レイン・アルダール
「……さて」
仕事は終わった。フォレストウルフに“ストック”を一つ消費させられたのは予想外だったが、概ね無事終わったと言えるだろう。後は学校までハーレイを運び、エンヴィに転写させるだけだ。
エンヴィは、僕が『守護者』として使役しているヒューマノイドスライムだ。名前通り人間や、それに近い生物の声や姿を模倣することが出来る便利な能力を持っているのだが、短所として知能が低いため模倣しても会話が出来ない事と、魔力が魔物の中でも最低クラスのため、戦闘面においては役に立たないといったことがある。前者については、先ほどのように僕が直接エンヴィを操れば克服できるのだが、後者についてはいかんともし難い。まあそれでも、暗殺には向いているし、全ては運用次第ではあるのだが……。
――突然、強引に神経を引き千切られたような痛みが、僕のこめかみを貫いた。
「――ッ!?」
喉から勝手に出る呻き声を押し殺し、こめかみを手で押さえる。
――どうやら、ここの周囲に張っておいた結界を強引に破って入ってきた奴がいるようだ。
いくら急造で造った結界とはいえ、入念な下準備には定評のある僕だ。結界の解除にもそれなりに時間はかかるだろうし、当の結界自体も、かなり目立たないように造ったつもりだ。何より、結界を解こうとする人がいれば、僕にすぐさま伝わり、そのうちに逃げられるようにしてあったのだ。それがまるで、風船に針を突き刺したかのように結界は一瞬で破壊され、破壊した犯人もすぐそこまで来ているだろう。これは久しぶりに危険な状態かもしれない。
……やむを得ないか――。
『魂喰』している暇もない。僕は、惜しい気持ちを胸に押し込み、眠るハーレイの首に手をかける。
そのまま魔力を熾し、手に力を込めると、何の抵抗もなくハーレイの細首は握り潰せた。
その後、『天衣霧縫』を発動させ、身体に霧を纏わせて、僕の姿を朧げにさせる。『顔隠し』などの簡単な魔術では、『看破』されたときにあっさりと正体がバレてしまうことが多いため、お世辞にも優秀とは言えない僕が、必死になって習得した“真っ当な”魔法の中で唯一の上級魔法である。
「ハーレイさんとフォレストウルフの死体を転写しておけ」
僕が指示を出すと、水たまりのようになっていたエンヴィが、ゆっくりとハーレイの身体を包みこむ。転写はいわばエンヴィの捕食行為であり、死体を塵一つ残さず隠滅できるのは便利な事このうえないが、いかんせん時間がかかってしまう。経験則で言えば、この死体二つを食べきるには、五分程度の時間がかかるだろうか。その間、侵入者の相手は僕自身がしなければならない。
面倒なことになっちゃったなぁ。
そんな気持ちで枝道から出て、表通りの真ん中に立った時、やがて見えてきた侵入者の姿を見て、天を仰ぎたい気持ちになった。
面倒どころじゃない……かなりのピンチだよこれは。
「――都市治安維持部隊『カグヤ』です。街に無断で人払いの結界を張るのは犯罪防止のため禁止となっています。魔力を切ったうえでご同行願いますか」
現れたのは、セルベスきっての天才、レイン・アルダールだった。
先日、準一級魔法師であるオルテシアに模擬戦で勝ったという、今最も会いたくない人物。アルダール自身は二級魔法師であるが、戦闘力だけでいえば、準一級魔法師にも引けを取らないと考えるべきであろう。そんな化け物相手にたかが三級の僕がどう戦えというのか。
とりあえず僕は、時間稼ぎのために、声を変えたうえで喋りかけてみる。
「……君は確かレイン・アルダールですね? 僕らの世界であなたは有名ですよ。忌々しい『カグヤ』の隊長にして、二級魔法師の免許を持つ天さ」
「十秒経ちました。勧告無視とみなし、武力制圧に移ります」
「ちょ、あの話はまだ――」
その瞬間、僕の右足の膝から先が吹き飛んでいた。
「~~~~~~ッッッ!?」
何が起こったか全くわからなかった。遅れて視界が傾き、頬に土のザラザラした感触が伝わる。体勢を崩して転んだのだと遅れて理解した。
目の前の先には無表情でこちらを見るアルダール。その手には、変わった形状の魔導具が握られていた。
一瞬で脂汗が全身に浮かぶ。やはりこの男は本物だ。その実力も本物だが、躊躇なく僕の右足を吹き飛ばした辺り、彼には人を殺すことへの迷いや躊躇が感じられない。学生だからといって余計な事に囚われてると、本当に殺されかねない。
僕は苦痛に呻きながら、頭上のアルダールを見上げる。アルダールは、通信用魔導具を耳に当て、どこかと連絡を取っているようだった。
仕掛けるなら今しかない。
「こちらアルダール。『イレイサー』と思しき対象を確保。今から運びますが、負傷しているので救護班を一人待機させ――ッ」
「何でこれ躱すかなぁ!」
殺気を殺し、腰から取り出し構えたのは――拳銃。
この国では馴染のない武器のはずのそれだったが、これをアルダールに向けて放った瞬間、彼は足に魔力を込めて消えるように跳躍した。
「くそ、これで終わらせたかったんだけど……!」
僕は、地面に手を突き、ゆっくりと身体を起き上がらせる。視界の下の方で黒い紫電が(毎回見ても変な色をしている)バチバチ音を立てている。
