フィーナ・トリニティ
「はっ、はっ、はっ……!」
シリュウとカナキの戦いが始まったのを確認し、逃げるようにその場から走り出したフィーナは、ずっと迷っていた。
本当にこれで良かったのだろうか。
脳裏から離れない疑問と、その意思とは関係なく走り続ける自分の足。
フィーナは、頭を体が切り離されたような感覚に陥っていた。
カナキ・タイガはこの国にとって敵だ。カナキが姿を消してからずっと残っていた疑問は、奇しくも今回の事件で証明された。ならば、もう迷う必要はないではないか。カナキはカレンの敵であり、ひいては私の敵だ。それで十分だし、それ以上は考えてはいけない。
なのに、何故私の気持ちは、変わらずに――
フィーナの足はいつの間にか止まっていた。
一分、二分、いやもっと長かったかもしれないし、一瞬だったかもしれない。
だが、再び走り出したフィーナの進む道は、先ほどとは全くの逆方向だった。
「ッ!」
「はぁ!」
シリュウが振るった横薙ぎの一撃を躱した僕は、その間隙を縫って間合いを詰める。
そのまま渾身の力で拳を叩き込もうとした直前で後ろに跳躍。直後に、極細のワイヤーが僕のいた位置で空を切る。
シリュウ相手に剣だけなら素手でも倒せると思っていたが、厄介な仕込み刀だ。剣の間合いの範囲外をカバーするように動くので、なかなか隙を見いだせない。
それでも、ここまで五分以上に戦えているのは、僕自身の力の他にも様々な要因があった。一つめは僕の胸ポケットの中で起動している魔力阻害の石。シズクやリヴァル相手にはほとんど決め手にならなかったこの石だが、魔力量はあっても制御が甘いシリュウ相手なら有効だ。事実、シリュウは未だ魔法を使って来ていない。
二つ目に、シズクから奪った『天眼』の恩恵によるものが大きい。シリュウの操る仕込み刀のワイヤーは、僕でさえ視認が難しいほどに細く、そして速い。だが、この眼ならワイヤーの動きも正確に捉えられるし、何なら相手の筋肉繊維の隆起で次のアクションさえも予知に近いレベルで予測することが出来る。こんな眼を持てば、それは重宝するだろう。流石に天眼ばかりは一度潰されれば再生しないので、大切に使わなければ。
「ふぅ――」
しかし、それでも押しきれていないのは事実。
僕は収納用の魔導具を起動させると、中から雷轟槍を取り出す。常時自発的に雷を生み出している雷轟槍なら、魔力阻害の石の影響を受けることもない。
武器を取り出した僕を見て、シリュウも剣を構え直す。先ほどまでは剣を振りかぶるような形で構えていたが、今度は剣道のような正眼に剣を構える形だ。槍による刺突を警戒してのことか。
だが、雷轟槍は剣を交えただけで対象を感電させる防御不可の槍。それは何ら問題にはならない――
「シッ!」
「おおッ!」
一直線に跳んだ僕は、全霊を込めた刺突でシリュウの心臓を狙う。かなりの速度で跳んだつもりだったが、シリュウは難なくそれを受け止める。だが、それが狙い通りだ。
「づ、ぐううう!?」
交わった槍から剣へと伝わり、やがてそれを握っていたシリュウが苦悶の声を上げ、パワー負けしていた僕の槍が、徐々に押し返していく。
やはり、この槍の能力は知らなかったか。
「くそっ!」
「おっと」
苦し紛れに走らせたワイヤーをバックステップで回避した僕は、その先端を見切り、槍の穂先で床に縫い合わせる。直後、動きを止めたワイヤーを無視して、僕は素手でシリュウに肉薄する。
「くっ!」
ワイヤーが使えず、シリュウは大剣で応対しようとするが、その動きには先ほどとはちがい僅かな翳りがある。先ほどの電撃で僅かにでも痺れが残っていたか。
何にせよ、ここで初めてシリュウに重い一撃を決めることが出来た。
「ごほっ」
シリュウの脇に食い込んだ僕の拳から、肋骨を破壊する確かな感触が伝わってくる。
