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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
肆 二人の皇子(2)剣奴と悪鬼
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10:試練の前夜

 “洞窟の試練”までの七日間は体を休めることと学術や兵法の復習に時間を割いた。学術は国学、算術、四書五経、占術、食医学と多岐に渡っている。また、兵法は李国の孫武が書いた兵法書「孫子」と大陸の向こう側から伝わった西の国々独自の戦術が書かれている「戦論」を白澪の地形に合わせて学んでいた。


 書物が配られるわけではないため、その時に師が話した内容や書かれたものはその時に小さな豆本に書き写した。そして、夜になって、疲れた体で復習するのである。そんなことを思い出しながら、三太と一緒に勉強したことを懐かしんだ。


 パラパラと自分たちがまとめた本を見ていると、意外と覚えていることを、珞は不思議に思った。


「小さい頃に音読させられたことは意外と入っているもんなんだな」と一人ごちる。


 今更ながら、宮を出て県土島に来られたのは幸運だったと思っている。


「父上も兄上も、今でも俺を探しているんだろうな……」


 祖父の澪子春が崩御し、父子穂が王位を継いだことは既に風の噂で聞いている。皇太子は成人の儀を済ませなければ執り行えないことから、兄子孝は壱ノ皇子のままだ。


「俺が皇位継承権を持っていたとしても、兄上の方が皇太子に向いていると思う」


『逃げるのか』と白香神の声が頭に響いた。


「逃げるんじゃない。俺は向いていないし、ただもっと自由にいたい。それに、翠と一緒にいたいだけだ」

『あの女子とて、そなたの友人のように別れがくるのではないか』

「そんなこと考えたくない。でも今は夢を見たっていいだろう」


 翠は恐らく、貴族の若奥様の護衛に抜擢される。驚くべきことに、彼女は県土島に来た時点で四書五経を丸暗記していたという。それにあの軽業師のような身軽さと剣術・暗器術の技術力の高さだ。抜擢されないわけがない、と珞は既に覚悟していた。むしろ、剣奴として、皆の快楽の対象となるよりマシだろう、と。


 白香神は何かを隠している、と彼は感じていた。普段、白香神は深い深淵の中で眠っており、時折目を覚ましては茶々を入れに来るのだが……。特に"国継ぎの皇子"については多くを語らない。否、常識的なことしか言わない、というのが正解か。


「とりあえず今は試練のために体力の温存して、勉強しないとな。少なくとも全滅は免れたい」


 恐らく難しいであろう学術と兵法は取っておきたいのだ。兵法は特に珞の得意分野でもあった。兵法を学んでいると、実際の戦場の様子が脳裏に浮かび、時間が来ても想像に没頭してしまったこともある。授業後に師に質問しに行って、褒められたこともあった。


「いかんいかん、つい思い出に浸ってしまう」


 一人苦笑すると、珞は早めの睡眠を取ろうと布団に横になり、傾眠し始めた。



 試練は前日の昼に洞窟内部の地図を渡され、夕方に出発する。試練が始まった頃は地図を渡していなかったそうである。しかし、洞窟内が入り組んでいたために、遭難者・行方不明者が多数出、十数年後に調査を行った際に白骨死体が出たことから、地図を渡すようになったと、珞は年少の時分に聞いたことがある。嘘か真かはわからないが。


 試練の前日、昼間に大師に呼び出され、地図を渡された。入り組んだ地図は道の分かれ道まで描かれている。昨年の地図より、より細かく描かれているようだ。洞窟の中に持っていくものはなるべくなら軽くして行きたいものである。森で使っていたようなものは事前に、何の持ち物をどのように持っていくかを翠と話し合った。


 そして夕方、夕食を食べると、とうとう出発の時である。荷物を持って、食堂の外に出る。もちろん、そこに三太の姿はなく、見送りもいない。否、元々“洞窟の試練”の前に見送りをする習慣はないのだ。

なぜか、珞は体が震えるのを感じた。隣に居た翠は「武者震い、しているんだ」とわざわざ珞の震えについて解説をする。


「そりゃあ、武者震いもするだろうさ。なにか一つでも勝って帰らないと」


 翠はその言葉を聞き、ぐるりと回って珞の前に立った。無表情の顔が怒っているように見えた。


「ほら、力んでいるでしょう。力むと普段通りの力が出ないから駄目。はい、笑いましょう」

「力んでいたら普段通りの力が出せないのはわかった。だからって、『はい、笑いましょう』は面白すぎ」


 笑いのツボに嵌ってしまい、思いがけず腹の底から笑いが込み上げた。いつの間にか、緊張して力んでいたようだった。笑いがある程度収まれば、体中の力みは抜けていた。


 はぁ……と、珞は全身を緩ませた。翠の言葉のすべては、珞の心の何かのヒビや失ってしまったものを少しずつ埋めている。それが、珞には心地よかった。


「さぁて、行くか」

「うん」


 二人は洞窟に向かって南に歩き始めた。洞窟は食堂からさほど離れていない場所にある。そのために、話しながら歩いているとすぐに洞窟へ到着した。日の光が夜の闇に紛れて、空一面を燃やしていた。

「暁の空は素敵だね」と翠は呟いた。


 ほのかな風が二人の間を通り、時を凪いだ。


「そうだな」


 珞の、県土島での最後の挑戦が始まろうとしていた。

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