いつもの笑顔
どう考えてもここが切れ目だった……
「――約束と違うわ!」
カレンの放った一言は、まさに予想外だった。
「約束?」
「ええ! 私が降伏したら、他の人には危害を加えないって言ったわ!」
「……本当に意外だね。カレン君がまさかテロリストのそんな世迷言を鵜呑みにするだなんて」
「……まさか」
カレンが顔面を蒼白にするので、考えていることは察しがつく。
それは、流石に僕も否定してあげた。
「ああ、とはいってもフィーナ君が無事なのは事実ですよ。彼女は僕にとっても大切な存在ですから。こんなところで無暗に殺したりはしません」
「ッ……パニバルまで見捨てたあなたが、今更何を!」
「優先順位の問題ですよ。パニバル君だって嫌いではありませんでしたが、ここで奴らに暴動を起こされても困ります。それが彼女一人を犠牲にすることですむなら安いものじゃないですか」
「…………」
「……無駄だ、オルテシア。そいつには何を言っても意味なんかねえよ」
押し黙るカレンにそう告げたのは鎖に繋がれたオルガ。そういえばまだこの生徒も残っていたか。
彼はあの激戦の中でも戦い続け、単身生き残ったが、その分体中はボロボロで、治療を施さなければマズイ状態であった。
そんな状態にも関わらず、オルガはいつも通りの態度で、何もかもが下らないという瞳で僕達を見ていた。
まあパニバルも消えたことだし、彼もここらへんで片付けておくのが良いか。
「ッ! やめなさいカナキ! あなたはまだ生徒を手に掛けると言うの!?」
僕がオルガの方へ踵を返したことで意図を察したのだろうか。僕をそう呼び止めたカレンに、僕は賞賛の眼差しを送った。
「君は僕なんかよりよっぽど教師らしいね。ここを無事に生き延びることが出来たら、国王なんかより教師になることをお勧めするよ」
「やめっ――」
オルガは既に身じろぎしない。自分の命運が尽きたことを既に受け入れているようだった。手間がなくて楽だが、その分面白みにも欠ける。
精々、最後くらいは僕を愉しませてほしいものだ。
「そういえば、君はアンドレイ君を虐めていたっけね。人生の最後に、そちら側の気持ちも、身をもって体験してみるといいよ」
魂喰。
変化は劇的だった。
「ッ!? が、がぁああ……ぎぃいいいいいいいいい!!」
「――あっはは」
思わず口から嗤いが零れた。
いつものクールな表情を崩壊させ、絶望と激痛にのたうち回るオルガは、普段の行いもあって、見ていて爽快だった。それに、流石はここまで生き抜いてきた生徒だ。魂魄から変換される魔力量も、高レートの手配者たちに負けず劣らず濃度が高い。その分、時間もかかって、オルガにとっては地獄でしかないだろうが。
「――」
やがて事切れたオルガが倒れると、出来上がった魔晶石を回収する。
カレンの方に振り返れば、彼女は耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑っていた。
「はは、君がそんな年相応の反応をしてくれて僕も嬉しいよ。やっぱり、どこか弱点がないと、生徒も可愛げがないからね」
僕がカレンの手を耳から外すと、カレンが震える瞳で僕を見る。
怯える彼女に、僕は笑みを浮かべた。
いつも通りの、安心させる笑みで、だ――
「それじゃあ時間も押してるからね。カレン君。大人しくマジックリングを出してくれないかな?」
VIPルームに戻ると、マティアスとアリスが、なんとお酒を飲んでいた。
「えぇ……」
「あ、カナキ君おかえりぃ~」
そう言ったアリスは、テーブルに置かれた生ハムを口に放り込んだ。……いや、あれ本当にハムか?
