4-7 トレントイーター
意味不明。
確かに、ベルセルク鋼製の大鉈は耐久性で、迷宮のラブリュスや錬金鋼の鉈に比べて一段劣る。
けど、それでも、魔物の一撃で簡単に折れる武器じゃない。
なのに、折れた。
それだけの攻撃力を目の前の緑色の巨大なシカのような見た目のトレントイーターの一撃が強力だというのだろうか?
……一瞬だけ納得しかけるけど、冷静に考えると不可解な点がある。
トレントイーターの一撃の威力が、ベルセルク鋼という魔鋼よりも頑丈な金属の大鉈が折れるほど強力なら、私は今頃ミンチか、瀕死の状態だったはず。
でも、私はそれほどダメージを受けていない。
……つまり、私の大鉈を破壊したのはトレントイーターの能力。
けど、どんな能力だ?
トレントイーターの角に触れた物をへし折る能力?
否定はしきれないけど、違う気がする。
ゲーム的に考えるなら防御力というか、物体の耐久力を下げるデバフの能力の可能性はどうだろう?
……ありえそうだ。
まあ、トレントイーターがどんな能力を使っているかよりも、その対処法が重要なんだけど。
極論、トレントイーターの角に触れないで、トレントイーターを倒せばなんの問題もないわけだ。
……その実力が私にあればいいんだけどね。
現状だと、トレントイーターの突進からの角での攻撃は、重くてデカい迷宮のラブリュスを装備した状態だと回避が難しい。
絶対にできないってわけじゃないけど、安定して回避し続けるのは厳しいだろう。
なによりも、後方のハルルフェントが危険になる。
ハルルフェントはシックルドラゴンを単独で倒せるし、かなり動けると理解しているけど、それでもトレントイーターに狙われたら危険だ。
つまり、前衛の私が対処するしかない。
とはいえ、迷宮のラブリュスが壊れたら終わる。
そもそも、勝ち筋すら見えていないんだけど。
これはあくまでも時間稼ぎ。
私とハルルフェントが死ぬ前に、トレントイーターの倒し方を見つけないといけない。
迷宮のラブリュスが壊れたら?
そもそも実力的にトレントイーターに私たちは勝てるのか?
なにをやってもダメージを与えられなかったら?
ダメージを与えられたとしても勝ち筋が見えない可能性。
冷たい恐怖が不確実な結末を想像して、不安を無限に増殖させて吐きそうになる。
一度の呼吸で気持ちが切り替わると思い込む。
無秩序な恐怖を捉えて、固定して、行動の起点を構築、慢心と油断を駆逐していく。
やりたくはないけど、迷宮のラブリュスの耐久性を試す必要がある。
ダメだったら、初手で終わりだ。
トレントイーターの突進に合わせて、迷宮のラブリュスを強撃で振るう。
直撃すれば、ヴァルキリーも殺す迷宮のラブリュスの強撃による一撃で、突進するトレントイーターの角に叩き込む。
迷宮のラブリュスが壊れることはなかった。
けど、理解した。
迷宮のラブリュスを何度も、トレントイーターの角にぶつけたら、ベルセルク鋼の大鉈と同じように壊れてしまうだろう。
感覚的に10回は大丈夫な気がする。
確信はない。
次の一撃で迷宮のラブリュスが壊れる可能性も否定できないのだ。
油断はなかった。
私にトレントイーターの初動は見えていたけど、反応できなかっただけだ。
トレントイーターの角でぶつかった迷宮のラブリュスをひねるような動きをした瞬間に。
私はダンジョンの天井に叩きつられていた。
衝撃が全身を貫き気絶したくなるほど痛いけど、そんな贅沢は許されない。
一秒の遅滞すら命取り。
動くことを拒否する体を無理矢理動かして、収納袋からヒールポーションを取り出して飲む。
これが天井に叩きつけられてから一秒以内にしたこと。
でも、この貴重な時間はハルルフェントが稼いでくれた。
矢を機関銃のように連射して、トレントイーターを牽制してくれたから、トレントイーターの追撃はなかったのだ。
天井を蹴って突進気味に強撃で迷宮のラブリュスを振るう。
トレントイーターは微動だにすることなく、私の一撃を受け止める。
次の瞬間、トレントイーターのわずかな動きに反応して、私はバックステップで距離をとった。
反応が少しでも遅れたら、またトレントイーターに投げ飛ばされていただろう。
