111 悩みとラーメンと
テーブルの上に雑多な道具が置いてある。
ブラシやらクリーニングロッドやらを添えればやることは一つしかない。
『リージョン』と名の付く自動拳銃の分解だ。
弾倉を抜く、撃鉄を立てる、スライドを引いて固定する。レバーをつまんで上半分を取り外す。
『こちらエルフチーム。暇だから屋上で監視してるけどいたって平和ね、遠くで目を光らせてるような連中はもういないわ――やっぱりカジノの件が効いてるのかしら』
『こんな時間までお仕事とは大したもんじゃな、んなことせんでもいいんじゃないの?』
『種族柄よ。明確な敵がいる以上、ここは私たちの狩場みたいなもんだから』
『エルフは物騒すぎじゃな。そんな神経質じゃから廃れたんじゃねーの』
『あら、平和になってから何にもやることなくなって一族総燃え尽き症候群になったドワーフが言えるかしら?』
『現世で怠けて世界樹腐らしたやつらがよく言えたもんじゃのぉ、あれどんだけの損失になんのかわかっとんのかお主ら』
『あれは私たちのせいじゃなくて前の世代の連中のせいよ、あんな頭の固い老害連中と一緒にしないでくれる?』
『君たち、もう何度目か分からないがここで種族のいざこざだとか起こさないでくれたまえ。エルフVSドワーフの喧嘩用チャンネルでも設けてあげるからそっちでやってくれないかい?』
耳からエルフとドワーフの喧嘩が届く。ヌイスのうんざりした声もおまけだ。
抜けたスライドからバネ付きのパーツやら取り出すと、撃鉄を残した本体と射撃に必要な機構が布の上に揃う。
銃の下半身にスプレー缶からクリーニングオイルをかける――布で拭いた。
中身から外側の溝までしつこくこすればあっという間に真っ黒だ。
そして外した銃身やらバネにガンオイルをぬぐう、ロッドで銃口までしごく。
「……よし」
黒くなった手を下ろせば、清掃が終わった部品が残る。
さっきの手順を逆さにした。バネをガイドに沿わせて元の位置に取りつけて、銃身も戻してスライドをかみ合わせる。
部品が全部戻るとかしっといい音が立った、整備完了だ。
『いい知らせだぜ皆さま、ラーベ社の奴らはそろそろ損切りを始めた頃だぞ。北で稼ぎ時を待ってた傭兵どものいくつかが事業撤退してるそうだ』
そんな風に散弾銃から何まで整備してると、次第にデュオの声が届く。
時刻は午後の十時だ。早朝からの仕事のせいでだいぶ眠いが眠れなかった。
『ご親切に教えて下さった奴がいるようじゃねえか。で? つまりそいつは俺たちの風当たりが改善されたってことか?』
ハーレーが食いついたようだ。聞きながら銃剣を軽く研ぐ。
ブレードは手に入れてからすり減っていた。世紀末世界における第三の相棒はそれだけ殺した。
『そうだな。やってらんねえ、損ばかりってことで『ストレンジャー関係者』を狙う連中が壁の中にお帰りになってるそうだぜ』
『はっ、たった数日もしないうちに考えをあらためる機会が訪れたみたいだな』
『そりゃカジノごと支配地域の一つを焼け野原にされたからなぁ』
『街丸ごと使って焚火する馬鹿がマジでいるとは思わなかったぜ』
『なんなら今朝郊外でとっ捕まえた傭兵どもが寝返りの申し出もしてきたぜ。奴さんども、とうとう俺たちにビジネスチャンスを見出してるみてえだ』
『やっと落ち着いて来たってわけか』
『なんだかごたごたしてるらしいぜ。賞金額も60000チップ止まりだ、これ以上金かけらんねえって思いとどまってんだろうな』
銃剣を整え終えると、デュオからそんな報告が来た。
さすがの連中も一週間足らずで痛い目見て懲りたか。ざまあみろ。
『つまり俺たち運び屋はこんなところからやっと出ていけるんだな?』
『もう行っちまうのか? せっかくのブルヘッドだ、もっと楽しめよ』
『馬鹿野郎、こっちにだって仕事があるんだ。地元に戻ったら岩塩を使った事業に本腰入れるんだからな』
『世にも美しいフランメリア産の岩塩か。だったらプレッパーズと我が社をごひいきしてくれよな、おたくらに安泰な取引先が二つ増えるぞ?』