「ちょっと二人とも。流石にこの状況でお酒入れるのはどうかと思いますよ。アリスさんには重大な仕事だって任せてたじゃないですか」
「何よ相変わらずみみっちいこと言うわねえ。言われなくても、使える死体は順調に使役しているし、外の結界だって保ってるわよ。自分の仕事をしてるんだからこれくらい良いじゃない」
「これくらいって……マティアスさんも何か言ってくださいよ」
「……いやな、久しぶりに酒が飲めると思うと、どうしても我慢できなくてな」
「えー……」
予想外に世俗的だったマティアスに、僕は失望の意を込めた眼差しを向けると、彼も珍しくバツの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。まあマティアスさんは酒が好きだったからね。
「何よカナキ君。あ、もしかして仲間はずれにされたと思ってひがんでるのね? 大丈夫! ちゃんとカナキ君の分も用意してあるから!」
「いや、結構です」
秒で断ったのだが、アリスの耳には届くはずもなく(または意図して聞き流され)、あっというまに目の前には並々注がれたコップがでんと置かれた。
しかも、鼻を近づけなくても伝わってくるこの匂いからして、まあおそらく焼酎系のストレートだろう。アルコール度数は軽く四十度を超えているはずだ。
「いや、だから飲みませんって」
「堅いこと言わないでよー。この三人で呑むことなんてもう一生ないのよ?」
アリスは何の躊躇いも無くそう言い切った。
確かに、彼女の勘定に自分が入っているかは定かではないが、少なくとも次の戦いでマティアスだけは確実に死ぬ。いや、死んだ状態に戻るという感じか。
僕が正面に座るマティアスを見ると、彼は丁度コップを呷っている時だった。彼の手元には最新の手配書が置かれており、それを眺めながら酒を飲むマティアスは、どこかひどく懐かしさを覚える光景だった。
「……これだけですよ」
「おっ、さっすがカナキ君! 相変わらずちょろいんだから!」
「張り倒しますよ」
「それじゃ、私達の勝利を祈って!」
アリスがそれっぽい言葉を口にして、僕達はコップをぶつけ合う。
久しぶりに飲んだ酒は、まるで酸のように僕の喉を焼け焦がし、やがて胃の中で燃えるような熱を発するような感覚だった。
「ぷはぁ! そういえばカナキ君、皇女ちゃんの方はどうだったの?」
一気に酒を呷ったアリスが(ただし、中身は僕のより相当薄めているだろうが)疑問を口にした。
「ああ、マジックリングは無事回収出来ましたよ。相当粘られましたけどね」
「ふうん。また拷問したんだ」
「いや、僕そんな普段から拷問する人じゃあ……」
言っている途中で「そういえば拷問ばかりしてるな」と考え、言葉を濁す。
「……とにかく、今回はカレン君自身に拷問はしてませんよ。ちょっと友人の末路を見せて、言葉攻めにしただけです」
「うわぁカナキ君、相変わらずサドねぇ」
「……皇女の付き人は、殺したのか?」
そのとき、マティアスが珍しい質問をするので、僕だけでなくアリスも驚いたようだ。
「あれ、マティアスさんもフィーナちゃん狙ってたんだっけ」
「いや……ただ、あの夜、セニアを殺した時にあの付き人がいてな。気紛れで魔晶石を渡し、皇女を回復させたわけだが、今になってその助けた皇女を再び襲うことになるとは因果なものだと思ってな。付き人はこのあとの事をどれほど知っているんだ?」
「特に教えたことはないですけど……王宮の方針を知っている彼女なら、このあと僕達が王宮と一戦交えるのくらいは分かっているんじゃないですか?」
流石にそれ以上のことは分からないでしょう。
暗にそういう意味を含ませた言葉に、マティアスは「そうか」とだけ答えると、再び酒を口に含んだ。
しかし、その態度がアリスは不満だったようだ。急に、ぷりぷりと怒り出した。
「なによなによ! 二人とも若い子ばっかり気にしちゃって! 目の前にこんな美女がいるっていうのに、私じゃ歳を取りすぎって言いたいのロリコン!」
