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騎士団幻覚事件1

 騎士団長と副団長が慌ただしく部下に指示を出している。

 急遽王宮内を王子が歩き回ると宣言されたことで、護衛の編成がまさかの医務室で始まった。

 怪我の治療中だったルーフェンが真っ先に護衛にと手を挙げたが、医務官見習いのシリルからドクター(見習い)ストップを食らって動けなくなる。腕の包帯を巻いたのがアレイヤだったので、できれば今日と明日は傷に配慮した動きをしてほしいことと、いくら訓練とは言っても実戦ではないのだから避けられる怪我は避けるべきだと注意すると大きな体が小さく見えるほど落ち込んでしまった。


「えーと、ルーフェン様。今の内にリボンをお返ししますね」


 ドレスのポケットに入れておいたルーフェンのリボンを取り出して差し出すと、ゆっくりと受け取ってくれた。


「……すみません、アレイヤ様のリボンは今手元にはなく」

「別の機会で大丈夫ですよ。何もこれで会うのが最後というのでもないでしょうし」


 今生の別れでもなければ命より大事なリボンだったわけでもない。

 アレイヤの緑のリボンよりも、ルーフェンの紺のリボンの方が持っている意味の価値は高い。

 ノルマンド家が用意してくれたものだからあげるわけにはいかないが、いつか返してくれるのならばそれでいいと思う。


「分かりました。その際はぜひ、今回のお礼もさせてください」


 そう言って、ルーフェンはアレイヤの巻いた包帯を撫でた。


「楽しみにしてます」


 見返りがほしくて手伝いを名乗り出たわけではないが、リボンを返す際の誘い文句に使ってくれればいいだろうと考えて了承した。貴族のめんどくささはもう十分に知っている。


「ノーマン、君今とても良い顔をしてるんだけど、自覚はある?」

「あります。ご指摘感謝いたします、殿下」

「それ、自覚ない時の言い方じゃない? まぁ、いいけど」


 アレイヤの耳にも届いていた会話に混ざる余裕はなく、レオニールはアレイヤを呼んだ。

 護衛に付く騎士の選別が終わり、後は案内役を探す段階だと説明を受ける。


「ちょっと待って。次の行き先は決まってないの?」

「そう言えばアレイヤは負傷した騎士たちの怪我の治療をしていたんだっけ」

「手伝い程度ですけどね」

「アレイヤが忙しくしている間に、そこの騎士ルーフェンから騎士団内で広まりつつある噂を聞いたんだ。気になるだろ?」


 いえ、別に。と正直に返しそうになるが、騎士団長と副団長のいる前でうっかり素は出せない。それにルーフェンから聞いたと言われて、本人の目の前で正直なことを言うわけにもいかない。

 貴族の面倒な部分とは関係のない、人間関係の面倒な部分である。



 ルーフェンは複数の騎士から「見た。見てしまった」と聞かされた。

 夕方の休息時間や夜間の帰り道等、時間帯としては総じて午後。

 騎士たちの憩いの場である寄宿舎周辺の目撃談が多い。気が緩みやすいからなのか、気付いた瞬間に背筋が凍り付いた。

 話を聞かされたルーフェンは気が緩んだとしても騎士ならばその反応には疑念が沸く。油断して大怪我を負う場面がないとは言えない。しかし、襲い掛かられたわけではない。

 時期を思い返してみれば、ここ一か月以内に突如として話題に上がったのではなかっただろうか。



「見た、とは……何を?」

「影です」


 アレイヤの質問にルーフェンは真面目に答えた。

 騎士たちが同僚に話したくなるような影、とは。


「ある騎士は丸い影を見たと。影があるからには丸いものがあるのではないかと周囲を見回したところ、何もなく影だけがふわふわと浮いているという話でした。別の騎士も似たような話で。影があるのに影を作っている実体がないことがとても奇妙だと……」


