第22話 美少女転校生 4
恋に年齢なんて関係ない。
なんて言葉はさて、誰が一体、言い始めたのだろうか? 多分、フィクションが先じゃないかと考えているのだが、生憎、元ネタを調べるような根気も興味も無いので、私は素直にこの言葉通りの意味として、捉えている。
恋に年齢なんて関係ない。うん、良い言葉だと思う。でも、それは言葉の後に『ただし、責任が取れる場合ならば』という注意書きが付く。
考えてみて欲しい。
年齢が低い側。例えば、イケメン教師に恋する中学生が、『恋に年齢なんて関係ないんだ!』と奮起しながら頑張る少女漫画は健全だろう。最終的にイケメン教師とどうなるかはさておき、年齢低い側が、大人の誰かを想う言葉としては、中々良い言葉じゃないかと思う。
けれど、逆はどうだ?
イケメンだろうとも、二十代の男性が中学生に恋をして『恋に年齢なんて関係ないぜ!』と開き直ったらどうだろうか?
私はきっと、そんな場面を見かけたら無言で通報してしまうかもしれない。
これが、三十代の男性と二十代の女性となってくると、そこはもう成人した大人同士なのだから、互いの責任の上で恋をすればいい。『自分なんて』と諦めている中年が、奮起する時の言葉に使ってもいいかもしれない。犯罪に発展しなければ。
とまぁ、長々と語ってしまったが、要するに何を言いたいかといえば、シンプルに一つだけ。
「彩月。私と恋人になりたいのであれば、せめて、成人するまで我慢しなさい」
「でも、テルさんは女子高生じゃない」
ぐうの音も出ねぇ。
いつもの魔獣討伐を終えて、互いに禊ぎも済ませた事務所でのことだった。
仕事着から制服姿に戻った彩月は、いつもの仏頂面が嘘のように満面の笑みで抱き着いて来たのである。そして、耳元で『結婚しよ? ね? 結婚しましょう?』とずっと囁き続けたり、耳を甘噛みしてきたりするのだ。
いくら、今日は私と彩月以外事務所に来ないからと言って、気を抜きすぎだと思った私は、ここら辺で厳しく諫めてやろうと長々と説教したのだが、この有様だった。
「た、確かに私は女子高生だよ? うん。まごうこと無き女子高生だ。戸籍上は女子高生だよ。つい最近、高校にも通い始めたから、まさに女子高生だよ」
「テルさんとスクールライフを満喫できるなんて、夢みたい。ふふふ、本当は一緒のクラスになりたかったけど」
「そうなると任務に支障が出そうだから、美作支部長が配慮してくれたらしいよ」
「ぶぅ。私、これでもきちんと自重出来る人間だもの」
「そうかー? 本当にそうかー?」
「完全にプライベートだったら、もっとひどいわよ。具体的に言えば、一人称がボクになると、完全にツッキーモードです。貴方のこともグレさんと呼びます」
「ああうん。それは完全にプライベートだね」
互いの正体が発覚したオフ会から、彩月の態度は一変した。
いや、元々、酷い態度とか取っていたわけではないのだが、クールな美少女という印象の彩月だったのだが、私と二人きりの時は無邪気な子供のような笑みを浮かべて抱き着いてくるようになってしまったのである。
もう、デレデレだ。
完全にデレデレの彩月だった。
これで、仕事の間も支障が出るようなら、私や周囲も本気で注意しなければならないのだろうが、そこは流石、歴戦の退魔師。メリハリがきちんと出来ているので、少なくとも、仕事上で文句を言われる隙は無い。
いいや、むしろ、前よりも油断なく仕事をこなすようになっているようにも見える。
「テルさん。また今度、一緒にセッションしましょうね?」
「私がまだGMなの?」
「テルさんが教えてくれるのなら、頑張ってみるわよ、私」
「うーん。まぁ、やりたいなら教えてあげても良いけど」
「じゃあ、約束。今度の日曜日……私の家…………はちょっとアレだから、どこかの喫茶店やファミレスでやる?」
「いや、美作支部長から、『懐古主義』を壊滅させたボーナスとしてちょっとした隠れ家的な物件を借りられることになったから、そこでやろうか」
「二人きり……オフラインセッション……盛り上がる休日……一緒のお風呂……ついに一線を超える私たち……」
