番外編 女王様と愉快な仲間たち
キスカの町が、小さな小さな公国になって。
「……案外、何も変わらないわね」
遠くを見つめて、ディディがつぶやく。
「こうやって、君が安心してお茶を楽しむ時間が取れるようになった、それは大きな変化だと思う。……そしてそれこそが、私たちが君に贈りたかったものなんだ」
向かいに座ったルシェが、そう言って幸せそうに目を細める。
二人は屋敷……町の人間たちは敬意を込めて『お城』と呼ぶそこの庭で、お茶を飲んでいるのだった。
公国はとても小さく、民も少ない。しかしながら、国を支える人材は十分すぎるくらいにそろっていた。言わずと知れた、ディディの愉快な仲間たちだ。
そんなこともあって、公国の枠組み、必要な仕組みはあっという間に整ってしまっていた。ディディが指揮するまでもなく、勝手に。
キスカ公国、建国からわずか一か月。女王ディディはすっかり元通りの、のんびりした日々を過ごしていたのだった。
そしてそんな二人を、遠く……屋敷のある丘の、すぐ隣の山の斜面で、いつもの面々が見守っている。もちろん、こっそりと。
「くっ、何を話しているのか分からない……! こんなことになるのなら、読唇術を覚えておくのでした……!」
遠眼鏡で必死に二人の表情を観察しながら、リタが悔しげに歯を食いしばっている。
「大丈夫です、リタさん。きっとあれは、ただの世間話、ですから……」
リタにそう声をかけるサリーも、とても不安げな顔をしていた。
今日は、ディディと二人きりで話がしたい。
そんなルシェの頼みにより、彼女たちはみな屋敷を離れていた。そして誰からともなく、ここに足を運んでいた。ディディたちの様子を、こっそりとうかがうために。
ディディとルシェは、婚約している。いずれルシェは王配として、女王ディディの隣に立つ。
リタもサリーも、そのことは十分に理解していた。そして、あの女王に釣り合う……ぎりぎりではあるものの釣り合いそうな男性が、今のところ他にはいないということも。
でもやはり、納得しきれないものがあったのだ。自分たちの大切なディディを渡したくない、そんな気持ちが残っていた。
だから二人は、こうしてことあるごとにルシェを見張っていた。
少しでもディディ様にふさわしくないと思ったら、遠慮なく指摘しますから。そんな気迫を込めて。
嫁のあら探しをする姑のようだと男性陣は思ったが、口にはしなかった。うっかり言ってしまったら最後、何か恐ろしいことになりそうな、そんな予感がしたから。
「せっかくの逢瀬にしては、こう……甘さが少々足りない気がしますね」
女性二人を刺激しないように、小声でジョイエルがリックと三兄弟にささやきかける。
彼はかつてディディに思いを寄せてはいたが、今ではすっかりルシェの味方だった。
キスカの町に王国軍が押し寄せてきた時の、ルシェの勇気に満ちたふるまい。それに、ジョイエルは心から感服したのだった。
そのことを聞いたディディは「……似たもの同士……?」とつぶやき、その隣ではリタがぶんぶんと首を縦に振っていた。
「何か、応援して差し上げたいところですが……」
ジョイエルの言葉に応えたのは、三兄弟の次男レストだった。
「どうしやす、リックさん。前に作った『射出式くす玉』の試作品でも使ってみるっすか? いっちょ派手に」
三兄弟の中では割と頭の回るレストは、最近ではリックやジョイエルから色々なことを教わるようになっていた。案外筋がいいと、リックたちは彼のことをそう評価している。
「ああ、オレも手伝わされたあれかあ」
すかさず、弟のシストが口を挟む。
「細工をするのは面白かったっすけど……やたらと重くなって、ゼス兄しか持ち上げられなくなった、あれな」
三兄弟の一番下、手先は器用だがお調子者の彼は、いつも通りの様子でへらへら笑っていた。リタやサリーの放つ殺気じみた気配にも、全く動じていない。
「いや、恐らく逆効果だな」
そしてリックは、声をひそめてそう答える。彼もまた、以前と変わらず悠然としていた。
「既に照れまくった女王様に追い打ちをかけるのならまだしも、冷静さが残っている状態であんなものをぶちかましたら、突然の照れと怒りで逆上しかねない」
「……あのう、その場合、真っ先に女王様の怒りを食らうのって……オレ……?」
三兄弟では一番の力持ちながら、意外と気の弱いところのある長兄ゼストが、ぎゅっと眉を寄せた。
「だろうな」
ちょっぴり面白がっているようなリックの返事に、ゼストが震え上がる。それを見て、その場の全員が声を立てずに笑った。
一方その頃、ディディたちはなおもゆったりとお茶を飲んでいた。
「平和なのはいいけれど……実のところ、まだ頭がついていっていないのよ」
よく晴れた青い空を見上げて、ディディがため息をつく。
