1 WayfaringStranger
どこまでも敷き詰められた石畳が都市に道と建物をもたらしていた。
木造かレンガ造りかどうであれ、街並みは世紀末世界にはない整然さだ。
大通りにちりばめられた店舗は【ここは赤金通り】と鞄で親切に説かれている。
けれども道行く人は無秩序だ。
この世らしい身なりを装った日本人の顔の数々がそれなりにあった。
それを覆い隠すように練り歩くのは人ならぬ特徴をもった美少女だ。
元々はMGOというゲームの中にいたAIたちは今や本物の人外娘となって、この【クラングル】に混沌を表現してるらしい。
「今日も今日とて右も左もモンスター娘だらけか……いつ見ても慣れないな」
「ん、毎日人がいっぱいだね。色々な匂いが混ざってくらくらする」
――そうそう、ここにストレンジャーも追加だ。黒髪ジト目なわん娘もな。
あれからどこにも溶け込めないまま彷徨う余所者はこの世界を知ることでやっとだ。
剣と魔法の世界は世紀末世界とどこまでも勝手が違うのだ――少なくともここが平和だと感じるほどに。
「……で、この世界に来て初めての任務がこれか。ファンタジー世界のくせして紙の金なんてどうなってんだ?」
ふと貰い物のカーゴパンツを漁るとポケットから紙幣が出てきた。
1000メルタと表された通貨だ。機械仕掛けの羽を生やした女神様がお祈り中である。
「ノルテレイヤ、数千年後の地球は無事に文明を取り戻してるみたいだぞ。なんたってお勤め中のお前が描かれてるぐらいだからな」
ファンタジー世界の貨幣に一言申したけど返事が返ってくるわけないか。
どっかじゃ電子チップ入りのカジノチップだってのにこっちは紙幣すらある現金払い仕様だ。
150年モノの世界に比べて賑やかなこった、ほんとどうなってんだフランメリア。
「……どうしたのご主人? お金に話しかけてるみたいだけど」
「恩人にちょっとした挨拶だ。それより八百屋ってどのへんだっけ」
今はそんなことより仕事だ。わん娘と共に人混みに踏み込んだ。
さて、今日も哨戒任務中の上等兵は何をしてると思う?
答えはただのおつかいだ。宿の親父さんにちょっと買い物を頼まれた。
「にしても、ここにきてまたじゃがいもか。リム様のせいで芋と仲良くなったな」
ふと紙に書かれた一文を眺めた――【これで買えるだけのじゃがいも】とある。
「……リムさま、今頃何をしてるんだろうね」
「あれから連絡もなければ気配もしないからな。いや、フランメリアがこうなってるんだから忙しいのかもな」
じゃがいもにつられて『呼びましたの?』と神出鬼没の声を期待したが、あるのは都市の歓声だけだ。
あれからリム様はどうしたんだろう。頼りのなさを元気な証拠とみるべきか。
慣れない足取り二つであたりを探れば――途中で小さな通りをやっと見つけた。
たぶんあれだ。数々の露店が道を挟んで彩り鮮やかな食材を振りまいてる。
「いかにもって感じだな。ここで買えばいいのか?」
「そうかも。いい匂いがする」
「ならいい場所だろうな。ところでいい匂いって向こうの肉屋さんが焼いてる串焼きのことじゃないよな?」
「じゅるり」
「食べたさそうな顔だな、じゃあついでに買い食いでもするか? にしてもこっちじゃガストホグとクレイバッファローの肉が普通に店先で並んでるんだな……」
それでも慣れない異世界での暮らしを手探りでやっていくのも意外に悪くない。
現に市場に足がつけば、そこはわいわい繁盛する様子が押し込まれていて。
「回復薬はいかが? クラングル郊外で採れた薬草も売ってるよ!」
「調味料を安売り中だ! 最近何かと話題に上がるショウユもある、旅人さんそう言うの好きだろ!」
「魔物の肉を入荷したぞ! 料理好きな旅人さん、買ってかないかい?」
