第90話 人を狩る猟師 4
犬飼銀治が外の世界で暮らしていく内、最初に戸惑ったのは、獣の気配の少なさだった。
「一体、この街の住人は何を狩って暮らしているんだ?」
「犬飼君。現代人は狩りをせずに、主に家畜の肉を食品店で買うのですよ? というか、その手の常識は領域の中でも、勉強済みだと思っていたのですが?」
「あっはっは! 冗談ですよ、水無月さん! シティーボーイジョーク!」
「まだ怪我も治り切ってないのに、やけにハイテンションですね? 上京したての地方人を見ている気分になります」
「いやぁ、やっぱり憧れの都会ですんで! あ、それで水無月さん。この街のどこでなら、狩りをしてよろしいので?」
「…………基本的に都会で狩りは行われません」
「え? まったく無い?」
「はい、まったく。たまに、街に入り込んだ害獣を駆除することはありますが」
銀治にとって、都会とはフィクションの中でしか見たことのない、新天地だ。
いくら、アニメやドラマで予習していたとしても、実際にその場に立てば、否応なしにテンションが上がってしまう。特に、大通りを歩く人の多さを見ると、銀治は心が湧きたつような気持ちになった。
ああ、都会というのは本当に『人間のための場所』なのだな、と。
だからこそ、獣を狩らなくていい生活というのは、銀治にとって自分が理想郷に辿り着いたという証明であり――途轍もない違和感だった。
何せ、銀治にとって狩りとは、生まれてからずっと生活の身近にあった行動の一つだ。例えるのならば、風呂や食事、睡眠という日常のサイクルの一つ。それを欠かしてしまえば、生きていけないという行動。
そのため、都会で獣を狩らずに生活するというのは、銀治にとっては『呼吸をせずとも、生きていける』ような、違和感だったのである。
「…………少しぐらいなら、いいか」
都会に馴染むのであれば、狩猟はカンパニーの依頼があった時のみ行い、必要最低限のみに収めるべきだ。それは、銀治も理解している。
ただし、理解をしていようとも、長年、培った習慣というものは中々消えない。それを無理やり抑え込もうとすれば、ストレスが溜まって、療養中だというのに、逆に体調を悪くしてしまう。
故に、銀治は都会から少し離れた田舎へ赴き、害獣や、低級の魔物などの狩りを行うことにしたのだ。まるで、都会という名の水中から顔を出して、たっぷりと深呼吸するように。
「ひ、ひぃ!? だ、誰か助けてぇ!?」
「うん?」
そして、その際に偶然、一人の少年を助けることになった。
それが、山口太河。
銀治にとって、外の世界での初めての友達となった、男子高校生である。
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「やー、夏休みはどんな感じ? 犬飼は彼女とか出来た?」
「彼女、彼女かぁ…………なぁ、山口。僕さぁ、彼女を作ってから童貞を捨てるべきか、童貞を捨ててから、彼女を作るべきか、悩んでいるんだよね」
「わぁ、なんて贅沢な悩み。というか、え? 当てはあるの?」
「風俗の当てはある」
「彼女の方は?」
「うーん。残念ながら、まだ、僕とイベントを立てる美少女が居ないんだよなぁ」
「犬飼はその言動を真面目に言うから、笑えるよな」
現在、銀治は友達である山口太河と共に、ファミレスで他愛ない雑談を交わしていた。
ガラス越しから伺える外の風景は、薄暗く、人工的な光で煌びやかである。ただし、その対価として、ファミレスの店内から見上げる都会の空は、とても暗い。
「いや、厳密に言えば、既に美少女とは会っているんだよ、僕。でも、ちょっとこう、あの人を美少女カウントしていい物やら、という悩みが」
「え? 何? 訳アリ?」
「とても複雑な訳アリの人でさぁ」
「何、好きなの?」
「…………」
「犬飼。何その、渋い顔。まるで、初恋の少女が実は、股間に逸物を携えていたみたいな顔をしているぜ?」
「当たらずとも、遠からずなんだよなぁ」
「マジかよ、やべぇ」
銀治と太河は共に、中途半端に冷めているフライドポテトを箸で摘まみながら、楽しげに会話を交わしている。その様子は、どこまでも普通の男子高校生同士という光景で、その片方が、生まれながらに命がけで狩猟を続けて来た猟師だとは、とても思われないだろう。
「とりあえず、あれじゃね? 犬飼がガチなら、駄目元でも告白してみたらいいんじゃね? あれよ。うかうかしていると、悩む前にチャンスが無くなっちゃうぞ?」
「んー、微妙にそういう感じじゃないんだよな。こう、恋っていう感じよりも、僕としては性欲よりというか……そもそも、その人は既に、付き合っている人が居るっぽいような、そんな噂があるし」
