第91話 人を狩る猟師 5
山口太河は異能者だった。
それも、『とある双子の魔人』によって、強制的に認識を捻じ曲げられながら、覚醒した異能者だ。
同時多発、異能者発生事件。
かつて、リースが天宮照子を孤立させるために、機関へと仕掛けた大規模作戦。
その中の犠牲者の一人が、山口太河という男子高校生だったのだ。
「あれー? おっかしいなぁ。ねぇ、レフズ。この人、他とは違うよ? 欲望が解放されない」
「ぎひっ……元々、薄っぺらい人間だから、そういう衝動が人よりも弱いのかも……ぎひひっ! いいんじゃない? こういう人間は、『本命の選別』に取っておけば」
「そーだね! 上手く、機関の手から逃げ延びてくれると嬉しいね!」
しかし、太河はその他大勢の異能者と違う点があった。
それは、歪められた覚醒だというのに、太河は瞬く間に自らの精神をコントロールしてしまったということである。
魔人の権能によって歪められ、強制的に異能を獲得した人間のほとんどは、大抵、その中の認識が歪められ、捻じ曲がった思想によって暴走を始める。
友を想う少女の気持ちが、殺意に歪められたり。
温厚な少年の逃避願望を、復讐心へと歪めたり。
人よりも少しばかり潔癖な少女が、絶対的な規則を求めるようになったり。
強制的に覚醒させられた異能者はほとんど、その人格と思想を歪められて、ろくでもない行動を起こしてしまう。
運が良ければ、機関を筆頭とした組織に捕縛され、治療を受けた後、元の生活に戻れるのだが、運が悪ければ、死ぬこともあり得るのだ。
――――そして、太河の運は最悪だった。
「…………何なの? いきなり、覚醒イベントみたいな事が起きたけど。え? ここから、血を血で洗うサバイバルゲームが始まったりするの? そういう感じの非日常なの? どちらかと言えば俺、チート能力で異世界楽々ライフとか、ほのぼの四コマ漫画みたいな、平和な世界で女の子とイチャコラできる奴が良いんだけど!?」
太河の精神はさながら。その名の如く、水流のような物だった。
一時的に、魔人によって歪められ、異能を植え付けられたとしても、意思を投じられた水面の波紋が、直ぐに凪ぐように。その精神は、軽薄な男子高校生の物へと元通り。
突然の非日常に驚いたり、得た異能の練習を楽しむ程度はしても、その力を誰かに向けようとは露とも思わない。
なので、異能者になったとしても、山口太河という男子高校生の日常は変わることはなく。精々、夏休み前に出来た奇妙な友人に、こっそりと自慢をしてやろうと思っていた程度だったのである。
「なるほど、ペインの報告にあったのは君だね。素晴らしい。その精神性があればきっと、君はワタシたちの仲間になり得る可能性があるかもしれない」
そう、真っ赤なスーツ姿の魔人――リースに目を付けられるまでは。
「な、なんだんだ、アンタは――」
「はい、失礼するよ。手荒で悪いけれど、許して欲しい」
ある夏休みの朝。太河がいつも通り、家の玄関から外に出ようとした瞬間、リースという名の魔人は、太河を攫ってしまったのだ。しかも、騒ぎになって機関の手が及ばないように、太河の家族には術式によって認識を誤魔化した状態で。
「君たち七人は我々が覚醒させた異能者の中でも、選りすぐりの者たちだ。本来であれば、全員を同胞にしてあげたいところなのだけれども、その座は一つだけ。まぁ、君たちにとっては不本意極まりないことかもしれないけれど、うん、つまりはあれだ――――死にたくなければ、最後の一人になるまで殺し合って欲しい」
そして、太河にとっての最悪な日々が始まったのだ。
●●●
七人の異能者同士による、サバイバルゲーム。
舞台は、謎の閉鎖空間。
上を見上げても、空は視えずに、真っ黒な色が浮かんでいた。そして、真っ黒だというのに、LEDライトのような光源が、闇の中にぽつんと一つ、浮かんでいて。そして、その空間には、学校があった。それも、どこかの町の高校の校舎をそのままそっくり持ってきた、というような建物だった。
その閉鎖空間に、昼夜の概念は無い。
時間は、校舎に備え付けられた時計と、一時間置きに、規則的に鳴るチャイムでのみ確認が可能。
