47:夜会の後で
夜会は再開されたものの賑わいは無かった。
あんな事があったのだから当然だ。来賓達は誰もが気まずさと居心地の悪さを覚えつつ、それでも内心では期待以上のものが見られたと興奮していた。そこかしこで集まってはひそひそと話し合い、それでいて時には貴族らしく優雅に振る舞ったりもする。
下卑た野次馬根性の上に貴族の仮面を被り、それを時に外し時に被りと楽しんでいるのだ。パーティーや夜会が常の社交界ではあるものの、今夜の夜会は長く語り継がれるだろう。
そんな気味の悪い微熱じみた盛り上がりを見せていた夜会だったが、さすがにプリシラに話しかける者は一人も居なかった。
クローディア抜きで。
彼女は周囲が遠巻きにプリシラの様子を窺っていることを気にも掛けず堂々と話しかけ、かと思えばお勧めのワインや食事を聞くやふらりと離れて行ってしまう。
何か新しい話を聞けるのではと期待し聞き耳を立てていた者達を何度がっかりとさせたことか。
「クローディア、貴女、意地悪でやっていたの?」
「意地悪? 何が?」
プリシラの問いにクローディアが不思議そうに首を傾げたのは、夜会も既にお開きとなった頃。
あたり障りのない感謝と別れの言葉を告げてくる来賓達にプリシラは品良く返し、馬車に乗り込み去っていく彼等を見送っていた。
そんな中で最後に残ったクローディアを見送ろうとし、プリシラが先程の問いを投げかけたのだ。対して当のクローディアは思い当たる節が無いと言いたげにしている。
「私に話しかけてきたかと思えば、ワインとか料理とか、果てには庭を見に行きたいとか。イヴを紹介して欲しいって言って来たこともあったわね」
「そりゃあ、せっかくの夜会なんだから楽しみたいと思って当然じゃない? イヴ君は何度も話に聞いているけど実際には会った事はなかったし、これを機にと思うのも普通だと思うけど」
「普通の夜会なら普通のことよ。でも今夜は違うでしょう? みんな私とクローディアがダレン達について話すと期待していたのよ」
「ははぁ、なるほど。だからみんな妙に私を見て、やたらと話しかけてきたのか」
ようやく合点がいったと言いたげにクローディアが笑う。あっけらかんとした態度だ。
今夜のクローディアは魔女という正体を隠し、来賓の一人に扮している。『プリシラと昔から懇意にしており、今は療養のため森の中の屋敷で暮らしている貴婦人』、それが今夜のクローディアだ。
来賓達はそうクローディアを把握しており、同時に、空気を読まずにプリシラに話しかけるクローディアに期待を寄せていた。
「それは申し訳ないことをしたなぁ。でも気になるならダレンやセリーヌを追いかければいいのに。そうすればもっと面白いものを最前列で見られる」
「そうね。でもそれが出来るひとはわざわざ夜会で情報を集めようなんて思わないんじゃないかしら」
クローディアの感覚はやはり一般的なものとはずれている。魔法で周囲に貴族の夫人と認識させていても、彼女の根本は魔女なのだ。
なおかつ、当人も周囲の認識こそ変えてはいるものの自分の対応を変えようとはしていない。これで正体を怪しまれないのは、それほど強い魔法だからなのか、それともあまりに堂々としているがゆえに周囲も疑わないのか。
「ところで、私もそろそろ帰ろうと思うんだけど馬車を出して貰えないかな」
「馬車を? もちろん良いけど。いつもの御者は?」
「来てほしいと思えば来てくれるだろうけど、せっかくだからオリバー君に送っていって貰おうと思って」
「オリバーに?」
「そう。だから彼に声を掛けて馬車を用意させてほしいんだ。私はイヴ君に挨拶をしてくるから、門の前で待っていてくれるかな」
よろしく、と一言残してクローディアが去っていく。
相変わらず話に脈絡が無く突拍子もない。それでいて、プリシラがオリバーと居られる理由と時間を作ってくれる。
そんなクローディアの後ろ姿をプリシラは肩を竦めて眺め、彼が居るであろう厩舎へと向かった。
オリバーはフィンスター家の御者である。
ゆえに夜会では主に屋外に居り、賓客を送迎する馬車の管理や有事の際にすぐに馬車を出せるよう馬の世話をしている。表舞台に出ることは殆ど無いのだが、それでも屋敷勤めとしての正装を求められていた。
プリシラが厩舎に行くと、夜会用の正装を纏ったオリバーが馬を宥めていた。飾りのついた濃紺のスーツは彼によく似合っており、逞しさと凛々しさに拍車を掛ける。
