第72話 落陽は再会と共に 6
「勝利宣言は良いんだけどさ、我らが『明星』。少しばかり、時間をかけすぎたみたいだね?」
天宮照子は封印された。
例え、仕込みの大半を潰されて、本来、この時に出すべきではないリソースを吐き出すことになったとしても、リースとしては勝利に近しい結末に収まったと言えよう。
けれど、当然のことながら、天宮照子がどれだけ異常な能力を有する不確定要素だったとしても、機関からすれば、多く所属する退魔師の一人に過ぎない。
その特殊性には代わりが利かないかもしれないが、代替可能な戦力は存在している。
故に、機関は揺るがない。
天宮照子の損失程度では、揺るがない。
揺るがないからこそ――――――通常通りに、追加の緊急任務が出されたのである。
「僕の結界が、先ほど破られた。来るよ、二人とも。ネームドではなくとも、僕たちに届きうる、退魔師たちが」
内容は、同胞の安否確認及び、救出。
そして、魔物も排除。
天宮照子が生存ないし、捕縛をされていたのならば、救出を優先。もしも、手遅れだった場合は、それほどの脅威度を有する魔物は存在を許されない。
即ち、魔物の討伐という、いつも通りの仕事を為すだけだ。
「…………うん、今、端末で確認した。ここら辺一帯の粗製異能者は全て片付けられたようだね。まったく、優秀な退魔師は仕事が早くて困る」
「仕方ないよ、あの二人だからね。特異点に、芦屋の次期当主候補だよ? これぐらいはやって貰わないと」
「何を、後方師匠面しているんだい、『人形師』。君も含めて、さっさと逃げないとまずいよ。ワタシは片腕を損失。君は先ほどの戦いを周囲から隔絶するために、魔力を結構消費しただろう? 大山に殿を務めて貰って、その内に転移しよう」
「いや、転移は無理。今、芦屋の退魔師が、大規模に転移を阻害する結界を敷いたから。ふんふん、なるほど。物理的な閉鎖よりも、まずは逃がさないことを優先、ね。いいねぇ、ここで下手に無理やり転移したら、マーキングを受けてアジトや、中継地点が割れてしまいそうだ。『明星』、ここはダッシュで逃げることをお勧めする」
「逃げることをお勧めするって、『人形師』。君は、逃げないのかな?」
「久しぶりに、会いたい人が居てさ」
「…………ま、大勢に影響しないから、別にいいけれどね。うっかり、情に絆されて、機密を漏らさないでしょ?」
「もちろん、我が愛に誓って」
恭しく礼をする『人形師』に対して、呆れたような視線を向けた後、リースは素早くその場から立ち去った。
その動きは、大山や照子には劣るものの、戦闘特化の魔人に見劣りしないほどの軽快な物だ。とても、片腕がもぎ取られている重傷を受けているとは思えない。
「さて、我らが『鬼神』、大山。果たして、『明星』――リースの思惑は最後まで上手くいくかな?」
「…………」
猿にも負けない身のこなしで遠ざかっていくリース。その背中を眺めながら、『人形師』は、どこか楽しげに呟く。
「そうだね、上手く行ってもらわないと困る、か。ここまでリソースを吐き出したんだからさ、ちゃんと封印はして貰いたいよ。ううん、違う、違う。僕としては、そこまで脅威は感じないよ。強いって言っても、腕っぷしだけでしょ? だったら、下手に相手にせず、無視して計画を遂行すればいいのにさぁ。リースも心配性だよねぇ?」
「…………」
「はいはい、分かっているよ。僕だって、リースの考えがいつも正しいことは分かっている。でも、ちょっと癪なのさ。リースがあそこまであの盗人を評価するなんてさ」
「…………」
「いやいや、別に? 別に僕は、作品を台無しにされたことに怒っていませんが? そうとも、見た目通りの精神年齢じゃないんだからさ、うん。だから、頭を撫でなくって、いいって」
『人形師』と大山の関係は、リースのそれとはまた違う。
大山が『人形師』を撫でる姿には、父性の如き優しさがあり、『人形師』が拗ねたように唇を尖らせる姿もまた、子供のようだった。
