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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
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坊主は説教臭くてかなわん

「ふーん……正しいことねえ。正しいことってな、一体、何なんだろうな」


 カウンター席の離れたとこで、外田が頬杖をつきながら、グラスを傾けていた。もう何杯目か分からないが、その頬がほんのり赤いのを見ると、すでにそこそこ出来上がっているようだ。縦川を見る目がとろんとしていて、少し怖かった。


 彼はこのところマスコミや週刊誌に好き放題書かれて、自分の考えに迷いが生じているようだった。普通に考えれば、パワハラ教師といえどただの一般人なのだから、日本中から大バッシングを受ければ弱気にもなるだろう。


 彼は見知らぬ人から誹謗中傷され、自分の人生の何もかもを否定され、一方的に自分の間違いを認めさせられようとしていた。だから、縦川たちが話していた正しいという言葉に敏感に反応したのだろうか。自分が間違っていたというなら、ちゃんと納得の行く言葉で説明してみせろよ……彼の声にはそんな響きが含まれていた。


「世間で言われてる通り、俺は体罰教師だ。許されない存在なのだろう。でも、昔はこれで良かったんだよ。子供が悪いことすりゃ殴られた。通りすがりの見知らぬ大人にいきなり説教された。俺なんか悪ガキだったから、よく先生に怒られたが、でもちっとも恨んじゃいないさ。寧ろ俺は、痛い目を見て、自分が悪いことをしたんだなって、反省できて良かったとさえ思っている。それが普通だった……なのに、ねえ、お坊さんよ? 確かに俺はやりすぎたかも知れない。悪いことしたと反省している。それでも正しいと思ったことをやったつもりだったんだ。時代によって正しいことが変わるんなら、結局、俺達は何を信じて生きていきゃあ良いんだろうな」


 外田の言ってることは本当だろう。昭和時代、それは普通のことだった。テレビの影響で熱血先生というものがもてはやされており、特に学校スポーツ界では当たり前のように体罰が横行していた。運動中に水を飲むと体を壊すなどという根拠のない民間療法が信じられ、それで倒れたら根性が足りないと叱られた。気合と根性だけが正しいとされ、休養の重要性は疎かにされ、休もうものなら怠けていると尻を蹴られた。


 一例を挙げると大学ラグビーは酷いもので、どことは言わないが本当に毎日気絶するまで練習をさせられたというのが、長年笑い話みたいに語り継がれているような大学もあった。


 気絶したらヤカンの水をぶっかけられて無理矢理起こされ、フラフラになりながらまた練習に加わる。冗談みたいな話だが、それを力水とか魔法の水と言ってもてはやした。先輩たちのシゴキやパワハラは当たり前で、部活ヒエラルキーがきつく1年生たちはみんな奴隷で、まともな練習すらさせてもらえない。バチンバチンと相撲のぶつかり稽古みたいな音がラグビー場にこだまし、そして毎年何人もの部員がボロボロになってやめていく。


 ところが、そんな過酷な練習が当たり前なのに、日本一になるもんだから、翌年にはまた新入部員が入ってくる。すると誰もこの方法が間違いだとは言えなくなる。これが当たり前で、正しい方法だったのだ。


 もちろん、ただラグビーを批判したいわけではない。どのスポーツでも似たようなことが平然と行われていた。でもそれで強くなったかと言えば、甚だ疑問であり、当時大学スポーツの花形だったラグビーは、その後開催されたワールドカップで他国に手も足も出ず、人気が凋落して長い低迷の時期を過ごすことになるのだ。


 結局、どんなものにも根性だけでは乗り切れないものが必ずあるのだ。冷静に考えればそんなことは当たり前なのだが、それに中々気づけないのは何故なのだろう。


「年配の方には体罰を許容するって人も多いですけど、でもやっぱり、それが正しかったということは、どんなに時代を遡っても、一度も無かったと思いますよ。人間はやっぱ褒めなきゃならない。褒めて育てた方が絶対に良いと思いますよ」

