結成! 凡人同盟!
さて、まずはどこに向かうかを決めなければならんな……。
俺達はまずグラウンドの大会本部のテントでスタンプラリーの用紙をゲットし、それを覗き込みながら最初の獲物について協議した。俺はグラウンドで観衆が集まってわーわー盛り上がっているあたりをとりあえず指さし、提案してみる。
「どうせ全部回って撃破するんだから、近い順に回ったらいいんじゃないかなあ。まずはあそことか」
「相変わらず汐音先輩は見た目に反して好戦的ですね……えーっと、あそこでやってるのは……陸上部……で、内容が『400メートル走対決』と『タイヤ引き競争』? ……これマジですか? 負けるに決まってるじゃないですか」
「そもそもタイヤ引きって陸上競技なのかしら……」
果たして、人だかりのある場所に近づいてみると、確かにそこは陸上部への挑戦の真っ最中だった。手前で行われていたのはどうやら400メートル走で、トラックを1周するコースが舞台みたいだ。たださすがにハンデがあるようで、陸上部の走るコースはスタート位置が30メートルほど後ろに設定されている。
すると、コースの手前、受付らしき机にいた見知らぬ癒し系の1年生がふとこちらを見た。かと思うと、ニコニコ笑って手を振ってきた。俺も手を振り返しかけたが、念のために後ろを振り向くと貝森ちゃんが手を振っていた。いかん、危うく大恥をかいてしまうところだった。これ勘違いした時ってめっちゃくちゃ恥ずかしいからな。
「わー、貝森さんだー」
「友紀ちゃん、そういえば陸上部だったっけ。チャレンジしたいんだけど、いい?」
「いいけど、今はやめといたほうがいいんじゃないかなぁ……だって次、今宮先輩だよ? 陸上部のエースの」
そう言われてトラックを見ると、ぴょんぴょんと跳ねて準備運動をしている男子生徒は、確かになんだか足がとっても速そうだった。貝森ちゃんが俺の耳元で囁く。
「……だそうですが、どうします? 汐音先輩」
「んー、迷うなあ……しかし、これも勝負。相手には運が悪かったと諦めてもらうしかないね」
足が速いほどプライド傷つけちゃうだろうからなぁ……。しかしいかに足が速かろうと、人間はティラノサウルスより早く走ることなぞできんのだ。いや高宮城先輩は別に大型爬虫類とかじゃないんだが、それくらいのスペックたぶんあるからな……。
……でもあらためて、なんでこの人だけこんなに人外なんだ……? ゲームじゃそのあたりは明らかにならなかったが……。まあいいか。今はそんな些細なことを考えている場合ではない。
俺は傍らの先輩を見上げ、ぴょこんと頭を下げた。気分は用心棒に後を任せる悪代官の気分。
「じゃあ高宮城先輩、いえ、先生。あとはお願いします」
「先生って何ですか汐音先輩」
「わかったわ」
それだけを返して、表情を変えずにコースへ向かう高宮城先輩を、俺は信頼の目で見送った。ちなみに他4人の視線は、それぞれ心配3、怒り1といったところ。もちろん誰が1かは言うまでもない。ただ、なんで怒ってるのかは全く分からなかった。
俺たちから少し離れた場所、グラウンドのコースでスタート位置に立っている高宮城先輩は、いつも通り無表情のまま。貝森ちゃんが不安そうにそれを見つめる。
「大丈夫かなぁ……だって、エースですよ? すっごく速そうですよ? 差をつけられすぎて高宮城さんが傷ついちゃったら気の毒ですよ」
「貝森ちゃん。君って昔、怪獣映画を見てる時にゴジラと自衛隊が戦う場面でゴジラの心配をする子だったりした?」
「いえ、さすがにそれはしませんでしたけど。なんで急にそんな話をするんです」
「すぐにわかるよ」
そして、貝森ちゃんの心配をよそに、レースは無情にも始まってしまう。
「位置について、よーい。……スタート!」
パァン、と鳴らされた合図とともに、高宮城先輩と陸上部男子がほぼ同時に地を蹴って走り出す。高宮城先輩はぐんぐんと速度を上げると早送りのような速度で直線を抜け、まるでマンガのように土煙を上げながらあっという間にコーナーの始めまで走り抜けた。後ろの男子も焦ったように勢いよくその背を追うが、距離は全く縮まっていない。いや、むしろ……。
「離してる! すげぇ!」
「……いや、え……? あれちょっと早すぎません……? 車くらいのスピード出てますよ……明らかに人間の力超えてるんじゃ……」