殺し合いにタイムリミットは存在しない。
ただし、その空間には食料も水も存在せず、校舎にある蛇口をひねっても、何も出てこない。
よって、脱水症状によって倒れるまでが各々のリミットだった。
出口は存在しない。
空間に作用する異能の所持者が居れば、そういう解決法もあったかもしれないが、赤き頭脳はそれを許さない。
例外などは存在せず。
七人の異能者の中で殺し合って、生き残った一人のみが生存が許されるサバイバルゲームだったのだ。
「うあぁあああああああ!!? くそっ! くそっ! くそっ! どいつも! こいつも! なんで、そんなに殺し合いがしたいんだよ! ああ、知っているよ! 生きたいからだろ!? でも、でも、なんでこんなに、あっさり……くそがっ!」
突如として、サバイバルゲームに強制参加させられた大河は、見るからに一般人という風体だった。しかも、軽薄そうな見た目は明らかに、雑魚。まるで、どこぞの主人公や、そのヒロインに突っかかって、一蹴されるような優男にしか見えない物だから、まず、ほとんどの参加者は太河を標的として殺しに来た。
「そんなに……そんなにっ! 死に急ぎたいのかよぉ!?」
しかし、太河を殺そうとした者たちは全て、返り討ちに近い形で退けられることになった。
その理由は単純明快。
強かったのだ、太河という異能者は。
太河の異能は【当たり前の幸せ(エア・ハピネス)】。
その効果は、空気の支配。望むがままに、周囲の空気を操る能力だ。
もちろん、その効果範囲は太河が扱う魔力に依存するのだが、幸か不幸か、太河は並大抵の異能者よりも豊富な魔力をしていたのだ。
そのため、その異能は他の異能者を退けるには、十分過ぎるほどの代物になった。
肉体強化の異能者だろうが、脳に酸素が回らなければ戦えない。
音を操る異能だろうが、空気を媒体にしているのならば相手ではない。
毒を操る異能だろうが、光を操る異能だろうが、そもそも、空気を遮断してしまえば、何も届かない。何故ならば、空気を介して移動する現象であるのならば、それは太河の異能の支配の対象となるからだ。
やろうと思えば太河は、周辺を気温を操って極寒の地に出来るだろうし、灼熱の大地へと変えることも可能だ。
故に、まさしく、太河はサバイバルゲームに於いて、最強のプレイヤーだった。
「くそっ、くそっ……死にたくない……殺したく、ない……っ!」
だが同時に、太河は最弱のプレイヤーでもあった。
こちらも、理由は明白だ。
殺したくないのだ、誰一人として。
例え、醜悪極まりない性格の持ち主だとしても。太河は殺したくない。それは、倫理や道徳というよりも、感覚的な物に近しかった。
当たり前に人を殺したくない。
太河のその感覚は、社会に属する一般人としての思想だったのかもしれないし、人間という種族の中で、同族殺しを避けるために遺伝子に刻まれた本能だったのかもしれない。
ただ、どちらにせよ、太河が誰も殺したくないということだけは確かだった。
「…………んで、なんで、こんなことに」
故に、太河が選んだ手段は、徹底とした引き籠りだった。
強力な異能も、異能者として天性の才能と呼んでも差し支えない戦闘センスも、全て防衛のためだけに使って、とある教室に引き籠ることにしたのだ。
時折、異能者たちが結託して殺しに来るときもあったが、全て撃退した。そのまま、殺さず放置を繰り返している内に、いつの間にかやって来る異能者は無くなった。
だから、太河にとっては、このまま自分が脱水症状で死ぬか、それとも、他の参加者が死ぬまで見殺しにするか、その二つの選択肢だけが、選べる未来だった。
「あ、あの、助けてくださいっ!」
けれども、とある少女が太河に助けを求めて来たことによって、状況は一変する。
その少女は三つ編みに、大きめのレンズの眼鏡。学校の制服姿と、如何にも『委員長』という風貌の少女だった。
そんな少女が、涙ながらに助けを求める物だから、太河はとりあえず、話だけは聞いておくことにした。どの道、最後には殺しに来るとしても。自分の暗殺を狙っているにしても。泣いている女の子の話は聞く物だと、極限状態においても太河は道徳的な判断をしていた。
