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運命の赤い糸は、僕にはただの足枷だった  作者: 美濃由乃


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8/9

簡単に変わってしまうもの


 自分の母がどんな人間なのかを、多希は理解していた。いや、分かっている気になっていただけなのかもしれない。

 あれ以来というもの、千聖とうまくやっているかという事しか聞いてこない母は、娘のように可愛がっていたはずの由花の話題を、一切口にしなくなってしまった。

 まるで由花という人なんて、初めからいなかったかのように。


 母親以外にも、多希の周りの環境は、数日のうちにすっかりと変わってしまっていた。


 朝は由花と一緒に登校して、学校ではクラスメイトに囲まれながら由花と楽しく過ごし、学校が終われば、放課後は由花と一緒に寄り道し、多希の家で遅くまで一緒に過ごしていた。

 それくらい、多希の一日の中には、ほぼ由花がいたのだ。


 だというのに今は、朝は千聖が迎えにくる。決まった時間に必ずチャイムがなり、玄関を開ければ、晴れやかな笑顔の千聖が立っている。もちろんその後ろにはあの派手な車が待機していて、開いた窓から千聖の父親が手を振っている。


 由花と歩いていた通学路は、快適な運転の車に揺られていればすぐ終わってしまう。広いスペースがあるというのに、触れてしまいそうなほど近くに座る千聖は、そのすぐに終わる時間、終始幸せそうな笑顔でいる。


 登校したあとも、由花の出番は回ってこない。学校でも千聖がクラスまでやってきて、丁寧に皆に挨拶をしてから、多希の隣にそっと寄り添う。

 まるで、ここにしか自分の咲ける場所はないとでもいうように。


 そんな慎ましい千聖を、クラスメイトたちも微笑ましく見守ってくる。前までは由花との仲を揶揄ってきた友人たちでさえ、今は千聖との関係ばかり聞こうとする。由花の話題なんて、一日に一回あればいい方だった。


 学校が終わったところで状況は変わらない。約束通り、帰りも迎えに来ている車まで千聖を送れば、当然の流れで千聖の家に行くことになる。毎日夕食までご馳走になり、夜遅くまで千聖一家と過ごしたあとは、一家総出で家まで送ってもらうという、贅沢極まりない状況。


 それが毎日だった。本当に毎日。

 今では、これが多希の日常である。

 自由な時間なんてなく、由花とはまったく一緒に過ごせなくなっていた。


 千聖が学校になれたら落ち着くだろう。そんな多希の想像はまったくの的外れで、日に日に千聖の影響は強くなっていく。


 クラスメイトたちだけでなく、学年の知り合いさえも、多希が千聖と付き合っていると勘違いしている者が増えていた。

 それでも友達には、否定して説明するだけでいいぶん、まだマシだった。

 話しも聞いてくれない家族の変化は、多希にもどうしようもなかったのだから。


 毎日のように千聖の家から何かしらを貰い、すっかりとこの状況に慣れてしまった多希の母。今では千聖の家まで何度も食事に招待してもらったりして、最近は明らかに浮かれていた。


 親同士でのやり取りがかなり親密になり、初めのような遠慮もなくなっていた。千聖一家が下手になってお願いしてくるという状況も、多希の母を増長させる要因だったのかもしれない。


 多希が気が付けば、母は初めて見るようなアクセサリーや衣類を身に着けるようになっていた。

 そのどれもが高価そうなもので、多希にも一目で千聖家からの頂き物と分かるような品ばかり。

 初めは食品などの手土産だけだったのに、直接母が千聖家に出向くようになってからは、貰い物のパターンも増え、多希には度を越えているようにしか思えなかった。


 ただ家にいるだけなのに、まるでセレブの仲間入りでもしたような服を着て過ごす母。多希からすると、まるで似合っていない恰好をして悦に入るその姿は、酷く滑稽で醜く、率直に言えば、気持ち悪いものだった。