「おっと、日曜日に急用が入りそうな予感」
「もちろん、冗談よ? 本当よ? そういうふしだらなことは考えていません。きちんと、グレさんと一緒にボクが遊ぶことしか考えてない」
「プライベートに寄って来ているぞ」
「おっと、これは失礼」
退魔の仕事に関わらない話をしていると、彩月はごく普通の女の子のように笑う。
にへら、と気の抜けた笑み。
安心しきった笑み。
そんな笑い方をする少女はまさしく、長年の友人であるツッキーのイメージそのものなのだから、困る。とても困る。
私は薄情な人間ではあるが、いくら何でも、黄泉路から引き返してくるぐらいの未練を覚えてしまう相手は特別扱いしてしまう。
そう、白状してしまえば、私はグレとしてツッキーのことを気に入っているのだ。
そんな相手から慕われれば、当然、気分が良い。少し、惑ってしまいそうになる。
…………だが、私は美少女に転生しようが、中身は大人。社会人なのだ。個人の私欲よりも、芦屋彩月という少女が、より幸せになれる道を模索するのが一番だろう。
「彩月。少し、聞きたいことがあるのだけれど、いいかな?」
「スリーサイズ?」
「違う。彩月はその、私が女の子になってしまったことで、無理はしていないかい? 元々、グレは男性という話だっただろう?」
私の質問に、彩月はきょとんと小首を傾げる。
ええい、仕事中はあれほど勘が鋭いのに、二人きりだとポンコツ化しているなぁ、もう。
「だから、その。彩月が異性愛者だった場合ね? 私が男の方が良かったかな? ということ、なのだけれど?」
「ああ、そんなこと」
「そんなことなの?」
「確かに、少し戸惑ったことはあるわ。けれど、実際に貴方が戻って来てくれて、こうして面と向かって言葉を交わせるのだから、それ以上に嬉しいことなんてないわ」
「…………そっか」
「それに、女の子だから遠慮なくスキンシップが出来るし…………もう、これが山田さんのままだったら、大変だったわよ?」
「何が?」
「スキンシップを凄く我慢して、御淑やかかつ、フレンドリーな理想的美少女として振る舞おうとしていたかもしれないわね」
「そっか。同性同士だからこそ、無理なく触れ合えるってことかな?」
「ええ。下手をすると、我慢しすぎて抑圧された想いがいつか爆発して……初夜……責任……子供……学生結婚…………あら、最終的には悪くない未来ね」
「なんて恐ろしい未来だ」
私は両手で己の体を抱き、悪寒を抑え込んだ。
まさか、この体になって良かったと思う機会が再び来るとは。
「と、ともあれ。この肉体になったことで無理を感じていないなら、それでよかった。後、治明のことなのだけれど」
「…………」
「わぁ、露骨に不機嫌な顔。そんなに嫌い?」
「嫌いというか、なんというか。悪い人間ではないというか…………うーん、この際だから言っちゃうけれども。私、小学校低学年ぐらいまでは、彼の事好きだったのよ」
「ほほう!」
「幼馴染だったし。退魔師として家の格も同等だったし。互いに秘密を共有して、多少乱暴だけど悪い人間ではない。幼い頃は結婚の約束もしたし、実際、家同士で決めた許嫁だったのは事実よ」
「それで、治明も君のことが好きなのだろう? どうして、それで付き合わなかったんだい?」
私の質問に対して、彩月は乾いた半笑いの笑みで答えた。
「だって、治明の奴。ラノベ主人公みたいなフラグ乱立野郎だし」
「…………いや、なんとなくエルシアちゃんを見ていれば予想は付いていたけど、そんなに?」
「今まで何人の美少女にフラグを立てたと思う?」
「えぇ…………五人ぐらい、とか?」
「私の知る限りでは、十人は居るわね」
「そんなに」
ライトノベルだったなら長期連載。エロゲーだったならば、ファンディスクが出ないと実現しないヒロイン数じゃないか。
普段、エルシアちゃん以外の治明大好きっ娘と会っていないから全然知らなかったぜ。
「さて、それじゃあ、美少女のテルさん。想像してごらんなさい」
「はい」
