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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
陸 二人の皇子(4)医務官と少年
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6:産科医学事始め

 食医学の学びが終わり、珞が医務官の弟子となり、三月が過ぎた。


 香月は自分から教えることはしなかった。しかし、その代わりに、珞に骨盤模型と胎児模型、胎盤模型、臍帯模型を手渡した。そして、女性の股に見立てた布製の模型や乳房模型も手渡された。珞は女性の股や乳房に見立てたそれを受け取る時、一種の恥ずかしさを覚えた。


「なぁに恥ずかしがってんだよ」と隣から不機嫌な文修の声がする。

「二人の人間の命がかかってんだぞ。失敗したら本当に死ぬんだ。そうでなくても、出産ていうのは母親か子どものどちらかが死にやすいんだ」


 珞は恥ずかしさを覚えた自分を恥じた。香月は微笑み、不機嫌そうな文修の方を向いた。


「文修」


 そう香月が呼びかけると、彼は「はいっ」と嬉しそうに返事をする。まるで躾られた犬のようだなと珞は思った。


「文修、珞に基本的な分娩介助術と分娩の知識、乳の膿のことについて教えてあげなさい。教えることも勉強になるのだから」


 そして、珞の方を向いて伝えた。


「裂傷の時の縫合術は僕が直接教えよう。でもまずは、文修に教えてもらうんだ。文修は一応、一人で分娩を最初から最後まで診ることができる。呼吸法については彼の方が上手に行えるくらいだ」


 そう香月から提案された二人は顔を見合わせ、揃って「わかりました」と言いざるを得なかった。文修は食医学には興味を示していなかったが、産科医学には深く興味を持ち、勉学や実地にも真剣に取り組む姿勢が以前から見られていた。


 その日から、彼らの言い合いと言ってもいいような質問と考察の応答が日常となった。


「だから、おれらは女じゃないから、想像するしかないわけ。子宮なんて付いてないだろう? 赤ん坊がどうやって生まれるのかは人によって違う。産婦はみんな赤ん坊が同じ産まれ方をすると思っているが違うんだ」


「どう違うんだ? だって、股から産まれてくるんだろう? それなら、みんな一緒じゃないか」


 珞が感じた素朴な疑問に対し、文修は「んじゃあ、模型で説明するわ」と香月から渡された骨盤模型と胎児模型を取り出した。


「普通は、胎児っていうのは頭が下向きになっているのが、基本だ。まずは基本のことから学ばないと話にならない。そして、胎児っていうのはゆっくりゆっくり回旋しながら外に出てくる。これを無理に押し出そうとしたりすると、産婦の股が裂けやすい。本土にいる産科専門の医務官の中には、分娩の時に医務官中心のものにしているやつもいると聞く」


「医務官中心の出産……分娩ってなんだ?」


 文修は一旦模型を床に置き、仰向きに寝そべった。そして、股を広げる。


「これが医務官中心の分娩だよ。こうすることによって、股が見やすいんだ。そして、産後の出血多量に陥った時もすぐに対応しやすい」


 だがな、と彼は言葉を続けた。


「人によって、分娩にかかる時間は違う。この姿勢は胎児が向かう方向とはずれた方向に膣口がある分、分娩に長い時間がかかるんだよ。それで、産婦は疲れる。胎児も疲れていく。胎児が疲れていけば、心臓の音も弱くなっていって早く出さないといけなくなるんだ。


 そうすると医務官はどうするか。会陰(また)を切るんだ。そりゃあ、おれたちも産婦の会陰を切らなければならない時もある。ただ、それは最小限に留めておいた方がいいし、この姿勢は実は会陰にすごく圧がかかる。胎児の様子が分娩中おかしくなければ、産婦は産婦のしたい姿勢で分娩するのが一番負担にならないし、おれらも何もしなくて済む。


 基本は産婆さんたちが取り上げるのを見ていればいい。この島の産婆さんたちは皆、(せんせい)の教えを受けているから、基本的には何の後遺症も残らずに分娩を終える。たまに、手の施しようがなくて、亡くなってしまう産婦や赤ん坊もいるけどな。それはこの島が白香神様に守られているから、大切に埋葬されて、その分生きようって思える」


 あぁ、話がずれたな、と文修は起き上った。そして、模型を使って、胎児の回旋や分娩時の体勢における児頭の圧のかかり方の違い、産婦の姿勢に対する出産時の介助側の姿勢などを文修は事細かに珞に教えた。また、文修は自身の使っていた教本を珞に与え、彼はその教本を模して勉学に励んだ。


