34 サトゥルとルヌス(5)
「……やったか?」
ついタブーが漏れたが……まだ終わってない、人の気配がする。
改めて厨房の方を見てみると、それはもう素晴らしい状態だった。
仕込み中の人の腕。鍋からにょきっと突き出ている人間の足。
それとサラダのボウル代わりに使われてる見知らぬお兄さんの頭。
たちの悪いことにシェルター中に広がる腐臭に混じって、厨房はちゃんとした料理の匂いを発している。
「うわ……ここの連中はサラダ用の皿持ってないのか?」
『……!!』
「……隠すぞ。いやなモン見ただろうがなにも考えるな」
『………ぅん……』
吐き気交じりの悲鳴を上げた刀身をポケットに差し込んだ。
ミコには嗅覚もある、ということは最悪の経験を共有したわけか。
「くそっ、だから俺は人喰うやつが嫌いなんだ。全員くたばっちまえ」
毒づいても何か返してくれるやつはいない。今のところは。
落ち着くと掘られた太ももがじわっとまた痛む、包帯が赤に染まってる。
仕方がないので何か物色することにした。
包丁立てから刃物を拝借しながら進むと、黄色い冷蔵庫がある。
どう考えても開けちゃいけないその表面には、
『人肉食は歯の健康にいい!』
と汚らしい赤色で書いてある。カニバリズムの嘘つきめ。
どうせろくでもないものが入ってるのは間違いないが開けた。
すると最初に見えたのは――良く冷えたおじいちゃんの顔だ。
残念ながらスプーンの刺さったババロアらしきものが脳みその代わりを務めている。
「うっっっわ……ウケ狙いでやってんのかこれ? 馬鹿じゃねぇの」
『…………どうしたの?』
「知らないほうがいいぞ。二度とプリンとか食えなくなる」
『……早くここから出たい……』
その代わり中には青い缶が何本か入っている。
銀色の文字で*スワッター! エナジードリンク!*と書いてあった。カフェイン量は秘密、人工甘味料なしだ。
他には……冷凍庫にカクテル用の丸くて大きな氷があるぐらいか。
「しかしアルテリーの仲間か、こいつら一体何者なんだ?」
俺は良く冷えたエナジードリンクを開けながら死体に聞いた。
頭が行方不明のシェフも、使用人たちもノーコメントだ。
ぐいっと煽った、炭酸と酸味に続いてガツンとくるカフェインの苦さ。
「WUBUBUBUBU!!!」
一口飲んだ直後にかなりきた。巻いた舌が全身ごと震えるぐらいには。
脳の傷がびりっと痛むがこいつは効く。覚醒して痛みも忘れるほどに。
『い、いちクン……? 大丈夫?』
「エナジードリンク決めてやった。飲むか? かなり効くぞこれ」
『……こんなときに飲んでる場合なのかな……?』
スプラッターな光景と腐臭で苦しんでいたミコをずぼっと突っ込んだ。
すぐに缶の中から『あばばばばばっ』と振動が伝わった、これで元気だ。
ミコを戻した。ニクにもと思ったが匂いを嗅いで拒まれた、仕方ない。
「さて、残りはどこに……」
『……いちクン! 誰か来たよ……!』
カフェインパワーで少しハイになっていると、急に足音を感じた。
敵かと思って包丁を構える――が、そこにいたのは。
「……えへ」
白黒の服を着た使用人じゃない部類の若い男だ。
顔立ちはとてもいい、成長したらさぞ陽キャになるだろう、その人食いの目がなければ。
そいつはにまっと俺に笑いをお披露目したあと、
「へへへへ……おやつ」
何事もなかったかのように冷蔵庫の方へ向かっていく。
偽りの健康豆知識が書かれたそこからお菓子をとると、静かにテーブルの方へ向かってしまった。
少年は席に着くと『謎の洋菓子、悲しげに叫ぶ老人を添えて』に手を付け、
「たべる?」
カスタードクリーム色を口からぐちゃっとこぼしながら尋ねてきた。
『……うぇ……っ、き、気持ち悪い……!』
「君のものだ、独り占めするといい」
俺は笑顔でババロアを進めてくる彼にそっと近寄る。
それからぽんと肩を叩いてやると、そいつは無邪気に笑った。
また食べ始めたのを見てから――今度は左手でお菓子を食らう男の顎を掴んで。
「ただしあの世でな、一人で楽しんでろクソ野郎」
力任せに思いきり左にねじった。ごきっという音がする。
手の中で息がぴたっと詰まる感触。仕上げにお菓子の中に叩きつけて施術終了。
これでもう一人だ、さあ次はどいつだ。
「おい! まだいるんだろ!? 出て来い!」
ババロアに溺れるそいつから離れて、通路の方に叫ぶと呼びかけに応じてくれたのか。
「――ぶほっ」
食堂の外から白黒の礼服を着たデカい男がやってくる。
ただし顔には茶色い牛のマスク、両手には良く使い込まれたチェーンソーを握って獲物を探し求めてる感じだ。