そこではプレイヤーでもヒロインでもない、一言でいえば現地の方々の商売が盛り上がってた。
老若問わずの人間、典型的なエルフ、厳ついオークに立派な雄っぱ……ミノタウロス、フランメリアに多く見られる人種だ。
都市住まいの市民に迷い込んだ日本人に人外少女と稼ぐ相手に困ってないらしい。
「おい、そこのアンタ! その顔……」
お求めのじゃがいもはどこだと探ろうとすると呼び声が挟まった。
横からだ。店先いっぱいに野菜のみずみずしさを並べた緑の男がいた。
いや本当に緑なのだ。耳は尖って肌色も濃い緑、黒白目の人間じゃない何かが清潔感のある服を着て爽やかに野菜を売ってる。
「俺の顔について一言ありそうな感じだけどそういう客の引き方か?」
向き合えばなおさらだ、フランメリアらしいバケモンの姿がある。
少し尖った顔こそあれどヒトの造形にだいぶ近い全体図だった。
「客も欲しいシ、あんたのいい顔にも興味がある感じダ。まさか最近噂の蘇ったアバタールなのカ?」
そして言った。人間に限りなく近い言葉で「アバタール」だ。
まったく一体どう噂されてるのやら。
「ご期待に答えられない方のアバタールだ。知り合いか?」
「いヤ、いヤ、いろいろ聞いてるヨ。死んだアバタールが蘇ったとカ、フランメリアに戻ってきたとカ」
「どうも話題になってるらしいな。まあ本人じゃないと思ってくれればうれしい」
俺はさぞ面倒くさそうにそう伝えた。
すると向こうはここの住民らしい理解力を生かしてくれたのか。
「そりゃ大変だろうなア、まあ噂は耳にしてル。成すべきことを成すためニ、再びこの世に君臨したとかだったカ? 話しが大げさすぎて正直半信半疑だったガ、おいらは信じてるヨ」
「大げさだけどそんな感じだ。俺のことどこまで知ってるんだ? 突然変異型アバタールぐらいは届いてるか?」
「知ってるのはアバタールの意思を継ぐ者がまた来てくれたってことぐらいサ。そいつが野菜を買ってくれそうだってのも期待してル」
「どっちもあってる感じだ。ところであんたは?」
「おいらはゴブリンってやつだヨ。こうして美形になっテ、商売にも参入できるほど世間に知れ渡ったのもあいつ――いや、あんたのおかげなんダ」
「こうして繁盛してるのもアバタールのおかげか」
「ほんとにあいつならあんたはゴブリン族の恩人だヨ。で、そんな大物がなにしてんだイ?」
「おつかい。こいつで買えるだけ買ってこいって頼まれた」
こうして市場にやってきた我が身を迎えれてくれたみたいだ。
紙幣を見せつけるとゴブリンを名乗る爽やかな男はにこやかにして。
「じゃあ御入用かイ? うちはクラングルの飲食店御用達の八百屋サ、農業都市【アグリア】直送の野菜がいっぱいだヨ」
店前に広がる色とりどりの野菜たちを紹介してきた。
ブラックガンズのものよりずっとうまそうだし、新鮮な香りが強く漂ってる。
「じゃがいもはあるか?」
「あるヨ。なんだイ、ほんとにあんたお使いでもしてんのカ?」
「ここにきて初めてのお仕事なんだ。まあ宿の人に世話になってるお礼も兼ねてる」
「律儀だねエ。待ってなヨ、用意してやるかラ」
「どうも。ところでじゃがいもが何十種類も並んでる気がするけど、どれ買えばいいんだ?」
「それを見繕うのもおいらの仕事サ。クラングルじゃ芋っていったら口当たりが軽くテ、肉質がふわふわしたやつダ」
ちょうどよかったらしい、3000『メルタ』を押し付けた――この国での通貨だ。
しばらくするとゴブリンは店奥から厚い布袋を軽々持ってきた。二人分も。
じゃがいもの形が浮かんで重たげだがストレンジャーなら余裕だ。
「まいド、ついでにりんごもおまけしてやるヨ」
ニクと一緒にブツを受け取ると、向こうはおまけの紙袋も押し付けてくる。
