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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
陸 二人の皇子(4)医務官と少年
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7:初の分娩介助

 産婆所は、村の中心部にあった。白継島には大きな村が三か所あり、それぞれに産婆所を設けている。小さな村にはその三か所の産婆所が担当する村の妊産婦を担当するというものである。二人は一番大きい村であるデライ村のデライ産婆所にやってきた。


「ごめんください」


 『デライ産婆所』と大きく書かれた暖簾をくぐり、文修は挨拶をする。しかし、誰も返事はない。


「ごめんくださーい」


 珞の透き通る声ががらんどうの産婆所に響く。その声を合図にしてか、奥の方からドンドンと歩く音が聞こえた。


「ごめんごめん。みんな出払っていてね。私しかいないけどいいのかな?」


 その声の主は妊婦であった。この島では珍しくない赤い髪をカラジの髪形にまとめている。しかしその瞳は濃い紫をしていた。


「香月師から、ここに来るように言われたので、大丈夫だと思います」

「うん、知ってる」


 その妊婦は白い歯を出してにこやかに笑んだ。


「自己紹介していなかったね。私は、佐島松留(さとうまつる)。産婆歴十年で、この通り妊婦よ。松留さんって呼んで頂戴。貴方たちは、この産婆所で二月、実際のお産を見て、赤ちゃんを取り上げてもらいます。で、いいわよね。私は香月さんから書状でそのように聞いているわ」


 珞と文修は目を合わせた。そんな話は聞いていなかったが、香月が直接書状を出しているのならばそうであろう。


「よろしくお願いします」


 二人の声が重なる。松留は満足そうに頷いた。


「うん、よろしく。もちろん、私のお産、赤ちゃん取り上げてもらうからね。ちなみに、この子、香月さんの子どもだから」


 その発言に、二人は唖然とする。


「そうでなけりゃ、こんな赤い髪に紫の目の半端もん、相手にしてくれるわけないでしょう。この島では、赤い髪に緑か青の瞳の女の子以外に価値はないに等しいのよ。香月さんは私が押し掛けたって感じよね。初恋だもん」


 松留はうっとりと当時を思い出したように、指を組む。そしてすぐにパチリと瞳を開け、二人に向けて人差し指を突き付けた。


「赤ちゃんを死なせたら、絶対許さないんだからね」


 珞と文修は呆然としながらも「はい」と返事をせざるを得なかった。


 産婆の松留は自身も妊娠七月でありながら、他の産婆と同じように働き、二人の指導も行った。松留の指導方法は『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒める』という今までにない指導方法だった。

松留は自分の体をまずは実験体として、珞と文修に触らせた。


 腹部を触診することにより、胎児の向き・場所・頭部の位置がわかることを説明された。それについては教本にも載っていたことである。しかし松留曰く、この触診法で手の感覚を養い、母親の息遣いや表情の違いを感知できるようになれば、分娩中に内診を最小限に抑えることができるという。内診を最小限にすることによって、清潔な状態を保ったままお産でき、産後の産褥熱にかかる可能性も抑えることができるのだそうだ。


 産婆の考えは、実際に肌で感じ取ってきた技術そのものであった。それは二人が教本や香月から学んだこと以外の『妊産婦を安楽に安心して自分の力で産む』ことに特化したものである。医務官や産婆に頼るのではなく、自身の力で産むという信念をもって、出産に臨むことができるように、産婆たちは支援していた。教本もなく、書いている暇もなく、幾度となく叱られながら、二人は妊婦訪問についていった。


 半月も経つと、珞と文修は分かれて分娩介助につくようになった。最初は見学であったが、何が何だかわからず、あっという間に分娩は終わった。「次からは一緒にさせてもらうからね」と松留に言われ、二人は緊張を隠せない。


「そんなに緊張しなくてもいいから」


 松留は笑ってそう言っているが、実際のところ、全く笑えない。


 基本的に珞は松留、文修は多恵(たえ)という熟練産婆に付いて、分娩介助をすることになった。


 デライ産婆所には常駐している松留、多恵、(ゆう)千秋(ちあき)(くう)の五人の産婆が担当している。それに、デライ村以外の村落を担当している産婆が何人かいるという。出産があれば、その五人の担当する産婦のところに行き、分娩介助を行くこととなった。


