ウィゴール
マスクを付けてはいたが、変装らしい変装はそれだけだ。灰色のスウェットのズボンにワンポイントの半袖シャツ。だが、いつでも切れるように長めの髪は整髪料で整えられ、身長も僕より高く見えるのはマジックシューズを履いているせいか。手にはスタンガンを握っており、こちらに気づいた“僕”――金木亮は、マスクの上の瞳を、大きく見開いた。
「ッ!」
金木の動きは迅速だった。
菅谷を物のように投げ捨てた彼は、脱兎のごとく逃走を開始する。我に返った僕は、慌ててそれを追った。
「……チィ!」
走り始めてすぐに気づいた。足は向こうの方が早い。歳の影響か、或いは魔法に頼り切っていた僕の生活のせいか。
どちらにせよ、追いつけないと瞬時に判断した僕は、躊躇いなく“魔力”を熾す。
「……!」
金木が、何かに気づいたように振り返る。
足に魔力を集中させた僕は、直後に金木の背中を捉えていた。
拳を握りしめたとき、ふと「こいつをどうするのか?」と疑問が浮かんだ。別に彼を止めたかったわけではない。出会ったら逃げられた、だから追った。それだけだったのだ。
まあ、とりあえず逃げられないようにするか。手足の骨を全て折ればなんとかなるだろう。
向こうは魔法を使えないと高を括っていたせいか、僕の心には余裕があった。だからこそ、金木を射程圏内に捉えたとき、金木が急に反転したときは驚いた。
急ストップした金木は慣性を無視し、僕に蹴りを放つ。蹴込みの要領で打ち込むコンパクトな蹴りだったが、狙いは頭。まるで銃弾のような速度で金木の足裏が眼前まで迫る。
咄嗟に両手を顔の前まで持って行ったと同時に凄まじい衝撃。かなりの速度で走っていたこともあり、両腕がへし折られそうな威力の蹴りで骨が軋む。
防御した腕の隙間から金木の腕が振るわれたのが見えた。後退しようとした直前で横腹に鋭い痛み。飛び退き目を落とすと、シャツに赤い染みを作るカッターナイフが刺さっていた。
「先生ッ!」
後方からフィーナの声が聞こえ、魔力の高まりを感じる。魔法を使うつもりか。僕は横に跳び退くことで、フィーナの射線を確保する。
「ッ!」
フィーナが放った魔弾は、甲子園球児も顔負けの速度で飛来する。目で追うのもやっとの魔弾は魔術で身体強化でもしていなければ、この距離で躱せる者はファンタゴズマでもほんの一握りだ。
「嘘ッ!」
果たして悲鳴を漏らしたのはフィーナだった。
流星のごとく路地を走った魔弾だったが、金木はそれを容易く躱した。
金木の目は大きく見開かれていた。驚いている。魔法なんて日本には無い。当然の反応だ。だが、そうだとすると、金木は今の魔弾を“確認してから”躱したというのか。
知らずのうちに、笑みが漏れた。
人間じゃない。我ながら、呆れた身体能力だ。
分が悪いと判断したのか、一度だけ僕を鋭く睨め付けた金木は逃走を再開する。背中を向けて逃げ出した金木を格好の的だと判断したフィーナが続けざまに魔弾を放つが、金木は振り返ることなくそれらを全て躱して見せた。息を呑むフィーナをよそに、金木は路地の角を曲がり、姿を消した。
「――良い。深追いは危険だよ」
追いかけようとしたフィーナを止めると、不承不承と言った感じでフィーナは頷いた。
「……あれが、七年前のカナキ先生ですか?」
「うん、間違いないね。あれは紛れもなく僕だ」
「あれが……まるで鬼神ですね」
フィーナが畏れすら含んだ声で言った。
確かに、この頃の僕が一番“キてた”。経験からくる防御面は今の僕の方が上だろうが、それくらいだ。毎日体を鍛え続け、実戦で感覚を常に研ぎ澄ませていたあのときの金木は、能力で言えば全盛期、最高潮に達していたときだろう。
あれは確かに僕だが、僕ではない。ありえたはずの可能性というか、僕がなっていたかもしれないIfの僕だ。
「……とにかく、“僕が”戻ってくるかもしれない。ひとまず移動しよう」
「はい……あの、先生」
「うん?」
「分かりました、この世界から抜け出す方法が」
既に踵を返していた僕は振り返った。「本当かい?」
「はい、やっと思い出したんです。いつか、魔法図書館の本で見た、幻獣種の魔物。その中に、生物を夢の中に閉じ込め、その魂を捕食する幻獣がいました」
フィーナが歩み寄ってくる。こちらを見上げた瞳は、まるで僕を推し量っているようだった。
「幻獣の名はウィゴール。奴から逃れ、夢から醒める方法は一つ――夢の中にいるもう一人の自分、つまり金木亮を殺すことです」
あれから目を覚ました菅谷を、呑み過ぎたようだねとかなんとか言って誤魔化して家に帰した。彼女はかなり怪訝な顔だったが、一応は納得したみたいで、このことをまだ警察に届け出ることはないだろう。
