19:アトキンス商会
オリバーには先に屋敷に戻ってもらい、魔女の屋敷へと向かう。
森に入ればすぐに目の前に現れる不思議な屋敷。最初こそ訪問するたびに驚いていたが、さすがに三年目ともなれば慣れたもので恐れも抱かない。
むしろプリシラにとっては、森の中にある神出鬼没な屋敷よりフィンスター家の方が異質に思えていた。あの絢爛豪華な装飾も、そこで蔓延る思惑も、……たまにふわりと漂う甘ったるい香水の匂いも、なにもかもが禍々しい。
そんなフィンスター家の屋敷を思い出しながら、プリシラは用意されていた一脚に腰を下ろした。出された紅茶に口をつけ、一息吐くのと同時にポケットからハンカチを取り出した。
そっとハンカチを開けば中には小さな金色の鈴が収まっている。
書庫で黒猫に姿を変えた鈴だ。今はどこからどう見てもただの鈴でしかないのだが、鞄にしまうのは気が引けてハンカチに包んで持ってきた。
「この子とても役に立ってくれたわ。ところで、この子って貴女の使い魔なの?」
「使い魔?」
「魔女には使い魔がいるものでしょう? おとぎ話ではいつも魔女は使い魔を連れているじゃない」
「必ずいるって決まってるわけじゃないよ。まぁ、使い魔がいる魔女は多いけど。とりあえずこの子は違うよ」
魔女がすっと手を伸ばし、ハンカチの上に置かれた鈴を軽く指先で突いた。
チリンと高い音がする。やはり鈴だ。ニャァと鳴くことも無ければ差し出された指をスンスンと嗅ぐことも無い。
「この子はただ探し物をするだけだよ」
「そう……なの。よく分からないけど、とても助かったわ。もう少し借りていても良いかしら」
「探し物があるうちはどうぞ。探し物が無くなったらどこかへ行くから」
「……そう、なのね」
魔女の説明は相変わらずよく分からない。彼女とはやはり根本的な常識が違うのだ。
だが常識が違えどもプリシラにとってこの鈴は助けになる。まだ貸してくれるのならそれに越した事はなく、礼を告げて鈴を手に乗せた。
よく分からない未知のものを手にする恐怖は無い。
たとえこの鈴が猫に変わろうと、その猫が読まずとも本の中身を探そうと、再び鈴に戻ろうと。驚きこそすれども奇妙には感じない。
使えるものならば何でも使う。そう考えてプリシラは鈴を一度撫で、次いで鞄から本を取り出した。書庫から持ってきたフィンスター家の帳簿だ。
「もう一つお願いがあるの。これを預かっていてくれないかしら」
「構わないけど。書庫から持ち出して気付かれないの?」
「本棚には似たような本を挟んでおいたから平気よ。それに、あえて触れるような事はしないはず」
そう告げて、プリシラはテーブルの上に置いた五冊の帳簿を睨みつけた。
「ひとは疚しいものには自ら触れようとしないのよ。……それが、もう済んだと思い込んでいるものなら尚更ね」
「なるほど、これは過去の疚しいものってことね」
試しにと魔女が帳簿の一冊を手に取った。
パラパラと捲る。……が、すぐさまテーブルに戻してしまうあたり読み方が分からなかったのだろう。
次いでプリシラの方を向くのは説明を求めているのか。ならばとプリシラは一冊を手に取って開いて見せた。
「フィンスター家は伯爵家でありながら資産の底が見え始めていたの。手腕の無さと、なによりあの男の博打好きのせいね」
「ははぁ、博打ね」
「それも相当高額の博打に興じていたみたい」
ずぶの素人の貴族、更にプライドが高く負けず嫌いとなれば、賭け事の世界でダレンはこれ以上ないほどのカモだったろう。
自分がカモにされているとは気付かず、負けが込んで、それを取り返さんと更に高額を賭ける。大方、周囲に煽られ上限知らずに賭けていたに違いない。
それも若い頃からどっぷりと嵌っていたのだから、たとえ伯爵家と言えども限界が見え始める。
だというのに周囲からは未だ善良なフィンスター伯爵で通っているのだから、ダレンの外面の良さには感心すらしてしまう。
