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【12:ウィンストン・バレットの辞退】

 リディル王国城の西の端に、翡翠の間と呼ばれる部屋がある。

 そこには複数の高位結界が張り巡らされており、特定の人間しか出入りができない。

 特定の人間とは即ち、国王と王国最高位の七人の魔術師、七賢人である。翡翠の間とは、七賢人のために用意された会議の場であった。

 翡翠の間は中央に円卓と椅子があり、部屋の四隅に結界維持の為の翡翠の柱が設置されている。ただそれだけの簡素な部屋だ。

 窓すら無いその部屋は、そのかわり天井がガラス張りになっており、陽の光も星の光もふんだんに取り込める作りになっている。これは七賢人が一人〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイの要望で作られた物だ。

 〈星読みの魔女〉は星の軌道で吉兆を占い、時に国の存続に関わる未来を読む占星術師である。そんな彼女が夜の会議でも星を見続けることができるよう、手の込んだガラスの天井が設けられたのだ。

 かくして、夜の会議では常に天井を見上げている〈星詠みの魔女〉だったが、昼間の会議ではというと、いかにも眠たげに大欠伸をしながら、だらしなく円卓にもたれていた。

 〈星詠みの魔女〉は、年齢不詳の化粧の濃い女だ。均整のとれた美しい肢体に薄い生地のローブを身につけており、緩く波打つ銀髪は椅子に座ると床に付くぐらいに長い。

 元々は侯爵家の人間で、深窓の令嬢でもあったのだが、七賢人に就任してからはすっかり昼と夜が逆転した生活になり、昼間は背筋を伸ばす気力すらないという有様だった。

「それでぇ〜。新しい七賢人候補について、あなた達はどう考えているのかしらぁー」

 語尾を伸ばした眠たげな声で〈星詠みの魔女〉が言えば、同じ円卓に座る残りの六人の表情も変わった。

 七賢人は対外的には七人全員が対等であるとされているが、実際は七賢人に就任してからの年数で序列ができている。

 そして〈星詠みの魔女〉は七人の中で二番目に就任歴が長い、いわば年長者であった。大層な若作りなので分かりづらいが。

 その年長者の促す言葉に真っ先に反応したのは、全身にジャラジャラと派手な装飾品をぶら下げた五十歳前後の男〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンであった。

「我輩は〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロン殿が良いと思いますな! いやぁ、彼の遠隔魔術は若いのに立派なものです。なにより、諸公方も彼を推しておられる。間違いありますまい!」

 〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンは国内の有力貴族クロックフォード公爵に支援されている。

 そして、この〈宝玉の魔術師〉はクロックフォード公爵と懇意の仲であった。分かりやすい贔屓に、他の者は声に出さずに苦笑する。

 次に口を開いたのは、四十代半ば程度の黒髪と口髭の大男〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストン。

「俺ぁ、強い奴がいい! 今日は七賢人候補四人を戦わせるんだろ? どうせなら、俺も混ぜてもらって、ドッカンドッカン派手にやり合いたいもんだなぁ!」

 そういって〈砲弾の魔術師〉は口髭を弄りながら、ガハハ! と豪快に笑う。

 その馬鹿でかい大声に、隣に座る紫色の髪の青年〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトが、不愉快そうに顔をしかめた。

「……オレはどうでもいい。興味無いし、好きに決めれば?」

 あからさまに投げやりな態度を取る、〈深淵の呪術師〉の横で、彼と同じ年ぐらいの薔薇色の巻き毛の青年〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグが快活に笑いながら言う。

「レイはいつも投げやりだなぁ! オレは、うーん、そうだな。面白い奴がいいと思う! 〈沈黙の魔女〉って、無詠唱魔術の使い手なんだろ? どんな感じなのか見てみたいなぁ!」

 〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグは魔女を名乗っているが、まごうことなく男性である。

 彼は伝説の魔女〈茨の魔女〉を継承するローズバーグ家の五代目〈茨の魔女〉であるため、男性でありながら魔女の肩書を名乗っているのだ。

 なお、本人は肩書きなど大して気にしていないらしい。能天気で大雑把で陽気な青年である。

「それと、〈竜殺し〉のルイス・ミラーも面白そうだよなぁ……あぁ、いけね。〈竜殺し〉じゃなくて〈結界の魔術師〉だっけ? 確かヴェルデさんの娘の婚約者なんだろ?」

 〈茨の魔女〉に話を振られた、ダークブラウンの髪の五十歳程度の男〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデは硬い表情を浮かべて、ゆっくりと口を開いた。

「……私は推薦はしたが、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーを贔屓するつもりはない。私の後任となる七賢人は、皆様方の意見を踏まえた上で、最良の選択をすべきだと考える」