トレントイーターは角を上手く使って、迷宮のラブリュスをひっかけて私を投げるようだ。
とはいえ、トレントイーターの手の内が分かっても対処は難しい。
トレントイーターの角を避けて反撃できればベストだけど、それを実行する身体能力と技術が私にはないから困る。
そうでなくても現状だと制約が多い。
トレントイーターの角と何回もぶつけたら迷宮のラブリュスでも壊れる可能性が十分にある。
その迷宮のラブリュスもデカすぎて、攻撃パターンと回避行動が限定されてしまう。
絶妙なタイミングで放たれるハルルフェントの矢による援護がなければ即座に私は死んでいた。
ただ、トレントイーターはハルルフェントの矢を嫌がりはするから牽制にはなっているけど、決定打にはなりにくいだろう。
そして、先ほどから私が強撃を使っている理由。
単純に、強撃じゃないと威力が足りなくて、斧と角が衝突したときに競り負けてしまうからだ。
天井や壁を蹴って四方八方から翻弄する手段は、迷宮のラブリュスを装備した状態だと速度が出ないから、トレントイーターには悪手だろう。
トレントイーターが強いから勝機が見えない。
当たり前の話だけど、状況はヤバい。
圧倒的な実力差というわけじゃないから、抵抗は可能。
だから、絶望して諦めることはないけど、真綿でゆっくりと首を絞められているかのように、少しずつと死という終わりへ収束しているという焦燥はある。
後ろ向きな気持ちで反省に似た諦めに身を委ねそうになるけど、小さな呼吸を一つして振り切る。
でも、ミスをした。
悪かったのはなにか?
手の位置、手首の角度、握り方。
ささいなことだけど、わずかなほころび。
ただ、それだけのことで、トレントイーターに投げ飛ばされた。
迷宮のラブリュスが。
私の体は無傷。
だけど、投げ飛ばされた迷宮のラブリュスが、トレントイーターの背後に落ちる。
トレントイーターを倒さないと迷宮のラブリュスの回収は難しいだろう。
左右の手に双剣スタイルで錬金鋼の鉈を構える。
頼りないと思ってしまう。
錬金鋼の鉈は悪い武器じゃない。
けど、トレントイーター相手だと、威力が心配になる。
戦い方も変更しないといけない。
錬金鋼の鉈だと、強撃でもトレントイーターの突進を受け止めるのには威力が足りないだろう。
私が避けて、ハルルフェントにトレントイーターの標的がうつらないか心配になるけど選択肢はない。
トレントイーターの突進に合わせて、私は軽やかに避けて錬金鋼の鉈で反撃する。
トレントイーターの表面を錬金鋼の鉈の刃がなぞるけど、無傷。
血の一滴すら出ない。
迷宮のラブリュスより、錬金鋼の鉈は軽くて小さいから、私の動きも速くなりトレントイーターの攻撃を回避はしやすくなっている。
でも、トレントイーターを倒す反撃の手段がないと終わりだ。
絶望の足音に耳をかたむけてしまいそうだけど、私の心をしめるのは別のこと。
違和感。
けど、この違和感には既視感がある。
……ああ、なるほど。
私のなかで仮説が浮かんだ。
仮説が証明されても状況は解決しない。
けど、糸口にはなるかもしれない。
なるべくトレントイーターの突進を引き付けて回避して、錬金鋼の鉈を叩き込む。
伐採スキルを起動させて。
錬金鋼の鉈がトレントイーターの表面をわずかに切る。
ダメージはかなり小さい。
トレントイーター自身ダメージを認識していないかもしれない。
それぐらい弱いダメージ。
でも、突破口が見えそうな気がする。
トレントイーターは見た目が緑色の大型のシカだけど、存在としてバロメッツに近い植物系の魔物。
だから、伐採スキルが力になった。
視線を一瞬だけ、地面に落ちている迷宮のラブリュスに向けるけど、トレントイーターと戦闘中に回収は不可能。
しかし、起動している伐採スキルが不満を訴えている気がするのだ。
似たようなことはバロメッツと戦っているときにもあった。
伐採スキルは直接正解は教えてくれない。
けど、今のトレントイーターとの戦い方が間違いということだけは、なんとなくわかる。
現状の問題は、なにが正解かということだ。
伐採スキルにとっては自明なのだろう。
なんだ?
攻撃すべきトレントイーターの部位の工夫だろうか?
