その名は炎 後
最初はどこかよそよそしい、というかお互い遠慮しあうような雰囲気だったが、時間が経ち、酒が回り始めるとそんな空気もなくなった。
加賀谷は言葉の通りあまり酒が強くなく、すぐに顔が真っ赤になった。鈴谷はそこまで弱くもないが、強くもない。普通と言ったところか。僕自身は酒に相当強い自信があったが、女性陣もかなりの酒豪だった。
岸本と菅谷はまだ分かるが、フィーナも弱くはなかった。潰されたら大変だと思い、フィーナの飲むペースにはかなり気を遣っていたが、結局最後まで酔ったような様子は見せなかった。
三時間コースの飲み会だったが、飲んでいればあっという間だ。時間だと店員に言われ、席を立った一同は、これから二次会に行くかどうかの話になったので、僕はすかさず手を挙げた。
「ごめん、今日は僕、これくらいにしておくよ」
「あんだとぉ?」
目が据わった加賀谷が、睨め付けてくるが、僕は変わらず笑顔だ。
「何か用事あるの?」
「うーん、ちょっとね」
咄嗟に言い訳がいくつか浮かんだが、結局それにした。
「このあとフィーナと、行かなきゃいけない所があるからさ」
「なんだとぅ!?」
加賀谷が奇声を上げ、鈴谷が口笛を吹いた。他の面々も少し驚いたような顔をしている。
勿論、それはフィーナ自身もだが。
「だよね?」
「……はい」
すぐに意図を察したフィーナは、少し不機嫌な声で返事する。え、何か怒ってる?
「え、二人はそういう関係だったの?」
聞きづらいことをあっけらかんと言ったのは岸本だ。答えようとしたら、先にフィーナが答えた。
「違います」
「即答かよ……」
「あら、それじゃあ亮君がこれから口説くのかな?」
「あはは、そうかもね」
曖昧な笑みを浮かべる僕。
するとそこで、もう一人手を挙げる者がいた。
「ごめんなさい。実は私、ゼミの課題があったのを思い出して……」
「ええっ、菅谷さんも帰っちゃうの!」
「本当にごめんなさい。今日は楽しかったから、また企画してくれたら絶対行くから」
本当に申し訳なさそうに謝る菅谷。しばらくぶつくさ何か言っていた加賀谷だったが、じきに鈴谷と岸本を連れて歩き出した。
「しょうがねえ。それじゃあみんなまた遊ぼうなぁ!」
「みんな気を付けて帰ってね」
「こいつ、次の店ですぐ寝るだろうから、寝顔写メって送るわ」
加賀谷、岸本、鈴谷を見送ると、菅谷が僕とフィーナの方を向いた。
「二人はどっちに行くの?」
「地下鉄方面かな。菅谷さんは?」
「私は家近いから歩いて帰るかな。それじゃあここでお別れだね」
「うん、そうだね。課題頑張って」
「ありがと。トリニティさんも、また遊びましょう?」
「はい。今日は貴重なお話を聞けて新鮮でした。次も是非」
「ふふ、それじゃあね」
菅谷は柔らかい笑みを残して去っていく。
手を振った僕が踵を返すと、フィーナの詰問が始まった。
「今の人、菅谷恵さんと言ってましたよね。先生の何だった人ですか?」
「何だったも何も、今日会ったばかりの人だよ」
「それは今の時間軸上での話です。過去に先生は、違う形で彼女にコンタクトを取っていたはずです」
相変わらずこの子は無駄に鋭いなぁ。
別にフィーナには知られてもいいか、と考え、僕はすぐにネタ晴らしした。
「直接の面識は無かったよ。ただ、一方的に僕が知っていて、良いなって思っただけ。だから」
「だから?」
「だから、誘拐して、監禁した」
フィーナは変わらず隣を歩き続けた。歩調も速度も変わらない。
ただ、一瞬だけこちらに視線を向けた。
「何をしたんですか?」
「んー……一概には言えないけど、まあ色々なことだね。心を壊す実験、というのかな? どんな風にすれば人の心は壊れるのか、思いつく限りのことを確かめて、実践した」
「殺しましたか」
「殺したよ。そりゃ」
死人に口無しではないが、生かしたところでメリットもない。
殺した後の死体というものも厄介な存在ではあったが、毎回趣向を変えて上手く処理していた。ファンタゴズマに行ってからは、エンヴィという相棒がいたためにそのような苦労もなくなったのだが。
そんなことより、この話を聞いたフィーナの反応の方が気になった。
目線だけ動かして彼女を見るが、その表情から感情は読み取れなかった。
なので、直接訊いてみる。