小ぶりのリンゴがあふれんばかりだ。えらいサービス精神を感じる。
「ずいぶん気合の入ったおまけだな。いいのか?」
「お近づきの印ってやつサ。持てるカ?」
「訓練されてるから楽勝だ。また来るよ」
「おう、またおいデ。うまい野菜と果物が欲しかったらここが一番ダ」
粋な計らいをバックパックに詰め込んで、じゃがいも袋も担いで市場を離れた。
帰りは少し重い足取りだろうが世紀末世界で鍛えた俺たちには苦でもない。
「……あいつ、今頃何してるんだろうな」
帰路につく途中、ふいに相棒の顔が浮かんだ。
ミコのことだ――実を言うとあれから俺はしばらく顔を見せていない。
というのもあれからミセリコルディアは多忙だ。四人揃ってからあのクランは引っ張りだこらしい。
でも一番の理由は気まずさだ。
この世の平和な営みを見ていると何度も思うことがった。
いつでもうまい飯が食えて、家族みたいな存在がいて、そこからウェイストランドに引きずり下ろされたあいつの気持ちはどんなものだったんだろう?
相棒の振る舞いはストックホルム症候群みたいなもので、その呪いがそろそろ解ける頃なんじゃないか……なんて考えもそろそろある。
「ご主人、ミコさまに会わないの?」
少なくとも今はこうしてニクに首を傾げられてる。
会いたいのは確かだ。でもどうしても後ろめたい。
それにまだ向こうも仲間たちとの時間を取り戻してるんだ、水は差したくない。
「続く言葉は「いつでも会いに行けるのに」か?」
「ん、そんな感じ」
「もう少し後でいいかなって思ってるところだ」
「……それ、前にも言ってたよね?」
「たぶん次も言うと思う。まあちょっと後ろめたくてな」
罪悪感ってやつだ。はや数日、一度も会わなくなるほどの。
しばらく大通りから都市の東側までを無言で歩いた。
市場を沿うように進んでいくと、やがて人混みの多い別の通りが見えてきた。
武具やら荷物やらを身にした一団がちょくちょく見えるような場所だ――冒険者とかいうやつである。
「依頼は受けたな! 行くぞォ!」
「ポーション持ちました? 各自糧食は持参済みですよね?」
「相手は町の郊外で増えまくったフレイラビットの群れだ、強い相手じゃないから落ち着いて挑もう」
「またあのウサギ相手の依頼……もうちょっとワクワクするようなのはないの? 害獣駆除業者じゃないんだからさあ私たち」
「クラングル周辺は落ち着いてるからしょうがないよ。稼ぐ先があるだけありがたく思おう」
人間やら、ヒロインやら、そんな見てくればかりだ。
そいつらはどこへ行って何をするのやら街の外へ旅立っていった。
まあ今の俺には無縁だ。そもそも何をする連中なのかもよく分かってない。
「よいしょ……よいしょ……!」
お勤めの連中が遠ざかったそんな時、すれ違うように誰かが来た。
水色の髪を長く透き通らせた女性だ。一目で重たそうな何かを可愛らしい声で運んでる。
ただし人間じゃない。鎧を軽く被せたドレス調のワンピースから見える四肢は、指から肘膝まで球体関節人形の造形がある。
「ご、ごめんなさ~い……! ちょっと道開けてもらえませんか~?」
そいつの今にも力が抜けそうな音色にばったり鉢合わせてしまった。
陽気で親しげな顔はひと汗かいて苦労してるが、なにせ抱えてるブツといえば。
「おいそこの……お姫様みたいな人形のやつ、その世界観台無しにするようなでっかい箱はどうしたんだ?」
物々しい深緑の強化プラスチック製、それも電子錠つきの軍用ケースだ。
横長で深さのある構造にさぞ物騒なものを保管できるだろうけど、中身がどうであれ重たいのは間違いない。
ところが持ち主は人外だ。通りの脇に人手二人の運搬を想定したサイズを「よいしょ」と下ろし。
