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「セシリア様。
今、よろしいでしょうか?」
ここは宮殿に詰める騎士たちの執務室。
机に向かって雑務をこなすセシリアは、かけられた声に気づいて顔を上げた。
「ええ、大丈夫よ」
彼女はそう言って、金色の髪を掻き上げながら静かに微笑みを返す。
すると声をかけたメイドが執務室に入ってきて、ゆっくりとセシリアの前へと進み出た。
「セシリア様、アルバート騎士団長がお呼びです。
ご自身で遠征の計画を、セシリア様にご説明されるそうで」
それを聞いたセシリアは、首を傾げ、若干意外そうな表情を作る。
「あら、騎士団長自らですか?
それは光栄なことですね。
すぐにお部屋に向かうとお伝えください」
正直、騎士団長自らという部分に、何か別の意図を感じなくもなかった。
だが、セシリアはその懸念を表に出すことなく、メイドに向かって快く了解の言葉を返す。
通常、この街の騎士団に所属する騎士は、一日の殆どの時間を領内の巡回に費やす。
騎士は、見習いや兵士を引き連れながら、巡回によってこの街の治安維持に努めているのだ。
ただ、基本的に騎士というものは、単独行動を推奨されていない。
なので巡回中の異変は逐一記録して、持ち帰ることが推奨されていた。
例えば、巡回する集落の近くに、ゴブリンや小鬼が出現したとしよう。
だが、騎士はその場でいきなり、ゴブリンたちに斬りかかるようなことはしない。
原則として、騎士は騎士団の判断を仰いでから、行動することが求められている。
住民たちもそれを理解した上で、さまざまな相談事を『騎士様』に持ち帰ってもらうのだ。
そして後日、住民の訴えは、騎士団の判断を経てから対応されることになる。
結果、ゴブリンや小鬼を退治するために、数人の騎士たちが現れることもあるし、「自力で対処せよ」という、つれない返事だけが返ってくることもある。
一方、宮殿を守るのも騎士たちの重要な役割である。
従って巡回に出ない騎士は、原則宮殿で待機することになっていた。
騎士はその警戒の合間に、雑務をこなしながら、交代で宮殿や要人の警護にあたるのだ。
セシリアがアルバート騎士団長の部屋を訪れてみると、珍しく彼は書類仕事をしていた。
どうも彼はいつ訪れてみても、植木鉢に水をやっているような印象がある。
何となくセシリアはそんなことを思い浮かべながら、頭の中で想像した情景にクスリと笑みを漏らした。
「よく来た、セシリア。
早速だが、この資料に次の遠征に関することが纏められている。
今更言うまでもないことだが、事前に必ず目を通しておくように」
「ありがとうございます。
拝読します」
セシリアがアルバートから資料を受け取ると、彼は続けて話し始める。
どうやら資料を渡すのが、主たる目的ではなかったらしい。
しかも、あまり楽しくない話が続くのか、彼の眉間の皺が少し深くなったように思えた。
「今日ここへ来てもらったのは他でもない。
遠征までに君に話しておきたいことがあったからだ。
――昨年一年間で、十六件。
君はこれが何の件数だか、わかるかね?」
「いいえ」
セシリアが素直にそう答えると、アルバートは一つ息を吐き出してから、低い声で話を続けた。
「この国の騎士団が、昨年一年間に引き起こした不祥事の件数だよ」
「――――」
セシリアはアルバートが伝えてきた事実に、どう反応して良いか判らなかった。
この国には、王都を含む主要な都市それぞれに、独立した騎士団が置かれている。
よってアルバートが言った十六件の事件全てが、この街の騎士団が引き起こしたものということではないだろう。
だが、一年間で十六件――。
これを多いと思うか少ないと思うかは、意見が分かれそうだ。
「大変恥ずかしいことではあるが、外側にだけ騎士が戦うべき敵がいる訳ではない。
場合によっては騎士団の中で、思わぬ事件に巻き込まれてしまうことがある。