「本当にそうだろうか? 俺だってよ、何も子供たちが憎くていつも怒ってるわけじゃないんだよ。口で言って聞くならそうしている。だが言って聞かない奴らだって中には居るだろう? 教師に暴力を働くものも。そういうのを相手にする時、俺たちは体罰に頼っちゃいけないのか」

「それは難しい問題でしょうね。教師だって人間ですから、手足の伸び切った子供に迫られたら怖いですよね。けれど、家庭の事情なのか、社会が悪いのかわかりませんが、彼らがそうなった理由が分からない限りは、やっぱり私達大人が根気よく向き合っていくしかないんじゃないでしょうか」


 縦川がそんなふうに諭すように言うと、外田はこれだから坊主は説教臭くて敵わないんだと言った感じに渋面を作った。


「それで俺たちが痛い目を見るから嫌だって言ってるわけじゃないんだ。子供をそういう状態のままで置いておくのがいいわけがない。そういうのを矯正するには、やはり体罰も少しは必要なんじゃないかと思うんだ。お坊さんは子供を育てことがないからわからないだろうが……


 そう、俺が部活の顧問をやってるからこそ言えることなんだが……俺は経験から褒めた時よりも怒ったときの方が人は成長するって知っている。巷の専門家は人を育てるには褒めろ褒めろの一点張りだが、実際に、俺は過去に野球部を指導する中で、叱ったほうが子供たちが伸びることを経験してきたんだ。


 例えば、凄くいいプレーをしたやつを褒めると、次の試合では必ずと言っていいほど慢心して調子を落とす。逆に失敗したやつはペナルティを課すと、挽回しようとして一生懸命になる。もちろん、例外は居るがそういうのは滅多にいない天才だ。それは今も昔も変わらないんだ。


 なのに世間は俺たちに、人を褒めろ、決して怒るなと言う。ちょっとでも怒鳴ればすぐパワハラだという。そして褒めて、慢心して、調子を落とした子供を更に慰めろなんていう。これでどうして人が成長が出来るっていうんだ? 失敗しても良いんだと思ったら、子供はみんな手を抜くぞ。手を抜いて練習しなくなる。だからそんなの、子供を指導したことのない奴らの、ただの理想なんじゃないだろうか?」


 なるほど……縦川はほんの少し分かった気がした。


 痩せても枯れても外田は指導者だ。彼は彼なりに考えて行動して、自分の経験から体罰の必要性を感じているのだろう。そして彼が言ってることは、概ね事実だ。


 ただ、一つだけ根本的に勘違いしていることがある。


 それは人間が機械ではなく、動物だと言うことである。


「先生、それは平均への回帰です」

「平均への……なんだって?」

「平均への回帰です。先生のおっしゃってることは実は非常に正しいんです。褒めたら調子を落とし、叱ったら調子を上げる。指導してると実際にそういう場面に多々出くわすのでしょう。でもそれは、先生が褒めたり叱ったりした結果ではなく、単なる統計上の錯覚に過ぎないんです」


 動物は機械と違って、常に一定のパフォーマンスを発揮できるようには出来ていない。波のように、調子には上がったり下がったりする傾向がある。必ず、調子が良いあとには悪い波がやってくるのだ。


「確かに私は教育者じゃありませんし、先生のように一家言あるわけでもありません。だから人の話を引っ張ってくるしかありませんが……


 ダニエル・カーネマンさんってノーベル賞学者さんがいるんですけど、彼は若い頃、イスラエル空軍でパイロットの教育プログラムを作成していたんだそうです。ある日彼は教官たちを集めた講義で力説しました。スキル強化訓練における重要な原則として、失敗を叱るよりも成功を褒めるほうが効果的だ。だから訓練生を決して叱らないで欲しい。これはハト、ネズミ、ヒト、その他のあらゆる動物実験で確かめられてる原則だと。