盛り上がる崇高と、喜ぶより先にちょっと引いている貝森ちゃん。観客の歓声にもざわざわとしたものが混ざり始めた頃、高宮城先輩は1周を早くも走り終えて悠々とゴールを駆け抜ける。その時、後ろの男子はまだ最後のコーナーを曲がり始めたところだった。
そうして、高宮城先輩は汗もかかずに涼しい顔をして戻ってきた。その後ろをぞろぞろとついてきながら、熱いスカウトの言葉をかける陸上部の皆様方。きっと我が校の陸上部の中では、常識の範囲内の存在であるかどうかより足が速いことが大切なのだろう。
ちなみに先輩が俺達のところに戻ってきた時にようやく対戦相手はゴールし、その後なんだか地面に崩れ落ちていた。最後まで心折れなかった彼の完走を称えたい。
「勝ったわ」
「お疲れさまです! ……じゃあ帰ってきて早速なんですけど、次も高宮城先輩にお願いしていいですか? ほら、タイヤ引き」
「汐音先輩鬼畜過ぎません!? いや今の見てたら勝てそうですけど……」
「いえ、待ちなさい!」
そう叫んでばっ、と手を広げ、まるでマントを翻すようなポーズを突然取る北辻さん。マント羽織ってないので何もなびくものはなかったけど、たぶん気分の問題だろうから深く考えるのはやめておくか。えーっと、で、なに急に? どしたん?
「……なんで高宮城ばっかりに頼るわけ!? 今度はあたしが行くわ!」
そう言い残して颯爽とトラックに向かう北辻さんを、はらはらとした目で見送る俺。……だ、大丈夫かな……? 北辻さんって有能なんだけどあくまで人間の範囲内っていうか……。恐竜映画で言うと中盤まで頼りになるベテラン職員なんだけど「ようしいい子だ」なんて子供の恐竜を調子乗って追い詰めてたら後ろから親の恐竜に食べられる、みたいな立ち位置だから……。
俺達が北辻さんの背中に送る視線は心配3、無表情でよく分からない1。誰が1なのかは言うまでもない。しかし、俺が見る限り、高宮城先輩は何の感情も北辻さんに送る視線に乗せてはいなかった。やっぱあんまり興味持たれてないんだろうか。
「だ、大丈夫ですかね……? だってあのタイヤ、すっごく重そうですよ? 1つ30kgあるんですって。それが3つですよ? 明らかに女性には無理じゃ……?」
「う、うーん……でも北辻さんって高宮城先輩のライバルだし……」
「そりゃさっきはびっくりしましたけど。だけどあんなことができる人間がこの世に何人も存在するわけが……あ、始まっちゃった」
「ぬぉぉぉぉぉりゃあああああ!!!」
鬼神のような叫びをあげ、鬼神のような顔で走る北辻さん。その胴にはロープが巻かれており、土煙を上げながらタイヤがずるずるとすごい勢いで引きずられている。後ろから追う陸上部の後ろにはタイヤが4個。その差は詰まらず、追いつかれる前に北辻さんがゴールを力強く駆け抜けた。
戻ってきた後、ぜーはーぜーはーと北辻さんは膝に手をついて屈んでしばらく息を整え、キッと顔を上げて高宮城先輩を睨みつけた。
「ほら、勝ったわよ!! これで文句ないでしょ!?」
すると高宮城先輩は少しだけ不思議そうな顔をし、少し首を傾けた。何言ってるんだろうこの人、みたいな表情だ。それがまた気に食わなかったらしく、噛みつかんばかりの勢いで北辻さんは食って掛かる。
「なによ!? 何か不思議なことある!?」
「いえ。最初から、北辻先輩が勝つのは疑っていませんでした」
無表情のまま、淡々と言う高宮城先輩。北辻さんは虚を突かれたような顔をして一瞬動きを止めた後、少し顔を赤らめてそっぽを向いた。
「そ、そう……? ま、まあそれが分かってたらいいわ」
一方、その光景を見ていた俺と貝森ちゃんと柚乃ちゃんは少し離れた場所で円陣を組み、頭を寄せ合ってひそひそと会談した。
「北辻さんって高宮城さんのこと実は大好きですよねぇ」
「実はっていうか明らかにっていうか。あれもう恋する乙女でしょ」
「……ちょっとそこ、うっさい! 聞こえてるわよ!?」
高宮城先輩と北辻さんのペアは、その後も体育会系のチャレンジ企画を手当たり次第に荒らし回った。身体能力のゴリ押しで全てを解決する高宮城先輩と、執念でそれにくらいついていく北辻さん。
高宮城先輩が瓦割りの際、掌底で瓦を全て粉々に粉砕してしまうという心温まるハプニングがあったものの、おおむね騒ぎにならずにチャレンジは終了した。特に、校内腕相撲選手権の準決勝で当たった高宮城先輩と北辻さんの5分を超える熱戦にはギャラリーも大いに沸き、歓声の中で非常に大盛り上がりを見せた。あれは後世にも語り継がれるのではないだろうか。……あれ? こうしてみると、北辻さんも結構な人外じゃね?