傍から見れば、今にも鬼に取って食われそうな子供にしか見えない絵面なのだが、当人たちは周囲の目が無いところでしか、互いに甘えないので問題はない。
「んもう、直ぐに子供扱いする……そんな年じゃないのに……っと、そろそろだね。じゃあ、芦屋の退魔師の方は僕が担当するから、特異点の方をよろしく」
「…………」
「うん。そっちの方が良いからね。下手をすると、彼は僕すら殺すと思うし。僕も、彼とは術の相性が悪い。その点、大山なら安心だよ。あ、殺さないでね? 特異点だからね? でも、大山が死にそうになったら殺していいから」
「…………」
「くくく、大丈夫だって。心配性だなぁ――――これでも僕、昔は神童とか呼ばれていたんだからさ」
『人形師』は慢心ではなく、確固たる自信と共に言葉を告げて、転移する。
これで、この場に残るは大山のみ。
「…………」
大山は己と照子が為した破壊の跡で、しばしの間、遠くへ視線を向ける。
物思いにふけるような大山の姿であるが、この鬼神が何を想い、何を考えこんでいるのか、それを推察する者はこの場には居ない。
よって、その心中は誰にも明かされることも無いまま、次なる戦いが始まることになった。
「まったくよぉ、毎回、毎回、どこぞの領域やら、結界内に囚われやがって……中身オッサンの癖に、囚われのヒロインでも気取ってんのかねぇ?」
悪態は紅蓮と共に。
花弁の如く、宙から舞い降りた炎が、一瞬にして大山の肌を焼く。小さな花弁の如き炎でも、触れた瞬間、魔力を糧として勢いを増し、巨漢である大山すら火だるまにしてしまう。
「…………」
されど、如何に魔物殺しの炎といえど、鬼神の如き大山を焼き尽くすに至らない。それどころか、ほんの僅かに魔力を操作した程度で、大山は己が身にしつこく絡もうとする炎を消し飛ばして見せる。まるで、鬱陶しい蠅でも払うかの如き動作で。
「しかし、まぁ…………今回ばかりは、責められねぇか。こいつは、確かにヤバすぎる」
紅蓮を纏う灰色髪の退魔師――土御門治明は、かつてないほどの迫力を眼前の鬼から感じ取っていた。
かつて、単独で討伐して見せた戦闘特化の魔人とも違う、重厚な存在感。
武術を極めすぎて、達人とも呼ばれず、超人となってしまった老練なる武道家とも、治明は戦ったことがあるのだが、だからこそ分かる。
眼前の魔人は、鬼は、それすらも比にならないほどの時間をかけて、修練を積み上げた武神の類であると。
「…………」
ぶらり、と適当に右腕を動かし、拳を突き出しただけの適当な構え。
だが、そんな構えであったとしても、武術の心得が皆無であり、思考停止と共に殴り掛かった何処かの馬鹿とは違い、治明は十分な意味を理解して刀を構え直した。
つまりは、大山は治明に対してこのような意味合いの動きを見せたのである。
『遊んでやるから、かかってこい』
――――舐めやがって。
治明は即座に、大山との実力差を看破した。
相手が脅威度ランクAに値する魔神であり、このままでは、どのような奇跡が重なったとしても、討伐することが不可能である事実も、直ぐに理解した。
だからこそ、治明の判断は迅速だった。
「力を貸せ、葛葉」
己を削ることを代償として、さらなる力を求めたのである。
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結界術とは、内側と外側を区切り、隔てる魔術だ。
いや、極論を言えば、魔力を使えなくとも、結界を生み出す事は可能である。
例えば、周囲に落ちている木の枝で、地面に円を描いてみるといい。ただそれだけのことで、人は、なんとなく円の中に入りにくくなってしまう。さらに、ここから分かりやすく立ち入り禁止やら、何やら怪しげな文章、あるいは、思わず踏むのを躊躇うような美しい絵を描いてみるといい。先ほどと比べて、各段に踏み込みにくい空間が出来上がるだろう。