そいつが俺の存在を視認すると得物のエンジンをスタートさせて、
「ぶほほほほほほほほほほほっ!!」
鋸刃を回転させながら、豚みたいな笑い声と共に突っ込んで来た。
まさかこんな安っぽいシリアルキラーすら飼ってるなんて相当趣味が悪いぞ。
が、まずは落ち着いて足元のニクを見る。
『ひっ……! こ、今度は何……!? なにあの殺人鬼……!?』
「……ニク、あいつの横を全力で通り抜けろ。噛みつくなよ」
それから一言お願いすると黒い犬は「ワンッ」と承諾してくれた。
行動はすぐだった、まずニクがテーブルをくぐって接近して、
「ぶほっ……おっ!?」
チェーンソーを振り上げる牛マスクの隣を軽々と横切った。
回転するブレードはそのままに、そいつの意識は通り抜けた犬へ。
「こっちだ! 牛野郎!」
一瞬止まったところに包丁を投擲。狙いはもちろん牛マスクの足元だ。
『シャドウスティング』だ、こういう類のやつにはこれが――
「ぶほぉぉぉぉぉぉっ!」
「あー……やっべ」
効く、と思っていたら見事に外れた。
勢いが予想以上だ、すぐに俺に狙いを戻してとんでもないスピードで迫ってきたのだ。
からんと刃物が転がる音と同時に、俺は手元にあるイスを掴んだ。
「くそっ、どうしてチェーンソー持ってるやつってこう元気なんだ!?」
ブレードを持ち上げて迫る相手にぶん投げた。
ところが大男の腕は駆動音を響かせつつ振り払う、金属部分が擦れて火花が散った。
そいつは威嚇するニクにも目もくれず、まっすぐこっちへやって来る。
「ぶほほほほほほほっ!」
ならプランBだ、クソが!
すぐに厨房に戻った、当然後ろからエンジン音がついてくる。
だがここは武器でいっぱいだ。包丁? フライパン? もっといいものだ。
「――おい、牛野郎!」
俺はぐつぐついっているコンロ近くでストップ、振り返る。
チェーンソー男が得物を唸らせながら「なんだ?」とばかりに立ち止まった。
それから突っ込まれた人間の足が真上を向いている鍋を掴んで。
「腹減ってないか? 一緒に飯でもどうだ? 俺は遠慮しとく!」
「ぶほっ?」
首をかしげるそいつへと、中身を全力でぶちまけた。
良く煮込まれた足と一緒にスープが、野菜が、熱々の散弾に早変わりだ。
「っっっぎぃゃあああああああああああああああっ!?」
スーツごと全身を焼かれて、マスクを貫くほどの高い悲鳴を上げた。
両手から稼働中の得物が滑り落ちた、煮込み料理を食らった巨体がじたばたもがく。
「おおごめん! 熱かったな! じゃあ――」
急いで壁にかけられていたタオルを借りた。
次に冷凍庫からカクテル用のアイスボールを拝借して合体。
十分に振り回せるほどのリーチを持った鈍器になった、後は――
「全身冷やしてやるよ! くたばれおらっ!」
もがいているチェーンソー男に即席の鈍器を叩きこんだ。
マスクごと顔面を殴打。ばきっと感触が伝わり「うぼぅ!」と苦しそうな声が上がる。
まだだ、続けざまに頭を何度も殴った。太い両手がガードしてきた。
今度は胸に一撃、腹にも腰にも脇腹にも股間にも首にもとにかくぼこぼこに殴った。
「ひっっっっいだっっいだいぃぃぃぃぃぃ!」
「おらっ! 冷えろ! 冷えやがれ!」
『ね、ねえまって!? いちクン!? 頭からすごい血が……!』
体を動かすたびに殴られた頭からどろどろと熱い血が流れていく、だからって俺を止める理由にはならないぞクソが。
氷を包んだ布が赤くなるまでぶっ叩いていると、ついに相手は折れた。
「ひいいいいいいいいいいっ! やだっもうやだあああああああああ!」
全身をボコられた大男は起立、泣きわめきながら逃げ出していく。
逃がすわけにはいかない、背を向けた相手にぶぉんと氷を投擲。
「いだいぃぃぃ!」と悲鳴が上がる、しかし立ち止まらないので。
「おい待てやコラァ! 逃げんじゃねえ!」
足元に転がっていたチェーンソーを拾った。
使い方はなんとなくわかる、グリップを思いきり握るとぶおーんとエンジンが唸って強烈な振動が。
「ごっごめんなさいいいいいいいいいい! こないでええええ!」
「待て牛野郎! 逃げるな! おい待てって牛くん! ねえ!」
必死にずしずし逃げる大男――牛くんの後ろ姿を追いかける。
通路をよろめきながらついていくと途中で使用人の姿が見えた。
「なっなんだあいつは!?」
「ひっ……く、くるな! こっちに来るな化け物ォォォ!?」
「逃げろ! 悪魔だ! 本物の悪魔がいるぞぉぉぉ!」
ところが牛くんと俺の追いかけっこを見るなり逃げてしまった。
無視して追いかける、もはや相手は大泣きして今にも転びそうだ。
待て、止まりやがれ、お前を八つ裂きにしてやる!!