本来なら肉体を貫通させるくらいの力で決めた一撃だったが、しかし思っていたよりも威力が出なかった。そこで、シリュウが着こんでいた服を見て、僕は自分の失策に気づく。
学騎体のタクティカルベスト……あれに威力を軽減されたのか。
そして、シリュウは今の一撃を回避しようともしなかった。あれは出来ないのではなく、自分ならば耐えられるという確信からくる、反撃のための布石――
直後、振るわれた大剣が僕の体を胸の辺りから横一文字に両断していた。
「チッ――」
思わず舌打ちが出るが、所詮それだけだ。普通の人間ならば痛み分けというところだが、生憎僕には『魂喰』で奪った高密度魔力のストックがある。先ほどまで、多くの人質から魂魄を吸っていたので、今やこれまでにないほどの魔力量を誇る僕だ。この程度のダメージで僕は死なない。どうせなら眼をやるべきだったね――
「ッ!」
しかし、体を再生させた僕は、あることに気づいた。僕の胸辺りから放たれていた魔力阻害の石の反応が消えている。見ると、石は今の一撃で粉々に砕かれていた。
まさか、今の一撃は最初からこれが目的で――
「『閃空』」
「く――」
横に跳ぼうとした時には既に足の感覚はなく、直後に閃光が視界を覆った。
白銀の閃光と共に、ラグーンドームに轟音が轟いたのは五分くらい前だろうか。
フィーナがそこに戻ってきた時、未だ勝負は付いていなかった。
いや、それは既に勝負とは言えたのだろうか。フィーナの視界に映ってきたのは、破壊と再生を繰り返し、それでも逃げに徹するカナキと、それを必死に追い、再生中の箇所を斬り落とすシリュウの陰惨な殺し合いだった。
「ッ、しつこい……!」
「はぁ、はぁ……ぐぅう!」
カナキの状態は本当に酷い、両腕はまだ再生が追い付いているが、両脚はシリュウに重点的に攻撃されているのか、何度も再生するのに、立ち上がる前にシリュウに斬り落とされ、再び膝を突く。カナキが魔法を発動しようとすると、それを察知したシリュウが脳天に大剣を叩き込み、脳漿を撒き散らす。それでも、カナキは未だに生きて、逃げようとしていた。
シリュウはシリュウで、もう限界はとうに越えていると分かった。既に命は長くないだろう。左の脇腹を庇うような不自然な動きもそうだが、無理に魔力を熾しすぎたサインで、顔面は蒼白を通り越して土気色で、呼吸も小さく浅かった。
「うぉおおおおおおおお!」
「がぁ!」
大きな雄たけびを上げたシリュウは大剣を構えると、這うように後ずさるカナキの首を狙い振るう。
カナキもそれは分かっているのだが、手足が満足に無いために防御する手段がない。それでも顔……いや眼か? そこだけを庇うようにして上体を後ろに逸らす。
大剣がカナキの首を深く裂き、彼の血が勢いよく跳ねる。シリュウの服は、既に彼の血かカナキの血なのか判別が付かなくなっていた。
「…………」
気づけば、フィーナの両眼からは涙が零れていた。
こんなもの、もう戦いでもなんでもない。フィーナが学騎体に出るまで想像していた、騎士同士の一騎打ちのような華々しい戦場はどこにもなかった。あるのは、どこまで陰惨で無慈悲な殺し合いだけ。フィーナも、そしてカレンも、名誉だとか誇りだとか、一体何を夢見ていたのだろうか。
「すぅ……すぅ……」
不規則で浅い呼吸を繰り返しながら、シリュウはカナキを見下ろす。カナキは、斬られた首を抑えながら、見たことのない厳しい顔でシリュウを睨んだ。
「……あの魔法はやはり相当の魔力を消耗するようだね。魔力を無理に使いすぎた。君はじきに死ぬ。もう分かっただろう。僕は死なない。無駄なことはやめて、早く楽になることだ」
「どう、だかな……じゃあお前はさっきからなんで攻撃を防ごうとしてるんだ……? 本当に不死身なら、躱す必要だってないだろ……。お前の体にも限界はある……不死身なんかじゃねえ」
カナキが顔を顰める。彼があそこまで負の感情を表情に出しているのは初めてではないだろうか。
