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運命の赤い糸は、僕にはただの足枷だった  作者: 美濃由乃


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歓迎の理由


 これまでの千聖の声にはなかった重苦しい何か。それを感じ取った多希は、真剣な表情の千聖に黙ってうなずいた。

 部屋のソファーに促された多希。正面には千聖だけでなく、両親が千聖をはさんで座り、気遣うようにそれぞれが手を握っている。


「私ね、実は引っ越した先で新しい生活に馴染めなくて、精神的にまいっちゃって、それで身体も壊しちゃったんだ……」


 三人の様子から、楽しい話しではないのだろうと予想はできていた。そんな多希の予想通り、千聖の口から伝えられた話しは、まったく楽しい過去ではなかった。


 父親の事業が成功したことで一気に成り上がり、誰から見てもお金持ちといえるくらいのステータスを手に入れた千聖一家。事業のために引っ越しをした先で、間違いなく生活水準は高くなったそうだ。

 そうして千聖はある私立の学校に入学する。他にもお金持ちの子供たちが通うような、由緒ある伝統校。家族みんなで喜んでいた……のは、初めのうちだけだったそうだ。


 千聖はそこでの新しい人間関係に苦労することになる。そこでまともな交友関係を築くには、これまで千聖が使うことなく、まったく知りもしなかった作法を覚えなければならなかった。

 苦労して今のような所作を身に着けた千聖。もちろんそれで終わりではない。そこからがもっと大変だったのだから。


 一代で成り上がった千聖の家は、いわゆる成金だ。代々続いている名家、そういうふうに呼ばれる家の子供たちが多くいたその学校では、千聖は毛嫌いされるかバカにされることが多かったらしい。

 それでもバカにしたりせず、仲良くしてくれる子供たちもいた。これならなんとかやっていける。千聖は、少しの間でもそう思っていたことを、酷く後悔したそうだ。


 何故なら、千聖と仲良くしてくれていた子供たちは、みんな千聖の家のお金が目当てだったのだから。

 千聖の家より立場が低い家の出身で、単に仲良くしていればいい想いができると考えていた子供。

 同じような成金の家で、千聖と子供を結婚させ、財力を高めようと画策する親から言われて近づいてきた子供もいた。

 みんな見ているのは千聖ではなく家の財力で、千聖はそれを手に入れるためのとっかかり。

 そんなふうにしか自分は見られていないのだと、そう気が付いたあとは、千聖は誰も信じることができなくなっていた。


 初めて会う人は誰も信じられず、酷い疑心暗鬼になり、次第に精神がすり減っていく。

 そのうち食べ物があまり喉を通らなくなり、食事量が激減。そうなれば当然、肉体もおかしくなる。

 そういう負の連鎖に陥った千聖は、すっかりと体調を崩してしまい、ふさぎ込んだ毎日を送っていたそうだ。

 そんな暗い毎日の中で、千聖の支えになったのが、


「多希君との思い出だったの。私は多希君のおかげで救われた」


 多希としては、そんな大層なことをした覚えはまるでない。が、そう語る千聖の目は本気そのものだった。


 千聖の周りの環境が変わる前、つまりは父親の事業が成功する前、千聖がまだ普通の家庭の子供だった頃、一緒に過ごしていたのは多希だ。

 お金や損得勘定で自分の周りにいたのではなく、純粋に千聖という人間と一緒にいてくれた。少なくとも千聖にとって、そう断言できる唯一無二の存在が多希だったのだ。


 千聖は辛いときは必ず多希のことを思い出し、自分を励ました。多希と過ごした何気ない楽しい時間のおかげで、なんとか心を保つことができたそうだ。

 そして千聖の両親も、多希が大切な一人娘の心の支えになってくれていることを知っていた。だからこその、この歓迎なのだろう。


 結局、それでも娘のためにと、両親は落ち着いてきた事業を他人に任せて、多希のいる地元に娘を連れて戻ってくることにしたそうだ。

 ちなみに高校が一緒になったのは本当に偶然なのだとか。千聖は学校で手続きを終えたら、多希の家を訪ねるつもりだったらしい。


「多希君と一緒に過ごした時間がなかったら、きっと私は壊れてたと思う」

「助けになれたのはよかったけど、こんな話を聞いたら、忘れてた自分がますます情けないよ」

「ふふ、気にしないで。幼い頃のことだもの、仕方ないわ……そうだ!」


 千聖は急に立ち上がると、机の引き出しから、丁寧な手つきで小さな箱を持ち出してきた。

 目の前で慎重に開かれた箱を多希は覗き込む。さぞ高価な宝石でも入っているのかと思えば、そこに入っていたのは、赤い色の毛糸のようなものだけだった。


「ちょっと恥ずかしいのだけど、思い出してくれないかな?」


 そう話す千聖は、また熱中症になったかと心配になるほど顔を赤くしていた。それでいて期待のこもったような視線を多希に向けてくる。

 初めは何なのか分からなかった多希も、その反応を見ていれば思いつくことがあった。


「え、もしかして、これって運命の赤い糸?」

「そう! 覚えててくれて嬉しい!」


 千聖の今日一番の大きな声。多希は若干ひるみながらも、酷く納得した気持ちだった。


 幼い頃に、お互いの小指に結んだ赤い毛糸。多希は由花との記憶だと思い込んでいたけれど、本当は千聖との思い出で、だから由花がまったく覚えていないのも当然のことだったのだ。