「えっ? これですか? 私の戦利品ですけど……?」
息の上がった顔立ちはきょとんと首を傾げた。目つきは俺を少し訝しんでる。
「まさにその通りだ。そいつは電子ロック機能つきの軍用ケースだぞ」
「電子ロック……? あの、お詳しいようですけど……もしかしてあなたはプレイヤーさんですか?」
どうも俺は日本人に見えないらしい。面倒な身の上を説明することにしよう。
「まあそんな感じだ。俺って日本人の顔に見えないか?」
「ごっ、ごめんなさーい!? えっとそういうわけじゃないんですけど、あなたって顔がキリッ!としてて、なんだか他のプレイヤーの人達とは雰囲気が違うなーって……」
「そいつに対して言うことは三つだ。一に誉め言葉として受け取っておく、二にだいぶ的を得てる。三にこの頃移ってきて都市暮らしの賑やかさに緊張してる。つまりプレイヤーだ」
「い、言い回しもなんだか一味違いますね? あなたみたいな人、なんだか初めてです……!」
「ついでに言うとお前の成果を横取りする泥棒でも、下心込めてナンパしにきたやつじゃないぞ。お前が頑張って運んできたその箱はどうしたって話だ」
ケースと一緒に自分を表現すると躊躇い混じりに信じてくれたみたいだ。
その証拠に向こうはやり遂げたような顔で戦利品を背にして。
「これはですね、お外にある廃墟で見つけた宝物です。ほら、前に突然現れた現代的な建物です。そこを探検したらこんなものを見つけちゃいまして……!」
果たしてどんなお宝やら、正体不明の軍事的な遺物を得意げにしてきた。
なるほど、見つけた場所はともかく向こうから転移してきたブツか。
いや、そんなのを壁の外からえっちらおっちらお持ち帰りしたとか正気かコイツ。
「……こんなに大きいのをわざわざ運んできたの?」
ほら、隣でニクもジトっと挟まってきた。
「もちろんですっ! 私のような【ドール】は戦いのためにつくられた人形という設定なので、けっこうパワフルなんですよー? えっと、ちなみにそちらの黒いワーウルフのヒロインさんは……?」
「俺の相棒だ、戦利品のじゃがいもを宿に持ち帰るところだった」
「ん、相棒」
「ひょっとして、お二人ともパーティを組んでたんでしょうか? なんだか仲の良さそうな距離感ですけど」
「けっこういい付き合いなのは間違いないな」
「ふふん、ご主人とこれからも末永くやってくつもり」
「ご主人……!? も、もしかして主従関係を結んでいたんですか!? すごいですね☆」
お人形姫はじゃがいも袋を抱えた俺たちに明るくすらすら喋ってる。この世界のヒロインらしい振る舞いだ。
その人懐っこさに「で、その箱どした?」と目を向けると。
「あっこの箱ですけど、宿に持ち帰って開けてみるつもりでした! きっと何かすごいものが入ってると思いまして!」
「まあ確かに期待できる見た目だな。で、そのなんかすごいのをどうやって取り出すんだ?」
「――総当たりか、どうしてもだめなら力づくかですっ!」
「現地で総当たりか力づくじゃダメだったのか? わざわざこんなもん律儀に一人で抱えて帰ってくるとか何考えてるんだ」
「それはごもっともです! でもでもこういう箱ってけっこう欲しがる人もいるんですよ?」
「この箱が?」
「はいっ! こういう箱って道具入れとかにちょうどいいですからねー? まあ、あなたの言う通り開けばですけど……!」
「こんなのにわざわざ四桁総当たりするつもりかお前。それでも開かなかったらどうするんだ」
「気は進みませんしちょっと価値は下がっちゃいますけど剣でずばっと鍵を……」
どう開けるかまで話が繋がれば、向こうは背中の大きな剣を見せてドヤ顔である。
よくわかった、パワフルな解決法しかなかったんだな。いったん荷物を下ろして。