『クソくらえだ、もうこんな目に会いたくねえ』
『おい運び屋の、あっちの世界の岩塩マジ便利じゃから大事にするんじゃぞ』
『しかしフランメリアの岩塩が来てるとはのう、今度わしらで調査しに行かんか?』
『……今度はドワーフのジジイどもを運べとか言わねえよな?』
無線の会話からしてハーレーたちもようやく壁の外に帰れそうだ。
テュマーとド変態の事件に付き合わされた挙句、大企業のかけた賞金に纏わる出来事に挟まれて踏んだり蹴ったりだな。
そこで装備の点検が終わった。眠れぬままにキッチンへ向かう。
『……でだ、我らがストレンジャー殿はどうした? もう寝ちまったか?』
手をじゃばじゃば洗ってると社長直々の心配がかかってきた。
「銃の整備とかしてたところだ。まだしぶとく起きてる」
『仕事熱心なこった。調子はいかが?』
「あれからじっくり休めたからいい感じだ。ジンジャーエールをどうも」
黒塗りの手は元通りだ。冷蔵庫にあったジンジャーエールを取り出す。
飲めば相変わらず甘いし辛い、眠れない頭にぴりっと刺激がきた。
『スティングを出てから良く戦っていたとは思うが、ここ最近は休む間よりも武器を手に取る場面が多かったからな。俺様もブルヘッドでよく休めたぞ』
『そっすねえ。北は過激な場所だって耳にはしてたんすけど、うちらが思った以上に激戦続きだったっすからね』
『フォート・モハヴィは特にそうだったな、あの刺激的な場所のことは良き思い出として一生記憶に残るだろう』
『あそこの戦利品売り払ったらすごく儲かったっすよねえ。あひひひっ♡』
『ロアベアよ、その儲けをまた賭博に使わぬようにな。俺様もっと有意義なことに向けるべきだと思うぞ』
『白状するっす、カジノ見つけたから行こうと思ってたっす!』
ノルベルトとロアベアの言葉も届いた。あのメイドめ、またチップ溶かす気か。
辛さが胃にじんわり染みわたる。腹が減ってるけれども食欲がわかない。
『俺、ヴィラがいて良かったと思うよ。フォート・モハヴィの収穫を家ごと捨てずに済んだんだからね』
『だから言ったでしょう? チップは鮮度のいいうちに捌く、これが私の家のモットーなんだから』
『我らスタルカーは総じて『どうにか黒字にならず』といった具合だ。畜生、こんなことになるなら帰還した当日に換金するべきだったな』
『スタルカーの勝ち組は俺だろうな、ボレアス。回収したブツは全部左手に財産として宿されてるんだからな』
『うるせえぞサム、お前気になるあの子に貢ぐつもりだったんだろ? それが全額手元に残ってるだけだ』
『その彼女に『ブス』っていって彼氏ぶちのめしてやったんだから円満に別れてやったぞ。これで勝ち組だ、文句あるのか?』
耳元でスカベンジャーたちも盛り上がる。
ヴァルハラの高さに馴染んだエミリオと彼女は安泰そうだが、スタルカーの連中はだらだら言い合ってる。
「……ん……」
寝室を覗くとニクが見えた。ぐっすりだ。
うっすら目を開けるが、「大丈夫」と目を配らせるとまたくうくう寝息を立てた。
枕元には物言う短剣が寝ている。撫でてやった。
『イチ。ちゃんと飯は食ってるか?』
無線の賑やかさを感じてると、デュオに問いかけられた。
まさに今何も食ってないところだ。監視カメラでもあるんだろうか。
「寝る前にちゃんと食うから心配するな」
『食ってないってことか。大丈夫か?』
「ジンジャーエール飲んだから大丈夫だ」
『最近なにかお悩みのようだがちゃんと腹に何か入れとけよ。プレッパーズの掟だ』
「そうだったな、忠告とご心配どうも。カウンセラーはいらないからな」
言われて思い出したが、プレッパーズのルールはこうだった。
食える時に食っとけ。これで俺たちはウェイストランドで力強く戦えるわけだ。
しかし冷蔵庫は空だ。かといって何か食べたいという気持ちもなく。
『イっちゃん大丈夫かしら!? 私が何か作ってあげましょうか?』
リム様がやっぱり心配してきた。しかしどうしても、食欲がそそらない。
フランメリアのことでいっぱいだ。食べたいものが浮かばないぐらいには。