無論、『いやいや、そんなことは全然なくて、むしろ、余裕で踏み込める』という意見もあるだろう。だが、逆に言えば、それを意識をしてしまうことは避けられない。たかが、地面に描いた円だけだったとしても、周囲との異変があれば、人は意識をしてしまう。
これが、結界術の基礎となる理論だ。
この理論を数百倍面倒で、複雑な術を学ぶことを前提に、才能が無ければ入門編すら解けない、というクソの如き難解さを持つ術式理論を乗り越えて、魔術師は初めて結界術を発動させることが可能となるのだ。
「…………来る」
ただ、そこから現在の彩月のように――『広域転移防止』に加えて、『広域探索結界』、『魔物に対する魔力運用阻害を行使する結界』など、多種多様な結界を重ね掛け出来るようになるまでには、地上からエベレスト山頂に至る道程の如く、険しく、長い道のりが必要となるのだが。
当の本人としては、自身がそんな神業を行使しているという意識はなく、あるのはただ、退魔師としての矜持。そして、何より、照子を助けるという強い想いだ。
「頼むわ、エルシアちゃん、治明」
薄闇の中、静かに彩月は仲間への信頼を呟く。
結界を行使する彩月が潜むのは、月光すら届かぬ森林の中。照子と大山が起こした破壊が、比較的及んでいない障害物の中だ。
今回の件の周到さから、彩月を含めた学生退魔師たちは、件の魔人組織に加えて、もっと根が深い何かが絡んでいると判断していた。機関にもそのような報告を送っているが、この周囲一帯よりもさらに外側に対して、転移に対する何かしらの妨害工作が為されている所為か、機関のネームドたちを瞬時に送り込むことは出来ない。
そのため、まず、彩月たちが先行し、照子を救出するという任務を請け負ったのだ。
命がけの戦いになることを、予想しつつも。
「ここは、私が何とかするから」
学生退魔師たちは、その青春のほとんどを戦いに費やして生きている。
もしくは、環境に適応できなかった者は死ぬか、後遺症を残すほどの大怪我を負って前線を退く定めにある。
だからこそ、学生退魔師たちは、信頼できる仲間を決して裏切らない。見捨てない。
己の命が失われる危険があろうとも、必ず、馳せ参じる。
逆に言えば、それが出来ないような仲間は信頼されないのだが、照子に限っては、十分すぎるほどそのハードルを飛び越しており、むしろ、『ちょっと自重しろよ、お前は』と突っ込まれるほど、献身的だ。
ならば、今度も必ず、首根っこを掴んで救出し、散々叱ってやらなければならないと、学生退魔師たちの意識は統一されていたのである。
「さて、悠々と歩いてきてどういうつもり? それとも、余裕の表れかしら?」
「…………く、くくく、個人的には駆け寄りたい気分もあるけれどね。でも、それじゃあ、流石に格好付かないから」
そして、今、彩月の眼前に格上と思しき相手が現れた。
闇夜に溶け合うように、黒のパーカーと、濃い藍色のジーンズ。一見すると、ラフな私服姿の少年に見えるが、気配は紛れもなく人外の領域に到達した魔術師のそれだ。
剣呑でありながら、妙な親しみやすさすら感じる、奇妙に矛盾した気配。
親しげな挨拶と共に、あっさりと人を殺し、何でもないように大魔術を行使する類の存在であると、彩月は看破した。
「――――――久しぶり、姉さん」
「…………えっ?」
看破したが故に、理解してしまった。
短くない年月を経てもなお、残る面影を。偽ることが出来ないはずの、魂の波長を。声変わりしてもなお、耳朶を打つ柔らかな少年の声を。
「強く、そして、綺麗になったね」
「…………よう、すけ?」
何よりも、自身よりも遥かに美しく展開される、無詠唱の結界術が、現れた少年が本物であると告げていた。
芦屋陽介。
かつて、神童として持て囃されてなお、その実力を知る者からは『過小評価』だと語られていた規格外の術師。
六年前、謎の鬼によって連れ去られ、行方不明となっていた少年が。
失われたはずの、彩月の弟が、そこに居た。




