ようこそ日本 2
「あれ、なんかイメチェンした?」
集合場所で合流した加賀谷は、出会って早々にそう尋ねてきた。
加賀谷は記憶通りの男だった。赤みがかった茶色に染められた髪は丹念にセットされ、白を基調としたシャツの上には首から下げたネックレスが光に反射して鋭く光る。
「……ああ、ちょっと変えてみたんだ」
そうだ、このころの僕は今より七歳も若いのだ。記憶の方ばかりに目が行って、容姿の変化についてはさっぱり考えていなかった。
僕は、昔彼とどういう感じで接していたかを思い出しつつ、慎重に答える。
「変かな?」
「んー、いや、いんじゃね? なんか大人っぽく感じるわ。雰囲気とかで」
「それは良かった」
「んで、それは良いけど、お前、約束のこと絶対忘れてたろ」
「あはは……いやぁごめんね。すっかり忘れてたよ」
「だよな。お前って頭良い割に結構ポカしたりするからなぁ」
そうか、そういう感じだったか。
記憶の自分と現在の自分を微修正しつつ、僕は加賀谷と歩き出す。
「それにしても、今日はまじで焦ったぜ。先週からお前、確か本州の方に旅行に行くって言ってたから、もしかしたらまだ帰ってきてないかと思ってな」
言われて僕は今日の日付から、その頃自分がどこか行っていたかを思い出そうとするが、分からない。この頃は頻繁に旅行に行っては、旅行先で趣味に没頭していたから、全ての旅行を思い出すことなど出来るわけもない。
結果、僕は曖昧な笑みを浮かべるだけに留めた。
「はは……それで、今日は加賀谷一人か?」
「ん、ああ。歩は夕方までバイトで、奏介は五講から合流するって言ってたなぁ。亮は今日、五講まで全部出るのか?」
「うーん……いや、今日は次の講義のテストを受けたら帰るかな」
「あ、そうなの? じゃあ四講は俺一人かー」
そうするうちにコピー機の置いてある場所まで辿り着き、僕は手早くプリントをセットする。ちょっと操作に不安があったが、重低音を響かせてコピー機が稼働を始めると、僕は心中で息を吐いた。
「さんきゅー。これで次の小テストは楽勝だな」
「はは。あと二十分でそのプリント全部覚えられるのか?」
「ん? 次の小テストって持ち込みありじゃなかったか?」
「あ、そうだっけ」
しまった、そうだったか。
幸い、加賀谷はそれほど気にした様子はなく、
「ははっ、お前はそういうところあるよなー」
と、僕の勘違いと受け取ってくれたようだ。
存外、ボロが出ないように話すのも疲れるね――
「いやぁ、なんとかなったなぁ」
講義が終了し、講師が退室したところで、隣に座る加賀谷が大きく伸びをした。
実際、小テストに関してはプリントさえ持っていれば十分に答えられるレベルの問題だった。そこで、そういえばこの時間軸にいるはずの本当の僕はどうしているのだろうと、ふと疑問に思った。
加賀谷の話しぶり、そして今の問題に全く僕が見覚えがないということを考えると、過去の僕はこのテストを受けなかったと考えることも出来るから、本当の僕は今頃はまだ本州にいるということだろうか。又は、今ここにいる僕が、この時間軸にいるはずの僕と存在が入れ替わっているということも考えられる。
プリントを自分の鞄に仕舞った加賀谷がとんでもないことを言った。
「それじゃあお前は一回帰るんだよな? それじゃあ五時半頃に駅集合にするか」
「ん……?」
「……おいおい、まさか、これも忘れてたのか?」
訝しげに僕を見る加賀谷。なんだ、僕はそんなに重要な用事が今日あったのか……?
あまりに大事な用事だと、忘れていれば不自然になる。僕は、加賀谷との付き合いで何か大事なイベントがあったかを振り返っているうちに、加賀谷の方から答えが飛んできた。
「マジかよお前……今日の夜は、俺たちと合コンに行くって話だったろ!」
力強く拳を握った加賀谷は、そう高らかに宣言した。
数秒の沈黙の後、僕の口から無感動な声が漏れた。
「……えー」
「……で、君は君で道に迷っていたと」
「……面目次第もありません」
約束の時間からきっちり三十分を過ぎた頃、喫茶店の扉に付けられた鈴を鳴らし、フィーナが入ってきた。
彼女は僕が貸し与えた(無理やり着させた)服を見事に着こなしており、入店早々に青年の店員を惚けさせた。
「あの、ここで待ち合わせしているんですが」
彼女は店員にそう言いながら、両眼を右往左往させて店内を見ていたが、やがて奥の席に座っている僕の姿を認めると、とてとて歩いてきた。心なしか、店内の男性客から恨みがましい視線が飛んできた気がする。
到着早々、僕に謝罪しようとしたフィーナを諫め、とりあえずお互いがドリンクを注文したところで今の状況というわけだ。
「まあ地図があったとはいえ、こっちの言語が分からない君には酷だったかもしれないね。これは僕のミスでもあるよ」
「いえ、それが文字も読めるし言葉もどうやら通じるようなんです」
「えっ」
そこで店員が僕とフィーナのコーヒーを運んでくる。僕は普通のアイスコーヒーだが、フィーナのコーヒーの上には大量のクリームが乗っているタイプのやつだ。メニューを見ているときに彼女が興味を示したので注文させたものである。
店員が下がり、僕は運ばれてきたコーヒーを一口含み、口の中を湿らせると、フィーナに問いかける。
「……それじゃあ、君は日本語を完全に理解しているということかい?」
「はい。これが日本語、というものなのかは不明ですが、おそらくそういうことになると思います」
「なるほどね……」
考えてみれば、先ほど僕の部屋で加賀谷と会話していたときも、フィーナは話の内容を理解していたではないか。となると、この世界は尚更に現実ではなく、幻か何かだと考えた方が良い気がする。