「いや、気持ちだけでいいよ。適当に軽く食ってるから」
そう答えた。「大丈夫か」とか「どうしたんすかね」という心配がきた。
『……分かりましたわ、でも何か食べたかったら遠慮なく言うのですよ?』
今回ばかりは芋を絡められずに真摯に受け止めてくれたらしい、リム様のそういうところが好きだ。
「ああ」と短く返した。それから、そうだな、外に出ようか。
「ちょっと行ってくる」
届くか分からないが、眠ってる二人に一声かけた。
それからドアを開けると――夜も賑やかなヴァルハラが見えた。
吹き抜けから見える地上では陽気な連中が楽しそうに行き交ってる
「お、ストレンジャーか。こんばんは」
「ようストレンジャーさん、今日もバロールの夜は快適だ」
適当に通路にさしかかると、道行く住人が声をかけてくる。
暇そうに寄り掛かっていた二人組の男はそれなりの友人みたいな振る舞いだ。
「そりゃ空き巣退治と燃やせるゴミの焼却をしてきたからな。ブルヘッドも少しは穏やかになっただろ?」
「ラーベお抱えの傭兵どもが痛い目みたのはほんと痛快だったよ、ひでえ連中だまったく」
「ああ、ラーベのやつらってのは手段を選ばない非道な連中だからな。そいつらの悪行が減ってスカっとしたぜ」
「みんなあいつらが嫌いみたいだな、俺もだけど」
「死ぬほどウマが合わないだけさ」
「あいつらの野蛮さが俺たちの美学に反するのさ。なあ?」
二人はそういって「じゃあな」と見送ってくれた。
また進む。その途中で広まった場所があって、いろいろな人が集まっていた。
一体何してるのか知らんが『フォーカス』をキメてたり、怪し気なお薬を味わってる連中がいっぱいだ。
「……どうだ、一本。気持ちが晴れ渡るぞ」
なんならすぐのところで青い煙を吐いてた男にすすめられた、いらんと返した。
そんな場所に入り込むと、ふと壁際の自動販売機が明るく商ってた。
「……エナジーラーメン?」
が、なんだこれは。画面の右端に覚えのある姿が鎮座していた。
円筒状で、麺料理のロゴが張られた――カップラーメンだ!
「お? ヌードルが気になるか?」
そんな商品をまじまじ見てると、やはり覚えある匂いもした。
お洒落な兄ちゃんがフォークとカップを手にしていた。
湯気の立つそれに満足した様子で、いい顔は親切心が満ち溢れており。
「ヌードルって……こいつのことか?」
まさか、と自動販売機のカップを指した。相手は手にしたものを掲げた。
「そう、こいつさ。エナジーラーメン、150年以上も続く伝統料理みたいなもんだよ」
これみよがしにカップを手繰った。そこから出たのは麺だ。
覚えのある香りに続いてずるずる音を立てて食べてる姿が妙にそそる。
「こいつはカップラーメンとか言う料理なんだがな、いや不思議とはまるんだ。今もこうして壁の中に――」
なんだか説明し始めたが、無視してパスを掲げて買い込んだ。
少ししないうちにがらっと落ちてきて……意外とずっしりしたカップが出てきた。
「お湯かけて三分だろ? よく知ってるよ」
俺は『ヌードル』をそいつに持ち上げた。
白いラベルに刺激的なデザインをした麺料理の図だ。熱湯を入れて三分とある。
問題はどこでお湯を手に入れるか、というところだが。
「流石噂の戦士殿だ、よく知ってるな。お湯はそっちだ」
ラーメンを食ってる男は「そこだ」と自動販売機を示す。
えらくかしこまった収納スペースがあって、そこに給湯を示すサインがあった。
「……まさかこっちでラーメンすら食えるなんてな」
指示通りに入れてあれこれいじるとお湯が注がれた。
そして待つ。三分律儀に待つ間に男は麺を食べ終えたみたいだ。
ほどなくして準備ができた。取り出せば温かいカップから熱気が立ってる。
「やけどに気を付けろよ、ストレンジャー。食べ過ぎにも注意だ」
教えてくれた男はスープを飲み干して、ゴミ箱に一仕事させてから去っていく。
どうもと見送ってからさっそく付属のフォークでたぐる、少し硬めの麺だ。
それからすすった――どこかで間違いなく食った塩辛さがする。