「……だとしてもどうなる? 君が死ぬのは変わらない。なら、今僕を追い詰めたところで無意味だ。早くあの世でシズク君に逢うと良いよ」
「はっ……分かってねえな」
僅かにだが、そこでシリュウが口元を歪ませたのが見えた。
訝し気な表情でそれを見たカナキが、直後に顔を歪ませる。再生が終わりそうだった両脚を、再びシリュウが斬り落としたのだ。
「会話にかまけて再生しようったってバレバレだぜ。お前……実は分かりやすいんじゃねえか」
「…………ッ!」
カナキが表情を怒気に染める。さっきから、彼の見たことない表情ばかりだ。
「それに……このまま諦めたら、死んでから雫に叱られちまう……あいつだけじゃねえ。リヴァル教官やルイス……お前に殺されていった奴らに、顔向けできないんだよ!」
「……ッ! 嘘だろ……!?」
カナキの表情が凍り付く。フィーナも、信じられないような想いだ。
魔力が底を尽き、とうに限界を超えているはずのシリュウの剣が、再び魔力を帯びて輝き出した。
「ぐ……ぅおおおおおおおおおおおお!!」
シリュウは吠える。それは彼の意思であるのと同時に肉体の悲鳴だった。
なけなしの魔力では補えない量の魔力を、シリュウは肉体、そして魂から絞り出しているのだ。
無茶苦茶どころではない。カナキは、困惑したまま後ずさる。
「……なんで……なんでそこまで出来る!? お前の憎しみはそれほどのものなのか!?」
「……はッ、何も分かってねえな……!」
口から血を零しながら、シリュウは笑う。
フィーナにも、シリュウがどうしてここまでしても戦い、何のためにこんなことをするかはなんとなく分かっていた。
だが、カナキだけは困惑し、まるで化け物でも見るような瞳でシリュウを見上げるばかり。
そうか、あの人は何も知らないだけなんだ――
フィーナは今一度考える――――ことはしなかった。
ここまで私は散々悩んできた。そのうえで自分は今、ここにいる。王宮でもセルベスでも、そしてカレンの元でもない、ここに。
ならば、答えは最初から出ていたのだ。
「終わりだ……! 『閃――」
「クッ!!」
「――シリュウ、先に謝っておきます」
「――――な」
呆けた声を上げたのはシリュウかカナキか。
直後に、シリュウの手から離れた大剣から大量の魔力が解放され、天井を破壊しながら天に向かって白銀の光柱を立てた。
「シズクにも、もう怒っていないから、とお伝えください」
「…………ぁ」
ひゅー、と喉から音を出したシリュウは、そのままうつぶせに倒れる。
シリュウの横顔は、不思議と穏やかなものだった。
――やりきった、ということでしょうか。
「…………ふぃー、な君? え、え、いやいやいや、え?」
「――ふふ、あはは」
目の前で見たこと無いくらい狼狽えるカナキを見て、何だかフィーナは可笑しくなった。
それを見たカナキも、段々と冷静になってきたのか、ちょっと仏頂面になって顔を背けた。
「…………良かったのかい? つまり、そういうことだよね?」
「はい。私は、どんなことがあってもあなたに付いていくと決めました」
即答すると、カナキが驚いた顔でこちらを見た。それがびっくりするほど間抜けで、今までこの人がやってきたことを考えるとあまりにもギャップがあっておかしく、そしてそんな一面も愛しく感じた。
「好きです、カナキ先生」
すんなりと、その一言を言えた。自分でも驚くほどに。だが、言葉にしてみると、なんだかとてもしっくりきて、自分の心に違っていないことだと再確認した。
カナキは虚を突かれたような顔になると、やがて再生したばかりの手で頬を掻いた。
「……いや、えーと、君が僕のことを好いているのは知ってたし、それを何度か利用しようとしたこともあるんだけど、それは、教師として尊敬しているってことじゃなかったの?」
「違います。ラブの方です」