「ずっと取っておいたの?」

「私にとっては大事な思い出の品だったから、ちょっと恥ずかしいけど」

「あはは、僕もなんかちょっと恥ずかしくなってきたよ」

「実は昔の写真のアルバムもあるのだけど、見る?」

「いやいや、これ以上恥ずかしいのは勘弁で」

「そう? 残念。私は毎日見て過ごしてたのだけど」


 丁重な手つきで箱を閉じる千聖。本当に大事なものを扱っているのだと、何も言わなくてもその仕草が物語っていて、両親もそんな千聖を微笑ましく見守っていた。

 あたたかな空気に包まれる千聖一家を見て、多希は自分との思い出を、千聖が本当に大切にしてくれていたことを実感した。

 だからこそ、話を聞くまえ以上に、千聖たちの好意に甘えたくはなかった。


「再会を喜んでもらえる理由はわかったよ。けどそういうことなら、尚更食事なんてご馳走になれないよ」


 千聖の話しを聞いた多希は、話を聞く前より遠慮するべきだと思った。正直に言えば、多希は千聖に罪悪感すら感じていたから。

 自分との思い出を、大変な時期に心の支えにしてくれるほど、それほど大切にしてくれていた千聖。それに対して多希はといえば、記憶が曖昧だっただけでなく、千聖との思い出を、由花との思い出だと勘違いまでしていたのだ。

 そんな自分が、千聖一家から感謝されたままでいいのだろうか。そう考えたとき、多希はとてもじゃないが、いいとは思えなかった。


「思い出してくれただけで私は嬉しかったよ。それにね」


 千聖はそんな多希の罪悪感を取り払うように、多希の手をそっと握ってくれた。


「多希君はやっぱり向こうで会った人たちとは違うんだって思えて、だから私たちは嬉しかったんだよ」


 千聖の言葉に合わせて二人も頷いている。


「だから遠慮しないで、お願い、私の我儘を聞いてほしいの」

「…う、うん」


 必死な様子に流されるまま頷いてしまう多希。その瞬間、千聖が今日一番の笑顔になった。

 見た者を釘付けにしてしまいそうな可憐な笑顔。その笑顔の理由を聞いたとはいえ、まだ実感のない多希には、素直にそれを受け取ることができなかった。




 それから、多希は夜遅くまで千聖の家で過ごした。食事は多希が想像していた以上に豪華なもので、多希は度肝を抜かれっぱなしだった。


 物凄く盛り上がった食事会のあと、千聖家の面々に泊まっていくように誘われるも、そこだけは鋼の意思で遠慮。ならばせめてという千聖の父親に、家まで送ってもらうことになり、当然のように千聖も一緒についてくることに。


 一応家に連絡をいれたとはいえ、多希は母から怒られることは覚悟していた。のだが、それすらも千聖一家がなんとかしてしまった。

 何やら大量の荷物があることは、多希も気が付いていたのだが、まさかそれが全て手土産だとは思いもしていなかった。


 はじめは困惑していた多希の母だったが、久しぶりに会うお隣さんを、会話の中で思い出したらしい。お互いの親同士で会話が盛り上がり、たくさんの手土産を渡されたときには、気づけば勝負は決まっていた。


 手土産はすべて高価な食材や粗品。安物は一つもなく、その全てが値の張るもので、多希の母は目を見開いて驚いていた。

 しまいには、今度お食事に招待すると誘われて、すっかりと気をよくしたらしい。普段は絶対にしないというのに、意味もなく多希のことを褒める始末。

 あまりみることのない母の顔を見て、多希はなんとなく気まずかった。


 母は直接挨拶にきた千聖のことも大層気に入ったらしく「ちゃんと大事にしなさいよアンタ」や「千聖ちゃん、どうかうちの息子をよろしくね」とか、調子のいいことを言っている。

 聞き流せばいいものを、千聖はそんな母の言葉に全力で頷いていて、多希からすると、それがまた気恥ずかしかった。


「明日から同じ学校だね。よろしくね多希君」

「千聖を頼むよ多希君。キミがいてくれると思うと私も安心だ」


 別れ際に全幅の信頼を寄せていった千聖親子の車を、多希は見えなくなるまで見送った。

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