立ち上がり、“両の足”でしっかり立つと、家屋の屋根を見上げる。
そこでアルダールは、やはり無表情に僕を見下ろしていた。
「……あまり驚かないんだね」
「ちょうど最近、デタラメな一年生に驚かされたばかりですから」
「へぇ、その子とも是非とも会ってみたいね」
「白々しいですね。どうせ知ってるのでしょう」
一瞬どきりとしたが、どうやら僕の正体に気づいているわけではないようだった。
「あれだけ街中で騒がれたんだ。そちらの耳に入ってないはずがない」
「……バレちゃったか」
今度はかろうじて見えた。
次の瞬間、銃のような魔導具をいきなりクイックリリースで構えたアルダールは、こちらに向けて、引き金を二回引いた。
慌てて身を捻るが、左肩に喪失感。見れば、左肩にぽっかりと子供の拳ほどの穴が開いて、まばたきした後には即座に塞がっていた。
「厄介ですね、その能力――」
「君には言われたくないけどね」
魔術で身体能力を施したアルダールが、家の壁を走りながら接近してきた。こちらも魔術で身体能力を施すが、そのときにはもうアルダールは目と鼻の先。アルダールの手が消え、反射的に首を捻ると、首の皮を浅く裂きながら、そこに魔導具が突きだされていた。先ほどまで銃のようだったそれは、いつの間にか小刀のような形になっている。
「ッ!」
「!」
アルダールが動くより早く、僕は突き出された腕を掴むと、右手のバングルの魔導具に魔力を送り、中に搭載されていた『魔力執刀』を発動する。右手の先から無色透明の魔力刀が伸び、アルダールの掴んだ腕に振り下ろす。僕だって、近接戦闘は心得てるし、むしろ並の魔法師より得意な方だ。今の一連の動作も、腕を振り下ろすまで一瞬だったと自負するが、左手は振り下ろす直前で、手首に手刀を当てられ止められていた。
「う」
嘘、という暇もなく、僕の首はすっぱりと切り落とされていた。手刀をそのまま『魔力執刀』にして、返す刀で僕の首を落としたようだが、あまりにも早すぎる。これは本当に、手の内を隠してる余裕はないかもしれない。
「……これも再生するか。つくづく厄介ですね」
「~~~~カラ、キミニイワレたくはないけどね!」
自分の首から落ちていく視界の中で、僕の身体の首から上が、血が噴き出る暇もないうちに夜闇色の紫電を発し、頭が地面に落ちる頃には、視界は数秒前の光景に戻っていた。
声帯が再生しない間に無理やり怒鳴ると、お返しとばかりに空いた右手でアルダールの首を狙うが、あっさりと躱され距離を取られる。バックステップと同時に放たれた魔導具|(また銃の形状に戻っている)による攻撃は、咄嗟に『魔力障壁』を展開するが、全て軽々と貫通され、また僕の身体を風通しの良いものに変えた。
身体の傷は治せても、痛覚までは遮断できない。今日何度目かの激痛に顔を歪ませる。
「何度やっても再生しますね。本当に不死なんですか?」
ポーカーフェイスに僅かな呆れを滲ませるアルダールに、僕は少しブラフを混ぜる。
「たとえ不死でも痛いものは痛いんだ。もうちょっと優しく捕まえてくれよ」
「それは無理です。嫌なら大人しく捕まってください」
再び構えるアルダール。当初の目的である五分の時間稼ぎは終わっている僕としては、そろそろお暇したいところだ。だが、彼相手に逃げ切ることが並大抵の難しさでないことは既に身を以て体感している。これ以上モタモタしていれば増援も心配になってくるし、ここらで出し渋っていたアレを使うしかない。
僕は、ズボンのポケットの上からそれの存在を確認する。今の手持ちは四個。それでどうにか逃げ切りたいところだが――。
『……ッ!?』
アルダールが足を踏み出す、正にそのときだった。突如近くから、膨大な魔力が膨れ上がるのを感じた。僕もアルダールも、一斉にそちらの方向を向く。
数百メートル先で、藤色の光の支柱が見えた。それが消えると、こちらに向かってくる無数の足音。このタイミングで、この魔法……。やがてそれらが答えとして一つに繋がったとき、僕は久しぶりに、心から彼女に感謝した。
「これでっ……!」
「ッ!」
アルダールが向こうに気を取られているうちに、僕がポケットから取り出したのは、先ほど少女から作り出したオリジナルの魔晶石。それを一息に握りつぶし、中に込められていた魂魄――膨大な魔力を解放した。
身体に流れ込んでくる魔力は全て身体強化に。アルダールが初めて表情を崩し、こちらに引き金を三度引くが、今の俺にはそれらがはっきりと視える。
そうか、これは『魔弾』だったのか。
飛来したそれらの正体に驚きを覚えながら、全て素手で叩き落す。流石に拳はただでは済まず、ほぼ吹き飛ぶが、一秒もすれば再生する。
そして、一秒経った頃には、アルダールの姿はもう見えなかった。
追手の気配は無い。僕はようやく安堵の息を吐くと、ここで待っていた人物に声を掛けた。
「ありがとうございます、セニアさん。今回ばかりは本当に助かりました」
「何よ水臭いわね。困ったときはお互い様でしょ?」
そうして先ほどの魔法の術者――セニアは、いつもの妖しげな笑みを浮かべた。
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