 一月ほどたったころだっただろうか。


「さて」と、香月の声と共に置かれたのは鶏肉だった。「今から会陰裂傷を縫う、会陰縫合の練習をしよう。ちなみにその鶏肉は縫ったところだけ切り取って、ちゃんと食べるからね。それで、珞。会陰裂傷のことはちゃんとわかっているよね」


「会陰裂傷とは、会陰が裂ける様をいいます。会陰に過剰な圧がかかる、早期に胎児を娩出しなければならない、胎児が外界へ排出される時に骨盤誘導線に沿っていたものの、肩の娩出が早すぎたために、会陰が裂けやすくなります」


「そうだね。この一月よく勉強したね。偉い偉い」


 珞は香月の思っていた通り、一月の間に文修に教えてもらったことを何でも吸収していった。


「文修は一度やったことがあるね。実践はまだできていないけれど」


 文修の前にも、同じように鶏肉が置かれている。二人の間には、鋏・芯の曲がった針・糸が揃えられていた。


「珞は外科医学はまだだから、これが初めての練習になるね。いいかい、会陰縫合は医務官にしか許されていない特権ではあるけれど、産後にこの縫合が原因で産褥熱を起こしたり、血腫ができたりして、亡くなる褥婦さんも多い。自分の技術におごらず、常に鍛錬を重ねること。いいね」


 香月の言葉に二人は「「はい」」と口を揃えて答えた。その二人の姿は、互いを尊敬し合い、切磋琢磨する弟子の姿そのものであった。


 その教授の中には、産婆から直接学ぶ機会もあった。実際に妊産婦の傍にいることが多いのは産婆である。産婆から学ぶことはたくさんあるというのが香月の考えであった。


 彼はある日、村の産婆所に二人を向かわせた。文修もまだ産婆所には行ったことがないようで、二人して顔を見合わせて、言われた通りの場所に向かう。


 その道中、赤い髪の女性と白い髪に赤い瞳の男性が手を繋いで歩いているのを何組も見かけた。


 文修がボソリと呟いた。

「なぁ、珞。おれたちの容姿はこの国では最も良いとされているけれど、他の国ではどうなんだろうな。白い粉が空から舞い落ちるといわれる北国のアルーサの民は大柄でおおらかな者たちが多いという。時折来る大和の者も、基本的には黒髪に黒い瞳だろう。李国だってそうだ。


 おれたちの国はもしかしたら、他の国からしたら、珍しい国なのではないだろうか。時折、思う。(せんせい)の弟子になった頃、師は話してくれたことがある。西方では、おれたちみたいな容姿は迫害対象で殺されてしまうんだって。臓器が薬となったり、幸運の証として体を切り落とされたりするって」


 珞は黙っていた。文修は珞を見た。


「おれはお前に出会って医学が凄く凄く面白いものだって感じることができた。本当は李国や西方に行って、医学をもっと学んでみたい。でも、その話を思い出したら、途端に怖くなってしまったんだ」


 文修はうつむき、道端の小石を蹴った。


「まぁ、わからんでもないさ。何事も自分の考えている範囲を超える時に、怖さが出てくる。でも、それは俺らでも同じじゃないか? 俺たちが失敗すれば、人の命は軽くなくなっていく。一命とりとめていても、石を投げられることもあるだろう。だけど、医学はどんどん進歩していく。


 香月さんが本土の産科医学を凌駕する考えを持っていることは、ここに来て数月の俺だってわかるさ。でも、それは本土の医務官には受け入れられないだろう。それは自分たちがやってきたことを否定することになるから。それを黙らせるには、俺たちが時間をかけて後世に残して行ったり、実力で見せていくしかないと思う。だから、死んでも学びたいという気持ちがないんだったら、文修の学びたいって気持ちはそれまでなんじゃないか?」


 文修は珞の自論を聞き、「そうだな」と呟いた。珞は文修の肩をバシッと叩いた。


「でも、医学ってやっぱ面白れぇよな。だって、死にかけの人間を永らえることだってできる。異国に行けば、俺たちが知らないことを知っている奴だって、うじゃうじゃいるんじゃないか? 文修が行かないんだったら、俺が代わりに異国に行ってきてやるよ!」


 してやったりと口角を上げる珞に対し、文修は頬に朱が走る。


「何言ってんだ。おれが行くって言っているだろう!」

「さっきまで弱音こいていたくせに」

「黙れ!」

「だまりませ~ん」


 冗談を言い合っているこの二人はまだ知らない。

 文修が医務官科を状元で合格後、国費留学生として西方の医学大国に行くことを。そして、帰国後『白澪の医学改革』を遂行し、白澪国史に名を遺す『白澪三大医務官』の一人として数えられるということを。だが、これはまた別の機会に話をするとしよう。

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