第98話 赤き魔神の遺骸 3
美作和可菜は、魔術師だ。
芦屋家のような名門の家に生まれたわけではなく、ある日、突発的に魔力操作に目覚めて、そこから自己流で魔術の研究を行い、フリーランスとして活動していたところを、機関にスカウトされたのである。
そのため、和可菜はさほど魔術に秀でているというわけではない。
機関全体の中で見れば、和可菜の魔術師としての腕は、精々が中の上。
常日頃、体にじゃらじゃらと付けているシルバーアクセサリーの全ては、自分の未熟を補うための魔道具であり、魔術の発動を補佐する物である。
では、何故、和可菜が機関の中でも、支部を任されるほどの上位の役職を得ているのか?
性格?
もちろん、それもある。和可菜は外見こそ『パンクなファッションに身を包む、仏頂面の女性』みたいなスタイルだが、内面は真面目そのもの。外見も、自分の魔術を補佐する魔道具や、術式を付与していった結果、そういう形に辿り着いてしまっただけなのだ。さながら、RPGで実用性を優先して装備を整えていったら、変な格好になってしまったように。
しかし、性格だけでは曲者ぞろいの支部を任せる判断を、機関上層部はしなかっただろう。
では、管理能力?
間違いではない。和可菜の人材管理能力は優秀だ。芦屋に土御門という、優秀な一族に属する若者たちの手綱を握り、人造人間であるエルシアにも配慮できる指示ができる人間は、早々いないだろう。
だが、他者を扱う能力ならば、機関にはもっと適材がいる。単に、人材管理だけを目的とするのならば、それに特化した能力を持つ者を上に据えればいい。
ただ、機関の上層部は、どれだけ性格が良くとも、他者を管理する能力に長けていたとしても、ある一点が基準を超えていなければ、絶対にその人材を支部長へと任命したりはしない。
何故ならば、『退魔機関』は、人の世のために、魔を退ける組織だ。力ある者が、力無き者を守るための組織だ。故に、力無き者は全て『守られる対象』である。例外はない。そして、『守られる対象』が、退魔師たちの上司として任命されることも無いのだ。
故に、和可菜……否、機関に於いて支部長を任せられる人材の全ての共通点は、たった一つだけ。
部下である退魔師たちが納得せざるをえないほど、強いこと。
支部長に任命される人材の、最低限の基準はそれであり――――美作和可菜という存在は、その基準を大きく飛び越えていた。
そう、部下である学生退魔師たちの実力を、圧倒するほどに。
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魔術が極光を纏い、和可菜へと襲い掛かる。
それは、幾万にも魔術を束ねて、様々な法則を『対象の破壊』へと収束させた超絶技巧の攻撃だった。人間の魔術師では、処理能力の限界で、発動することも不可能な魔術。魔神の権能を持つ、フォルという魔人が、己の自壊を前提にて、初めて放てる一撃だった。
「まどろっこしい攻撃ですね」
だが、その極光は容易く、和可菜の手によって払いのけられる。
決して、遅い一撃ではなかった。少なくとも音速を超えていた。雷や光の速度には劣っていたとしても、並大抵の人間ならば、反射速度が追い付かない一撃だった。
加えて、例え避けようとしても、幾万の術式の中には、当然、対象をどこまでも追尾する機能があり、必ず命中して相手の命を奪うように設定されていたのだ。
つまり、フォルは何があっても相手の命を奪うような魔術を発動させて、そして、それを防がれたことになる。二度も。まるで、羽虫でも払うような仕草で。
「…………ぐっ。ペイン、もう一度、ですっ!」
「でも、フォル。僕の権能があったとしても、三度もあの術式は――」
「使わなければ、この場で死ぬだけです!」
フォルは再び、極光の魔術を発動させようとする。
癒しの権能を持つ、ペインの協力があったとしても、その魔術は常に、自爆の可能性を孕んでいた。たった一つでも工程を間違えれば、己の肉体がバラバラになって、吹き飛んでしまう。それほどまでに過剰な魔力を扱い、幾万の魔術を同時発動させているのだ。