そして、そのまま家に戻ろうとしたフィーナを引き留め、今僕達はファミレスでお茶をしているわけだ。
「なぜ家に戻るのがまずかったのですか?」
「“僕”とバッタリ会ったらきまずいだろう? どうせ会うなら、準備も整えておきたいし」
時刻は十一時を回っている。二十四時間営業のこのファミレス内も、今は僕達以外には男性客一人と、カップルのような男女一組しかいない。
対面でイチゴパフェを突つくフィーナは僕を見てはいない。
「確かに、相手はウィゴール。となると、確実に金木亮はまた襲ってきますよ」
「そうなのかい?」
普段の僕ならば、一度姿を見せた相手には、短くても半年は逃げ隠れるようにするけど。
「ウィゴールの特性です。夢の中に映し出された己の分身は、本体に対して激しい殺意を持つのです。質が悪いのは、それで狂ったように無謀な攻撃を仕掛けてくるのではなく、きちんとした理性を持って攻撃してくることですが」
「ふーん。というか、ウィゴール? だっけ。それは一体何なの?」
フィーナはイチゴパフェ一口食べると、噛みしめるように咀嚼した。
「ウィゴールは幻獣の一種で夢魔とも呼ばれています。文献によれば、月の裏側に生息して、時折地上に降りては生物の魂を喰らう怪物とされていますが、その全容を見た者はひとりもいません」
「先ほども話した通り、ウィゴールの捕食方法は、獲物の過去を再現した夢の世界に対象を閉じ込め、その世界内で獲物の分身となり、殺すようです。ですので、逆にこの世界から抜け出す方法も、ウィゴール、つまり金木亮を殺すことだということです」
「ただ、それが容易ではない理由として挙げられるのが、ウィゴールはこの世界の創造主であり、物質の創造が行えるということです。例えば、ウィゴールが移動手段を欲すれば、目の前にたくしぃが突如出現したり、パフェが食べたいと願えば、瞬時に作り出すことが出来ます」
そこまで話したフィーナは通りかかった店員に抹茶パフェを注文した。まだ食べるのね。
「……つまり、敵は物を自由自在に作り出すことが出来る僕、ていうわけか。厄介極まりないね」
そういう点で言えば、向こうが僕に殺意を持ってくれていることは不幸中の幸いと言わざるを得ない。でなければ、金木を見つけるのに、少なくともあと半年くらい要したはずだろう。
フィーナは窓の外を一瞥する。先ほどから繰り返しているということは、金木の襲撃を警戒しているためか。
「ですが、こちらにも有利な点はあります。魔法を使えるという点です。いつも使っている魔法剣が無いので、いつも通りとは言えませんが、それでも魔術強化などで身体能力を上げるだけでもだいぶ大きいと思います……最も、それだけで圧倒できる相手ではないということは先ほど痛感しましたが」
僕は苦笑を浮かべる他ない。
やがて新たに抹茶パフェが届き、フィーナが口元を緩めながらスプーンで掬う。
「ですから、先生も魔力は常に熾しておいた方が良いですよ。いつ襲撃されるか分からない以上、ある程度警戒しておかなくては、手遅れにもなりかねません」
コーヒーを啜った僕は、疑問を口にした。
「それはそうなんだけど……じゃあ今更な質問。なんでフィーナ君はこの世界にいるの?」
「……ウィゴールの夢の世界は、基本は対象の過去を再現しますが、同時にその中に、対象の一番のトラウマ、後悔となる要素を混入させるのです。先生の中で、私という存在が後悔となっていると判断したウィゴールが、私を作り出したのでしょう」
「それじゃあ君は……」
「はい。今朝カナキ先生が仰っていたように、先生の記憶を基に再現された偽者です。最も、先生も知らない本体の私の記憶も入っているということは、それだけではないと思いますけどね」
何と答えればいいか、僕には分からなかった。
いつもなら相手の求めている答え、言って欲しいと思っている返事をすぐに列挙できた僕だが、彼女相手にはそれが何故か出来ない。フィーナは僕のトラウマが彼女を呼び出したのだと言った。それも影響しているのだろうか。
長い熟考(体感時間での話だが)の末、僕は「フィーナ君はフィーナ君だよ」とだけ言った。それしか言葉が思いつかなかった。ちゃんと伝わっただろうか。
「……ありがとうございます」
幸い、フィーナは崩れるような笑みを浮かべてくれた。もっと上手い言葉を掛けられたら良かっただろうが、彼女が笑ってくれただけで、逆に僕の方が救われたような気にさえなった。
そして、鋭い殺気が向けられたのもちょうどそのときだった。
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