「…………」
閉口した。俺は間違いなくこれを元の世界で食ったことがある。
食感もそっくりだ。タカアキが「物足りねえや」って白米ぶち込んでたやつだ。
ふうふういいながらかっこんだ。悩みも忘れるほどのあの味がする。
「……おいヌイス、ちょっと教えてくれ」
冷ましてはすするを繰り返してあっという間に空にして、無線に一声かけた。
『ん? どうしたんだいイチ君』
「カップラーメンがあったぞ。しかもこれ、元の世界で食ったのと同じ味がする」
そして尋ねた。無線からは「カップラーメン?」とクラウディアの声がするが。
「ああ、君にだけ分かる説明をするとだね? この製作者が日本製のヌードルにはまっていたからさ」
返ってきた言葉は意外だった。まさかそんなつながりがあったとは。
「どおりで知ってる味がするわけだ」
『その様子だと気に入ったみたいだね?』
「半年ぐらい食ってなかった気がするからな。いや、うまいよこれ」
『食べ過ぎに気を付けてね。まったく、なんだか私も食べたくなってきたよ』
『――かっぷらーめんってなんだイチ? どんな料理だ?』
「お湯を注いで3分待ってから食べる料理だ。自販機で売ってるぞ」
『なんだそれ気になるな! ちょっと買ってくるぞクリューサ!』
『おい、こんな時間にこの馬鹿エルフに飯の話をした馬鹿はどいつだ』
熱いスープを飲み干しながら――また自販機に手が伸びた。何個か買っておこう。
というか、こんなものを食べるなんてしばらくぶりだった。
「……この世界も悪くないもんだな」
少し笑った。ブルヘッドに来た甲斐が一つ増えてしまった。
◇
それからもう一個ぐらい食って、軽く運動をして、そして眠ろうとした頃だ。
すっかり二十三時を超えて翌日だ。なのに眠れない。
枕から武器を剥がしても、どれだけ落ち着かせてもやはり眠れない。
「……ん……?」
ベッドのわきに座ってると、ニクがぴくっと起きた気がする。
犬の耳が立つ姿はそっと窓の外に向いた。どうしたのかと一緒に見れば――
「……なんだあれ?」
気のせいだろうか、ブルヘッドの北側にオレンジ色の光がかすかに立ってる。
ラーベ社のクソ高いビルの近くか? ほんの少し、ぼんやりと輝いてるような。
しかし見てると次第に収まる。ニクもまたベッドに伏せてくうくう言い始めた。
まあ、あのわけわからん連中のことだ。理解できない催しでもしてるんだろう。
そう思うことにした。しかし駄目だ、まどろめない。
『エナジーラーメン』で満足したけれども、妙な満腹感のせいで眠れない。
「……起きてるか?」
少し気を紛らわそうと声をかけるが誰も答えない。
枕もとから『らざにあ……』と返ってきた。返事はある、ただのミコのようだ。
けっきょく俺はもう少しだけ起きることにした。
それに身体がまだざわついてる。軽くシャワーでも浴びてすっきりしよう。
照明を落とした室内を忍び足で歩く。すぐにたどり着いた浴室で服を脱ぐ。
「よう、俺」
ついでに鏡越しのストレンジャー兼アバタールに挨拶した。いい表情だ。
顔は疲れてるけれども未来は明るい。きっと無事に向こうの世界へつくはずだ。
熱いお湯を出してかぶる。やっぱりしみるが気持ちいい。
頭も身体もきっちり磨く。汚れが戦闘の疲れと一緒に排水溝に落ちていく。
「――フランメリアか」
ふとそんな言葉が出てくる。
剣と魔法の世界は近いのに、なぜだか俺には不安がある。
あっちで余所者はどうなるのか。何ができるのか。何が待っているのか。
けっしてみんなには言えないけれども、もし向こうがここよりもずっと平和な場所だったらと妙な不安があるのだ。
戦いしか脳のない奴にとって果たしていい世界なのか、とか、ミコの家族にどう思われるだろうか、とか、そんな考えばかりだ。
「行くべきなんだよな、やっぱり」
そう、そこに行くだけだ。
クソ面倒くさい事情を抱えた俺はあっちでするべき課題が山ほどあるのだから。
でも、俺はウェイストランドに慣れてしまってる。
世紀末らしく染まった人間が向こうで生きていけるのか?