 ちらりと騎士団長と副団長を見れば、重大な何かと捉えてはおらず、王子殿下のお遊びだと思っているのか表情は微笑ましい。

 レオニールももし危険を察知したならアレイヤに話を振るとは思えない。本当に楽しそうだからアレイヤを巻き込もうとしているだけのように見えた。


「寄宿舎は騎士たちの休む場所です。その近辺で得体の知れない影に心を支配されて任務に支障を来す恐れもありましょう」


 ノーマンがそれっぽい理由を口にする。

 レオニールと結託してアレイヤに探偵の真似事をさせたいのだとよく分かる。

 期待されても頭を回す気はない。ないが、移動するなら付き合う程度のことをする時間の余裕ならあった。


「殿下が行くと仰るのなら、お供します」

「よし、じゃあ行こう! で、案内役はどうしようか?」

「僭越ながら、私が案内をさせていただきたいと思います」


 腰に手を当てたレオニールが困ったように言うと、シリルが静かに手を挙げた。


「医務官見習いのシリルと申します。騎士様がお話されていた影ですが、私も見たことがあります。なので案内は可能だと思われます」

「君――シリルか。君は騎士団の寄宿舎に部屋があるわけじゃないはずだが?」

「医務官は見習いも含めて魔導研究所の一階に部屋がありまして、研究所から騎士団の医務室の道中で一度目にしたことがあります」


 魔導研究所――クロードが個別に研究室をもらったと聞いた建物か、と耳が反応する。今日も午後になれば来るはずだし、その時間まで余裕はあるとアレイヤは考えている。先日、魔法陣とそれを描くための杖について相談したから、その話の続きがしたい。


「では、移動がてらシリルさんのお話を聞きましょう」


 さっさと予定を終わらせたい。

 本音を笑顔に乗せて、使った包帯類を片付けに歩き回るアレイヤのすぐ後をシリルが追いかけた。


「光のお嬢様、片付けなら私がいたしますので!」

「あー……では、お願いします」


 一瞬だけ悩んでから、持っていたものをシリルに渡す。片付けようとはしたが、探して持って来てくれたのはノーマンだったのでアレイヤはどこに何が置いてあるのかを知らなかった。

 見習いとは言え医務室で働いているだけあって、片付けはすぐに終わって医務室の扉が閉められる。

 医務室にはベッドもあるが、現在ベッドで寝込むほどの重傷者はいない。全員で医務室を出て、扉に鍵をかけ「御用の方は魔導研究所一階の医務官控え室まで」の看板を下げた。

 医務室の外では選別された護衛の騎士たちが並んでおり、騎士団長と副団長とはそこで別れた。

 元々騎士団の敷地内を案内するためだけに時間を空けてくれた二人は医務室での治療の間も一緒にいてくれた。深く頭を下げて感謝すると、驚きながら頭を上げるように促される。

 下位だが貴族の令嬢に頭を下げられることは滅多にないだろうから、恐縮させてしまったようだ。


「シリル様は、いつ頃その……影? を見られたのですか?」

「貴族ではありませんのでシリルと呼び捨てにしていただいて構いません、光のお嬢様」

「アレイヤ・ノルマンドと申します。どうぞアレイヤとお呼びください、シリルさん」

「ではアレイヤ様。質問にお答えいたしますと、私が見たのは十日ほど前だったかと思います。影の話は医務官の先輩方から教えていただいていました。治療する騎士の方が不安を紛れさせるように話した、と」


 シリルは案内役を名乗り出た以上先頭を歩くしかないので、アレイヤは同性としてその隣を歩いた。

 何より、シリル本人がアレイヤと話したそうにしていたから。


「影を見たからといって、私自身は不安や畏れなどは感じませんでした。不思議なものを見るのは、割と日常的ですから」

「不思議なもの……?」


 問い返したのはノーマンだ。


「はい。魔法では説明の難しい事象です」

「……よく、分かりませんが」


 理解できないのが不満なのか、眉間に皺を寄せる。

 アレイヤは前世でも議論になる不可解現象を思い出していた。

 科学が発展した二十世紀と二十一世紀。世の中のいわゆる幽霊騒ぎは化学で説明ができると専門家たちは得意げになった。実際科学で証明された事象はいくつも存在する。しかし、科学では説明しきれないものも多く残っている。


