僕を信者かどうか疑っているのかい?」
「違うよ、単純にあなたの意見を訊きたいの。この町にも信者の人はいるけど、みんな聖書の内容や教えをただ信じて疑わないの。確かにそれも大事な信仰の在り方の一つだとは思うけど、たまには君みたいな人と話して、あーこんな考え方もあるのかーっていう……えーと、け……」
「見識を深める?」
「そう! 見識を深めたいの! で、君の考えは?」
彼女は酒が進むとどんどん饒舌になり、そして親し気になった。
どんどん狭まっていくパーソナルスペースが少しだけ気になったが、今は彼女の聞きたいことを話すことに意識を傾けることにした。
「うーん、そうだね。聖書に書かれている通り、神聖力っていう力がもしも本当にエーテル神から信者に授けた力なら、この世界にかのエーテル神が現界するってことも有りえない話ではないと思う。けど、具体的にそれはいつかも聖書では言及されていないし、この世が地獄だという解釈は分かるにしても、輪廻転生については確かめようがないからなんとも言えないね」
「りんねてんせい?」
「あー、違う違う。死んで生まれてを繰り返すっていうことさ。違うものと勘違いしちゃった。少し酔ってきたのかな」
「ふーん……」
苦しい言い訳をしたが、彼女はそれよりもエーテル教の宗教観に思考を奪われているようだ。
「でも、歴代の大司教様――今の聖イリヤウス様もだけど、前世の記憶を持っておられるという方もいるわ」
「……失礼極まりないということを承知で言わせてもらうと、それは第三者に確認しようがないから根拠としては乏しいと思う。僕個人としては聖イリヤウス様が前世の記憶を持っているということは疑ってはいないけど、エーテル教を信仰していない人間からすれば、なかなか受け入れがたい内容だろうからね」
「なるほどね……それじゃあ――」
彼女はエーテル教の宗教観や教訓、果ては現代の文化について、様々な質問をし、僕の意見を訊いた。
この町で神父をするかもしれない手前、あまりエーテル教を否定する言動は慎んだが、それでも喋っても大丈夫だと思われる範囲の質問に対しては、僕の本当に思っていることを素直に吐露し、彼女はその度に深く頷き、瞳の炎を一層燃え上がらせた。この彼女の原動力は何なのだろうか、と度々興味が湧いたが、結局、終ぞ彼女のことについては分からなかった。
「ありがとう。今日は久しぶりに楽しかったわ」
「とはいっても、ほとんどエーテル教の話ばかりだったけどね」
店を出ると、彼女は上機嫌だったが、意外にもあっさりと別れを切り出した。
互いの素性を全く話さなかったのだし、“そういう一晩の関係”にもなるかなと淡い期待を持っていたが、どうやら深読みが過ぎたようだ。
まあこの町には短くない期間滞在するのだ。またいつか会う事も決してない話ではないだろう。
簡単な別れの挨拶をすると、僕達は互いに反対の道へと去っていき、一度も振り返ることはなかった。
読んでいただきありがとうございます。