プレイヤーやヒロインたちがどう過ごしてるのかは知らないが、そいつらとうまくやってけるのか?
どんなことが起きるか分からない世界へ片道の旅をしなければならないのだ。
「……いや、ボスと約束したよな」
でも、ボスとの約束だ。
そして任務もある。ミコを連れてあっちの世界まで行く――ただの哨戒任務だ。
できることならミコが元に戻ったらみんなに見せてやりたいが、できないのだ。
「…………ボス、俺、ちゃんとやってますからね」
そしてボスとも会えなくなる。それが一番つらい。
あの人は恩人だ。アレクやサンディがずっと付き添う理由も今なら分かる。
だがやる。それがあの人への感謝の気持ちになるし、アルゴ神父に向ける言葉にもなるから。
「ふぅ……」
さっぱりした。幸い入浴を邪魔する存在は来ない。
これもまた、俺に変化が訪れた象徴なんだろうか?
がらっ。
と思ってたらドアが開いた。
太ももやら下着の有無が分かるようなドレスを着た銀髪のお姉さんが入ってくる。
「――お風呂上りに魔女はいかが?」
ばたん。
などといってきたので、俺はそっと扉を閉じた。
がらっ。
そう英断を決めた矢先にまた開く。
いろいろきわどい姿をしたリム様が悪魔の尻尾をくねくねさせていた。
「――ママですわ、この胸に飛び込みなさい」
両手を広げて大きな胸をぼるんっと突き出しながら通せんぼしてる。
ひとまずどうして人の部屋に入ってこれたのかについて聞くことにした。
「オーケー、リム様。ここは俺の部屋だ、どうやって入った?」
「ツーちゃんから合鍵をもらっちゃいましたの」
即答された。左腕のパスをこれみよがしに――絶対に許さんぞデュオ。
「そうか、じゃあ俺もう休むから……どうかいい夢を、おやすみ」
良く分かったのでスルーすることにした。今日はもう寝よう。
そう言って身体を乾かしながら素通りしようとするも、リム様の肉が道を塞ぎ。
「ねえ、イっちゃん?」
強引に捕まると思ったがそうでもなかった。頬に触れられた。
白くてするっとした手のひらが触れて、子供姿とは違う背の高さが見てくる。
「……なんだ?」
「元気がなさそうだから心配でしたわ。声も元気がないし、表情も変化に乏しいし、何かあったのかしらって」
思わず顔をそらしてしまった。きっとそれは後ろめたい態度にとられたって当然だ。
そのせいでますます、真ん丸の目がこっちを見てきた。
「自分と見つめ合っただけだ、満足か?」
隠せなくなった俺は素直に言った、それはもう諦めたようにだが。
そんな態度をどう受け取ったんだろう? リム様は紅い瞳でじっと見つめて。
「……いいのですよ、無理にアバタールちゃんでいなくても」
ふんわりと言ってきた。頬に触れていた手は頭の頂点まですっとなぞってきた。
そういうことなんだろうか? そう言われて、少し肩の荷が下りた気がする。
いや、そうなんだろうな。みんなの期待するフランメリアの英雄の気分が少し強かったのかもしれない。
ドワーフの爺さんを喜ばせて、人工知能たちを懐かしがらせるぐらいには。
「……うん、そうだよな」
「ええ、そうですわ。今のあなたが無理に背負う必要なんてありませんもの。いつものイっちゃんらしく気張らずいればいいのです」
ため息が出た。まだ剣と魔法の世界の一歩手前だというのに、無理にアバタールを演じる必要はないはずだ。
でもやっぱり、ヌイスやタカアキの事情を知ってしまった以上――あいつの人柄が頭の中から離れないんだ。
