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24.次の頼み事

「とりあえず、おとなしくなったみたいですね、ルシェ様」


 それから数日後の朝、ディディの身支度を整えながらリタがほっと息をついた。


「そうね。……まさか、農夫のまねごとを始めるなんて思いもしなかったけれど」


 ただひたすらに一生懸命に、ディディの世話をしているリタ。


 屋敷の修繕などをこなしつつ、様々な技術の開発に余念のないリック。


 食料や日用品を買い出しにいったり、薪割りをしたりと忙しくしている三兄弟。


 サリーは相変わらず町の人間たちの悩みを聞いて回っていたし、ジョイエルも父親と手紙でやり取りしながら、物流の安定化に努めていた。


 二人とも、かつての浮世離れしてふわふわしていたところはすっかり鳴りをひそめ、使命感に満ちた目をしていた。


 そんな彼らを見たルシェは、自分も何かをなさねばと思ったらしい。ある朝ふらりと町に下りていき、そのまま夕方まで戻らなかった。


 そして、夕食前にようやく戻ってきた彼を見たディディたちは、そろって目をむいたのだった。


「……上等な服は土埃にまみれて、靴だけでなく顔にまで泥が跳ねている。そのくせ、本人はとってもいい笑顔で……何が起こったのか、すぐには分からなかったわ」


 その時のことを思い出しながら、ディディがため息をつく。


「『町の知り合いに頼み込んで、雑用を手伝わせてもらったのだ』って言われましてもね……『どうせなら、体を動かすものがいい。普段は書類仕事ばかりだから。知り合いに、そう頼んだのだ』とも言ってましたね、あの方」


 リタもまた、呆れた顔で肩をすくめていた。


「王子様が、畑仕事の手伝いなんて……前代未聞です。……もっとも、それが受け入れられてしまったのは、たぶん私たちのせいですが」


「わたくしたちのせい? どういうこと?」


 本気で理由が分かっていないらしいディディに、リタが小さく笑って答える。


「かつてここは、ただの田舎町でした。けれどディディ様がやってきたことで、町は変わっていきました。悩み事は消え、豊かになっていきました」


 ディディは素直に耳を傾け、ふんふんとうなずいている。


「しかもディディ様は、危険を伴うような案件であっても率先して動かれています。あの姿は、町の人々の心に焼き付きました」


「イノシシの件のこと? あれは単に、わたくしがおとりとして一番適任だったから。それだけよ」


「普通の令嬢は、例え転移の魔法が使えたとしても、あんなところに出ていったりしません」


 はっきりそう言いきって、リタはうっとりとした笑みを浮かべた。


「そんなこんなで、今では町の人たちは『シャイエンのお嬢様は、自分たちを助けてくれる素敵なお方だ』って認識しています。まあ、当然の評価ですけど」


「……そうみたいね。正直、ここまで信頼されるとは思わなかったけれど。最初の頃は、敵視されていたのだし」


「ともかくそんな訳で、この町の人たちにとってはディディ様は敬う相手で、そして同時に身近な存在なんです。だからルシェ様のことも、似たようなものかとあっさり受け入れたんだと思いますよ」


「……あれと似たようなものって思われるのも、ちょっと複雑だわ……」


「平民から見れば、どちらも雲の上のお方ですからねえ。はい、支度、終わりましたよ」


 そうして二人は、連れ立って食堂に向かっていく。今日も、のどかな一日になりそうだなどと話しながら。




 朝食の席には、にぎやかで和やかな空気が流れていた。


 ディディたちは、ルシェが来た直後こそ気まずさを覚えていたものの、彼がどこまでも朗らかにふるまっていたこともあって、次第に打ち解けていったのだった。


 真っ先になじんだのは、元々細かいことを気にしないリックと、ディディにすっかりしつけられてしまって少々のことでは驚かなくなっていた三兄弟だった。女王様の愉快な仲間たちが一人増えただけだな、彼らはあっさりとそう結論づけた。


 そして次に、ディディとリタがあきらめた。というより、開き直った。これはもう、慣れるしかないわ、と。ルシェについて思うところは色々あれど、ひとまず彼は自分たちの暮らしを邪魔するつもりはないようだったから。


