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七話(ディエムノクス)

 ディエムノクスは、早足で王宮の通路を歩いていた。

 普段は、笑顔で落ち着いている彼が、焦燥感もあらわに急いでいる様子は、城仕えの者達に不安を覚えさせる。

 何かあったのだろかと、誰もが気遣わしげな視線を背中に送った。


 平素であれば、彼らに心配をかけまいと振る舞えるだけの余裕があるディエムノクスだが、今現在の彼からはあらゆる余裕が失われている。

 ディエムノクスは、女王の元へ急いでいた。

 ――そしてセライアの女王は、座に息子が来るのを待っていた。


「母上!」


 いつになく険しい末の息子の様子に、動じた様子もなく笑みを見せる。


「どういうことですか、母上」

「なんだディー。突然」

「とぼけないで下さい。母上は、僕に言いました。ヒルゲネスの姫をもてなせと。……僕の花嫁となる人だからと」

「言ったな。それがどうした、可愛い息子よ」

「僕は、姫を拒絶なんてしていない。一度もです。でも、彼女の中に、セライアに嫁ぐという選択肢は残っていない」


 悄然と告げる息子を目にした女王は、とうとう笑い声を上げた。


「笑いごとではありません、母上。このままでは、姫はヒルゲネスに帰り、それっきりになってしまいます」

「そなたが、これほどまでに怒る様。母は、初めて見たぞ」

「茶化さないで下さい」

「茶化してなどおらぬ。……そなた、あの娘を気に入ったか?」


 薄く笑みを浮かべたまま問いかけてくる女王を、ディエムノクスは真っ直ぐ見つめ返した。

 しかし、ぽっと頬を染めると俯いてしまう。


「…………瞳が」

「うむ?」

「瞳が、星を散りばめた夜空のように、とても美しく煌めいていたんです」

「う、うむ」


 うっとりと語り出したディエムノクスに、女王は面食らった顔をしたものの、なんとか相槌を打った。


「それで、僕は思いました。なんて綺麗なんだろうと」

「…………息子よ」

「笑顔が見たいとも思いました。笑顔だけではない、もっといろんな顔が見たくて、いろんな話を聞きたくて…………、おかしなことに、僕は彼女のことが知りたくてたまらないのです」


 とうとう、女王は額に手を当ててため息をついた。


「……我が息子よ」

「はい、なんでしょう母上」

「…………お前が、ヒルゲネスの姫に一目惚れしたことは、理解した」

「…………一目惚れ?」

「なんじゃ、その顔は。無自覚か。…………娘が面白がるわけじゃな。――疎いそなたに、母が一つ有益な助言をやろう。ディエムノクス、そなたは姫に、自分のことを話したか? 相手を知りたいのも結構なことだが、自分という存在も相手に知ってもらわねば、なにも始まらぬのだぞ」


 ディエムノクスはハッとした。

 まさに、その通りだった。

 自分はまだ、あの姫になにも話していない。


「母上……」

「姫を手放せないと思うのならば、ヒルゲネスの姫がここに滞在する二週間の間に、見事あの娘を惚れさせて見せろ」

「惚れさせる……」

「思い思われてこその夫婦だ。……全力を尽くし、ルーナ姫の心を手に入れてみせよ、ディエムノクス」


 女王である母に向かって、ディエムノクスは生真面目に頷いた。


「うむ。健闘を祈るぞ」

 母の声援を背に歩き出したディエムノクスに、迷いはなかった。


 その後数日間、ヒルゲネスの姫をあちこちに連れ出すディエムノクスの姿が多々目撃された。

 まんざらでもなさそうに笑うヒルゲネスの姫の様子を知り、女王は息子の行動に満足したように頷いた。

 だが、ふと空を見上げ、顔を曇らせる。

 ……星が、ささやいていた。

 あの、吹けば飛ぶような姫の身に迫っている、影の存在を告げていた。

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