「イっちゃん。今でも私はアバタールちゃんが大好きですけれど……今のあなたも大好きですわ。破天荒で、明るくて、思いやりのあるあなたが本当に大切なんですから」
頭を撫でられた。リム様は俺のことを良く見てくれてたんだな。
負けだ。確かに俺は世紀末も恐れるストレンジャーかもしれないけれども、リム様の前じゃ愉快なクソガキ程度にとどまってるんだろう。
「ありがとうリム様。ちょっと肩に力入れ過ぎてたみたいだ」
でもそれでいいんだ。
ブルヘッドに必要なのはお利口なアバタールじゃなく、ただのストレンジャーだ。
背中からすっと力が抜けて軽くなった。付きまとう重い何かはどこへいったのか。
「よしよし。皆さま、あなたのことを心配しているのですからね? 今は自分を大切にしなきゃ「めっ」です、私も心配なのですから……」
「めっ、か」
「ふふ、すっかり逞しくなっちゃいましたけれども……私からすればまだまだ子供ですからね?」
濡れた髪がなぞられる。リム様は柔らかそうな頬で笑んだまま言ってくれた。
本当に子ども扱いだ。まあ、数百の歳を超える魔女だからというのもあるだろうが。
「分かったよ。子供らしくもうちょっとシンプルにやろうか」
「それでいいのです。あなたの内側に眠るあの子にこだわらず、どうかあなたらしい生き方をしてください。そうしてくれれば私は嬉しいのですから」
俺は向かう手を抑えて、それから小さく笑った。
見れば子供の姿とかけ離れたミステリアスな顔つきもくすっと笑ってる。
「うん、そうする。やっぱリム様には叶わないな」
お返しに頬に触れてやった。肉の付いたさらさらな感触が指先に吸い付く。
大きな魔女様はくすぐったそうに押さえてきて、すっかり気楽になった俺はさりげなくその横を通り抜けようとした。
ところが塞がれた。どどんと大きな胸ごと主成分肉と芋の壁が立ちはだかる。
「……で、なんで風呂入ってるときに来たんだ?」
すかさず行く手を遮る胸も尻もでかい露出度高めなお姉さんに尋ねた。
肝心の相手はからかうようにもじもじしてる。尻尾も怪しくくねって。
「――お風呂中は失礼かと思って今回はお風呂上りを狙いました。あわよくば言いくるめて抱こうかと」
あからさまに性的な意味を込めた調子で今までの空気をぶち壊してきやがった。
またやりやがった、お前は何時だってそうだリム様。
「なるほど変化球なんだな。じゃあおやすみ、また今度」
世紀末世界で培ったスキルを活かしてすり抜けようとするも、手首を掴まれた。
いや、なんだこのパワーは。育った身長に押されて軽々壁まで持ってかれる。
胸にどゆんっ、とサンディ顔負けのモノが押し当てられて……いつもよりも縦にも横にも大きさのあるリム様の身体に潰されてしまう。
「じー……♡」
そしてうっとりとした顔でまじまじ見られた――クソッ、マジだこいつ!
ようやく事のやばさに気づいて払おうとするも動じない。何が魔女だ、これじゃノルベルトだ!
大人ボディは要塞のごとき構えだ。むなしく顔にだぷんだぷん柔らかいものが当たるだけで息苦しい。
「……あ、あの……離してください……」
「ふふ、だーめ……♡ リラックスするまでいっぱい可愛がってあげますからね~? くすくす……♡」
迫るドレス越しの二つの大きさめがけてそう伝えるしかなかった。
しかし見上げればリム様の悪さいっぱいの笑みがあった。
妙に熱っぽい吐息を感じるし、物欲しそうな小さな唇が品定めしてるようで……。
◇