「私……私っ! 死ぬのは良いんです。でも、でも、食われて死ぬのは、嫌なんです!」
少女の話はこうだった。
異能者による殺し合いのサバイバルゲーム。けれど、その中で一人、突出した力を持つプレイヤーが居る。そいつには、どうしても勝てないほどの力の差がある。
ただ、そいつは幸いなことに殺しを好む性格をしていない。ならば、と残った異能者たちは殺し合いを始めたのだ。
――――殺した相手の血肉を食らい、太河よりも肉体的タイムリミットを長くするために。
「そんな、馬鹿な。漫画や、アニメじゃないんだぞ? 人間が、人間を食うなんて……そんなことをしても、腹を下して、余計に脱水症状になるだけじゃないか?」
「そ、それでも、貴方と戦って『心変わり』されるのが、怖いんだと思います。現状、貴方が覚悟を済ませれば、それだけで私たちは全滅です。このゲームは終わりになります。そ、それに、バケモノみたいに姿を変えるプレイヤーが居て……そいつなら、もしかしたら」
「…………はぁ。わかった。なら、好きにすると良い」
「えっ? あ、ほ、本当ですか!?」
「あ、ああ……だが、あんまり近寄るなよ? うっかり殺してしまうかもしれない」
「はいっ!」
太河は疑いながらも、少女の懇願を受け入れた。
無論、これが罠だという警戒心もある。だが、それ以上に、聞かされた他のプレイヤーの惨状に呆れたのと、せめて、自分だけは人間らしくあろうと考えたのだ。
だから、罠だったとしても、余計な情を抱くことになろうとも。太河は己の心に従って、少女を守ってやることにしたのだった。
せめて、自分が死ぬ時までは。
「太河さんは、あれですよね。見た目で損していますよね?」
「え、そうか?」
「はいっ! だって、太河さんの見た目はまるで、軽薄なチンピラっぽいですから! 本当は、その、優しい人なのに」
「お、おう……前半の罵倒と後半の賞賛の温度差で風邪を引きそうだ」
少女は、小鳥遊志乃と自らの名前を名乗った。
最初は怯えていた志乃だったが、その内、恐怖を紛らわすためなのか、口数が多くなった。そして、段々と遠慮もなくなっていった。
「い、いえ、違いますよ! 良い意味で! 良い意味で、太河さんは軽薄って感じなんです!」
「やめてくれよ。良い意味で、って付けられたフォローは大抵、良い意味じゃねーんだよ」
そして、意外と志乃の口は悪かった。
それはもう、こういう状況ならば、もうちょっと女子から優しくされたり、媚を売られることもあるかもしれないと、密かに期待していた太河の幻想が砕けるほどには、遠慮のない口の悪さだった。
「じゃあ、仮に俺が『彼女欲しい』とか言ったら、友達を紹介してくれるの?」
「やー、生存者は一人なので、難しいのでは?」
「仮に、って言っただろ? もしもの話だよ」
「…………」
「なんて気まずそうな顔で苦笑いしやがる……というか、ひょっとして、さっきの言葉は遠回しな拒否だったの?」
「ふ、ふふふっ……もしも、ですか。こんなゲームに巻き込まれなければひょっとして、私たちは友達になれたかもしれませんね、太河さん」
「おい、シリアスな話題を持ってきて誤魔化そうとするんじゃねぇ」
志乃との会話は、太河にとって日常を喚起させる物だった。
都合の良いヒロインなんて出て来ず。女子は自分に当たりが強く。たまに会話出来ても、こんな感じのやり取りばっかりで。
だからこそ、限界寸前だった太河の精神に、一つの覚悟を決める程度の余裕を与えたのかもしれない。
「…………まったくさぁ。女子ってのは、どんな時でも男子に容赦しないもんだよ」
「えへへへ。いやぁ、太河さんは妙に話しやすくて…………って、あれ? あの、どこへ行くんですか? あの?」
「まぁ、おかげで覚悟は決められたから、礼は言っておくぜ、志乃」
「えっ? いきなり、呼び捨てとかちょっと距離感が困る感じで……す、う?」
太河は志乃の周囲の空気を薄くして、気絶させた。その後、自分の後方に寝かせた後、周囲の空気を操って、音を遮断。志乃には、周囲の空気の振動が伝わらないようにする。