「お、略奪愛?」
「噂によれば、その人に手を出そうとした奴は不慮の事故に遭うらしい」
「ヨシ! 諦めろ、犬飼! 流石の俺でも、ヤクザの情婦はお勧めできねぇ!」
「色々と違うよ? や、でも、危険度はそれ以上かも?」
「マジかよ!」
それは偏に、銀治と雑談を交わす相手。テーブル越しに向かい合っている、太河という人間の軽薄さが、銀治が持つ特有の気配を散らしているからだった。
ぼさぼさの黒髪に、ひょろりとした長身。服装は如何にも、軟派な男が好んで身に付けそうなものばかり。そんな男子が、常にへらへらと気の抜けた笑みを浮かべていれば、軽薄だと思われても仕方ないだろう。
そして実際、太河という人間は概ね、軽薄な言動の人間だった。
常日頃、何を考えているかと言えば、大体、『どうやったら、女子とお近づきになれるか?』 という物。しかも、モテたい、という漠然とした想いだけが先行して、実際には誰かを誘う勇気も、街頭で女子をナンパする実行力も無いという男子だった。
しかし、だからこそ、銀治と気が合い、友情を結ぶことになったのだ。
「犬飼ぃ……お前が只者では無いのはなんとなく察しているが。いくら、クソ田舎で鍛え上げられた凄腕猟師だって、人間を撃ち殺したら犯罪なんだぞ?」
「やらねぇよ、そんなこと! というか、僕が女を奪うために、ヤクザにカチコミをかけるような人間だとでも思っているのか?」
「ヤクザは熊より怖くない、とか言いそう」
「確かに、碌な装備も無い成人男性よりも、熊の方が戦うとなれば圧倒的に強いけど」
「ちなみに、犬飼は熊を何頭ぐらい狩っているんだ?」
「数えるのが面倒だから、数えていないぞ。肉を降ろしている業者に尋ねれば、分かるかもしれないが」
「わぁ、ガチ猟師の言動だぁ」
冗談と尊敬と、畏怖が混じった言葉で、引きつった笑みを浮かべる太河。
何故ならば、太河は銀治の言葉が冗談ではなく、本物の猟師としての意見だと理解しているのである。
そう、太河は銀治が通っている学校の中では唯一、銀治が猟師だと知っている存在だった。
「特権が認められた、高校生猟師だっけ? いやぁ、初めて知った時は何それ、どんなラノベの設定だよ!? って突っ込んだけど」
「うちのクソ田舎には、突然変異の野生動物が多いからな。その癖、年寄り連中ばっかりしか居ないから、必然と、若い僕が猟師になるしかなかったんだよ。特例だけど、国に認められている資格なんだぞ?」
「すっげーよなぁ。あ、この経歴を前面に押し出していけば、犬飼、モテるんじゃね?」
「あんまり、大っぴらにしていい資格じゃないんだよ、馬鹿」
もっとも、当然のことながら、全てを明かしているわけでもないし、説明したことの大体は偽装された情報であるが。
二人が出会ったきっかけは、銀治が太河の目の前で魔物を仕留めた時から。
太河が趣味のピクニックで山中を歩いている時、偶然、境界から逃げ出して来た魔獣と遭遇。通常のイタチを二回りほど大きくした魔獣が、太河を殺して魔力を補充しようとしていた際、プライベートの狩りを楽しんでいた銀治が、その魔獣を撃ち殺したのだ。
本来、このような偶発的な事故で、魔獣に遭遇してしまった一般人というのは、記憶を処理されて解放されるのだが、偶然、銀治がこれからクラスメイトである事が判明し、対処が変わることになった。
カンパニーという組織は、太河をこのまま記憶を処理するよりも、恩を売った相手として、ある程度、銀治を学校でフォローする人材として上手く活用できないか? と。
そのため、太河にはこうして偽装情報を教え込んだ上で、浮世離れした銀治の面倒を見る相手として、期待されることになったのである。
「でも、銃が撃てるってなんか、格好良くね?」
「うーん。生まれた時から、銃を握っているから、何とも。それに、法律関係で銃器を他者に見せびらかすのは、推奨されないんだぜ?」
「へぇー、やっぱり管理は大変なのか?」
「一応、毎朝手入れしてから学校に来ているんだぞ」
「マジか。俺には無理だわ、そういうこまめな整備とか」
そして、太河という男子高校生は、その期待に見事に応えていた。
当人は期待されていることなど、微塵も知らないだろうが、元々、太河にとって銀治は恩人である。しかも、その恩人は灰色な学校生活をぶち壊すような、奇妙な経歴の持ち主。
軽薄なれども、太河は恩義に反することをするような性格でもなく、結果、恩義半分、興味半分というモチベーションで、銀治の世話を焼くことになったのだ。
もっとも、今では世話役をやっているというよりは、対等な友達と遊んでいるという認識になっているのだが。
「そうか? 生活の一部になると、特に面倒だと感じる暇もないぞ」