しかし無事に体育会系部門は突破した。とするとここからは文科系部門、なのだが……。さてさて。
ということで、俺たちは続いて美術室にやって来た。室内を覗くと、何やら何枚もの絵が壁には飾られており、なぜかその手前には博物館のようにガラスの壁が設置されている。えーっとなになに? ……お題は、部員が描いた絵が飾ってある中に本物の画家の絵が混じっているのを見分ける、か。本物の絵は市内の美術館から借りてきたらしい。道理で厳重なわけだ。
俺が見てもさっぱりわからなかったので、まずは我らがエース、高宮城先輩にお伺いを立ててみた。先輩はさっきからじっと絵を真剣な目で見つめている。この人って頭もいいからね。あっさりと正解を導き出してくれるのではないだろうか。
「高宮城先輩、どうですか?」
「全部絵だわ」
……あっ……駄目っぽいこれ……。やはり高宮城先輩は知識としては知っていてもこういう感性を問われる物には疎いか……。ゲームでもこの辺でアウトだったもんな。俺はちょっぴり肩を落とし、その隣にいる北辻さんにもついでにご意見を聞いてみた。
「北辻さんはどうですか?」
「あたしもパスね」
うん、北辻さんがこういうのわかんないのはなんか知ってた。しかし俺があっさり次に行こうとしたのが気に食わなかったのか、北辻さんは何も言わなかったものの、大いに不服そうな顔をした。いや、だってわかんないなら粘っても仕方ないじゃん……。
それとも北辻さんが突然芸術的感性に目覚める可能性に賭けるか? でも突然そんなの目覚めたらそれもう超常的な何かだよな。俺って野球ゲームとかでもいきなり試合前に球速20キロ上げるとかするんだけど、あれ周りのチームメイトはどういう目で見てんだろ……。普通に試合勝ったら喜んでくれたけど、実は内心恐怖を感じていたのかもしれん……。
俺はゲーム世界と現実の差異について思惟を深めつつ、貝森ちゃんにも話を振ってみる。ただこっちも望み薄かな……。だって貝森ちゃん、確か美術の時間中落書きしてて怒られたエピソードとか持ってた気がする。明らかに駄目そう。
「貝森ちゃん、わかる?」
「あたしも全部上手いなあ、としか……はは、ごめんなさい」
俺がさらに視線をスライドさせ、貝森ちゃんの隣にいる主人公をスルーして最後の1人に聞こうとすると、主人公は慌てたように自分を指さし、口を開いた。
「いやいや汐音、俺は!?」
「崇高くん、さっきちょっと立ったまま寝てたでしょ。もう君に聞くことは何もないんだよ」
そうなんだよ。こいつ器用なことに寝てやがった。心安らかになりすぎだろ……。まあある意味一番素直に芸術を受け止めてるのかもしれんが、今はそういう素直さは必要ないんだ。ていうかさっきからこいつ喋ってるか? お前、ちゃんとこの世に存在してた?
