幕間 着せ替え遊び
そこは金色の陽に輝く美しい宮殿だった。
庭園には春を告げる数多の花が咲き誇り、窓を開けているとほんのり甘い香りが漂ってくる。
侍女が宮殿の主のために、特に豪華なものを選んで部屋のチェストや机など、あらゆる場所に飾るので、主はたとえ外に出なくとも存分に春を楽しむことができた。
だが、本日の宮殿の主は甘やかな花を愛でるよりも、己をこそ花のように飾り立ててくれるドレスの試着で忙しかった。
「うーん、これもいいなあ」
全身の映る高価な姿見の前で、年は十五の頃の少女はくるりと回って隅々まで具合を確認する。
大量のドレスの中から、八番目に手に取ったのは彼女の真っ黒な髪が最も映える白。袖口が広がるスリーブで、足首が見える程度に少し持ち上げているドレスの裾が、ふわふわと花弁のように揺れるようになっており、少女らしい可憐さが演出されていた。
「可愛いノールはなんでも似合っちゃう。ね?」
唐突に、主から同意を求められた若い侍女は、一瞬息を呑んだ。
「っ、ええ、その通りでございますね」
不興を買わぬよう侍女は必死に笑みを作る。
幸い、主の少女には見咎められず、今度は宝飾品を持ってくるよう指示された。
こうして全身のコーディネートを朝からあれこれ悩んでいるが、別に何があるわけでもない。暇さえあれば宮殿に商人たちを呼び寄せ、己の着せ替えをすることがこの少女の趣味なのだ。
「うん、この透明な石のイヤリングがいいかも。ノールにぴったり。ね、ノールすっごく可愛いよね? ね?」
次に無邪気な矛先を向けられたのは、王国の大臣の位に就いている腹の肥えた男だ。両手をもみすりし、首が落ちそうなほど大きく何度も頷いた。
「えぇえぇ、大変可憐でお可愛らしくあらせられます」
「だよね。知ってる」
少女は満足げに再び鏡へ向かう。
しかし、鏡越しに大臣が見えた途端、突然首をぐるりと回した。
「お前、嫌な目でノールを見たな」
「へ?」
少女が指先をついと上に動かすと同時に、大臣の体が上下に引きちぎれた。
血と肉片が天井まで飛び散り、侍女や侍従たちが恐怖で泣き叫ぶ。彼らはその場に皆伏せて、震えながら少女に許しを乞うた。
「何事ですか」
間もなくして部屋の扉が開き、目の下の隈が濃い、顔色の悪い男が側近を二人連れて現れた。
男はこの国の宰相であった。
むせかえる血臭と阿鼻叫喚の現場を前にしても、彼は眉をひそめただけで、鏡の前の少女を憂鬱そうに見やる。
「今度は何がお気に障ったのです」
「あいつがいやらしい目でノールを見た」
またかと宰相の男は溜息を吐く。
これが初めてのことではなかった。
日頃から容易く人を引きちぎる相手に欲情する人間などいない。どうやら少女の言ういやらしい目とは、嫌悪や敵意、憎悪、侮蔑、そういった眼差しのことを指すようだと、男は近頃やっとわかってきた。
無論、ほとんどは少女の気のせいであろう。
「こうも毎日殺めていては、あなた様の傍に侍らせる者がいなくなってしまいますが」
「黙れ。お前も死にたいか?」
光が失せ、深淵のように真っ黒な双眸が男を捉えている。可憐な少女の姿にそぐわぬ狂気はどこからやって来るものか。
得体の知れない恐怖に支配され、人々は一声も発せられない。
少女は沈黙する彼らへ、何度でも同じことを言って聞かせた。
「お前らはノールに尽くすために生かされているんだ。ノールを不快にさせるなら死ね」
真顔で、当然のこととして強いる。
それがどれだけ異常であろうとも、異議を唱えられる者はこの国のどこにも存在しない。
息することも憚られる空間で、しかしこのまま何も返さずにいれば、また少女の機嫌を損ねてしまう。
よって宰相の男は強張る膝をどうにか折り、臣下の拝礼をした。
「神の告げし栄えある子、女王陛下の御心のままに」
他の者も震えながら、宰相にならって血まみれの床に跪いた。
彼らのみじめな姿を見れば、ようやく少女の溜飲が下がる。
その時にふと、少女は跪く者の中に子供が交ざっていることに気がついた。
黒髪の、十歳かそこらの娘だ。大量の装飾品やドレスの運び手として招集された、いわゆる雑用の小姓である。
身の丈よりやや大きなお仕着せから、鳥の骨のように細い腕が生えており、それが可哀想なほどに震えていた。
少女は己がその震えをもたらしていることも自覚せず、無造作に小姓の娘の手首を掴んだ。
ひ、と娘は思わず悲鳴を上げてしまったが、女王の機嫌を損ねることを恐れ急ぎ自分の口を塞ぐ。
一方、女王の少女は新しい遊び相手を見つけたことに目を輝かせていた。
「名前なんていうの?」
「・・・ぇ」
「聞こえない。こっちおいで。ノールが似合う服を選んであげる」
出入りの商人たちへ娘の体に合うドレスをすぐに用意するよう命じ、小姓の娘を引っ張って別室に向かう。ここで着せ替えしては汚い人間の血で裾が汚れてしまうためだ。
部屋を出る際、少女は扉脇に飾られた花瓶の花に目が留まった。
フリルが幾重にも重なったような大輪の芳しい花弁を取ると、自然な動作で口に放り、食べた。
そんな奇行にも、もう誰も驚きはしない。
上機嫌に去る背が見えなくなってから、宰相の男が冷ややかに悪態をつくだけだった。
「化け物めが」