 妊婦訪問の時点で、初産婦(しょさんぷ)の場合は陣痛が来始めたとき時、陣痛の間隔が短く強くなったと感じたときに、産婆を呼んでもらうように説明していた。また、経産婦(けいさんぷ)の場合は、陣痛が来始めたらすぐに産婆を呼んでもらうよう伝えている。


 産婆所には産婆見習いの伊織や芽衣という少女がおり、陣痛が来て分娩が始まった女性がいると村人がやってきたら、すぐに香月を呼んでいた。香月は産婆所に駐在し、必要時に伊織や芽衣に呼ばれるという体制を取っていた。そのため、香月が着くまでの応急処置については産婆に必要な技術の一つであった。


 普段に比べて温かく感じられる日の夜のことであった。ガタガタと音がして、産婆所の扉が開く。夜の物音は村人が分娩開始を伝えに来てくれる合図だ。音の主の声が届くより前に文修と珞は飛び起きる。どちらにしろ、二人のうちどちらかは分娩介助することになるのだ。


「松留さん、蘭が産気づきました」


 松留の担当であり、珞も何度も妊婦訪問に行った蘭という初産婦である。珞はそのまま、布団から出て、素早く準備を始めた。


 持っていくものは、珞専用の分娩用具である。臍帯剪刀(さいたいせんとう)、清潔な手ぬぐい二十枚、割烹着、焼酎の入った瓢箪の水筒だ。それらを清潔な風呂敷に二重に包み、背負った。


「準備できた?」


 松留は準備できている。珞が粗相をしないように、同じ用意を準備して土間で待っていた。そして、伊織に香月を呼んできてほしいと頼んでいる。


「準備できました」


 珞は松留にそう伝えると、痛み止めの生薬が入った袋も持って草履を履く。


「よし、行こうか。見学の時のお産は経産婦さんだったからね。初産婦さんは時間を見ていくのが難しい。お産の流れが速い人もいれば、遅い人もいるからね。初産婦さんでも経産婦さんでも、遅すぎるならば、香月さんを呼んで見てもらわないといけない。最悪の場合、お腹を切って、赤ちゃんを取り出す必要があるからね。その時の状況状況をみて判断していくこと。判断が遅ければ、私はどんどん手を出していくから、そのつもりで」


 松留はそう珞に伝えると産婆所を出た。


 外は生暖かい風が吹いており、手がじとりと湿る。妊産婦の診察するとき、分娩介助の時に手が冷えていると、産婦の緊張感を生み、分娩進行を遅らせることがある。そのためにも、手が冷えているより、手が温まっている方が良いのだ。


 珞は松留と共に、村人の案内で街頭の家まで向かう。産婆所へ報告に来た村人は隣の部屋に住む亜紗(あさ)といった。産婦の蘭は突然痛み出し、これは産気づいていると思って来たとこのことだ。


 亜紗や蘭、他の女性が共同で済んでいる家屋に入る。産気づいていることに皆気づいており、起きているようだった。


「蘭! 松留さんと医務官のお弟子さん呼んできたよ」


 亜紗が蘭の部屋に入った時、蘭はその場にいなかった。


「蘭はどこ行ったの⁉」


 焦る亜紗の言葉に、寝ぼけた隣人が答えた。


「蘭なら、さっき便所に行きたいって言って、便所に行ったよ」


 松留はその言葉を聞いて、血相を変えた。


「珞! 荷物を持ってすぐ便所に行きなさい。最悪の場合、墜落分娩になるから!」


 珞は何も考えずに、家の外にある便所に向かった。


 便所は家のすぐ近くにあった。便所は汲み取り式で、鍵は付いていない。


 濁った悲鳴が周囲を木霊した。便所の入り口に水たまりができている。近日中に雨は降っていない。珞は即座に破水したと考え、便所の前に立ち、大声で伝えた。


「蘭さん、産婆所から来た珞です。入りますよ」


 便所の扉をあけ、中に入ると便所に座ったまま立ち上がれなくなった蘭がいた。


「蘭さん、痛みは頻回に来ますか?」


「わかんなああああああ」


 痛みが頻回に来ている。珞は会陰部の状況と胎児の下降を確認しようと試みた。


「今から、赤ちゃんの位置確認しますからね」


 声をかけてはいるものの、珞の心臓は緊張から、けたたましく鳴り響いている。会陰部の柔らかさは中である。しかしながら、蘭は胎児が元々標準より小さいことが、妊婦訪問でわかっている。柔らかさは中であるが胎児が出てきやすい環境ではあった。