「あの、それから他にも私から報告したいことがあります」
「うん、言ってみて」
「はい。まず一つ目に、この世界に転移、飛ばされた際に、私は制服以外の物を全て喪っていたということ。これに関しては魔導具が使えないと解釈しても差し支えないと思います。二つ目に、魔力はそのまま熾せるということ。更に三つ目、これは私個人として、かなり重要な点だと考えていることですが――この世界にはこの街しかありません」
「それは……どういうことだい?」
フィーナの言い回しに僕は疑問を投げかける。
「正確に言うと、この街から出ることが出来ないのです。私は先生と別れた後、『たくしぃ』という乗り物を使って隣町まで行けるか試しました。あの乗り物は万能ですね……。しかし、確かにまっすぐ同じ道を進んでいたはずなのに、気づけば元の位置まで戻ってきてしまう。……おかげで運賃だけ増えていくというとんでもない事態に遭いました」
「それは確かに怖いね……」
しかし、フィーナの言葉が確かなら、いよいよもってこの世界はまがい物ということだろう。過去の日本、というよりは過去の日本を似せて作られた世界というほうが近いかもしれない。
「つまり、この世界は誰かによって作られ、私達は閉じ込められた、ということでしょうか」
「まだ推測の域を出ないけどね。その可能性は充分にあるってことさ」
僕はコーヒーを飲むと、フィーナがまだ自分の飲み物に口を付けていないことに気づいた。
「遠慮しないで飲むと良いよ。オルテシア王国の食べ物もおいしかったけど、この国もなかなかだよ」
言われてフィーナも、自分が話すことに集中していたことに気づいたようだ。
まず、コーヒーの上に乗ったクリームを食べて、彼女は表情を弾けさせた。
「ッ! 何ですかこのクリームは! オルテシア王国の物より何倍も甘いです!」
言われてみると、確かにオルテシア王国のスイーツは、果物を中心とした甘さで、クリームはあくまでそれらのつなぎとしての役割が強かったような気がする。
「ただ、クリームばかりだとくどいから、コーヒーを挟んだりすると、より一層美味しく味わえるんだよね」
「~~ッッ! 甘味にコーヒーは合うとは思っていましたが、まさかここまでとは……!」
こんな調子だと、もしフィーナにパフェとかを食べさせたらどんな反応をするのだろう。気になったので、店員に注文してみた。
「何を注文したのですか?」
「まあ、後でのお楽しみだよ――それじゃあ僕の方からも報告」
それから、加賀谷が僕の記憶通りの性格と外見であり、本物と遜色なかったこと、この時間軸の僕が、本州の方へ旅行に行っていることを伝えた。
「これらの話と君の報告から僕が思うに、この世界は何者かが僕の記憶を基にして作り出した物じゃないかな、という可能性が高いと思う。誰か、何の目的で、何故君を巻き込んだのか分からない以上、どうしても仮説の段階は出ないけどね」
「人の記憶を基に作られた世界……夢……死者蘇生……やはり、どこかの文献で見た事例に酷似している……」
フィーナは今の話を聞いて思う所があるらしい。彼女のコーヒーの上にあったクリームはすっかりなくなり、白色の混じったコーヒーが残るのみだ。
そこで、待望のフルーツパフェがやってきた。
「お待たせしました~」
「ッ!? こ、これは……!」
空中に投げられていた焦点が眼前のパフェに注がれ、血相を変えるフィーナ。やばい、すごい面白い。
「せ、先生……」
「うん、君が好きそうだなぁと思って注文したの。考えるのはとりあえず置いて、少し糖分を摂取しようか」
「糖分を、摂取……ならば仕方ありませんよね……!」
恐る恐ると言った様子でパフェを一口食べたフィーナは、また見たことのない表情を浮かべた。
彼女が死んでからこんな顔を見るなんて、皮肉な話だね。
複雑な気持ちでパフェをどんどん食べ進めていくフィーナを眺めていると、ポケットに入れていた携帯が振動する。
相手は……加賀谷だ。どうしたのだろう、と電話と取った。
「加賀谷、どうかしたか?」
『りょ、亮……。助けてくれ……!』
「……どうした」
僕はフィーナに伝わらないように平静を装いながら、声を少し低めた。
受話器の先で加賀谷が、辛そうな息を漏らす。
『きょ、今日の合コンで、向こうの女の子が一人ドタキャンしちまったんだ……! 今度飯奢るから、お前の知り合いで女の子一人連れてきてくれ……!』
「……えー」
切実な、切実すぎる声で頼まれた内容に、僕はどっと脱力した。
「そんなこと言われても知らないよ。大体、今日は僕の方も急用が……!」
『何言ってんだよ! 元はと言えば、お前が菅谷ちゃんと話してみたいって言ったから、俺がセッティングした合コンだろ!』
菅谷。菅谷恵か。その名前を聞いて、僕の脳裏に走るものがあった。
あの娘が、まだ生きている。それは、足先から脳天にかけて、僕の体を突き抜けるような衝撃をもたらすと共に、もう一度会ってみたいという抗いがたい欲求を生んだ。
「……分かった。行くよ。けど、代わりの女の子なんて――」
「……ん?」
そこで、無心にパフェの掘り進めていたフィーナと目が合った。
僕は、通話口を手で塞ぐと、自然な口調で言った。
「……フィーナ君、あといくらでも食べて良いから、どうかお願いがあるんだ」
「……何かとてつもなく嫌な予感がするのですが」
その後、僕は加賀谷の要求を呑み、五時過ぎに最寄りの駅で集合することを約束した。
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