 そんな母親が言ってくることはといえば、今はほぼ定型文のように決まっていた。


「もっと千聖ちゃんのために役に立ちなさいよ」

「絶対に将来も千聖ちゃんを逃がさないようにね」

「幸せものねアンタは、千聖ちゃんみたいな幼馴染がいて」


 多希は今の母が、もうこの状況を手放したくないのだろうと思っていた。

 最近は千聖の母ともすっかりと仲良くなり、時間があればどこかに連れて行ってもらっていて、そのたびに帰ってくる母は浮かれていた。


 何の苦労もせずに、高価な品が手に入り、今までは諦めていたようないい食事をしているようだ。全て千聖家の力で。

 自分は何の対価も支払わず、これだけのいい想いをしているのだ。最上級の甘い蜜を吸い続けてしまったら、元の水準で我慢するのはかなり苦労するだろう。


 あれだけ由花を大切にしなさいと言っていたのに、今ではそれが千聖にすっかりと置き換わっている。由花を自分の娘のように可愛がっていたのは、まったくの別人だったのだろうか。

 真剣にそんな可能性を多希が考えてしまうくらいには、母は変わってしまっていた。

 まるで、与えられる高価な物のことしか考えられなくなり、これまでの大切な記憶をなくしてしまったかのようだ。


 すっかりと変わってしまった母の今の姿は、多希からすると財産目当てで千聖に近づいてきた人たちと同じにしか見えなくて、それが本当に嫌でたまらなかった。

 今の母は、本当の自分の親ではないと、現実から目を背けたくなるほどに。


 多希は限界だった。

 千聖の気持ちは疑っていない。本心から慕って頼ってくれていると感じるし、大変な時期に力になれたのも嬉しかった。

 けれど、多希自身が何もしていないせいか、感謝されてもいまいち実感がわかないのだ。


 千聖一家から向けられている全幅の信頼と感謝。多希はそれを心から享受することができない。

 むしろ、母へ貢がせているかのような気がして、その余波で、自分も悪いことをしているような気さえしていた。


 だというのに多希の母は、お構いなしにその幸運を貪っている。

 まるで多希を、ツキを呼び込む便利グッズとでも思っているのかもしれない。多希を千聖に差し出して、その代わりに、自分が欲しいものを次々と遠慮なく手に入れている。


 それだけで反吐が出そうな気分だというのに、何よりも多希が我慢できないことは、多希の生活から由花という存在が消失したことだ。


 朝も帰りも千聖の父親の送り迎えで、由花と一緒に登校することはなくなったし、放課後や夜は、そもそも多希が家に帰れない。

 少し前までの生活が嘘のように、多希の生活から、由花という存在がきれいになくなっていた。多希にはそれが我慢ならない。

 せめてもの抵抗で、多希はこの休日こそは由花と過ごすつもりだった。なのに、


「あら、出かけるの? もしかして千聖ちゃんのとこ?」


 待ちに待った休日。邪魔が入らないうちに、由花の家に行こうとしていた多希は、玄関で母親に声をかけられた。

 煌びやかなアクセサリーを過剰に身に着け、まったく似合っていない衣服を自慢げに着ている滑稽な姿を見ても、もう多希はまったく笑えなくなっていた。


「違うよ。ちょっと由花のとこに行ってくる」

「え? ちょっと待ちなさい!」


 そのままお気楽に過ごしていればいいと、そう思って多希は投げやりに返事をしたのだが、慌てた母親に呼び止められてしまった。


「由花ちゃんのとこってあんた、止めておきなさいよ」

「え、な、なんで?」


 そんなふうに言われるとは、多希としても意外なことだった。

 最近の母は、新しく手に入れた衣類やアクセサリーのことで頭がいっぱいで、話しかけても心ここにあらずということが多かったからだ。

 珍しく引きとめてきた理由を問えば、少し気まずそうに視線を逸らされる。その仕草が、またなんとも多希をイライラさせた。


「この前久しぶりに由花ちゃんのお母さんと話したのよ。あんたたちもういい年なんだから、今までのようなことは控えさせようって」

「なんで? どうして急にそんなこと」

「だって高校生の男女が夜遅くまでお互いの部屋にいるなんておかしいでしょ? 普通に考えてみなさいよ」

「でも今更じゃない?」

「むしろ今だからでしょ。千聖ちゃんに変な誤解でもされたらどうするのよ」


 どうして由花の話しをしてたのに千聖の名前が出てくるのか、多希にはそれが理解できなかった。


「千聖ちゃんは今は関係ないじゃん」