 最後まで困惑していたのは、サリーとジョイエルの二人だった。貴族としての感覚が骨の髄までしみついていて、かつディディほど型破りではない二人は、王子が一つ屋根の下で暮らしているという状況にどうにもなじめなかったのだ。


 それでも場の雰囲気を壊さないように、二人は精いっぱい何事もないふりをしていた。もっともそれに気づいたディディが、折を見てちょくちょくねぎらいの言葉をかけるようになったということもあって、二人に不満はなかった。むしろ、喜んですらいた。


「……今日の食事も、とても美味だな。王宮で口にしていたものより、ずっと質素だというのに……」


 野菜を蒸したものに、卵を使ったソースをかけただけの一皿を前に、ルシェが感動している。実のところ、彼はこの屋敷に滞在するようになってからずっとこうだった。食事が美味だ、と毎度のようにつぶやいている。


「鮮度がいいからかもしれませんね。その野菜も、使われている卵や油も、全部この町で採れたものですから」


 不思議がる子供に手品の種明かしをするような表情で、リックがそう答える。


「……それにここは、地形の関係でいい畑が作れるんですよ」


「父に頼んでここの気候に合わせた野菜の種を取り寄せましたから、もう少しするともっといい野菜が採れると思います」


 リタとジョイエルが、ためらいがちに言葉を添える。


「あ、そうでした!」


 するとサリーが、不意に声を張り上げた。


「町の方々から、頼まれていることがあるんです。野菜の種がたくさん手に入ったから、畑も広げたいって」


「畑を広げるだけなら、別にわたくしたちの助けは必要ないんじゃないの?」


 ディディが小首をかしげると、サリーは居住まいを正して言葉を続けた。


「はい。ですが、これから切り拓こうとしている辺りには、大きな岩や木がたくさんあるとかで……けれどそこが、土が一番いい感じに肥えているのだそうです」


「……ああ、転移の魔法でどうにかして欲しい、ということね。でも地面に生えたままの木なんて、動かせるかしら? ちょっと重すぎるというか、大きすぎるというか……」


「任せてくだせえ、女王様。そういうのはオレたちが切り倒しますから」


「これでも、昔は勝手に木を伐って売り飛ばしてたんで」


「久しぶりだな、腕が鳴るぜ」


 考え込んだディディに、三兄弟がどんと胸を叩いて笑いかける。すると今度は、ルシェが難しい顔をして顎に手を当てた。


「勝手に木を伐って……君たちは、木こりではないのだろうか?」


 この国では、木を伐って売るには許可がいる。過度の伐採による野山の荒廃を防ぐためだ。森や木についてきちんと知識を備え、かつ木を安全に伐る技術があると認められた者だけが木こりを名乗れる。


「へえ。でもまあ、死んだ親父が木こりだったんで、木の伐り方は何となく知ってるっす」


「女王様に拾われるまでは、食っていくのでいっぱいいっぱいだったからなあ……大変だったよなあ、あの頃は。木をこっそり切って、土砂を盗んで……おいはぎまでしたし」


「おいこら、王子様の前だって! 余計な事喋るんじゃねえ!」


 三兄弟が口々に語る内容を聞いて、ルシェの眉間のしわがぐっと深くなった。


「明らかに犯罪……だが、食うに困っての犯行……福祉政策の失敗か……それに、もう更正している……ここは不問とすべきだろうか……いやそもそも、今の私は他人を裁く側ではない……」


 小声でぶつぶつとつぶやいていたルシェだったが、どうにかこうにか納得したような顔で深々と息を吐いていた。


「それじゃあ、その依頼はわたくしとゼスト、レスト、シスト……」


「あ、俺も行きます。別件で頼まれてた農具の改良版、余ってるんで持っていきますよ」


 その隙に話をまとめにかかったディディに、リックが挙手する。しかし彼に続いて、もう一つ手が挙がった。


「ディディ、私も連れていってもらえるだろうか」


 それは、さっきまでとは打って変わって張り切った顔をしたルシェだった。

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