 病院なんて証明不可能な場所の一つとして有名だった。


 電気が発展していないから科学も発展し辛い環境にあるこの世界には、代わりに魔法がある。魔法の存在は科学に近いはずだから、ノーマンが不満になるのも頷ける。

 分からないものが怖い気持ちは、アレイヤも理解できる。

 共感できるかどうかはさておいて。


「その影、魔法が関係しているかどうか。シリルさんはどっちだと思いますか?」

「私には魔力がありませんので、魔法が関係していても気付けないと思います」


 困ったように笑うシリルに、アレイヤはなるほどと意見の一つとして受け入れた。


「まさか、正体の分からない影に王子殿下や光の方であられるアレイヤ様が興味を持たれるなんて……」


 建物の外を出ると、訓練の休憩中らしき騎士たちの視線が集まる。レオニールが視線を向ければ一様に頭を下げるが、そうでなければ視線はアレイヤにほとんど集中していた。

 怪我の治療を受けた騎士が噂を広めたことも大きい。

 貴族の令嬢が騎士の手当てをしてくれた。ドレスが汚れるのも構わず話をしながら包帯を巻いてくれた。レオニール王子殿下の御友人らしい。光の姫君ご本人が。治癒系の魔法が使えないことを謝罪しておられた。とても可愛らしいご令嬢だった。

 そういった話が広まるのは、一瞬に近い。

 悪意のある視線を向けられ続けていたアレイヤにとって、今の騎士たちの視線は悪意がないので気が楽だった。婚約者のいない王子と一緒にいるから変な勘違いをされるかもしれないが、そうなってもレオニールがしれっと火消しをするだろうから心配の必要もない。


 騎士たちの視線を浴びながら、シリルを先頭とした一行は件の現場へと向かって行った。

 道中、シリルはアレイヤに何度も質問をしていた。

 包帯の巻き方はどこで教えられたのか、医療の知識はあるのか、どこで得たものなのか。

 他人の怪我を見るだけでなく触るのに抵抗はなかったのか。


「そうですね……。私が生粋の貴族だったなら無理だったかもしれません。けれど、怪我を負った場面も見ていましたし、シリルさんお一人であの人数の騎士様の治療は難しいかと思うと体が動きました」


 はっきりと言いはしなかったが、この言葉だけでシリルはアレイヤが元平民であることを察してくれた。

 平民女性であっても怪我を負った騎士に躊躇いなく触れる人はあまりいないかもしれないが。


「それにしても影の目撃情報ですか。まだお昼前ですけど、私たちも見れたりしませんかね?」


 どうせなら不思議な現象とやらの目撃者になってみたい。

 影が見える、ということは何かしらの光源が存在していることを意味している。その光源は太陽だったなら、夕方以降に固まる目撃の時間帯と矛盾してしまう。

 他にも光源と言えば火が思い浮かぶ。火が光源だと考えると、今は夏だから影に近寄れば熱を感じるはず。だが、火が光源だと風のある日は影が揺らめき、雨の日だと影そのものが出現しないだろう。

 その辺りの証言も後で聞いてみた方がいいかもしれない――と、そこまで考えてちらりとアレイヤは後ろを歩くレオニールを見やる。


「どうかした?」

「……なんでもありません」


 うっかり考えてしまった自身を反省した。

 どうにもレオニールの手の上で転がされている感が否めない。

 謎解きなんてしたくてしているわけでもないし、趣味にする気も仕事にする気もないのに。


「もうすぐ到着します」


 シリルの声で我に返ったアレイヤの目の前には、一度通った場所である騎士団の寄宿舎だった。

 寄宿舎は三つの棟になっているようで、それぞれ三階に通路がある。三つの寄宿舎は食堂の棟と合わせて四角の形を作っているが、寄宿舎が四階建てなのに対して二階建てだからなのか、守られているという印象を持った。


「私は、寄宿舎を通り過ぎたところで影を見ました」


 言いながら立ち止まり、食堂の外壁を指差した。


「髪の長い、あれは女性の形をした影だったかと思います」


 シリルの言葉に、護衛の騎士たちが息を呑んだ。



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