第74話 落陽は再会と共に 8
かつて、平安時代に神すら従わせるほどの陰陽師が存在した。
平安時代。
多くの鬼が跋扈し、多くの人間がそれを認めていた闇の時代。
人の力がまだ弱く、魔に対抗するために、他の魔と契約するしかない術者たちの中で、群を抜いて別格とされている存在が二人あった。
一人は、芦屋道満。
正体不明の怪人であり、老爺の姿から、巨大なる化物、あるいは、美女など、多様な姿の逸話が残る謎の人物。
そして、もう一人こそが平安時代から現代までその名を轟かせる陰陽師。
否、陰陽師という役職すら、彼を示すための単語としか機能しない、と言われるほどに凄まじい力を持った男が居た。
その名は、安倍晴明。
百鬼夜行の中を、鼻歌交じりに闊歩し。
鬼神すらも従わせて。
大いなる天候すらも操り。
千年以上後にも、その名を轟かせるほどの実力を持った、凄腕の陰陽師。
それこそが、安倍晴明という稀代の術者であり――――土御門治明の、遠い、遠い先祖だった。
故に、治明には素質がある。
魔物を従わせて、その力を扱うための素質が。
もっとも、普段は『安倍晴明の子孫』としての血脈よりも、『同族殺し』としての血脈が色濃く表れているので、滅多にその力を行使することはない。
生半可な魔物を従わせるよりも、己の力だけで戦った方が手っ取り早いからだ。
だが、窮地に陥った際、治明はそれを躊躇いなく使う。
偉大なる陰陽師の血脈だからこそ、所持を許された式神を行使する。
かつて、安倍晴明の血族により封印され、式神として使役されることになった魔神。
――――葛葉と呼ばれる、九尾の狐を。
●●●
「獄炎開花・白百合――――等活地獄」
魔を焼き払う花弁を纏い、治明は刀を振るう。
振るわれる刀には、花弁と同種の白炎が収束されており、この一振りをまともに受ければ、ランクBの魔物といえど致命傷は免れない。なおかつ、魔力による防御壁を紙の如く切り裂き、易々と刃を魔物の命に届かせる。
まさしく、魔物を殺すための一撃。
並大抵の魔物…………あるいは、実力的に格上の相手ですら、葬ることが可能であるほど、治明が扱う魔法は、魔に属するあらゆる者にとっての天敵だ。
「…………」
されど、それはあくまでも相性の問題。
どれだけ相性が良く、相手の命に届かせるほどの魔法を扱おうが、当たらなければ何の意味もない。
治明はそれを、眼前の鬼神と相対した時から、ずっと思い知らされていた。
「くそっ、化物が」
「…………」
鬼神――大山は、治明の悪態にまるで関心を示せない。
ただ、ゆらりとろくな構えも取らずに、碌な攻撃を仕掛けることも無く、治明の眼前に立ち塞がっているのみ。
どれだけ、治明が全身全霊の力で刀を振るおうとも、身の纏う襤褸切れの端すら切ることが出来ない。
音速に近しい速度で刀を振るおうとも、大山はあっさりと身を引くだけで避ける。
相手の動きを先読みしようにも、武術を扱う者としての年季が違い過ぎるが故に、逆に、動きを読まれて、最小限の動きだけで攻撃を封じられる始末。
ならば、と治明が恥も外聞もなく、魔を焼き尽くす炎を広範囲に放っても、平然とそれと高密度の魔力によって消し飛ばす。さながら、かつて照子がやった時と同じように、魔力を爆弾として、あえて炎に着火させることによって強すぎる衝撃で炎自体も吹き飛ばすという手法。魔力による爆発消火によって。
「…………」
「――――ぐっ!?」
その上、治明は大山の攻撃を避けられない。
戯れの延長の如き、緩やかな拳。だが、その一撃は吸い込まれるかの如く、治明の四肢に撃ち込まれ、肉を潰して骨を折る。
何度も、何度も、何度も。
治明が動きを止めて、屈するまで。
現在、治明が動けているのは、『既に前借した力』によって、自身の肉体を炎と同化させ、何度も再構築しているからに過ぎない。
「これが、脅威度ランクAの魔物……魔神か」
強すぎる、と治明は素直に恐怖した。
同時に、当然であると、己の傲慢を嗤う。
何故ならば、魔神とは文字通り、神の如き力を持つ存在だ。
