第5話 夜明けのアイドルの影響力
普段から寝覚めがいいというわけではない。
むしろ、なかなか起きれない方だけれど、今日は極端にその兆候が出た。
「……ねっむ」
目覚めの悪さも手伝ってか、目の前が霞んで見える。どうにか上体を起き上がらせたけど、そこから動き気力が湧いてこなかった。
夢見が悪かったのもあるだろう。
内容は朧げだけど、天津姉妹が出てきたのは覚えている。夢見の悪さと合わせて考えれば、いい夢だったはずもない。
「現実だけじゃなく、夢まで」
苦労させられる双子の姉妹である。
ローテーブルからスマホを拾う。薄暗い中、発光する画面がいやに眩しく、うっとなる。どうにか慣れてくると、ようやく時間を確認できた。
七時十一分。
起きるには丁度いい。むしろ余裕があった。
また寝たいなーという欲望が沸騰したお湯のようにぶくぶく浮いてくるけど、頭の中に残る双子の顔がそれを許さない。怒っているとかでなく、気になって寝れない、という意味で。
なので、諦めて心地よいベッドから出ることにする。いつか、寝ながら登校できればいいな、と思うけれど、ベッドの並ぶ教室を想像すると、なかなかにコミカルで笑って授業にならなそうだ。
部屋を出ると、むわっとした湿気が襲ってくる。夏はサウナのように蒸し暑く、冬は氷室のように肌寒い。部屋から出たくなくなる一因で、そのまま巣ごもりしたくなる。
でも、学校があるので諦める。
階段を降りると、母親も起きているのかリビングからテレビの音が聞こえてきた。とりあえず、顔を洗ってからと思ったけど、リビングに繋がるドアの向こう側から『夜明けのアイドル』という単語が聞こえてきて足が止まる。
母親の声じゃない。
テレビ? なんでと思うも、すぐにまさかと至る。
で、その予感は当たりだったわけだ。
夜明けのアイドル芸能界引退!?
そう銘打たれたキャッチーでありながらチープなコピーがテロップがテレビに流れていて、速報とニュースキャスターが原稿を読み上げているところだった。
SNSで広がり、芸能事務所も否定せず。
「あら、辞めちゃうのね」
なんて、コーヒーを飲みながら母親が軽い感想を口にしていた。俺もそんな他人事のような気持ちでいられたらよかったけど、首がコンクリートで固められたように動かせなくなって、テレビから目を離せなかった。
あれだけ学校中に広まれば、こうもなるか。
生真面目に語るキャスターと、突然の引退について考察を交えながら自論を述べるコメンテーターたち。そうした会話が耳に入ってきているはずなのに、耳を通り過ぎるように脳に定着しない。
ただ、ニュースで取り上げられるぐらい、凄かったんだなって、いまさらながらにシノの人気度を理解する。
あんまりアイドルらしい一面を見たことがないから、いまいち芸能人という認識が薄かった。
「あら、おはよう」
「うん」
遅れて俺の存在に気付いた母に、頷いて返す。
「コーヒー飲む?」
「砂糖とミルク入れといて」
はーい、と了承してくれる母を置いて、洗面所に向かう。
バシャッと生温い水で顔を洗って、少しガサついたタオルで顔を拭う。顔を上げると、しかめっ面が映りこんでいる。
「……むぅ」
余計に目端口端に力がこもった。
■■
予感があったわけではない。
あったのは確信で、予感させるフラグのような伏線があったとするならば昨日の級友の発言に他ならないだろう。
コーヒーだけ飲んで胃を痛める。
家を出る前に母から『朝ご飯は食べないの?』と訊かれてはいたけど、どうにも食べる気がしなくて遠慮した。健康優良児なので、食はそこそこあるのだけど、今日は朝から空腹を感じなかった
お腹具合よりも、気になるがことがあるからかもしれない。
九月に入っても変わらず外は炎天下が続いていた。
バケツをひっくり返したような雨が不意に降るので、晴れているだけマシかもしれない。
でも、雲の少ない青々とした晴天というのは、三十度を超えるといい天気でハッピーと気軽に喜べない。
びかびかと自己主張の激しい太陽には、雲の影に隠れる謙虚さを見せてほしい。
避暑地代わりにコンビニに寄る。
ただ、暑さからの逃避というだけでなく、気になることもあったからだ。
「……あるよね」
雑誌棚を見ると、あって当然とばかりにシノ、というか夜明けのアイドルの顔が、引退の文字と一緒に並んでいた。
前に見たファッション誌とは違って、綺羅びやかさはない。世間に衝撃と焦燥を与えるセンセーショナルな記事だった。
目を眇め、雑誌の一つを取る。
なにかのインタビューの写真だろうか。両手でマイクを持って笑う姿が空々しい。引退の文字と並ぶと滑稽にも見えた。
どんなことが書かれているのか。
少し見てみようと開こうとしたけど、テープで立ち読み対策をされていたので、嘆息しながらラックに戻す。
ありがとうございましたー。
朝から覇気のない店員の薄っぺらい感謝の言葉を背に受けながら、パックのミルクティーにストローをぶっ刺す。
内側から体を冷やすようにちゅーちゅー飲む。
そうして、朝からなんとも言えない気分になりながら登校していると、徐々に登校する生徒が増えてくる。けれども、聞こえてくる話題はやっぱり夜明けのアイドル引退ばかりで、耳を閉じられるのであれば閉じたくなる。
「ん?」
辟易し、ストローの先をがみがみ歯で潰していると、校門に見慣れない人たちを見つける。
でかいカメラにマイク。
明らかに学生ではない、大人の集団。通りかかる学生に話しかけようとしているところを、教師や警備員に止められていた。
十中八九、テレビや雑誌の取材。
許可がないからか、さすがに学校の敷地内に入ろうとまではしていないが、止めに来た教師にマイクを向ける様子はなかなかに強引だ。諦めが悪いともいう。
近付くに連れ、漏れ聞こえてくるのはやっぱり夜明けのアイドル。
影響力でかいなー。
相対する教師陣たちに心の中でご愁傷さまですと労いつつ、巻き込まれないうちにそそくさと脇を抜ける。
これ、今日も授業になるのかな、なんて頭の端っこで思う。





