第41話 銀弾よ、常冬を穿て 6
問題は幾つもあった。
まず、銀治がギルドから派遣される調査員などの話をまるで聞いていないということ。
次に、その調査員が正式なルートを使わず、非正規のルートを通って入ってきたこと。
更に、犬飼一族の獲物である『常冬の王』に対して、余りにも荒唐無稽で身勝手な横紙破りをしようとしていること。
以上の理由によって、銀治はリボルバーの銃口を奈都の後頭部へと突き付けていた。
「…………え、あの?」
「この閉鎖領域内の管理を、日本国より任せられた犬飼一族が賊に問う。虚偽を感じた場合、僕の独断で賊を殺しても良いことになっている。心して答えろ」
銀治に使える魔術は多くない。
高位の魔術師のように、無から炎を生み出したり、相手の動きを奪う呪詛などは使えない。ただ、己の手足のような道具を、いつでもどこでも手元に召喚する『無機物召喚』だけは、使い方を習熟させていた。
しかも、ただ銃器を召喚するのではなく、弾薬を自動的にセットして、いつでも銃弾を撃ち出せる状態にした銃器を手元に呼び寄せるのだ。
よって、銀治は武装解除した状態でも、一瞬で戦闘態勢を取ることが出来るのである。
「いいか? これは性質の悪い冗談でもなく、僕は本気だ。嘘は、許さない。分かるな?」
そう、自ら助けた命だろうとも、即座に殺す覚悟を決めることも。
何故ならば、銀治には真っ当な倫理観など存在しないからだ。銀治は生まれた時から、現在に至るまで、常冬の領域に囚われて暮らしている。
他者と呼べる物は、幼くして亡くなった両親と、カンパニーの世話係のみ。
つまり、常に生死のやり取りを行う人種としか関わって生きて来ていない。そのため、一般的な倫理観が欠如しているのだ。
もちろん、基本的な法律に関しては、将来、都会へ移り住む時のために学んでいるが、それはあくまでも法だけだ。
社会から隔絶した領域に住む者にとって、道徳なんて物は異国の文化だ。
己を害そうとする生物は殺す。
己の利益のために殺す。
そこに躊躇いなど感じない。
例え、殺す対象が同い年の女の子だったとしても。
「………………野蛮。これだから、人間は」
もっとも、奈都は銀治が想像しているよりも、遥かに厄介な敵対者だったのだが。
反吐を吐くような表情と共に、奈都が言葉を呟くと、ゆらりと奈都の体が揺らいだ。その瞬間、異常を感じ取った銀治が引き金を引くが、撃ち出された銃弾は何も捉えることなく、木目調の床板に撃ち込まれた。
『異心同一・煙々羅』
既に、銀治の視界は灰色の煙で充満している。
どれだけ目を凝らしても、奈都の姿は見えない。否、この煙全てが奈都なのだと気づいたのは、数秒経って、己の呼吸に異常を感じた時だった。
『煙の魔獣。私の切り札の一つです! 特に、こういう時に使います!! そう、暴力大好きな人間が、無理やり不埒なことをしようとした時に!! まったく、これだから猟師とか嫌いなのです! 命を! 簡単に! 余りにも簡単に殺してしまう!! それが例え、同族の命だったとしても!!!』
煙の中からヒステリックに響く音声とは裏腹に、攻撃は静かに行われていた。
呼吸器に侵入し、対象の酸素を奪い、二酸化炭素を与える。たったそれだけのことで、人は容易く昏倒し、死に至らしめることが可能なのだ。
『ですが、私は忘れていません。今、こちらに殺意を向けようとしていたとしても、銀治さんは命の恩人。なので、私は命まで取りません! 私が事を為すまでしばらく眠っていてくださいな!!』
「……ふざけた、ことを」
静かなる攻撃に対して、銀治もまた音もなく迎撃準備を整えていた。
魔力を脈動させることにより、無理やり肉体を操作。魔術を用いての弾倉変換。己が持つ魔弾の内の一つを用いて、無礼なる侵入者の命を奪おうと狙いを定めて。
「はい、そこまで」
『「――――っ!!?」』
唐突に発せられた照子の言葉が耳朶を打った時には、二人とも床の上に転がされていた。
銀治は全身の魔力を乱されて、体の自由が利かない状態で。
奈都は、異心同一という術を魔力で力任せにねじ伏せられ、指一つまともに動かすことも出来ない状態で。
