第69話 いい宿ですね
むん、と両手で拳を握っていると、誰かが階段から下りてくる音がした。
振り返るとそこにいたのは、部屋で休んでいたカリンさんだ。
「まったく、ここはどうなっておる? 未だに宿の者の姿が見えぬとは、どういうことだ。二階でドタバタと騒いでいたかと思えば、客を無視して飛び出すし……。その上、そのまま客を放置するなど、いくら辺境の宿屋だとしてもこんなところに泊まれぬわ。野宿でもしたほうがマシかもしれぬ」
カリンさんは凄く怒ってるみたいだった。
確かに怒るのも無理はないけど、でも、これには深い訳があるんですよ。ラブラブな夫婦が誤解で離婚の危機だったんですよ!
「落ち着いてカリン。戻って来るのに時間がかかったのは、村の畑に大きな甲冑虫が出たからなの。それより、明日からこの近くにある『試練の洞窟』っていうダンジョンに行くわよ。必要な物を用意しましょう」
「ほほう。そのような物があるのか? もしやそこに新種のスライムが――」
「いるかもしれないわね」
アマンダさんはにっこり笑って肯定するけど……いるかなぁ。
いないような気がするなぁ。
でも、一緒に行ってくれるなら、カリンさんがどんな戦い方をするのか見れるってことだよね。
このメンバーの中で戦うのを見たことがないのってカリンさんだけだし、エルフの使う言霊の魔法がどんなものか、見てみた~い。
楽しみ!
そこで、カールさんの奥さんのメアリさんがじっとカリンさんを見つめているのに気がついた。
その視線は顔じゃなくてその少し上の、帽子にそそがれている。
変わった帽子だもんね。珍しくてじっと見ちゃうよね。
と思ったけど、違った。
「まあ、なんて可愛らしい帽子」
えぇ~。可愛いかなぁ?
「む……。お主、この帽子の良さが分かるか?」
「ええ。スライムをモチーフにした帽子でしょう? プルンとした姿がとっても素敵。いいわねぇ。私もスライムが大好きなの。そんな帽子が欲しいわ」
胸の前で手を組むメアリさんは、本当にカリンさんの帽子を気に入ったようだった。
ええーっ。カリンさんと同じ趣味の人がいたのぉ!?
「そうであろう、そうであろう。この帽子のたわんでいるところが、いかにもスライムらしいと思わぬか?」
「曲線が見事ですね。さぞかし名のある帽子屋さんの作品なのでしょうね」
「それほどでもあるがなっ。これは私が作った帽子だ」
帽子を褒められて、途端に機嫌を直したカリンさんは、さらに平たい胸を張ってのけぞった。
もっと褒めたら、後ろに倒れちゃいそうだなぁ。
「まあ、凄い!」
「ほほう。この帽子の良さが分かるとは。……ふむ。よく見ればこの古びた階段もなかなか趣があって良いかもしれぬな。掃除も行き届いておるようだし、辺境にしては気の利いた宿ではないか。実に興味深いな」
カリンさーん。スライムを褒められたからって、さっきと言ってることが正反対ですよー!
「まあ、ありがとうございます。うちはお料理も自慢なんですよ。お客様のお口にも合うと良いのですが」
「それは楽しみだな」
「ではそれまでこちらでお飲み物などいかがですか?」
「いただこう」
ご機嫌のカリンさんをテーブルに案内するメアリさんの後ろ姿を見送って、私たちは思わずカールさんと顔を見合わせた。
「で、ではお客様たちもこちらへどうぞ。本日の宿泊代はお礼にサービスさせて頂きますので、まずはウェルカムドリンクを飲んでゆっくりなさってください」
「おう。そんじゃ一杯頂くか。あそこに並んでる酒なら何でもいいのかい?」
「ええ、どうぞ。勝利の美酒は、奥に置いてありますので、遠慮なさらず」
「はっはぁ。カリンじゃねぇが、ここはなかなかいい宿だな!」
フランクさんにバシッと背中を叩かれて、カールさんがむせる。
「ユーリちゃんにはリコのジュースがいいかしらね」
わーい。桃みたいなリコのジュースは大好物です!
「ノアールにも少し分けてあげるね」
「にゃあ」
白猫ローブの中に入っていたノアールが、ちょこんと顔を出す。
プルンは特製ポーチの中に入ったままカリンさんに連れていってもらってるから、後で部屋についたらポーチから出してあげないとね。
明日はみんなで『試練の洞窟』に行くのかぁ。
どんなところだろう。
楽しみだね!