治明、彩月もランクAに位置する魔神を式神として所持しているが、あくまでも扱えるのは、その力の一部のみ。封印と契約に縛りを重ねて、さらに、『たまたま気に入られた』からこそ、権能の一端を借り受けることが出来るのだ。
驕ってはならない。
本来、脅威度ランクAの討伐は機関の中でも、ネームド……その中でも、選りすぐりの凄腕が集められた上、何度も検討を重ねた後に討伐すべき対象なのだ。
下手をすれば、国が滅んでもおかしくないほどの魔物。
生物よりも、大自然の災害として扱った方がまだ理解が出来る化物こそが、魔神である。
人の身で抗おうとすること自体が傲慢であり、不遜だ。勘違いも甚だしい。現在、治明がこうして人の形を保っているのは偏に、『大山が手加減をしている』という理由以外の要因は無いのだから。
「葛葉、もっと力を寄こせ」
無論、治明もそれは重々理解している。
既に、己の器以上の力に手を出しながらも、まるで敵わない現状を理解しているからこそ、さらなる力を望むのだ。
例え、己の命を削る結果になろうとも。
『いいのー? ハル君、もう【一本】借り受けているんだよー? うーん、あちきとしては嬉しいけれどさー?』
「構わない。ここで暢気に伸びているようじゃあ、あの馬鹿に顔合わせが出来ない」
『うーん、良くない影響を受けているなぁ…………男の子だもんね、仕方ないか』
治明は己が式神へと命じて、力を引き出す。
多くの人を貶め、殺し、騙し、封印されてなお、人々を殺した恐るべき魔獣にして魔神。九尾の狐の権能を。
『葛葉が許可する。我が権能が一つを授けよう』
治明の耳元に、厳かな声が囁かれる。
姿は見えず、治明にしか聞こえない声。されど、声の主はきちんと存在する。仮初の器ではなく、治明の魂を核として、治明の肉体に封印されているのだ。
「紫炎開場――――蜃気楼」
治明の肉体の内部から、新たなる魔法が肉体へと刻まれる。
それは本来、治明が持ち合わせない魔法であるが、肉体へ情報として刻まれた瞬間、治明はその使い方をいつの間にか熟知していた。
さながら、魔法を得る以前から、その使い方を理解していたように。
「悪いが」
「アンタは、強すぎる」
「だから、卑怯だと罵ってくれても良いぜ?」
「そうしてくれた方が、気分が楽だ」
「「「「まぁ、何を言おうが殺すんだが」」」」
代償と引き換えに、治明が得た魔法は幻術を司る物だった。
しかも、低位の化け狐や、タヌキが扱うような、吹けば飛ぶような幻ではない。実際に、対象の五感に働きかけて、精神面へ傷跡を残すほどの代物。
故に、大山の眼前に現れた四人の治明は全て、同等の存在感を持ち、また、纏う炎の熱も同等に感じられる物だった。
「さて」
「四つの刃」
「アンタの二本の腕で」
「どこまで捌ける?」
音速の領域で振るわれる四つの刃。
九尾の狐が持つ権能で作りだされた幻は、如何に大山といえども、判別する術は無い。加えて、五感に直接情報を与えるため、例え、実際の肉体が傷つかなくとも、肉体に傷が付いた時と同様の苦痛を精神に与える。与えられるダメージが重なれば、傷一つない肉体で精神的な死を迎える可能性があるほどの恐るべき幻だった。
「…………」
そう、恐るべき幻だった。
大山が振るった拳によって、一瞬で消し飛ばされるまでは。
単純な話だった。
治明によって作り出された幻は、大山が為す破壊のイメージに耐えきることが出来ず、自壊してしまったのである。本物と同等の存在感を持たせたからこそ、それを操る治明が明確なる破壊のイメージを想像してしまえば、崩壊は避けられない。
「これも止めるのかよ?」
そして、『四体』の幻の攻撃に合わせて、大山の死角から振るわれた治明の刃すらも、大山によって止められていた。しかも、子供が振るう棒切れを止める科の如き、無造作な動きで。平然と、掌で受け止められていたのである。
本物と同等の存在感を持つ幻を作り出すと同時に、同じく、存在感を消すための幻を本体である治明自身に纏わせてからの奇襲。
渾身の力を込めた一刀のはずだった。
かつて戦ったランクBの魔人ですら、刃に触れれば焼却を免れないほどの一撃だった。
それでも、大山の薄皮一枚すら焦がすことは叶わない。