「愚かな。三度目の機会など、あるとでも?」
従って、和可菜は指差すだけで事を為した。
「――――ごぼっ」
和可菜に指差されたフォルは、肉が泡立つような奇怪な音と共に、爆散した。さながら、内側から火薬が爆発したかのように。
美しい髪を持つ魔人は、和可菜の一動作によって死んだのだ。
「…………え、あ? ふぉ、る?」
先ほどまで手を繋いでいた対象が、愛おしい同胞が、瞬く間に醜い肉片へと変えられたことに、ペインは理解が追い付かないでいた。
それでも、癒しの権能は発動させていたが、死亡して、ここまで分解されてしまった者は、その対象にならない。この状態の同胞を蘇らせるのであれば、『シェル』の下へと、散らばった肉片の一部でも拾って駆けこまなければいけないだろう。
「どうしましたか? 貴方の仲間が死んだのですよ? いつものように、蘇生と修復に向かわなくていいのですか?」
だが、当然ながら和可菜もそれを狙っていた。
二体の魔人、その片割れを殺したのは、別に攻撃範囲に限界があったわけではない。そのつもりになれば、両方とも一息で殺すことは可能だった。
ならば何故、ペインを残したのかといえば、残った仲間の死体を修復して、蘇生するための場所を知る為だ。既に、和可菜も照子も、魔神器官の魔人たちが、どのように復活するのか、その情報を知っていた。だからこそ、その場所へと案内させるために、わざとペインだけを残したのである。
「…………う、うううっ」
そして、ペインも和可菜の意図を察していた。
一瞬にしてフォルが倒された方法は分からない。だが、和可菜が追撃を行わないのは、間違っても情けをかけているから、などではないと理解していた。
この場で殺してもいい。
後で殺してもいい。
どちらにせよ、お前たちは全て皆殺しにする。
そのような殺意が、和可菜から向けられていることを、ペインは正しく理解している。
「…………ふーっ、ふーっ。僕が、お前を、倒してから……フォルを助ける。それで、何もかも、問題ないっ!」
「ほう」
だからこそ、ペインが選んだのは戦うことだった。
肉片となったフォルの死体を守るように立ち、ペインは和可菜へと『癒しの左手』を向ける。無論、窮地で覚醒して、その左手に特別な力が宿ったわけではない。ペインの左手にあるのは、癒しの権能だけだ。
だが、薬も量が多ければ毒になるように、魔力を大量に込めれば、その癒しの権能は、相手の肉体を破壊することも可能なことを、ペインは知っていた。
過剰な回復によって、人間の細胞を一気に老化させて、破壊する。また、破壊しなくとも、触れるだけで、全身にがん細胞を発生させることも可能だ。それだけの力を、ペインの権能は秘めている。
この権能を今まで攻撃に使わなかったのは、単に、ペインの気性が戦いに向いていないという一点だけ。逆にいえば、そこだけ克服することができたのならば、ペインの権能は、生物に対しては恐るべき殺傷性を発揮するだろう。
「面白いですね。胴体に大穴が空いた状態で、どこまで戦えるのか、見物です」
「…………えっ?」
もっとも、和可菜と相対した時点で、全てが手遅れだったのだが。
「あ、え、なん、なんで……」
ペインの腹部から胸部までが、ごっそりとパン生地の型を取るように、綺麗に無くなっていた。紛れもなく致命傷だった。しかし、ペインは致命傷に達するほどの攻撃を受けたつもりは無かった。和可菜から指摘されて初めて、自分が死にそうな現状に気づいたのである。
「か、回復、を?」
慌てて、ペインが権能を使って自らの体を修復しようとするが、今度はその左手が無い。あまりの奇怪な出来事に、ペインは目を凝らして状況を把握しようとするのだが、既に、その時にはペインの両目も消し去られていて。
「消えなさい、魔人たちよ。ここにお前たちの居場所はありません」
やがて、ペインの脳髄も消し飛んで、考えることは何もなくなった。
●●●
魔力を用いて、結果を求める術を、魔術と呼ぶ。
そのため、魔力を繊細に扱える者ほど、より多くの術式を学ぶことができる。