「ひいた?」
「多少は。少し驚きましたけど、先生がそういう人だっていうのは知っていたので、そこまで衝撃的ではありません」
「多分、君の想像していることの何倍もえげつないことをしたよ」
「だとしても、今更先生を軽蔑することなんて私にはできません……隣に立って、先生のそういう所を直していきたいと、あのときは思っていましたから」
少しだけ、フィーナの歩調が乱れた。
僕は改めて、この夢が醒めたら、彼女とは二度とこうして話すことも出来なくなるんだな、と思い知らされた。そう、これは夢なのだ。一秒後にでも夢から醒めて、現実に戻ってしまったら、隣にはもう彼女はいない。水面に浮かび、弾ける泡沫のように、今僕がいるこの世界は曖昧な存在だ。
フィーナも、先ほどの菅谷にせよ、現実ではもう会う事は出来ない。
「――待てよ」
「どうしました?」
突然立ち止まった僕に振り返り、怪訝そうな声を出すフィーナ。
しかし、僕は彼女を見ていなかった。僕が見ていたのは、スクランブル交差点の近くにある巨大なモニター。そこには、名前の聞いたことのある有名な和菓子のCMが流れており、テロップには大きく「もうすぐお盆」と映し出されていた。
「映像、ですか? あんなに大きな物を……魔法はありませんが、やはりこちらの文明は進んでいますね」
隣でフィーナが感嘆の息を吐いたが、僕はろくすっぽ返事も出来なかった。
携帯を開き、カレンダーを見る。丸い印で八月六日に丸が付けられていた。
二〇一〇年八月六日。
必死に記憶を掘り起こした僕は、やがて雷に打たれたような衝撃を受けた。
「――戻るよ」
「あ、ちょ……先生!」
携帯を仕舞い、反転して元来た道を引き返し始めた僕を、慌ててフィーナが追ってくる。
「いきなりどうしたんですか先生!」
「思い出したんだよ、今日がどういう日だったか。馬鹿らしい話だけど、万が一ということもある」
「な、何の話ですか!」
早足はいつの間にか小走りになっていた。
道行く人にぶつからないよう気を遣いつつ、僕は歩を進める。
「話してて思い出した。この日なんだよ、彼女を――菅谷さんを僕が拉致した日は」
昼に、この時間軸にいるはずの“僕”はどうなったかという話をした。僕自身が過去の僕と入れ替わったという可能性もあったが、加賀谷は僕を見て、容姿が変わったこと、歳の違いについて言及した。もしも体をそのままで、中身だけが入れ替わったなら、そういう事態は起こらないはずだ。
「そんな……しかし、先生の家には私達意外誰もいませんでしたよ!」
「僕は人を監禁するとき、自宅とは別に部屋を一個必ず用意する。もし何かハプニングがあったときも、その場をやり過ごせば自宅を特定されないからね。だから犯行を起こすときは、あまり家には帰らない」
先ほど皆で飲んだ店を越え、菅谷が歩き去っていた方へと走る。
更に進むと人もまばらになり、マンションなどが立ち並ぶ区域に近づいてくる。
そうだ、段々とはっきり思い出してきた。あのとき、僕は本州にいることを理由に、加賀谷の合コンの誘いを断ったのだ。しかし、その実は菅谷の帰りを待ち、飲み会の帰り道で菅谷を拉致し、潜伏先へと運んだのだ。確か、そのときの場所は――
「……!」
小さく。聞き逃してもおかしくないような音だったが、風に乗って、誰かが足をひきずるような音が聞こえた。
フィーナの方を向くと、彼女も頷き、少し先の右手にある路地を指さした。僕も同じところから音は聞こえていた。
自分で言うのも奇妙な話だが、僕の行動は迅速だ。音を消して慎重に近づいていたら間に合わない。僕達は急いで右手にある角を曲がり、その光景を目撃した。
はっと息を呑む。
そこには、ぐったりと項垂れる菅谷と、それを抱える“僕”の姿があった。
マスクを付けてはいたが、変装らしい変装はそれだけだ。灰色のスウェットのズボンにワンポイントの半袖シャツ。だが、いつでも切れるように長めの髪は整髪料で整えられ、身長も僕より高く見えるのはマジックシューズを履いているせいか。手にはスタンガンを握っており、こちらに気づいた“僕”――金木亮は、マスクの上の瞳を、大きく見開いた。
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