「だって文化祭が楽しみで昨日全然眠れなかったんだよ!」
「小学生なの? ……それより、柚乃ちゃん。どう思う?」
「あれですねぇ」
柚乃ちゃんがすっと指さしたのは、端の方に飾られている地味な絵だった。窓辺に飾られた花瓶に咲く一輪の花。周りの絵が色とりどりに鮮やかなのに対して、その絵はどこか質素で慎ましやかに見える。間違いかと思い、俺は念のため確認を取ってみた。
「……あれ?」
「ええ。筆遣いが明らかに違いますから」
さらりと言って微笑む柚乃ちゃん。それを、貝森ちゃんはどこか微妙な顔で見つめていた。
それからいくつか芸術系の部活を回り、いずれも柚乃ちゃんの活躍により撃破することに成功する。しかしエース柚乃ちゃんの顔にやや疲れが出てきたので、華道部を出た後、中庭で休憩を取ることになった。正直学校の中を歩き回ったから俺の足も結構限界だったからありがたい。
ふいーっと息をついて、俺はどっかり芝生に腰を下ろしながら、他のみんなを見渡してみた。
北辻さんと柚乃ちゃんは何かを話しながら笑い声をあげている。高宮城先輩は中庭の真ん中に立ち、いつも通りに空を見上げて静かに佇んでいる。貝森ちゃんはなんかちょっと離れた階段のところに腰掛けてぼーっとしてるのが目に入った。……ふむ。
これがゲームなら選択肢が出ている気がする。
(1)高宮城先輩に話しかける
(2)北辻さんと柚乃ちゃんに混ざる
(3)貝森ちゃんに声をかける
みたいな。俺は貝森ちゃん推しなので、当然(3)。ゲームではこんな風に一堂に会するのはもっと後なので、どれが正解かは分からない。攻略サイトにも載っていない。そういうのって、なんかさ、ちょっとわくわくするよな。
貝森ちゃんはこちらに背を向けていたので、死角からこっそり近づいてみる。……あ、そうだ。
俺はついつい芽生えた悪戯心から、自販機で冷えた缶ジュースをガコンと買った。そしてひんやりとしたそれを、貝森ちゃんの首元にぴたりと当ててみる。ひゃっ! という声を上げてこちらを振り向く貝森ちゃん。しかし、怒られるかなと思いきや、彼女は黙って再び前を向いた。
……前にそんなにいいもん見えるの? 徳川埋蔵金とか? しかし俺も貝森ちゃんの視線を追ってみたが、特に何も見えず。正確には、灰色の校舎の壁しか見えなかった。あれに夢中になれるほど貝森ちゃんの精神が闇を抱えていた記憶はない。
俺はよいしょ、と貝森ちゃんの隣に腰掛けて、同じように前を向いてみた。でもやっぱ特になんも見えんな……。もういいや、直接聞いてみよ。
「なんか元気ないね」
「いえ、こうしてみると、あたしだけ何もないなあって……」
頬杖をついたまま、ふーーっと深い溜息をつく貝森ちゃん。まあ高宮城先輩は言わずもがなだし、北辻さんも体力お化け。柚乃ちゃんは華道、美術、音楽、書道と何でもござれ。
「……まさか柚乃にあんな特技があったなんて……今まで聞いたことなかった」
「そりゃ柚乃ちゃんは自分からはあんまり言わないだろうねえ」
「なんでですか」
「ほんとは別に好きじゃないから」
「……好きじゃない?」
俺の言葉に、貝森ちゃんはやっと顔を上げ、こちらを向いた。しかしその顔には、わけがわからないよ、と全面に書いてある。そのまま彼女は、後方で北辻さんとにこやかに何か話している柚乃ちゃんの方を、ちらっと目で振り返った。
「じゃあなんであんなに詳しいんですか」
「柚乃ちゃんの家はちょっといいお家柄というか、子どもはみんな、教養の1つとして一通りの稽古事を強制的に受けさせられるんだよ。だから柚乃ちゃんは家でもずっと気が抜けないの。学校に自分だけの秘密基地を見い出すくらいにね」
「……本当ですかそれ? だってそんなこと……」
「言うと思う?」
「あいつは言わないですね。……あーそっかぁ……そうですか……」
やっとこっちを向いたと思ったら、また貝森ちゃんは前を向き、何やらアンニュイな感じで遠くを見つめ始めてしまった。それどころかそのまま膝に顔を埋める。なんやこれさっきより悪化しとるやんけ。え、これまさか俺のせいなの?
「なんかさらに元気ないね」
「……いや、あたしって最低だなあって。しかも役立たず」
「なんで? 少なくともこの場にはあと1人、貝森ちゃんと比べ物にならないくらい何の役にも立ってない人間がいるよ?」
「あはは、相変わらず竜造寺先輩には辛辣ですね……」
何やら自虐的な笑いを漏らす貝森ちゃん。でも誰って言ってないのに特定してる貝森ちゃんも半分共犯だと思うの。しかしどしたの?