「お、ごっ――」
再度、ろくに腰も入っていない適当な拳が振るわれる。
気の抜けた一撃であり、明らかなる手加減の代物だったのだが、その一撃を治明は防ぐことは出来ない。幻を生み出す紫色の炎で、様々な囮を作って攪乱しようにも、既に『手品の種は明かした』とばかりに、大山は幻を無視して本体の治明の身を攻撃し続けた。
幻で攪乱しようとも意味はなく。
魔力を糧に燃え盛る炎すらも、消し飛ばす。
何の小細工もない単純な強さで、治明は確実に追い詰められていた。
『あー、やっぱり駄目だったかー。いい? ハル君、今、戦っているのは魔神に位置する化物の中でも、直接戦闘に秀でた存在なの。しかも、最古に近しい存在なの。古臭くて、新しいことなんて何もできなくて、愚直で…………でも、圧倒的に強い。そういう存在なんだよー? 正直に言えば、あちきが完全状態でも戦うことを諦める相手。力が及ばないのも、当然のことなんだよー』
散々打ちのめされて、地面に這いつくばる治明。
手にした刀は既に、刀身がバラバラに砕かれて。
規格外であるはずの式神……かつて九尾の狐と恐れられた魔神ですらも、匙を投げるほどの現状。
その上、相手は本気を出すどころか、ずっと手加減で戦っているのだ。
心が折れても仕方がない。
『まー、今回は殺されないみたいだし。ハル君の気の済むまでやればいいんじゃないかな? あちきとしては、撤退をお勧めするけどねー? 大体、捕まったのはあの悍ましい化物でしょ? だったら、ハル君が心配しなくても、勝手に何とかするんじゃない?』
治明を存分に叩きのめした後、大山は悠然と地面に座り込んで行動を起こさない。
今まではただ、治明が動き、攻撃を加えて来たからこそ、足止めとして応じていただけなのだ。なので、再起できずに、治明が地面に這いつくばったままでも、大山としては何も問題が無いのだ。
そう、殺す必要すら感じていない。
「…………おれ、は」
地面で這いつくばる治明の肉体は、魔法によって修復され、すぐさま元に戻った。
だが、散々叩きのめされた治明の精神は簡単には治らないだろう。何せ、最初から油断なく、全力以上の力で戦ってこれなのだ。
歯が立たないところではなく、戦いにすらなって居ないのだ。
それが例え、魔神という災害同然の相手だったとしても、今まで治明が築いてきたプライドがへし折れて、粉々になるのは十分の経験だったはずだ。
しかも、再び立ち上がったところで勝算は皆無。また、数秒もせずに叩きのめされる未来がありありと浮かぶという有様だ。
「俺はっ!」
だというのに、治明の瞳に宿る闘志はまだ消えていなかった。
むしろ、敗北を味わう度に。無力感を噛みしめる度に。強く、強く、治明の心の中で昂ぶり、より闘志が燃え上がっていた。
仮に、挫折をしたのがこの瞬間であれば、治明は為す術無く、心を折られていただろう。
しかし、治明の最初の挫折は此処ではない。
六年前。
かつて、『戦うことも出来なかった過去』こそが、治明の挫折である。
「俺は今度こそ、守るんだ」
故に、治明は折れない。
己の内に抱いた誓いがある限り、土御門治明という退魔師が、心から敗北を認めることなどあり得ない。
「そのために、俺はお前を超えていくぜ、魔神」
立ち上がり、折れた刃の切っ先を向けながら、大山へと宣言する治明。
されど、想いだけでは何も変わらない。どれだけの強い想いを抱えていたところで、大山の拳を防げなければ、その肉体に傷を与えなければ、戦いにすらならないのだ。
「炎刃・柊」
だからこそ、まず、治明は武器を作ることにした。
全身に回した白炎を全て、折れた刀に集中させて、『白炎の刀身』を作り出す。
大山が、一目見て警戒を生じさせるほどの魔力密度を伴った、超高温のエネルギー体。それが、一切の無駄なく刀の形を象っている。
その対価として、ほとんど肉体には魔力による防御は回せないが、治明は覚悟の上だった。
「まず、舐め腐ったテメェの態度から切り捨ててやる」
覚悟の上に、治明は――――特異点の少年は、飛躍を始める。
いずれ来る、その時に向けて。