「あー、犬飼は狩猟で生計を立てていたんだっけ?」
「ああ。収入が一定を越すと、税金が発生するし、途中から面倒になって税理士の人を雇うようになったが」
「え? 猟師ってそんなに儲かるの?」
「趣味程度でやっている奴らには無理。僕はプロ中のプロだから」
「傲慢みたいな台詞だけど、前に一度、サバゲーで遊んだ時、犬飼無双だったからなぁ」
「僕としては、サバイバルゲームでは猟師の本領は発揮できないから。それで見直されるのは不本意なんだがな」
銀治と太河はプライドポテトを食べきると、共に、トマトサラダを注文した。若者としては、どんどん肉も追加で頼みたいところだが、今は夕食前。しかも、油分と塩分をたっぷりと補給した後なので、サラダで罪悪感を誤魔化そうという算段なのだ。
「しかし、惜しいよなぁ」
「何がだよ、山口」
「いや、犬飼が美少女だったら、TwitterのTLに流れてくるような漫画の始まり、みたいな展開だったのに。田舎者の超凄い猟師が、美少女とか。そういう展開だったら、『いよいよ、俺が主人公の物語が始まったか!』って思えたのに」
「僕としては、あの時、助けたお前が美少女だったらよかったのに、と思っているぞ。いや、普通の女子でもいい。黒髪で、地味だけど、よく見るとクラスで三番目ぐらいに可愛いとか、そういうタイプの女子でもいい」
「お前、そういうタイプの女子ほど、裏ではえっぐいんだぞ?」
「嘘だ! ラノベでは違ったぞ!?」
「犬飼は真顔で、現実とフィクションを混同するよなぁ」
太河が呆れたように言って、銀治が苦笑して応じる。
銀治は、こんな時間を気に入っていた。先ほど、金髪美少女と共にデートをするのも良いが、こういう風に、『普通の男子高校生』のような生活も嫌いではない。
ファミレスで、冷えたフライドポテトとドリンクバーで、他愛ない雑談を交わす時間。
生きるためでもなく、研鑽のためでもなく、単に浪費として過ごす、だらけた時間。
それらは、生きるために余裕のなかった銀治の冷たい心の中で、生暖かい日常として染み渡り、今では欠かしたくない物の一つとなっていた。
「――――さて、そろそろいいか」
だからこそ、銀治は己の中のスイッチを切り換える。
男子高校生として日常を謳歌する自分ではなく、猟師としての自分に戻るために。
「ん? どうした、犬飼? ああ、トマトのサラダ。そういえば、遅いな――」
「山口。その右腕はどうした?」
「…………」
銀治は太河の右腕――手のひらからずっと、肘の辺りまで続く真っ白な包帯を睨みつけて、問いかける。
一般人だったはずの友達、山口太河の内部に、巧妙に隠された『魔力の圧縮結晶』の正体を探るために。
「…………あー、その、だな」
テーブルの下に隠した銀治の手には、既に弾薬を詰めこんだ拳銃が。
ファミレス内に居た客は、いつの間にか全て消え去り、残ったのは銀治と太河の二人のみ。
「怪我でもしたのか?」
問いを重ねながら、銀治は己の心が凍り付いていくのを感じていた。
一般人の気配だった。少なくとも、会った時は一般人以外の何者にも見えなかった。だが、雑談を交わしていくごとに、段々と違和感が強くなり、ついには魔力の偽装を見破るまでになったのである。
だが、別に銀治の心に殺意はない。
一体、どういう経緯で、夏休み前はごく普通の一般人だった太河が、このような気配を持っているのか不明であるが、少なくとも、会話の余地はあると考えていた。
けれども、もしも、会話の余地すらなく、自分の命が脅かされる可能性があるのならば。
その時はきっと、銀治は引き金を動かすことを躊躇わないだろう。
例え、それが初めてできた友達であったとしても。
「――――いや、そうなんだ。実は、モテる男を目指して料理練習をしていたら、思いっきり火傷をしてさぁ! だから、うん」
しかし、銀治の冷たい問いに対して、返って来たのは誤魔化しだった。
太河自身のためではなく、銀治を案じるからこそ、誤魔化しているという口調の答えだった。
「俺は大丈夫だから、安心してくれ、犬飼」
「――――っ」
にへら、といつも通りの軽薄な笑みを浮かべる太河。
ただ、何故か銀治にはその笑い方が、妙に儚く、今にも消えそうに見えて。
「じゃあ、また夏休みが終わったら。うん、夏休みが終わって、また会おうぜ!」
「待て。山口、お前は――」
銀治が呼び止めようとする前に、その場から姿を消した。
まるで、コマ送りの途中から画像を差し替えたように、唐突に。
銀治の友達は、消え去ったのだった。
カンパニーと敵対する襲撃者。
その正体が、山口太河という男子高校生だと機関からの報告があったのは、それから二時間ほど経った後のことだった。