「牛くん! 聞いてくれ! 初めてこいつで人斬るんだけど何かアドバイスある!?」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ……!」
「おいっ! 答えろや! おい! 牛くん! 牛くん!? ねぇ牛くん!」
チェーンソーと共にひたすら追いかけると、とうとう牛くんが転倒してしまった。
それどころかその場で丸まって「ごめんなさい」と連呼し始める。
切り刻んでやろうと思ったがかわいそうなので、
「おい牛くん! オーケー分かった! 俺が悪かった! ほらこれ返すから泣かないで! ねっ!」
「い、いらないいいいいい……! おれ、ほっといてえええぇぇ……」
絶賛アイドリング中の得物を返そうとしたが怯えて受け取ってくれない。
仕方ないので見逃してやろうと思ったが。
――がちゃ……っ。
近くでドアが開く音がした。
ハイになった『感覚』で良く理解した、うしろめたさのある、怯えた扉の開き方だ。
チェーンソー両手に振り向くと、すぐそばに部屋の入り口があって。
「ひっ……!」
そこから青ざめた表情の陽キャ――サトゥルだ!
お洒落なナイフを手にがくがく震えながらこっちを見ている。
「よおサトゥル。さっきはお薬ありがとう」
薬のお礼にエンジンを唸らせると「ひぃっ!」と声を上げて尻もちをついてしまった。
それから俺を見上げて一言。
「くっ……来るな、化け物……!」
化け物呼ばわりされた。
あれだけ元気で陽気な顔は見る影もない。
もう一度ぶいーんとチェーンソーを唸らせるとびくっとしながら。
「ビーン……! この……図体だけの役立たず……! どうしてお前は誰も殺せないんだ、拾ってやった恩があるだろうに……!?」
すぐそばでうずくまっている牛くんを罵倒し始めた。
「ごっごめんなさいおとうさん……すてないで……」
かわいそうなことによほど傷ついたのか、牛マスクの巨体は怯えながらぐすぐす泣き出してしまう。
「おいお父さん! 牛くんを悪く言うんじゃねえぶっ殺すぞテメエ!」
「ひっひいいいぃぃぃぃ……! ビ、ビーン……この男をどうにかしろッ!!」
あんまりに気の毒なのでサトゥルに迫った、チェーンソーと共に。
うしろから「クゥン」と制止に似たニクの声がした。
「……お、お前のせいだ……お前のせいでわたしの家族が、わたしの素晴らしき食卓が、わたしたちの屋敷が、全部めちゃくちゃだ!」
「――牛くん、チェーンソーで切るときってどこ狙えばいいんだ?」
「ほ、ほねがすくないところ……」
「き、きいてるのか!? あの本物の鬼といい、お前といい、一体なんなんだ!? この世界は一体どうなってしまったんだ! こんな世界、わたしは認めないぞっ!」
部屋の中に追い詰めた。
いやらしい雰囲気の光が漂うダブルベッド付きの空間だ、揺りかごが何個もある。
「こんなことをして世のためになると思っているのか、この偽善者め! お前さえいなければ、わたしたちはずっと幸せだったのに! このクリンに本当の美食を教えることができたのに!」
さらに迫る。棚にぶつかって金髪のお姉さんと裸で抱き合ってる写真が転がってくる。
あと何言ってるかよく分からない。
「へい! そこのお前! 何をしてんだ!? どこへ行くんだッ!?」
「分かった! そうだっ! チップをあげよう! 貰い物だがいっぱいあるぞ! 一生遊んで暮らせるほどあるぞ!」
「さあバイパス手術の時間だ。そのチップはあの世で使いな」
グリップを握ってチェーンソーを全力で立ち上げた。
「まて」と言いかけた褐色陽キャの胸元へとブレードを突き刺した。
「ぎゃっあっっああああああああああああああああああ!?」
ぎゃりりりりっ!と今まで感じたことのない手触りと音がした。
回転する刃を奥までたっぷり切り込んで、痙攣しまくる身体を掘り進むと。
「……わたしには、家族がいるのに……何年も……ずっと」
苦し気にそう吐き出してから、人食い陽キャは事切れた。
俺は用済みになったチェーンソーをがらっとぶん投げて。
「走れ! 牛くん! 走るんだ! ここから早く逃げろ!」
かわいそうな牛くんを叩いて起こした。
本人はむくりと立ち上がって、やや混乱しながらも歩き始めた。
「わっ……わかった!」
「元気でな! まっとうに生きろよ!」
「う、うん……! ありがとう、おにいちゃん!」
『…………もうやだ、この世界……』
これにて腐臭漂うシェルターは制圧した。
さあ、これからどうするか。
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