「……君、そういうことを言うタイプだったっけ?」
「多分、色々吹っ切れて、一時的にハイになっているんですよ」
今、フィーナの心は踊り出しそうなほどに軽かった。今まで悩まされていたカナキ以外のごちゃごちゃした事情が、今は全て無価値のように思えてくる。ただ少しだけ、カレンのことを考えると胸が痛んだが、今はそれ以上にカナキの存在が大きくなっていた。
「……本当に良いのかい? 今ならまだ、僕が何も見なかったことにすれば、ここを脱出して、何事もなかったかのように振舞えば、元の毎日に戻れるかもしれない。あ、僕が結構殺しちゃったから完全に元通りの、とはいかないけど……」
「あれだけ凄惨に殺しておいて、良くそんなこと言えますね」
バツの悪そうな顔を作るカナキに、フィーナは複雑な笑みを浮かべた。
「もう、良いです。確かに先生はどうしようもないことをしでかしましたけど、私はそれを赦します。それで、きっと先生をまともに変えてみせます。先生は確かに怪物かもしれない。けど、頭が良くてもまだ何も知らない。無知な怪物なんです。これから色々な物を二人で見て、先生をきっと――人間にしてみせますから」
「…………」
カナキは何も言わなかった。
ただ俯くと、額を押さえて困ったように笑った。
「……はは、参ったな。まだ二十にもなってない君にそんな説教をされるなんてね」
「失礼ですね。説教ではありません。プロポーズです」
「はは、本当にハイになってるね。明日になって恥ずかしくなりそうだ」
「やめてください。私も今考えて、頭が痛くなりそうなんですから」
そういって、二人で笑った。こんなに満ち足りた気分なのは、いつぶりだろうか。
やがて笑いが止まると、カナキは真面目な表情を作った。
「それじゃあいつまでもここにいられないし、そろそろ僕達も逃げようか。マティアスさんが今は抑えてるが、直に騎士団長がこっちにやってくる。その前に僕達も脱出経路から逃走しよう。問題はミラさん達が上手くやってるかなんだけど」
そう言ってカナキが思念で誰かと連絡を取る。
最初は緊張した面持ちだったカナキだが、次第に表情が明るくなった。
「そうですか。流石ミラさんですね。あ、いやいや、勿論フェルトさんも十分に活躍してくれましたよ。はい、見なくてもそれくらい分かります。それじゃあ、僕達もこれからそっちに向かいますね。え、いや、誰とっていうのは後から説明しますから」
次々と知らない女性(厳密には、聞いたことのある手配者の名前ばかりだが)の名前を挙げるカナキ。フィーナは、その横顔に疑惑の目を向けた。エトがカナキを好いているのは確実だが、この感じからするとまだ他にも女がいるのか? 今のフィーナには、そちらの方が断然大事だ。
「連絡が取れたよ。脱出経路を塞いでいた魔導師長は無事に退けられたみたいだ。今のうちに移動することにしよう……って、何かあったかい?」
「別に何でもありません」
「いや、それにしてはなんだか態度がととげとげしいような……」
「何でもありませんから」
そう言ってフィーナはカナキを置いて、先に行こうとする。勿論、どこに行くのかも分からないのでカナキを置いていくことなど出来るはずもないが、少しカナキを困らせようと思ったのだ。
「あ、フィーナ君!」
すると、予想通りカナキが慌てた声音で駆けてくる音がしたので、フィーナはたまらなく嬉しい気持ちになった。以前まではあれだけ何を考えているのか分からなかったカナキの心が、今は何だって分かるような気がした。
「カナキ先生ッ!」
心が躍って、フィーナはくるりと反転すると、予想通り慌てた顔のカナキに向かって、心の思うままに、とびきりの笑顔を向けた。
「大好きです!」
直後、フィーナの視界が暗転した。
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