「ずばっと行く前にいいこと教えてやるよ、こういう解決法もある」
手を近づけると【ハッキング可能!】と浮かんだ。
解錠可能なシステムらしい。操作してハッキングを開始――25、50、100。
かちゃん。
そんな音がした。これで総当たりも力づくも必要がなくなった
「わっ!? 開きました!? 今のは魔法とか……じゃないですよね?」
「あたらずともなんとやら。で、中身は?」
「ふふふっ、じゃあ私と一緒に見ちゃいますか?」
「いいな、一緒に見よう」
「何が入ってるんだろう……?」
「よーし、じゃあ開けちゃいますよー? いきますよー?」
ケースの持ち主はとてもにこやかだ。俺たちは(ついでに周りの目も引いて)中を覗くことにした。
そんな彼女が軍事規格なりの入れ物をいそいそ開くと――
「……あー、おめでとう。えらいもん入ってたな」
「こ、これは……!?」
「……ん、火薬の匂いがする」
弾薬箱と――戦前の綺麗な短機関銃が入ってた。
どおりで重いわけだ、新品の香りと万能火薬の酸味を漂わせてる。
「……そ、そんな……。ここまで一生懸命運んできたのに、こんなもの使えませんよー……」
俺からすれば使い道はあれど、お人形系ヒロインからすればしくしくするほど外れみたいだ。
「だったらいっそ銃でも使ったらどうだ? 弾も腐るほどあるぞ」
「私は騎士なので銃なんて使えません! そもそもプレイヤーさんも私たちヒロインも使えないじゃないですか!」
これでも使えと促すと何やら熱く訴えてきた――いや、使えないって?
現代火器はお好きじゃなさそうな彼女はいまいちこの価値が分かってなさそうだ。
「プレイヤーもヒロインも使えない? どういうことだ」
「どういうことって、あなたは知らないんですか……?」
「頑張っていろいろ学んでるところだ。説明してくれるとうれしい」
「えっと、あのですね? こんな感じの『銃』がこの世界に時々落ちてるんですけど」
「こんな感じで手に入るなんて物騒な世の中だな」
「でも誰も使えないんです! 引き金を引いても弾が出ないっていうか」
「……は? 弾が出ない?」
聞けばもっと妙な話も引き出せた。銃が使えないだって?
「みんな使おうとすると【スキルエラー】って表示されて撃てないんです。色々な人が試したそうですけど、いまだに撃てたって話は聞いてませんし……」
「なるほど、拾った銃で馬鹿やる人間がいなかったっていい受け止め方をしとこう」
「た、確かにそうかもしれませんね……もし撃てちゃったら、それはそれで大変なことになってたかもしれませんし!」
本当にどういうことなんだろうか。
信条、後ろめたさ、宗教上の理由などで撃てないんじゃなく物理的にらしい。
こうして目の前の近代的な武器に価値がなくなるほどの事実なんだろう、人形姫はがっくりしてる。
「どうしましょう……せっかくお昼ご飯も我慢してせっせと運んできたのに……」
「……運ぶ前にお手元をよく見とくべきじゃなかったのか? 火・気・厳・禁って書いてるぞ、こんな分かりづらい場所に書くなよ」
よく調べると取っ手あたりに【火気厳禁】のかすれた殴り書きがある。
150年経ってもなお残る白文字はこの箱の管理のずさんさを表していて、そして今ようやく人類に牙を向いてる。
「あっ本当です! み、見落としちゃってましたー……あはは……?」
「こいつの持ち主の不親切さに騙されたみたいだな。でもこんないかにも軍事的な箱に何入ってると思ったんだ? 夢でも詰まってるとでも?」
「冒険に役立つグッズとか、ミリメシっていうのもあるかなって期待しちゃいました……」
「ミリメシね、飯に恵まれてる世界なのにあんなの食いたいとかマニアックなやつだな」
結果はがっかりらしい。このケースはただのミリタリーな入れ物だ。