「待たせたね」


 便所の扉が開き、松留が顔を覗かせた。


「今どんな状況?」


「会陰の柔らかさは唇のようで中、陣痛発作時に胎児の頭部の圧迫が見られます。この状態での分娩となると会陰裂傷が起こりやすいため、呼吸法を使って、力を逃し、ゆっくりとした分娩が好ましいと思います」


「そうだね。ただ、産道を通っているということは赤ちゃん自身もしんどくなることをわすれないで」


「はい。――蘭さん、妊婦訪問の時にお伝えしていた呼吸法してみましょう。鼻から吸って、ゆっくり吐いてー……」


 蘭は気持ちの上でも落ち着いてきたようで、ゆっくりと深呼吸を行っている。


「松留さん、俺の荷物を広げてもらってもいいですか?」


 松留は珞の背から荷物を受け取り、床に広げた。


「珞、臍帯結紮(さいたいけっさつ)用の糸は?」

 あ、と珞は松留の方を見た。

「……持ってくるの忘れました」

「お馬鹿! はい、これ」

 凧糸が広げられた風呂敷に置かれた。

「今度から忘れたらだめだからね」

「はい」


 その間、産婦の声は一層濁り、大きくなっていく。珞が会陰部を確かめると、児頭の先端が陣痛に合わせて産道の出口を出入りしている。


「排臨しています。会陰部も柔らかいです」

「ゆっくりゆっくり出していくんだよ。蘭ちゃん、聞こえる?頭が出たら、珞が合図するから、犬みたいな短い呼吸に変えてね」


 松留の声に、蘭は頷いた。


「もう、呼吸できないです。なんか、便が出そうな感じ」

「いいよ~、自分の好きなように産んでいいからね~」


 松留はそう言って蘭を慰めるが、珞は必死だ。いつ産婦がいきんで、児が生まれてくるかわからない。


「珞、児頭がでたら、そのまま落ちないようにしっかりと頭を支えて、第三・第四回旋を補助するんだよ」

「はいっ」


 珞は耳を澄ました。陣痛の波が来たようで、蘭のいきみが強くなった。彼は、生まれると確信し、漆黒の穴に落ちないように両手を準備する。


 いつ到着したのか、香月が提灯を持って便所に入ってきた。松留は赤ん坊がいることから、珞が直接介助する際の補助の行うことができない。その代わり、香月が補助に回ることになったのだ。


 香月は珞の下に両手を広げた。


「安心していいから」


 珞に言っているようで、蘭を安心させているようにも聞こえるその言葉の直後だった。陣痛、濁音の悲鳴と共に、ぐうううううと児頭がせり出される。


 児頭が完全に産道から出きった時、香月は準備された手ぬぐいで児頭を拭いた。手ぬぐいについた色は薄い色をしており、羊水が汚濁していないことがわかる。珞は胎児がそのまま墜落しないように、回旋の補助を行い、骨盤誘導線に沿って、胎児を娩出した。


 ほぎゃ、ほぎゃあ……と赤ん坊の泣き声がした。珞は香月から手ぬぐいをもらい、赤ん坊の体に巻き付けると、蘭に手渡した。落とさないように、香月が見守り、臍帯の処置を行ってくれている。


 珞はその間に胎盤の処置を行う必要があった。産道から出ている臍帯を凧糸で巻く。凧糸で巻いた場所を掴んだまま、「ちょっと膀胱の方を押しますね」と声掛けし、手を回して膀胱を押さえた。


「膀胱圧迫時の臍帯が引っ張られる様子なし。臍帯結紮(さいたいけっさつ)の下降が認められるので、胎盤剥離徴候確認しました。今から、胎盤娩出開始します」


 松留の方をチラリと確認すると、親指を立てている。実際に行ってよい証拠だ。


 蘭の胎盤をゆっくりゆっくり、臍帯を上下にしながら取り出していく。そして、左手に用意した手ぬぐいに胎盤および卵膜などの付属物をのせ、落ちないようにまとめた。


 臍帯は既に香月によって切られていた。赤ん坊の声が響く。


「おめでとうございます」


 その言葉は自然に出た。しかし、母親になった蘭の「私産めた。赤ちゃん生きていてよかった」の言葉に勝る喜びはなかった。

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