そう、間違っても自分の行いで、起きてくることの無いように確認して。
「――――潰れろ」
太河は、この悪趣味なサバイバルゲームの舞台を叩き潰した。
自分の教室以外の空間を、異能を使って押しつぶしたのである。太河の異能の強度は、空気に重みを持たせて、校舎を丸ごと潰すほどに、成長していたのだ。
当然、生き残りは居ない。
校舎ごと圧し潰されて、生き延びるほどの異能を持った者は存在せず。しばらく、太河が念入りに周囲を一掃してなお、生き延びる事が出来た者は存在しなかった。
――――太河の背後に居る、志乃以外は。
「は、ははは……んだよ、最初からこうしていれば良かった。顔も見ないで、最初から全開で。何もかも圧し潰して…………でも、いいや。わかったんだ。俺には、人を押しのけて自分が生き残るほどのエゴなんて無いって。だったら、せめて、最後ぐらいはこうやって、格好つけて終わりたい」
太河は引きつった笑みを浮かべながらも、胸中は晴れ晴れとしていた。
だが、それは一種の振り切れた笑みだ。自分にもう先は無い、と覚悟していたからこそ、浮かべられる笑い方だった。
「後、は……これで、終わり、だ。は、はははっ! じゃあ、な、志乃。精々、こんな出来事なんて忘れて、日常に戻ってろ……アンタには、それが、お似合いだ」
笑みを浮かべたまま、太河は己の異能を発動させる。
空気を刃に変えて、己が痛みを覚える前に首を落として、自死するために。己の命を絶つことによって、もう一人のプレイヤーを生き残らせるために。
それは、決して賢い選択でも、深慮があっての行動では無かった。
単に、特殊な状況下でヒロイズムによって、馬鹿をやらかしていると言っても過言ではない行動だった。
誰からも賞賛されるような行動では無かった。
「いいや、山口太河。生き残るべきは、お前だよ」
されど、だからこそ太河を評価する存在がその場には居た。
「我々のように捻じ曲げられた価値観で行動したわけでは無く。日常の価値観を残しつつ、そこから善意で逸脱する。そうだ。君の方が、私よりも『依り代』に相応しい。きっと、我らが盟主の役に立つだろう」
「…………は?」
冷たい声だった。
まるで、合成音声で紡がれたような、感情を一切排した声。
その声は太河の後ろから聞こえてくる。しかも、あまりに感情が無いので戸惑ったが、それは確かに、聞き覚えのある声だった。
「なん、で?」
錆び付いたロボットのように背後を振り返ると、そこには無表情の志乃が立っていた。
異能によって、意識を奪っていたはずの存在が、明確な意思で太河を見つめていた。
「なんで?」
太河は疑問の言葉を繰り返す。
志乃が意識を取り戻したことに対してもそうだが、今、何よりの疑問は――――先ほど、確かな決意と共に自死を行うために発動した異能が、何かの干渉によって無効化されたことだ。
意味不明だった。
攻撃ならばともかく、自殺を止めるための干渉を受ける理由が見当たらなかった。
もっとも、志乃からすれば、既に理由は疑問の言葉が呟かれる前に、既に答えていて。
「では、さようならだ。精々、非日常と地獄を楽しむといい…………ああ、それと」
だから、志乃は最後に微笑んだ。
捻じ曲げられた感性ではなく。
捻じ曲げられる前の感性で。太河と共に、短い時間、語り合った時の表情で、志乃は別れの言葉を告げた。
「友達に紹介するのは駄目ですが、お試しで付き合うぐらいだったら、しても良かったかもしれませんね。まぁ、『もしも』の話なのですが」
そして、志乃の首は刎ねられる。
太河自身に向くはずだった空気の刃が、何故か、志乃の首を鮮やかに切り落とす。
まるで、質の悪い冗談のように、あっさりと。
けれども、離れた二つの死体から流れる血液は、紛れもなく現実の色をしていて。
「…………なんなんだよ、これは」
太河は何も思考することが出来ず、ただ、その場で呆然と立ち尽くすしかなかった。
ただ、なんとなく、この後もろくでもないことが待ち受けていることだけは、考えずとも分かっていた。