つまり、十六件の内の殆どは、騎士同士のいざこざによる暴力事件なのだ。
だが、その事件の中には、いくつかの重篤な事案も存在する」
アルバートはそこまで話すと席を立って、セシリアに背を見せながら後ろ手を組んだ。
「あろう事か騎士が住民や仲間を手に掛けたり、危害を加えてしまう事例が存在するということだよ。
昨年は二件の殺人と、三件の婦女暴行事件があった。
これは当然ながら、大変恥ずべきことだ」
セシリアはアルバートの話す内容に、次第に表情を曇らせる。
「なぜ、私が敢えて騎士団の恥部を晒すのかを理解してもらいたい。
君は先日の叙任式で、晴れて正式に騎士叙任された。
それは君がこれ以降は、騎士見習いではないということを意味している。
――ひょっとしたら君は、何を当たり前のことをと思ったやもしれぬ。
だが、私が言いたいのは、君はもはやエリオット殿下付きの騎士見習いではなく、一人の独立した騎士なのだということだ」
「独立した騎士――」
セシリアが口の中で繰り返した言葉を聞いて、アルバートは振り返りながら静かに頷いた。
「君は今まで騎士見習いの身分で、何度か遠征に随行したことがあるはずだ。
だが、そこで君自身に危害が及ぶようなことは、なかったと記憶している」
「それは、わたしがエリオット殿下付きの騎士見習いだったことで、暗黙の内にわたし自身が守られていた、と仰っているのですね?」
セシリアが彼の真意を確かめるように尋ねると、アルバートはそれを肯定する。
「そうだ。
そして、その庇護はもう存在せぬ。
エリオット殿下は、もはや君を助けようとはすまい。
君は自分の力で、自分の身を守らねばならないということだ」
セシリアはアルバートが口にした言葉を、心に留め置こうと思った。
敵に勝てばよいという話ではない。
自分自身を守れなければ、騎士としてやっていくことはできないのである。
「ご忠告、ありがとうございました」
「もちろん、何も起こらないことに越したことはない。
それに私も自分の騎士団で、そんなことを簡単に見過ごすつもりはない。
だが私が四六時中、君を見守っているという訳にもいかぬ。
だからこれは要らぬことと思いながら、敢えて口にするのだが――」
アルバートはそこまで言うと、少々言いづらそうな面持ちで、続きの言葉を吐き出した。
「君がもし懇意にしている人物がいるのなら、思い残しがないようにはしておいて欲しい」
「――――」
「無論、我々は今回の遠征で、死地に赴こうとしている訳ではない。
だが、遠征先に危険があるのは間違いない。
そうでなければわざわざ騎士団が遠征する必要などないのだから。
であれば、常に最悪の事態を想定しておくべきだ。
それに、以前も言ったと思うが、初めての遠征で帰らぬ者となる新人騎士は多い」
「ご配慮いただき、感謝いたします」
セシリアはあまり表情を変化させないまま、平坦な声色で感謝の言葉を述べた。
その口調はどちらかというと、この話題を早く切り上げたいという意思を感じさせる。
すると、アルバートはその空気を読んだのか、それ以上はこの話題を続けようとしなかった。
何しろ彼女には確かに懇意にしている男性がいて、思い残しならぬ、一方通行のように思われる感情を抱いている。
セシリアはそれについて詳しくここで話したいと思わなかったし、話したところでそれが解決するとも思っていなかった。
ただ、彼女は自分が抱く想いが、『遠征』という外的な要因によって、無理に背中を押され始めたのをひしひしと感じる――。
「それと、あまり聞きたい話ではないかもしれぬが、一応君の耳に入れておく」
そう予告されたことで、セシリアは心の中で身構えた。
大体、アルバートに呼び出された時は、ひとつふたつは悪い話が付いてくる。
「君と先日対戦した騎士長のミランのことだ」
その名前を聞いてセシリアの表情は、一気に不快感溢れるものへと変わった。