「ずーっと、ずーっと、治明の本妻というか、メインヒロインみたいな立場で、美少女たちの薄暗い戦いに巻き込まれる生活を」
「うわぁ」
「別にね? 治明が助けてフラグを立てた女の子たちだって悪い子じゃないのよ? でも、情念の籠った視線を向けられたり、ライバル宣言をされたり、恋に手段は選ばないとばかりに暗闘を仕掛けてきたり…………それが何年も続きます。しかも、年々増えます。本人は無自覚です。人を助けているわけですから、それに対して文句を言うわけにもいかず」
「………………あー、それでその、ストレスが溜まって、みたいな?」
「それが理由の半分ね。残りの半分は、うん。これは治明にとっては、八つ当たりみたいなものだし、私の身勝手な理由なのだけれど」
彩月の顔から笑みが消える。
目を伏せ。悔恨と憂いを同居させた、悲しい顔で彩月は小さく呟いた。
「居て欲しい時に、居なかった。助けてくれなかった」
理由の半分、と彩月は言っていたけれども、明らかに違う。
言葉の重みが違った。
無論、本人としてはそのつもりは無いのかもしれないが、この呟きこそが、彩月が治明を拒絶する確たる理由なのだろう。
ただ、彩月はその理由が自分で八つ当たりだという自覚は持っている。
理不尽な嫌い方をしていることに負い目を感じているのかもしれない。意図的に、強く治明を拒絶するのは、そこら辺に理由があるのだろうか? いや、これ以上は無神経な勘繰りだ。私は今、やるべきことは、そうじゃない。
「それは、寂しかったね」
「…………あっ」
私は彩月の手を取り、冷たい指先を包み込むようにして、優しく握った。
こういう時、私の肉体が美少女の物でよかったと思う。セクハラを恐れることなく、友人の手を握ってあげることが出来たのだから。
うん。ひょっとしたら私は、グレとして、ずっとツッキーの手を握ってあげたかったのかもしれないね。
「温かい」
「太陽神の肉体となるはずだった器だからね。そりゃあ、温かいさ」
「…………ふふふっ」
「おっと、渾身のギャグが受けたかな?」
「ううん、違うの」
「尊い笑みと共に、私のギャグが否定されたぁー」
ぎゅう、と力強く冷たい指先が、力強く私を握り返す。
私もまた、それに応えて、力を籠める。ただ、それだけのことでなんとなく、彩月の心を少しでも癒せることが出来たと思うのは傲慢だろうか? いや、傲慢だったとしても、罪と咎められても、今、この指先を離すことはしない。
「グレさん」
「なんだい、ツッキー」
「ボクがね、貴方のことを大好きなのは、こういうところなのです。貴方は、一緒に居て欲しい時に、ボクに寄り添ってくれて。して欲しいことを、してくれるから」
「そっか」
「………………でもね。ボクの想いが、貴方に迷惑をかけているなら、その時は言ってください。ボクは、ツッキーは彩月と違って、良い子なのです。グレさんの言うこと、ちゃんと聞くのですよ」
「はぁ。ツッキー、君は相変わらず変なところで馬鹿だねぇ」
私は手を握ったまま、彩月の……ツッキーの言動に呆れた。
こいつは本当に。普段は遠慮なんてしないぐらいぐいぐい来る癖に、肝心な時に引くんだから、もう。
「ツッキーは出会った時から、大分、ダメダメな困ったちゃんで、結構な悪い子だったよ。でも、私はそれでも君から離れようと思わなかったのだから、うん。今更じゃないか」
「あははは、今更、ですか?」
「今更だよ。今更、口に出すのも野暮な話さ」
手を繋いだまま、ツッキーが私にもたれかかる。
私はそれを受け止めて、やれやれと肩を竦めた。
まったく、五年前と変わらずに甘えん坊だね、君は。
「グレさん」
「何かな?」
「大好きです」
「ん、知っているよ」
「グレさん」
「何かな?」
「…………なんでも無いです」
「私も、ツッキーのことが好きだよ。まぁ、死んでいられない程度には」
「……えへへへ! 知っています! 結婚しましょう!」
「はいはい」
私は、どこかの誰かの所為で、大分、変わってしまったというのにね?
…………や、本当に変わり果てたなぁ、私。