「まず、銀治君。いきなり、銃を構えたのは悪かったね? 確かに、この話は君の方が正しくて、この領域内では君が善悪を裁く立場なのかもしれない。でも、銃口を向けるということは、『お前の命は自分が握っているから、大人しく言うことを聞け』という短慮極まる行動だよ。その前にもっと、奈都ちゃんから上手く情報を引き出したりとか、やり方があったのではないかな?」
「……う、ぐ」
「それとも、何かとても苛立つことがあったかい?」
重圧。
柔らかな言葉遣いだというのに、全身が軋むような重圧を銀治は受けていた。
瞬く間に、ログハウス中に満ちたのは、照子の濃厚な魔力だ。それにより、本来であれば、圧倒的に有利であるはずの拠点内で、銀治はまったく抵抗が出来ず、生殺与奪を照子に握られてしまっているという有様なのだ。
強い。
否、強すぎる。
銀治は己の目が曇っていたことを苦境の中、悔いた。
もっと警戒すればよかった。いいや、くだらない意地を張らずに、きちんと認めればよかった。近接可能な範囲であれば、自分は照子に対して何も行動を起こす猶予すら貰えず、一瞬で殺されてしまう力量差があるのだと。
「さて、奈都ちゃん。殺意に対して、殺意で対抗しなかったのは偉かったけれど、でも、いきなり勝手なことを言い過ぎじゃあないかな?」
『うう……』
「もうちょっと、周囲を探ったり、伺ってから言えばよかったのではないかな? そもそも、銀治君がここまで怒った理由は、君が突然、やって来たからだと思うのだけれども。そこら辺、しっかりと連絡が取れていれば、死にかけることは無かったのではないかい?」
『ううう、ごめんなさい……』
「私に謝っても仕方ないだろう? それと、煙々羅とやらは魔結晶に封じておきなさい。多分、胃の中に隠し持っていたね? 切り札にしても、無茶しすぎだ。下手をすれば体を乗っ取られても仕方ない術式だよ?」
『で、でも、私はこの子と友達で……』
「だったら、私に対して殺意を向けるのを止めさせてみなさい」
『ううううっ! なんでぇ、ケムリちゃん……いつもは大人しい子なのに、今日に限って、とてつもない殺意…………封じますぅ』
「うん、よろしい」
煙の体ごと叩き伏せられた奈都としては、もはや抵抗の意志を失くしていた。
己の対応が悪かったという自覚もあるが、何より、絶対的な魔力の差異を感じ取って、抵抗の意味がないことを悟ったのだろう。
色々と言動がふわふわしている奈都であったが、戦いに於いてはその思考は現実的。あるいは、慎重すぎる程に相手の戦力を多く見積もっていた。
ただ、今回ばかりはその慎重さが功を奏して、自らの仲間の魔結晶を砕かれずに済んだのだが、奈都自身は知る由もない。
まるで、主従関係を教えられた獣の如く、大人しく術式を解き、素直に反省し始めていた。
「二人とも、いいかい? 君たちが勝手に、私の知らないところで殺し合う分には、私も関知しない。だがね? 私の眼前で、若い命が浪費されようとしているところを、私は見過ごせない。例え、君たちの戦う理由を力任せに踏みにじるとしても、私の前では殺し合いなんてさせない。文句があるのなら、まず、私を殺してみるといいよ…………生憎、この私はそんなに簡単に死んではやらないがね?」
床に這いつくばる二人に対して、照子の表情は朗らかそのもの。
ただし、魔力だけが濃密に、なおかつ粘性に富んだ海の如く二人に圧し掛かり、自由を奪い続けている。
これはごり押しだ。
技術も何も関係なく、ただ、異常な密度と量の魔力を垂れ流しているだけというだけのこと。単なる性能差。同じだけの魔力があれば、赤子にだって似たようなことは出来るだろう。
だからこそ、二人は察していた。
これは攻撃ではなく、ただ、『気を遣っていたこと』を解いただけなのだと。
人間を装っていた規格外の怪物が、その姿を露にしただけなのだと。
「おや? 抵抗も反論もないのかい? じゃあ、私の要求を押し通してしまうけれど、いいのかな? 君たち、私は理を持って説得してくれるのなら、ちゃんと理解を示す準備はあるよ? 言うだけ言ってみてもいいよ? さぁ、どうしたのかな?」