 淡々と〈治水の魔術師〉がそう言えば、〈宝玉の魔術師〉がここぞとばかりに声を張り上げた

「そういえば! ヴェルデ殿のご令嬢は先日大変な事故に遭われたとか! いやはやなんとも不幸な事故であったなぁ! しかも、騎士団の詰め所で起こった事故というではありませぬか。騎士団の詰め所と、魔法兵団の詰め所は目と鼻の先! それなのに婚約者殿は何をしておられたのか。いやはや、なんとも不甲斐ない!」

 露骨にルイス・ミラーを貶めようとする〈宝玉の魔術師〉に、何人かが冷たい目を向ける。

 そんな中、興味無いと明言していた〈深淵の呪術師〉が頬杖をつきながら、ボソリと呟いた。

「……最近はオレや、そこの〈茨の魔女〉みたいな若造が増えたから、あんたらはこれ以上若い七賢人を増やしたくないんだろ? だったら、候補者の中で最年長の〈飛翔の魔術師〉でいいじゃないか」

 〈深淵の呪術師〉の言葉に〈宝玉の魔術師〉は露骨にギクリと肩を震わせた。

 〈宝玉の魔術師〉としてはこれ以上若造を増やしたくはないが、それでもクロックフォード公爵の顔を立てたいといったところか。

(……全体的に、票は割れてる感じねぇ〜)

 〈星詠みの魔女〉は円卓をぐるりと見回し、最後は隣に座る最年長の七賢人〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズを見た。

「サンダーズ様は、どう思いますぅ〜?」

 〈星詠みの魔女〉が唯一「様」という敬称をつけて呼ぶ〈雷鳴の魔術師〉は、齢八十一歳のご老人であった。

 ぶかぶかのローブに埋もれている小柄な老人〈雷鳴の魔術師〉は、真っ白な髭の奥で口をフガフガと動かす。

 七賢人の中で最も就任歴が長い、最年長の魔術師の言葉に誰もが耳を澄ませる中、〈雷鳴の魔術師〉は厳かに言った。

「……朝ごはんは、まだですかのぅ?」

「サンダーズ様、もうお昼ですわ〜」



 * * *



 ルイスは風の魔術で城のそばまで移動すると、右手の杖を優雅に一振りして着地した。

 魔法兵団の詰め所なら、団長が窓から入っても誰も文句を言わないのだが、流石に城に窓から入るわけにはいかない。まして今日は七賢人の選考が行われる日なのだ。

 ルイスはサッと身嗜みを整えると、懐中時計で時間を確認した。遅刻という訳ではないが、少々ギリギリの時間になってしまった。

(王都の図書館を回っていたら、随分と時間がかかってしまいましたねぇ……)

 やれやれと息を吐いて、少しばかり乱れた前髪を指先で整える。

 ロザリーの転落事件があった日から、彼は時に睡眠時間を削り、時に仕事をサボり、諸々の調査と準備に明け暮れていた。

 おかげで、だいぶ真相が見えてきている。まだまだ不明な点はあるが、凡そ自分の考えている展開で間違いはないだろう。

(……あとは、詰めを間違えないようにするだけ)

 ルイスはマントの裾を翻し、堂々とした態度で正門へ向かう。すると、丁度ルイスが正門の前に辿り着くのと同じタイミングで、城を出てきた人物がいた。

 年齢は三十歳前後。短い鳶色の髪のヒョロリと細い男だ。

 魔術師が持つ杖を手にしているが、ローブやマントは身につけておらず、動きやすく温かな革のジャケットを羽織っている。

 ルイスは彼の顔に見覚えがあった。

「失礼、貴方は〈飛翔の魔術師〉ウィンストン・バレット殿では?」

「ん? あぁ……あんたは確か〈結界の魔術師〉の……」

「覚えていただき光栄ですな。魔法兵団団長〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーと申します」

 ルイスが優雅に一礼すれば、ウィンストンは頭をかきながら「はぁ、どうも」と雑に頭を下げた。

 〈飛翔の魔術師〉ウィンストン・バレットは飛行魔術の天才であり、ルイス同様七賢人候補の一人でもある。候補者の中では最年長で実績も多く、七賢人選抜における最大の障害だ。