俺がまじまじと見つめていたのを感じたのか、しばらくして、根負けしたようにそろそろと貝森ちゃんは顔を上げた。しかしこちらの方は向かないまま。そして、おずおずと口を開く。
「……いえ、あたし、さっき……羨ましいなって思ったんですよ。高宮城さんも、北辻さんも、……柚乃も。あたしいっつも『特別な自分』に憧れてたみたいなとこ、実はありまして」
お恥ずかしい、と苦笑しながら貝森ちゃんは頬をかき、また半分だけ顔を隠す。その頬と耳は確かに真っ赤になっていた。……ただ俺にはどうもよくわからない。
「それが恥ずかしいから最低なの?」
「そうじゃありません。柚乃は誇らしいなんてきっと全然思ってなかったのに。……ただ外から見て羨ましがってたさっきまでのあたしって、一体なんだろうなって。もうほんとそういうとこが凡人ですよね」
「え、まだ羨ましいの?」
「いえ、さすがに今は」
「じゃあいいじゃない。単に知らなかったからだよ。本当に恥ずかしがるべきは、それを知りつつ全部柚乃ちゃんに聞く私かな」
「……えーっと。どこまで自虐か分からなくてとっても笑いづらいんですけど」
ぽんぽん、と貝森ちゃんの頭を軽く叩きながら、まだ隠れたままの彼女をフォローする言葉を口にしてみる。そう、何も問題なぞ起こっていないのだ。ゲームならここで追加の選択肢が出ていることだろう。何か言う、言わない、みたいな。こんなん言う一択に決まってる。
「まあ柚乃ちゃんは頼られること自体は好きな子だってことも知ってるし。あの子ね、実はそういう、善意で動く人、みたいなのに憧れてるところあるからねえ。それがね、昔からの夢なんだって」
「……うわ怖っ。マジで怖いこの人」
なぜか貝森ちゃんが体育座りをしたまま、ずりずりと俺との間を少し開けた。そして腕の間から見えている目が、さっきまでより少し俺のことを怖がっている気がする。……しまった、どうやら俺の選んだ選択肢は失敗だったらしい。
「あ、ひどいんだ。それあからさまないじめだからね! 即刻止めてください! じゃないと私が泣いちゃうよ」
「解決手段が幼児みたいな……いえ。……でも汐音先輩が泣いたら怖い人が1人、いますねえ……わかりました。じゃあ止めておきますか」
やれやれ、と苦笑しながら貝森ちゃんは首を振った。しかしその顔は、さっきまでよりは少しだけ明るいように見える。ちょっとは気がまぎれたらしい。
俺はもう1つ、せっかくなので、教えておくべきを彼女に伝えておくことにした。
「だから柚乃ちゃんが一番自然体でいられるのは、貝森ちゃんをいじってる時なのかもね。これからも仲良くね」
「……うわ、それは聞きたくなかった……」
「でも、たぶん柚乃ちゃんの件で凹んだなら、きっとどこかで気にしてるんだよ。高宮城先輩と北辻さんみたいないいライバルになれるかもね。それに貝森ちゃん、先輩2人とも関係悪くないでしょ? そういうのも立派な力だと思うけどねえ」
高宮城先輩と北辻さんがいいライバルかは置いておいて。しかし励ますように言った俺の台詞を聞いて、貝森ちゃんは再び頭を抱え、ぐしゃぐしゃっと頭を掻きむしった。
「いや、だからその中であたしだけ明らかに普通なんですって……!」
なんと、俺の迂闊な台詞によって貝森ちゃんが5分前の状態に逆戻りしてしまった。これなんてループ物? ……えー? 普通なのが嫌なん? 俺が知る限り貝森ちゃんのその特性ってむしろ利点よ? アドバンテージよ? だって真っ当な社会人になれそうなのって主要キャラの中で貝森ちゃんしかいないからね。
いや柚乃ちゃんは……ギリギリ……でもなれてもそのうちキレちゃいそうだしな。さすがに勤務中に机の下にごそごそ潜り込むのを良しとする会社はそんなにないだろう。たとえあったとしてもそんな会社はちょっとヤバいのでそんなもんどっちみち一緒である。
しかし、そうか。「あたしだけ」か……。……なら。お、我ながら非常にいいことを考えついてしまったかもしれん。これですべて解決じゃね? なにせ俺ってゲームの登場人物じゃないから、中身は根っからの凡人だしな。
俺はすっと貝森ちゃんの方に手を差し出した。意図が伝わらなかったらしく、貝森ちゃんは不思議そうな顔をして俺を見つめる。なので、パチンとウインクしてみた。しかし貝森ちゃんは、困惑したように俺の手を見つめるだけだった。
「え、なんですかこの手」
「ふふふ、じゃあ! 私と貝森ちゃんで、凡人同盟を結成しよう! ……え……なに、その顔……?」