二人分のため息が重なった。じゃあこれどうするかって話だが。
「……ま、まあ箱だけでもけっこうな価値がつくと思うので……」
まだしょんぼりしてる。仕方ない、ポケットを漁った。
「分かった、俺がそいつをケースごと買い取る。いくらだ?」
ストレンジャーのお人好しめ。俺は紙幣を引っこ抜いた。
アーツアーカイブやらスペルピースを売り払って得た【メルタ】だ、なんやかんやで数万メルタほどにはなった。
「って……いいんですか? あなた、これ使えないんじゃ……」
「それを調べるための研究材料ってことにしてやる。これくらいでいいか?」
途端に彼女は「おぼれたところを助けられた犬」みたいな目をしてきた。
仕方ない、こんなものを持ち込んでしまった俺の責任みたいなもんだ。
「ほ、本当にいいんですか? 無理しなくても大丈夫ですからねー……?」
「良心が痛んでるだけだ」
「良心……?」
相場なんて知らんがこうして喜んでくれるぐらいの取引にはなるらしい。
適当にそれらしく(けっこうな額を)渡すと相手は少しあたふたしつつ。
「分かりました、じゃあ買い取って下さい! 私が運んであげますね!」
いい笑顔で武器入りのケースを売ってくれて、これで需要と供給が事足りた。
高い買い物になったけどまあいいか、三人でのろのろ寝床の宿を目指した。
◇
「おお、遅かったじゃないかイチ。まさか迷子になったのか?」
宿に戻るなり、ちょうど俺を気にかけてたような親父さんのそれが待ってた。
じゃがいも袋と武器ケースを三人で仲良く持ち帰ってきたストレンジャーに「ええ……」と戸惑いが立ち込めてたが、
「彷徨ったのは確かだろうな、なんかおまけもついてきたぞ」
「ん、ただいま亭主さま」
「こんにちはー! お荷物一緒に届けにきましたっ!」
「……いや、なんか一人増えてるんだが。というかお前さん、なんだそのでっかい箱は」
今日も彷徨いまくりな俺は依頼の品を馬車馬のごとく運んだ。
カウンター裏に届けて任務完了だ。ケースもそこらに置かれて宿は窮屈になった。
「ちょっといろいろあったんだ。それとこの箱は自分の金で買った私物だから気にしないでくれ、そういう趣味なんだ」
「ん……荷物がいっぱいで大変だった。このじゃがいもでいい?」
「まあ無事に帰ってきたのはいいことだし、じゃがいも選びも文句ないんだが……その子はどうしたんだ?」
ようやく腰を下ろすと親父さんはふらふらついてきた水色髪の子が気になったらしい。
そんな彼女も今や重荷を下ろせてすっきりした表情で。
「あ、申し遅れちゃいましたね。はじめまして! 私はドールのヒロイン『リスティアナ』です、クラングルで冒険者をやっています!」
にこっと元気な挨拶をしてくれた。
明るい振る舞いとその人懐っこさはここにだいぶいい印象を振りまいてる。
「ほう、冒険者ね。で、どうしてお使いをしたら女を連れ込んでくるのか説明が欲しいんだが」
「このお姫さんみたいなのから個人的な買い物をしただけだ」
「お前さん一体何を買ったんだ? だいぶ重たそうな変わった箱だが呪われたアイテムとかじゃないだろうな?」
「ちょっとした家具だよ。まあ開けたら困るパンドラの箱みたいなもんだ」
「そうか、だったらうちで開けるんじゃないぞ」
このケースの処遇は後回しにするとして、リスティアナとか言う人形系ヒロインはこっちにひょこひょこやってきて。
「わざわざ買い取っていただいてありがとうございますー♪ ええと、お二人のお名前は……」
明るさいっぱいの蜂蜜色の眼差しで人懐っこく伺ってきた。
「イチだ。こっちのわん娘がニク」
「ん、ニクだよ」
「イチ君とニクちゃんですね! この御恩は忘れません、必ずお返しますから!」