「慎重に協議された結果、あの戦いは正式な模擬試合として扱われぬことが決まった。
模擬試合の延長で実施されたものではあるが、新人騎士でないものが模擬試合に出場したという記録を残す訳にはいかぬ。
つまり、模擬試合の中では禁じ手とされている魔法道具を使ったミランは、あの戦いが模擬試合でない以上、お咎めを受けぬ――ということだ」
「すぐに復帰されるということですね」
罰が与えられないとはいえ、彼の名誉回復はならなかった。
そして更にセシリアに負けたことで、彼の名声は地に落ちている。
だが、騎士団に復帰してくるというのなら、また顔を合わせる機会が生まれることだろう。
それを理解したセシリアは、心の中で大きな溜息を吐いた。
「そうだ。実はそのまま騎士長として復帰する以上、君の上官になる可能性もあった。
だが、さすがにそれは許さぬとオヴェリア様から直接注文が付いたのだ」
その言葉を聞いたセシリアは、年下の赤毛の少女に心から感謝したい気持ちになった。
自分がオヴェリアの直属の騎士になるのは、遠征が終わってからである。
だが、次に顔を合わせた時には礼を言わねばなるまい。
「ただ、ミランは次の遠征には随行する。
つまり、遠征で君とは違う持ち場に就くということだ」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「私はオヴェリア様の指示に従ったに過ぎぬ。
本当はミランを遠征に連れて行かなければよいだけだが、それはそれで許さぬと他方面から指示が出ていてな――。
それでなくても今回の遠征は、ハーブランド家からの注文が多くて、現場がかなり振り回されているのだ。
ミランを最終的にお咎めなしに持ち込んだのも、ハーブランド家からの意向が強いと言われているからな」
「――ハーブランド家が?」
セシリアはその名前を聞いて、一瞬怪訝な表情をとった。
ハーブランドは模擬試合でセシリアと対戦した、カールという次男坊の実家である。
そして、この街を実質支配する三大貴族家の一角を成す大貴族だ。
ひょっとしたら、自分がカールを叩きのめしたことが、何か良くない作用をしているのだろうか――?
だが、その詳細には触れたくないのか、アルバートは話題を切り替えた。
「とにかく、初めての遠征は気をつけるに越したことはない。
ゴブリンとて十分危険であることを、頭に置きながら行動できねば君は死ぬ」
「肝に銘じます」
セシリアはそう答えながら騎士長のミランが、謹慎に到った原因を思い起こしていた。
彼が処罰を受けた原因は、まさにそのゴブリンを侮ったことにあったからだ。
彼が率いた騎士の一隊は、ゴブリンを侮り、最終的にゴブリンの反撃を受けた。
しかもミランは判断を誤って、街に逃げ帰るように退却してしまったのだ。
結果、ゴブリンの大群は街になだれ込んでしまって、戦線は街中を混乱させて広がってしまった。
幸い近くにいた冒険者たちが対抗して事なきを得たが、街には決して無視できない被害が出てしまった。
そして、その責任を追及されたことで、ミランはしばらく謹慎処分にされたのだ。
だが、本来であれば、彼は騎士長の任も解任されて然るべきである。
それが謹慎のみという形で済んだのは、彼が中堅貴族のギャレット家の跡取りで、三大貴族家であるハーブランド家の取り巻きだからという理由が大きい。
だから今回の模擬試合の後始末についても、ハーブランド家が彼を庇ったのかもしれない――。
セシリアはアルバートの居室から退出しながら、ふと、それとは別の事件を頭に思い浮かべた。
それは彼女が騎士見習いになった頃に起こった、この国の騎士は誰もが知る騎士団の失敗に関する逸話である。
その逸話は、事件の中心となった村の名前をとってルサリアの悲劇などと呼ばれていた。
そして、その事件も騎士団が引き起こした、ゴブリンの大群に関する失敗だったのである――。