見つけたプリシラは見惚れるように吐息を漏らした。「……オリバー」と彼を呼ぶ自分の声には我ながら意味深な熱っぽさを感じてしまう。
「プリシラ様、どうなさいました」
「クローディアが馬車を出して送って欲しいって言っているの。頼めるかしら」
「かしこまりました。すぐにご用意いたします。クローディア様は?」
「イヴと話をしてくるって。門の前で待っていて欲しいって言ってたわ」
簡単に説明すればオリバーが了承の言葉と共に準備に入った。
といっても馬車の準備はほぼ整えており、あとは馬の様子を確認して馬具を着けるだけだという。
彼の話にプリシラは頷き、待っているあいだ自分はどうしようかと考え……。
「ここで見ていても良いかしら?」
「準備をですか? あまり面白いものではありませんが」
「良いの。先に門の前に行っていても何も無いし。……それに少し話をしたいから」
フィンスター家で管理している馬はそう多くは無いが、馬房は余裕をもって作られているため厩舎は広い。なおかつ厩舎自体の造りもしっかりとしているため、誰かが盗み聞きをすることは不可能だ。
それを察したのだろう、オリバーが穏やかに微笑んで頷いた。
「では、準備を終えるまで少しお付き合いください。もしもお疲れでしたら椅子をお持ちしますので仰ってください」
「良いの、大丈夫よ。夜会の後半は殆ど話しかけられなかったし、それほど疲れなかったわ」
「夜会……。その場に居られず申し訳ありません」
馬を宥めるように撫でていたオリバーの手が止まり、彼が僅かに俯いた。
謝罪の言葉は低く重く、彼の複雑な感情が伝わってきそうなほどだ。
「……なにも出来なくとも、隣に立てる身分じゃなくとも、せめてお側にいるぐらいはしたかった」
オリバーは今夜の夜会で起こることを知っていた。それでも彼は御者として屋外にいるしかなかった。
それがもどかしく、己の立場が悔しくすら感じられるのだろう。話す彼の声色には己の不甲斐なさを恨むような色さえある。
そんな彼の気持ちがプリシラには有難くもあり同時に擽ったくも感じられ、小さく笑みを零した。
「夜会こそ面白いものじゃなかったわ。ただ事実を打ち明けて終わりよ。セリーヌもさっさと逃げちゃったし」
「どのような事があったのかはイヴから聞いています」
「そう……。私、冷酷な女だったわ」
淡々と事実を突きつける自分は周囲にはさぞや冷酷な女に見えた事だろう。
去り際にダレンが見せた表情を思い出す。引きつった表情、瞳には恐怖の色を宿し、まるで化け物を見るかのような顔だった。
「オリバーもあの時の私を見たら冷たい女だと」
「思いません」
プリシラの言葉を最後まで言わせまいとしたのか、オリバーの断言が被さった。
馬の準備をしていたはずが、今の彼はまっすぐにプリシラを見つめている。強い意思が感じられる瞳。真剣味を帯びた表情は彼をより凛々しく見せる。
「たとえ貴女が誰に何を告げようと、どれほど彼等を陥れようと、俺は冷たい女だとは思いません」
「オリバー……」
はっきりとした彼の言葉に、プリシラは己の胸が鼓動を速めるのを感じた。
夜会の糾弾の場でさえも胸の内は波紋一つない水面のように落ち着き払っていたというのに、今は胸が締め付けられる。無意識に手を添えて小さく息を吐いた。
「ありがとう……。ごめんなさい、私いつも貴方の気持ちを試しているわね」
互いの気持ちを明確な言葉にはしないと決めた。
だというのに何度も繰り返し確認してしまう。
困ったように苦笑してプリシラが話せばオリバーもまた柔らかく笑った。先程までの真剣みを帯びた表情が解けて柔らかさと暖かさを帯びたものに変わる。
「なにがあろうと俺の気持ちも答えも変わりませんので、それでプリシラ様の気持ちが楽になるのなら何度だって試してください」
穏やかな声色で告げ、オリバーが再び馬車の準備に取り掛かった。
プリシラ胸の内にあった不安という名の靄が消えていく。
来年の……、六年目の結婚記念日を迎える不安。
それらが緩やかに薄れ消えていくのを感じながら、プリシラはゆっくりと深く息を吐いた。
「最期にはさせないけれど、最後になってもそばにいてね」
小さく呟いたプリシラの言葉は馬車の準備をしていたオリバーには届かなかったが、それでも彼の返事は分かりきっていた。