「そりゃどーも、またなリスティアナ」
「どういたしまして」
なので適当に返した。分けてほしいぐらい元気なやつめ。
一儲けした彼女は嬉しそうな足取りで出て行こうとして――
「……あっ、お腹がすきました。店主さん、ここってご飯食べれますかー?」
いや戻ってきた。店に漂う料理の香りに思いっきりつられてる。
「おかえりリスティアナ、ずいぶん早い再会だなオイ」
「いや急に何なんだお前さん。まあ他所の店みたいにたいしたものは出せんが、冒険者の腹にたまるものは大体あるぞ」
「いいんです! 空腹は最高のスパイスだって友達が言ってましたから!」
「そうかい。まったく、じゃがいものついでに客まで連れてくるとはな」
「えーと、じゃあこの……揚げじゃがと、ポトフと、エビピラフと……」
「……けっこうな量を注文してるが大丈夫なのかい?」
「大丈夫です! ヒロインはみんな食いしん坊なので!」
ついでに客も一人捕まえた結果になったようだ。
髪の薄い親父さんは呆れてるんだか関心してるんだかよくわからないが。
「ごめんなさいねイチさん、お使いなんて頼んじゃって」
代わりに娘さんがじゃがいもを確かめにきた。
覗けば質も量も満足したのかいい笑顔で「ありがとう」と褒めてくれた。
「いやいいよ、世話になってる身だし。あとこれ、おまけしてもらったやつ」
「あら……りんご? いっぱいあるけど、どうしたの?」
「店主の気前が良かったんだ。使ってくれ」
「じゃあアップルパイでも焼こうかしら。もちろん食べるわよね?」
「アップルパイか。楽しみにしてるよ」
八百屋ゴブリンのおかげで娘さんはご機嫌だ、りんごの運命はパイになった。
こうして初めてのおつかいは成功か、なんかよくわからないヒロインもついてきてしまったけど。
「――ただいま! どうよイチ、ここの暮らしは慣れたか?」
タカアキがドアを開けてやってきたのはそんなタイミングだ。
マフィアさながらのスーツ姿にサングラスという出で立ちは相変わらずおかしいが、宿の面々は特に気にせず。
「こんにちは! お邪魔してます!」
飯待ちリスティアナの笑顔とばったりだ。対して幼馴染は「誰こいつ」な顔だ。
「あ、どうもこんにちは……もしかして新しい客? それとも誰か連れ込んだ?」
「イチ君にお世話になっています!」
「おう、そっかそっか……イチ、かわいい子連れ込むとか変わったなお前」
なんてやり取りだ。元気な返しもあって俺がテイクアウトしたように思われてる。
「そう見えるか?」
「いやどっちかっていうと人生彷徨ってる感じがするぜ」
「じゃあその通りだろうな。ついさっきお使いから帰ってきたところだ」
「それがどうこの子連れ帰ったのに繋がるのか謎だけど、市場どうだった? すげえだろあれ?」
「すっごい混んでた。でも道がしっかり整えられてるからそんなに迷わなかったな」
「だろぉ? 人混みに飲まれなきゃ大丈夫さ」
ちょうどいい、俺はがらがらの店内に置いたケースに手をかけた。
中から折りたたみ式銃床を備えた短機関銃を引っ張って。
「あとこれお土産。ついでに聞きたいことがあるんだけどいいか?」
タカアキに渡した。慌てて受け取ったようだ。
「いや、お前……何してきたの? なんでじゃがいも買ったのにサブマシンガンついてくるん?」
「そこの腹減ってるやつといろいろあったんだ」
「何がどうなればおまけで女の子とこんなもんついてくるんだよ」
「お前がそんな格好しててよかったと思うよ、お似合いだぞ。それよりここの奴らは銃が使えないって聞いたんだけどマジか?」
「ああ、そのことなんだけどな……飯食いながらでいいから聞いてくんね?」
とにかく任務完了だ。短機関銃をいじるタカアキの話を聞くことにした。
◇