「いやいやいや、セニアさんのときはともかく、今のアリスさんの体だったら、フィーナ君とどっこいどっこいでしょう。本当に幾つで止まってるんですかその体」
「乙女に歳を聞いてはいけません!」
完全に出来上がってきたなこの女。
そういえば、昔からセニアも酒は弱かった。体は違っていても酒に弱いのは同じことなのか。僕は溜息を吐くと、アリスのグラスに残った酒を一気に飲み干した。
それを見たアリスが、絶望的な声を上げる。
「ああ、間接キス!」
「いや、そっちかよ」
「……アリス、お前はそれくらいにしておけ。この作戦に支障を来たすようなことがあれば、それこそカナキに殺されるぞ」
「何よカナキ君! 私とヤろうっての!?」
「……もうツッコむ気にすらなりませんよ」
上機嫌になったアリスは、それからもグダグダ僕に言ってきたが、しばらくすると飽きたのか、部屋を出て行ってしまった。人質で遊ぼうと思ったのか、それとも『完全なる骸』の調整に向かったのか。後者であることを切に願いたい。
二人になった部屋で、僕は再び酒を呷ると、マティアスが静かに言った。
「何か忘れたいことでもあったのか?」
「え?」
「ここ一番の作戦を前に、お前が酒を飲むことなんて普段じゃありえないからな。何か忘れたいことでもあったのかと思ったのだが」
違うか、と問うてくるマティアスに、僕は言葉を詰まらせた。
「……まあ、あったといえばありましたけど、僕にそれを苦悩として吐露する資格はないと思います」
「ほう、珍しいな。そんな道徳的な事をお前が言うとはな」
「……まあ、僕にもあれから色々あったってことですよ」
コップを持ち上げかけて、やめた。マティアスの言うように、これから大一番があると言うのに、僕は何をやっているのか。
脳裏に先ほどの出来事がフラッシュバックする。まさか、パニバルたちを見捨てたのが僕の心の楔になっていると言うのか? いや、彼らを殺すことに僕は心の抵抗をほとんど感じなかった。それなりに親しかった人だって今まで殺してきたし、あの程度の間柄の人間なら平気で殺すことが出来る人間だ、僕は。
では何故か。少し考えたところで、すぐに答えが出た。簡単なことだ。我ながら幼稚な感情すぎて笑いが漏れそうになる。
「……どうした?」
僕の様子を見てマティアスが抑揚のない声で聞いた。こんな人でも、娘であるエトに対しては、あれだけの激しい感情を見せたのだ。僕にも今抱くような気持ちが湧いても不思議ではないということか。
僕は苦笑して首を振った。
「いえ、我ながら矛盾してるなぁと思いまして」
――エトとフィーナ、そしてアルティだけには嫌われたくなかった。他がたとえどうなろうとも。
一瞬でもそんなことを考えている自分に気づいてしまった僕は、なんて自分が愚かなのだろうと自嘲する。それならば、あのままセルベスで何事もなく学校生活を送っていれば良かったのだ。しかし、それだけでは満たされない自分がいたから、今こんな事態になっているのだ。
自分は人間ではない。怪物だ。理性を持った怪物。人間とは根本的に違った生き物である僕が普通の生活で満足できるわけがない。今までの自分の行動に後悔なんてないし、全てこれは起こるべくして起こったことだ。そのうえで自分のクラスの生徒を手に掛けたことも、僕の生活をより豊かにするための営みの一つでしかない。
ただ――ただその中でも、僕の気に入った愛玩動物くらいは助けたい。今回の出来事はそれだけのことだ。それ以外の感情は一時の気の迷い。感情の贅肉というやつだ。
僕はコップに残った酒を一気に飲み干した。胃に落ちていく熱い感覚と共に、僕の余計な雑念も振り払われていく。
その光景に、マティアスも少し驚いたようだ。切れ長の眉を、僅かに歪めた。
「……大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫です」
僕はいつもの、人を安心させる笑顔を作った。
「それじゃあそろそろ皆さんを呼びましょうか。ここから最後の大一番です」
御意見御感想お待ちしております。