もっとも、ダレンの散財は外面の良さ程度で補えるものではない。本来ならば早々にフィンスター家に陰りを見せ、それを他家に勘付かれてもおかしくない程である。
ならばどうして今日までフィンスター家は安寧を偽ってこれたのか……。
「アトキンス商会。予想よりダレンとの付き合いは長いみたいね」
「負けが続くと商会から適当な名目でお金が流れてくる。これは分かりやすいね。魔女でも分かるよ」
「あの女、こんな前からフィンスター家に……」
忌々しい、とプリシラが下唇を噛んだ。己の眉間に皺が寄るのが分かる。
帳簿に書かれた『アトキンス商会』の文字。その横に綴られた白々しい名目と、その名目には不釣り合いな高額の記載。寄付だの領地内工費だのと、さも善良な名目のように綴っているのだから目も当てられない。
睨みつけているとふわりと甘ったるい香りが漂ってくる気さえしてきた。
「だけど証拠はこれだけじゃ不十分だわ。もっと集めないと。決定的な、あいつらの不貞を……」
己の胸の内にふつふつと怒りの熱が宿る。
暑さすら感じかねないほどの憎悪を抱き……、だがふとプリシラは顔を上げた。
向かいに座る魔女は怒りを抱く自分とは裏腹に、穏やかに、それどころかどこか楽しそうにこちらを見ているではないか。
「随分と楽しそうに私を見るのね」
「だって楽しいからね。人間は短い時間のなかで喜んだり悲しんだり、今のプリシラみたいに誰かを憎んだり、見てて飽きないよ」
魔女の話し方はまるで他人事と言いたげだが、実際に彼女からしたら他人事なのだろう。
以前に魔女には寿命が無いと聞いた。彼女達は時間に縛られず、永遠を生きるがそもそも永遠という概念すらない。やはり根本からプリシラとは違うのだ。そんな存在である彼女からしたら、ダレンに対して憎悪を抱くプリシラも『面白い』の一言なのだろう。
それでも帳簿を預かると言ってくれるのだから、プリシラにとっては味方である。
◆◆◆
普段、魔女は屋敷の玄関口まで見送りに出てくれる。
そこから先はプリシラだけが馬車に乗り、フィンスター家の近くまで届けてもらうのだ。
御者はいつも壮年の男性が務めており、以前に彼も魔法使いなのかと問えば「御者は御者だよ。馬車に乗りたい時に来てくれる」という答えが返ってきた。
これもまたよく分からない返答なのだが、きっと魔女と人間の感覚の違いゆえなのだろう。
となれば深く考える必要はない。安全に送り届けてくれればそれで良い。それに御者は口数少ないとはいえ穏やかな性格をしており、プリシラが「よろしくね」と告げて客車に乗れば柔らかく笑って頷いてくれる。馬車の操縦も巧みで揺れも少ない、十分ではないか。
この日も御者に一言告げてプリシラは客車に乗り込み出発を待っていたのだが、「そういえば」と窓越しに魔女が話しかけてきた。
「次からは彼と屋敷においでよ」
「彼?」
「そう。さっき岩場にいた彼。彼が例の、時戻しの変化で来た人間でしょう?」
「えぇ、彼がオリバーだけど……。でも、森に入って直ぐの屋敷なんて彼に怪しまれるわ」
魔女の屋敷は森に入ってすぐに到着する。
文字通りの『すぐ』だ。生い茂る木々の影に馬車が全て入ったと思った矢先、目の前に屋敷が現れる。
これを異常に感じないわけがない。元より時戻しという稀有な状況にいたプリシラでさえ奇妙と感じたのだ。
そうプリシラが訴えれば、魔女はあっけらかんと「大丈夫だよ」と言い切った。
「森に入って適当に走れば屋敷に着くから、それっぽくプリシラが道案内すれば良い」
「それっぽくって……」
「たとえば、最初にあった朽ちた木の看板を左に曲がって、次も左に、もう二回ぐらい左に曲がるとか。それで着くからさ」
それじゃぁ、とさっさと話を終いにして魔女が窓から姿を消した。
彼女の別れは毎度あっさりとしたもので、今も既に己の屋敷に向かって歩いている。こちらを向くこともせず背中越しに手を振りながら歩く様は暢気とさえ言えるもので、プリシラは追いかける気にもなれず、御者に出発を確認されて頷いて返した。