淡々と言葉が紡がれているが、両者ともそれに口を挟むことは出来ない。
例え、両者の胸の中に、照子を納得させるだけの言葉を持っていたとしても、この状況で口に出すことなど出来ないだろう。
特に、実力行使という手段を選んでしまった二人には。
言葉よりも力を選んでしまったが故に、力で叩き伏せられてしまえば、もう何も言う権利が無いのを知っているのだ。
「何もないのならば、私の言葉を通させて貰うよ? 銀治君には恩があるし、奈都ちゃんには情があるけれども、それはそれ、これはこれとして」
なお、肝心の照子はそこまで考えていない。
そこまで考えが至ることなく、ただ、怒っていた。
思春期の子供たちが、余りにも簡単に生死に関わる対応をしようとしたことに対して、大人としての怒りを覚えていたのである。
それは、照子自身の価値観を押し付けることだったのかもしれないが、価値観の押し付けで、この二人が殺し合わなくなるのならばそれでもいい、と開き直ってさえいた。
「お説教の時間ですよ、二人とも」
なので、照子は本当に久しぶりにガチで誰かを説教し始めたという。
その内容は本当に、ごくごく当たり前のことを当たり前に言うので、奈都は気恥ずかしさのあまり赤面して、銀治は逆に新鮮な驚きを得たようだった。
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針葉樹が並び生える山の中、生々しい咀嚼音が響いていた。
ごりゅ、ごりゅっ、ごきん、ごくん。
それは、肉ごと骨を食らい、噛み砕き、嚥下する音。
尋常ならざる怪物が、食事をする音である。
だが、その食事を行っているのは、この常冬の領域に住まう魔獣ではない。
「じゅる……がつがつ……んっ……ぷはぁ。やれやれ、ようやく一息つきましたか。まったく、あのイレギュラーがあそこまで怪物だったとは」
ただし、その姿形は魔獣よりもよほど獣性を感じさせるものだった。
本来、神聖であることを示すためのカソックを鮮血に染めて、手足からは、無数の『口』が生えている。それらが、熊やら鹿やらの魔獣を食らい、血肉を啜っているのだ。
「困りましたね、これでは私一人で余裕に殺戮が可能となってしまう…………なんて、誰も居ないところで虚言を弄したところで、意味はない、か。ああ、我が同胞たちが恋しい。特に、ペイン。彼が居るだけで、私の舌はとても滑らかに動くというのに!」
そうかと思えば、大仰に空を仰いで、嘆くような人間らしい仕草もするので、傍から見ていれば完全に情緒不安定の怪人だ。
ただ、そんな怪人でも、身綺麗にして笑みを浮かべれば、一般人には『とても敬虔な神父』としての印象を抱かせるだけの力を、持っているのだが。
「………………はぁ、腹も満たしたことですし、まともに考えるとしますか。やれ、頭脳担当はリースなのですが、彼女が立てた作戦でも殺しきれなかったですからねぇ、あのイレギュラーは」
がりごりと、獣の骨を齧りながら、思案に耽る。
そう、三秒ほど。
「ならば、私程度に妙案が思いつくはずも無し! 加えて、全面対決ならば、私の敗北は避けられない! く、ふふふふっ! これが絶体絶命という奴ですか! 面白い! 実に面白い!」
故に、と言葉を続けて、怪人は満面の笑みを浮かべた。
「もっと面白くしましょう! ええ、私程度の作戦など、意味を為さない! だからこそ、無意味を重ねて、享楽に耽りましょう、存分に!」
がちがちと、手足から生えた口は、存分に獣性を発揮して、歯噛みを続ける。
「生命を食らい、欺き、快楽を得る私の役割のままに、ね」
怪人――――魔神器官、口担当のグーラは極寒の領域で、己の熱情を果たすために、行動を開始する。
それが己の破滅に繋がる結果を招こうとも、どうせならば、周囲全てを巻き込んで暴れてやろうという、はた迷惑な思想の下に、破壊と殺戮を繰り返してく。
自身の蛮行が、長き因縁を終わらせる火種になることなど、露とも知らずに。