 もちろん、教官たちは反論しました。何故なら、教官たちも戸田先生と同じような現象に遭遇していたからです」


 とあるベテラン教官は叱ってはいけないという彼の言葉に反対した。彼は経験上、曲芸のような素晴らしい飛行をした訓練生が、一度褒めたら次には調子を落とし、同じことが出来なくなってしまい、逆に失敗した時に怒鳴り散らしたら、次にやる時は調子を取り戻していたということを、何度も目撃していたのだ。


 だから彼は、褒めるのは良くて叱るのは駄目なんて言わないでくださいと言った。ところが、カーネマンはちゃんと反論を用意していた。教官たちが言ってるのは、平均への回帰として知られる統計学上の現象に過ぎない。この場合、教官たちは訓練生の調子がランダムに変化したのを目撃しただけなんだと。


「ちょっと考えてみてください。教官たちが褒めるのは、当然ながら訓練生が平均をかなり上回る腕前を披露したときでしょう? そんなのはよほど調子が良い時じゃないとありえないから、大抵次にやる時は上手くいかないんです。


 逆に叱るのはどういう時でしょうか? 訓練生が調子を落として、平均を大幅に下回ったときでしょう。したがって、教官が叱ろうが何しようが、実は次にはもっとマシな結果が得られたはずなんです。


 我々人間だって動物ですから、調子の波がある。何もしなくても凄く調子がいいときもあれば、悪いときだってあります。訓練生は叱ったから上手くなったわけじゃなくて、単に調子が戻ってきただけなんです。


 ところが、教官たちは自分が叱ったあとに必ず訓練生の結果が良くなるから、人を育てるには叱るのが一番だと錯覚してしまったんですよ」


 これはもちろん、スポーツの世界にも当てはまる。世の指導者たちは選手を叱ったら結果が良くなるということを必ず体験するから、いずれ成功を褒めるよりも失敗を叱る方が効果的だと考えるようになる。


 すると実は選手を叱ることには何の意味もないのだが(寧ろ害悪)、自分の言葉には選手を奮起させる何かがあるのだと勘違いする。それがどんどんエスカレートしていって、世にパワハラ指導者ばかりが誕生することになるのだ。


 昨今、スポーツ界では選手による指導者へのパワハラ告発が相次いでいる。その際、マスコミの前に出てくる指導者たちが、まるで宗教みたいに自分は悪くないと言い張るからくりがここにある。彼らは本気で自分が正しいと思い込んでるのだ。もちろん、生来のクズ野郎もいるから一概には言えないが。


「どんなにコントロールがいいピッチャーだって、常にストライクを投げ続けることは出来ません。なのに、いちど逆球を投げたくらいで怒鳴り散らされたら、彼はどう思いますか。


 普段はサードを守るスラッガーが、紅白戦でたまたま調子がよくて、ピッチャーとして目を見張る活躍をしたとするでしょう? そしたら彼を大いに褒めて、ピッチャーにコンバートしますか? しないでしょう。


 世の指導者って、みんなこんなことばかりやってる。けどまあ、そうなるのも仕方ないでしょうね。叱るのは簡単だけど、褒めるのは難しい。だから簡単な方に飛びついちゃう。でも、本気で人を育てたいなら、褒めなきゃいけない。


 褒めるってのは、何も選手を(おだ)てろと言ってるわけじゃないんです。戸田先生みたいな強面が、いきなりニコニコしながら選手をリスペクトしだしたら、薄気味悪いですよ、逆に。人を褒めるってのは、煽てることではなくて、その人のことを認めるってことなんですよ。


 例えば、一生懸命練習して、球速が1キロ伸びたピッチャーがいたら、おまえ1キロ速くなったんだな、凄いなと言ってやる。長打力を上げたくて、筋トレを頑張ってる選手が居たら、お前最近筋肉太くなったんじゃないかと言ってやる。体を大きくしようとしてご飯を三杯食べてる選手がいたら、おまえが三杯食べてることを知っていると言ってやる。