ただし、美作和可菜はこの繊細な扱いというのが、どうにも苦手だった。自力で魔力操作に目覚めた所為か、魔力の扱いに癖があり、その所為で、習得できる魔術の幅がかなり狭まってしまっているのだ。
しかし、繊細な扱いは苦手であっても、単調な扱いは得意だった。
例えば、魔術の基礎。魔力というエネルギーを、物理的なエネルギーへと変換すること。これに限って言えば、和可菜は機関の中でも並ぶ者が無いほどの腕前を誇る。
例えば、身体能力強化。
例えば、魔力を直接弾丸にして、撃ち出すこと。
例えば――――――他者の魔力を掌握し、その場で破壊のエネルギーへと変換させること。
この三つを、和可菜は極めている。
たった三つだけであるが、この世界に和可菜以上の速度と強度で同じことができる存在は、五指にも満たない程度しか存在しないだろう。
つまり、魔人たちは和可菜の間合いに入った時点で、敗北が決まっていたのだ。
体内を巡る魔力を掌握され、破壊のエネルギーへと変換。それを瞬く間に行っているので、魔人たちは感知する前に、致命傷を受けて、何も抵抗が出来ずに死んだ。血流の一部が、突然火薬となって爆発するような物だ。防ぎようがない。
そして、どれだけ恐ろしい極光の魔術だろうとも、魔力を用いて展開している術式ならば、その魔力の流れを掌握し、少しずらしてやるだけで何もかもが無為に消えてしまう。
和可菜の前で、精緻な魔術を使うという行いは、自殺行為に等しい。いや、魔術を発動させようとしたこと自体が、悪手だった。
「さて、どうやら本当に死んだようですね。魔人の中には、死後に動き出す輩も存在するので、油断は禁物ですが…………ふむ」
和可菜は、つい先ほど自らが殺した魔人たちの死体を観察する。
魔力を内側から弾けさせたことによって、人型だったそれらは、今や、ただの肉片だ。動く出す気配もない。
「魔結晶のない、肉の器。確かに、式神に似ていますね。もっとも、式神とは違い、こちらは肉片の一部でも回収しないと、復活は出来ないようですが」
魔神器官の魔人たちには、魔結晶は見当たらない。
これは部下たちの報告から分かっていたことだが、実際に目にして、気付くことがあった。
「…………やはり、赤き魔神の遺骸を用いた術式ですか。ならば、中核となる部位に、代替不可能な遺骸を保存しているはず。それを潰せば、もう復活はしないでしょう」
魔神器官が、彼の赤き魔神の遺骸を用いているのならば、いくら何でも脆すぎる、と。少なくとも、魔神の遺骸を担当している部位は、もう少し頑丈でなければおかしい。それが、他の部位と同様の破壊されていることを考えると、本物の遺骸の一部こそ、この魔人たちにおける魔結晶なのだと和可菜は気付いた。
式神が、己の魔結晶を破壊されない限り、何度でも器を作り直せるように。
同じような役割の遺骸が、この拠点のどこかに隠されていると。
「私の特性ならば、魔神の遺骸であったとしても、問題なく破壊し、跡形もなく消し去ることは可能なはず。いえ、天宮さんが共に来ている時点で、そのような心配は無用かもしれませんが…………となると、問題は一つ」
和可菜は、魔人たちの遺体から目を離して、周囲を見渡す。
千里眼の魔術を発動させて、拠点の全域を探査してみるが、案の定、反応は無い。だが、魔人たちのリアクションや、抽出した情報からは、紛れもなくここに中核がある。
ならば、反応が無いのは即ち、和可菜の探査術式では見つけられないほど、巧妙に中核を隠しているということ。
「これは、魔人たちと戦うよりも骨が折れることになりそうですね」
大きくため息を吐いて、和可菜は中核の探索を始めることにした。
探査術式で楽は出来ないので、足を使っての地道な作業となるだろう。
「天宮さんが見つけてくれれば、いいんですが」
かくして、魔神器官の魔人たちは狩られていく。
人間の領域を大きく凌駕した、規格外の退魔師たちは逃げることも許さず、容赦なく殺していく。
かつて、魔神器官の魔人たちが、無辜の人間たちに対してそうしたように。