 その男が、何故これから選抜が始まるというのに城を出て行こうとしているのか。

「失礼ですが、どちらへ? もうまもなく選抜が始まるのでは?」

 ルイスが疑問を口にすると、ウィンストンは「あー」と気怠げな声を漏らして、肩を竦めた。

「俺は、今回の選抜を辞退することにしたんだ。元々、七賢人なんてガラじゃないし。自由に空飛んでる方が性に合ってる」

「……なんと」

 それは驚きではあるが、嬉しい想定外だ。今回の七賢人選抜における最大の敵が辞退。

 ルイスは思わず笑い出しそうになるのを堪え、不思議そうな顔で首を傾げてみせた。

「よろしいのですか? 貴方は地方貴族の方々から厚い支援をされていると伺いましたが」

「あー、なんかそういうのも重くてさぁ。俺はただ、自由に楽しく空を飛べればそれでいいわけよ。そりゃ国の一大事なら、ひとっ飛びして伝令程度の仕事はするけど、それ以上の重荷を背負いたくないんだわ」

「それは、それは……」

 ルイスは理解に苦しむような顔をしつつ、マントの下で拳を握りしめていた。

 ライバルが一人脱落。しかも最も警戒していた〈飛翔の魔術師〉が!

 残る競争相手は、雑魚の〈風の手の魔術師〉と、十五の小娘である〈沈黙の魔女〉だけだ。

(……これは僥倖)

 堪えきれず込み上げてくる笑みをルイスが手袋の下に隠していると、ウィンストンはボソリと呟いた。

「それに、俺は『魔法戦』が得意じゃないからなぁ」

 魔法戦とは、特殊な結界の中で行われる、魔術師による模擬戦闘のことだ。魔法兵団でも訓練の一環としてよく行われている。

「魔法戦が選抜の全てではないと、お聞きしましたが?」

「それでも、あんたらみたいな化け物とやり合う気にはならないさ」

 ウィンストンの言葉に、ルイスは眉をひそめる。

(……あんたら?)

 自分が化け物呼ばわりされたことはさておき、ウィンストンが口走った「あんたら」という複数形が気になる。

 七賢人候補は、ウィンストンとルイスを除けばあと二人。

 〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンと、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。

 アドルフとは学生時代に何度も魔法戦をしているが、戦績はルイスの全戦全勝である。アドルフは遠距離からチクチクと嫌らしい攻撃をするのは得意だが、さほど火力はない。距離を詰めてしまえば、アドルフなどそこらの中級魔術師と大差ないのだ。

(……残る一人のモニカ・エヴァレットとは面識がないんですよねぇ)

 無詠唱魔術は確かに驚異だが、幾らでも対処のしようがある。

 ルイスが訝しげな顔をしていると、ウィンストンはルイスを見て肩を竦めた。

「あんたの噂も聞いてるぜ。優男の癖に、竜を殺しまくってる結構な武闘派だとか、貴族に媚びうるためには手段を選ばないとか、ミネルヴァを半壊した問題児を弟子にしたとか……そこまでして七賢人になりたいのかい?」

「えぇ、なりたいですね」

「好きでもない女と婚約してでも?」

 ウィンストンの目は、権力におもねるルイスに対する嫌悪感が滲んでいた。

 そんなウィンストンに、ルイスは冷ややかな眼差しを向ける。紫がかった灰色の瞳を、剃刀のようにギラリと鋭く輝かせて。

「それは下衆の勘繰りというものです。私はロザリーを愛しておりますので」

「どうだかねぇ」

 小馬鹿にするように、ウィンストンはルイスを鼻で笑う。ルイスのことが嫌いというより、権力者に媚びを売る人間が嫌いなのだろう。

 そんなウィンストンに、ルイスは大抵の女性は骨抜きにできそうな、それはそれは美しい笑みを向けて告げる。

「あなたがそれ以上妄言を垂れ流すのなら……私はあなたを七賢人選抜の場に引き摺り出し、二度と歯向かう気が起きなくなるまで、魔法戦で叩きのめさなくてはいけなくなるのですが」

「優男ヅラで、とんでもなく物騒なこと言わないでくれ。チビるだろうが」

 ウィンストンは降参とばかりに両手を掲げる。その体が、ふわりと宙に浮かび上がった。ウィンストンお得意の飛行魔術だ。

「結界に閉じ込められて、ありったけの攻撃魔術叩き込まれるのはゴメンなんでね。ここらで退散させてもらうよ」

 その言葉を最後にウィンストンの姿はかき消えた……否、消えたと錯覚するほどの速さで上空に飛び上がったのだ。

 ルイスが上空に目を向けた時には、もうウィンストンの姿は見えなくなっていた。〈飛翔の魔術師〉を名乗るだけのことはある。

(〈飛翔の魔術師〉は、少なくともアドルフよりは圧倒的に格が上……)

 その彼が「化け物」と称した存在は何なのか。一抹の不安が胸をよぎるが、些細なことだとルイスは黙殺する。

 何が出てこようと、七賢人になるのは自分なのだ。


(……そのために、したくもない我慢を続けてきたのだから)


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