「関係大ありでしょ? あんたが他の女の子を夜遅くまで部屋に入れてるなんて知ったら、千聖ちゃんがかわいそうじゃない?」

「なんで? 別に付き合ってるわけでもないのに」


 多希としては至極当然の疑問だった。どうして彼女でもない女の子のために、由花と会うことを我慢しなければならないのか。

 多希にはその理屈が何一つ理解できない。それなのに、母からあからさまに呆れた顔をされ、心の中ではイライラが爆発してしまいそうだった。


「あんたねぇ、千聖ちゃんのこと、もっと真剣に考えてあげなさいよ。将来も決まってるようなものなんだから」

「いやだからなんで? そもそも将来ってどういうこと?」

「千聖ちゃんのご両親からも、将来はぜひ娘をよろしくって言われて話しは済んでるんだから」


 多希は開いた口が塞がらなかった。「浮気だって思われたら大変でしょ。ちょっとは考えなさい」と偉そうに言い残し、リビングに入っていく母親に声もかけられない。

 多希はさすがに冗談だと思いたかった。けれどもし冗談じゃなかったら、そう思うと、確認することすら怖くなってしまう。


 結局、母を追いかけて問い詰める気力もなく、多希は呆然としたまま由花の家に向うしかなかった。

 停止しそうな脳を無理に動かし、外から回り込んで由花の部屋に向かう。もし由花の家族が出てきたら、家に入れてもらえないかもしれないからだ。


「由花、由花聞こえる?」

「…………多希?」


 窓を軽くたたいて静かに声をかけると、由花が窓を開けてくれた。

 毎日学校で顔は見ているとはいえ、二人きりで顔を合わせるのは久しぶりで、嬉しくなった多希は思わず声を上げそうになった。

 が、口に人差し指をあてるジェスチャーをする由花を見て口をふさぐ。手招きする由花に従って、多希は窓から静かに部屋にあがった。


「あのね、ママとパパから多希とはもう遊ばないようにって……」


 由花が気まずそうに目を伏せる。開口一番から話題としては最悪な類のものだった。

 多希の母親が言っていたことはどうやら本当らしい。それが証明されたところで多希は何一つ嬉しくなかったが。


「僕も言われたよ。親同士で話し合って決めたって」

「それでなんか行きづらくて、ごめん」

「いや、由花が謝ることじゃないよ」

「急に言われたんだけど、これってやっぱり千聖さんの影響なの?」


 由花にもなんとなく想像はついていたらしい。多希は先ほど母親から聞いたばかりのこと、最近の母と千聖一家の関係を、由花に全て伝えることにした。


「ぇ、それってつまり、多希と千聖さんが、その……」


 言葉を濁す由花に多希は頷く。


「冗談、だと思いたいけどね」

「そっか、それで私が多希と一緒にいると困るから、だから急に」

「うん。うちの親が勝手に話しをしたみたいだね」

「私たちは蚊帳の外だね」


 沈痛な面持ちで笑う由花からは、気力をまったく感じない。まるで全てを諦めてしまっているかのようなその姿に、多希は胸が痛んだ。


「こんなふうに親に勝手に決められるなんて、僕は嫌だ」

「それは私もそうだけど、でもどうしようもなくない?」


 実際そうなのかもしれない。多希と由花はまだ子供で、現状は親の決定に従うことで生きている。

 やりたいことがあったとしても、将来進みたい学校ができたとしても、結局は親次第。自立できるような経済的な力は持っていない。

 でもやっぱり納得できないことはあるし、声に出さないと伝わらないこともある。多希は諦めきれなかった。


「ねぇ、二人でうちの母さんに抗議しようよ」

「そんなことして意味あるかな?」

「わからないけど、でもこうして隠れてしか由花に会えないなんて僕は嫌だよ」

「わ、私だって嫌だけどさ」

「僕だけだと全然話しを聞いてくれないんだ。それでも僕はなんとか撤回させたい。だからお願い由花、力を貸して」

「そ、それってつまり多希はその……」


 由花はどんどん声が小さくなり、そこで固まってしまった。言葉の続きを真剣に待っていた多希だが、由花はどんどん顔が赤くなるばかりで、ついには顔をそらされてしまう。


「だ、ダメかな?」

「ダメじゃない。一緒に行ってあげる」


 拒否されてしまったかと愕然としていた多希だったが、由花の返事は、いい意味で想像とは違っていた。由花も同じ気持ちでいてくれている。それが何よりも多希を安心させてくれたのだった。

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