「本当についこないだまで、わたくしはあなたの婚約者で……王妃になるはずだったのに」
ルシェは穏やかに微笑んで、そんな彼女を見守っていた。
「……なあに、その視線は」
「そんな未来から君を解放できてよかったと、そう思っているんだ」
この上なく晴れ晴れとしたその表情に、ディディがぷいと顔をそらす。その頬が、かすかに赤く染まっていた。
「というかそもそも、あなたがわたくしにここまで執着していたなんて、思いもしなかったわ」
つんと澄ました顔で言い放つディディに、ルシェがうっとりとした笑みを向けた。
「執着……かつて私が抱いていたのは、そんな思いだったのかもしれないな。だが今、私の胸に満ちているのはまぎれもなく、愛だ」
「昼間から堂々と恥ずかしいことを言わないでちょうだい! ……その、それで、なのだけれど……あなた、いったいいつから、わたくしのことをそんな風に?」
ぴしゃりとはねつけつつも、ディディはもじもじとそう付け加える。
女王らしく悠然と構えてはいるものの、彼女もまた年頃の乙女なのだった。本人はあれこれと言い訳をしてはいるが、こうも一途に思いを寄せられると、やはり色々と気になってしまうのだった。
「最初からだ」
「え、嘘!? あっさり婚約を白紙にされたから、てっきり政略結婚とか、そういうものだとばかり」
驚きのあまり立ち上がるディディに、ルシェは慈しむような目を向けた。
彼はここキスカの地で暮らすようになってから、目覚ましい成長を遂げていた。最近ではこんな風に、まるでディディの保護者か何かのように見えていることすらあった。
「あの頃の私は、愚かだった。物事の表面だけを見て、その奥の真実に気づかずにいたんだ。この胸に宿っていた思いにも」
そうして彼もまた、立ち上がる。きらきらしい笑顔に、ディディがわずかにひるんでいる。
「私は一目で、恋に落ちた。女王の貫禄をたたえた、この上なく気高い君に」
ルシェの手が、ゆっくりとディディに差し伸べられる。ディディの頬が、ぶわっと赤く染まった。
「『待て』!」
と、ディディの鋭い声が響き渡った。ルシェは目を丸くして、動きを止める。
「あ、あなたはわたくしの犬なのでしょう? だったら、きちんと命令を聞いて、いい子にしていなさい!」
照れ隠しからとっさに出たそんな言葉は、見事なまでに効果を奏していた。ルシェは手を引っ込めると、すっと背筋を伸ばしたのだ。
「……ふう、よくできました。それじゃあ、『お座り』」
安堵のため息をつきながら、ディディがにこりと笑う。ルシェも楽しげに微笑んで、再び席に着いた。
そこで止めておけば、彼女はまた平穏な時間を楽しむことができただろう。
しかし少しだけ、ほんの少しだけ、彼女の胸にいたずら心が芽生えてしまったのだ。その思いつきがどんな結果を生むのか考えることなく、彼女は気軽に口を開く。
「だったら、『お手』って言ったらどうなるのかしら?」
次の瞬間、ルシェは動いていた。何が起こったのか、ディディが理解するよりも早く。
彼はまたしても席を立ち、テーブルを回り込んでディディの隣にひざまずくと、うやうやしく彼女の手を取ったのだった。
「私の最愛の主、君から直々に命令をいただける、これほど名誉あることはない……私の、ただ一人の女王陛下」
ディディを見上げて、ルシェは歌うようにささやきかける。ディディは何も言えずに、ただ立ち尽くしていた。
かつて『氷の女王』とも呼ばれていた、気高きディディ。
けれど今、彼女の美しい顔はすっかり真っ赤になってしまっていた。その様は、何とも愛らしいものだった。
向かいの山の斜面は、にわかに騒がしくなっていた。
「ああっ、何だか突然、いい雰囲気に……」
「しっかりしてくださいサリー様、まだひざまずいただけですから!」
「『まだ』ということは……いずれ、もっと先に……やっぱりわたし、心の準備が……」
屋敷の庭を見ながら、リタとサリーが小声で悲鳴を上げている。
「いい加減、あきらめたほうがいいと思うんだけどな」
「ええ。ルシェ様は、きっとディディ様を幸せにしてくださいます」
「オレらもそう思うっす」
そしてそんなリタとサリーを見て、男性陣はそろって肩をすくめていた。
「そう簡単に割り切れないの!」
「わたしもです……」
恨めしげな目を向けてくる二人に、リックが苦笑する。
「はいはい、だったらその気持ち、直接ぶつけにいきましょうか。そのほうが早いです」
そう言って彼は、その場の全員を見渡した。
「急いで屋敷に戻って、あの二人を思いっきり冷やかしてやりましょう! 全員で!」
それぞれに笑みを浮かべて、彼ら彼女らは歩き出す。この後に待っているだろう、大騒ぎを思い浮かべながら。
屋敷の庭では、まだ二人が見つめ合っていた。
追加の番外編、書いてみました。
時間が取れれば、もう一話くらい書くかもしれません。