 要するに、俺はおまえが頑張ってることを知ってるぞと言ってやればいいんです。ご飯三杯食べてるなんてバカみたいですけど、まずは認めてあげることです。そのうえで、間違ったことがあれば叱るのではなく、こうしたらどうかと助言してあげましょう。


 みんな好きだからそのスポーツをやってるんでしょう? 向上心がないわけないんですよ。なのにサボったり怠けたりするのは何故か? 面白くないからですよ。どうして面白くないのか? それは誰にも認めてもらえないからです。一生懸命やっても、誰にも認められないから面白くない。あなたは、彼らの承認欲求を満たしてあげたでしょうか。


 学生の指導だって同じことですよ。彼らはまだ自分が何者なのかが分からない。まあ、一生かかってもそんなものわからないかもしれませんが……とにかく、ここにいていいのか迷ってる。認められたい、認められたくておかしなことばっかやってる。俺は強いんだぞといきがって見せたり、YouTubeに変な動画を投稿してみたり。


 そんなことせずとも、おまえのことは俺が知ってるんだぞって、まずはご家族の方や先生方が認めてやんなきゃいけませんよね。叱るのではなく、褒めろってのは、要はそういうことなんじゃないですか」


 外田は縦川の言葉をムスッとした顔で黙って聞いていた。その顔は真っ赤に染まっていて、酔っ払ってるからなのか、それとも頭にきてるからなのか判別はつかなかった。目は充血していて、何か反論しようとしてるのか、唇の端っこがピクピク動いていた。けれど、縦川にはその顔が、不思議と怖いとは感じられなかった。


 それは彼が僧侶だからだろう。これが生業なのだ。


「坊主は説教臭くてかなわん」


 やがて外田はそう吐き捨てるように呟くと、フンッと鼻を鳴らして席を立った。そしてスナックのママに愛想のいい、少し弱ったような顔を見せながら、


「ママ、今日は愚痴を聞いてくれてありがとう。少し気楽になったよ」

「私は何もしてないわよ。それより、もう良いの?」

「ああ、誰に何を言われても、俺は俺だ。俺が正しいと思うことをやるだけだ……教師はつらいよ」


 外田はそう言うと、カウンターに万札を置いて店から出ていった。ママがこんなに貰えないと言うと、また絶対来るからお釣りはその時にでも……と言って受け取らなかった。


 カランカランとチャイムが鳴り響き、シュッと風の音を立ててドアが閉まると、店内にはしばしの間沈黙が流れた。


「……あれ、大丈夫なのかしら? またやっちゃわないかしらね」

「さあ。大丈夫だと思いますけど……」


 縦川はそう言うと、席を立って美夜の背中をポンと叩いた。少し時間を食ってしまったが、ここには美夜の腹ごしらえに来ただけで、本来の目的は上坂のお見舞いである。いつまでもぼんやりしていると面会時間が終わってしまう。


 準備中のところ無理言ったとママにお礼を述べてから、2人は店を出て、傘を開こうとして空を見上げた。


 来た時は真っ暗だった空が、いつの間にか晴れていて、間もなく西の空に真っ赤な太陽が沈もうとしているのが見えた。縦川は開きかけた傘を閉じると、隣で同じように傘を開きかけてまごついていた美夜の手を引いて病院へと向かった。


 その後、2人が病院に到着すると、医者や看護師達が走り回って何だか慌てている様子に見えた。上坂の病室にいた恵海に話を聞いてみると、どうやら上坂が寝返りを打ったらしい。


 眠り病の患者が寝返りを打つのは前代未聞のことで、もしかしたらこれは目覚める兆候かも知れないと言って、医者たちが慌ただしくしていたようだ。


 そしてその願望は間もなく本当になった。


 その日、上坂は1週間ぶりに目を覚ますと、まるで何事もなかったように起き上がり、そして5年間も眠り続けていたテレーズを起こすという、また新たな奇跡を起こしてみせたのである。


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