バロメッツは茎が弱点だった。
トレントイーターも特定の部位が弱点で、そこを攻撃すれば勝てる?
完全には否定できないけど、違う気がする。
トレントイーターに弱点があるなら、伐採スキルがもう少し私の動きを修正するはずだ。
しかし、わからない。
伐採スキルが見つけた正解は、私に実行不可能な未知な方法じゃないはずだ。
私が気づいていないだけ?
私はなにを気づいていない?
錬金鋼の鉈の振り方?
強撃の活用法?
違う。
そういうことじゃない。
でも、ならなんだ?
現状の私にできて、トレントイーターに試していないこと。
…………うん、もしかして?
相打ち?
数時間前までプアエンと一緒にトレントにやっていた新技術。
けど、あれは植物系の魔物に対して、挟むように斧をタイミングよく振るうことで発生しする技だ。
ここに斧を武器とするのは私だけ。
ハルルフェントに、錬金鋼の鉈か、投擲用の手斧を貸して試す?
無理だろう。
ハルルフェントには斧スキルも伐採スキルもない。
相打ちは発動すらしないだろう。
なら、どうする?
…………いや待て。
相打ちの本質はなんだ?
対象を挟むように斧を振るい、内部で衝撃を反応させること。
必ずしも、二人である必要はない?
単独でも発動できるのか?
左右の手にある錬金鋼の鉈をみる。
数々の死線を潜り抜けてきた相棒だ。
……やれるさ。
根拠は希薄で、論理は曖昧だけど、確信はある。
トレントイーターに向かって踏み出し、壁と天井を蹴って、四方八方に高速移動してかく乱させる。
最高速度だと、私はトレントイーターより遅い。
でも、体格の差を利用して、小回りして、トレントイーターの嫌がる機動をしながら、最適のタイミングを狙う。
天井を蹴って上からトレントイーターの首を強襲。
左手の錬金鋼の鉈がトレントイーターの首を捉えた瞬間、右手の錬金鋼の鉈を斧スキルと伐採スキル全開で、タイミングを合わせて振るう。
単独での相打ちは初めてのことなのに、失敗のイメージがない。
だから、左右の鉈がトレントイーターの首にめり込んでも驚かなかった。
トレントイーターが悲鳴を上げて、のたうち回る。
私は一度、暴れるトレントイーターから距離をとった。
トレントイーターの傷は致命傷じゃないけど、軽くもない。
相打ちでも一撃でトレントイーターを即死させるのは難しいといえる。
繰り返して積み重ねれば、トレントイーターを倒せるだろう。
勝ち筋が見えた。
とはいえ、勝てたわけじゃない。
次の瞬間には、トレントイーターの一撃で、錬金鋼の鉈を失うかもしれない。
私のなかに油断は皆無。
焦らず慌てず、落ち着いて、トレントイーターの力を削ぎ落して仕留める。
早期に決着をつける必然はない。
だから、狡猾に卑怯にトレントイーターを攻撃していく。
狙うのは四肢。
胴よりも四肢の方が細くて、二つの錬金鋼の鉈で相打ちをしやすいという理由があるけど、それ以上に一撃ごとにトレントイーターの機動力が減っていく。
それは合理的な戦術で、私に攻撃への躊躇いや停滞はない。
私が攻撃するごとに、トレントイーターの四肢の皮と肉が切れる。
けど、私が一人でやる相打ちの威力には、トレントイーターの四肢を切断する威力はない。
骨を断ち切ることすら不可能。
だから、その光景に悪意はない。
私が強者を相手に必死になった結果でしかないのだ。
でも、あまりにも凄惨で悍ましい姿。
トレントイーターは血塗れの四肢で、必死にあがいて生をつかもうとする。
けど、私はこの場で弱者なのだ。
トレントイーターを華麗に、一撃で倒す力がない。
トレントイーターの四肢を潰し、首に錬金鋼の鉈を相打ちで叩き込み、後一撃で倒せるという瞬間、身をよじったトレントイーターの角で私は地面に抑え込まれている。
トレントイーターの角は錬金鋼の鉈で防いでいるけど、単純に私が力負けしている。
数秒後には、これだけ追い詰めながら、私はミンチになってしまう。
一人なら……。
ハルルフェントの矢が、的確にトレントイーターの首の傷口に深々と刺さり、トレントイーターを光の粒子へと変えていく。
勝利?
生き残ったという安堵しかない。
次回の投稿は12月19日金曜日1時を予定しています。




