第20話 美少女転校生 2
こんな妄想をした時はあるだろうか?
例えば、退屈な日常の繰り返しに飽き飽きしながら迎えた、朝のホームルーム。妙にざわつく周囲のクラスメイトたち。そっと聞き耳を立ててみると、転校生が来るとの噂が。
転校生。
そんな非日常的な響きに胸がくすぐられつつも、慌てて顔を引き締める。
転校生と言っても、所詮は私たちの日常の延長戦。
非日常を連れて来てくれるわけではない。
でも、それでも、もしかしたら? そんな諦観交じりの期待を抱える中、いよいよその時はやって来る。
教室の扉を開けて入って来た美少女はまるで、この世の人間ではないみたいで。
呆然とする自分と、ふと目が合うのだ。目が合った瞬間、彼女は微笑み、そして、非日常が始まる。
ここから異能バトルを絡めても良い。
あるいは王道のファンタジー。
日常ミステリーなんて物も、捨てがたい。
ともあれ、転校生というのは、こういう退屈な日常の中でふと思い描く妄想の中に出て来る設定だ。普通の転校生とは違い、季節外れの転校生という設定だったならば、なお良し。美少年か美少女だったのならば、完璧だ。例え、一切の超常的な展開が無くても、季節外れの転校生が美形だっただけで、かつての私だったのならばもう満足していただろう。
けれど、かつての私よ。
君は考えたことがあるだろうか?
そういう、ベタベタの展開で本当にやって来てしまった美少女転校生に向けられる、無邪気な少年少女たちの期待の重さを。
「天宮さん! 彼氏っていますか!?」
「好きな異性のタイプは!?」
「どこに住んでいたの!?」
「なんで転校して来たんですかぁー!?」
「趣味は!?」
「部活は!?」
「手芸に興味はありますか!?」
「和名ですけれど、その、外見が完全に外国人なのはどういう?」
転校初日。
私はさながら、鹿せんべいを携えて奈良の鹿たちの群れに突撃したような有様になっていた。それほどまでに、私の席の周囲は密集地帯となっていたのである。
人口密度がやべぇ。
「ええと、彼氏は居ませんね。好きな異性のタイプは、片手でヒグマを仕留める格闘タイプです。以前は、県外……んんー、F県に住んでいましたね。親の仕事の都合で転校して来ました。趣味は読書とボードゲーム。以前の学校では、文芸部に所属していましたよ。手芸の方は経験したことが無いので、機会があれば是非。和名なのは、私がクォーターだからですね。母方の祖母がイギリス系の血を引いているのです」
私は、やや引きつった笑みを浮かべながらも矢継ぎ早に投げかけられる質問を、次々と捌いていた。
いやはや、まさかこの私が美少女転校生となって、好奇心を持て余した思春期の子供たちの群れに突入することになるなんて、三日前までは思いもしなかったぜ。
「えー、マッスル系が好みなの!?」
「でもわかる! 強く無ければ男じゃないよね!」
「それは極端すぎない!? 今時は守ってあげたくなる男子もさぁ」
「そんなことよりも! 読書! 読書好きなの!? あの、漫画とかだけじゃなくて、ガチ読書? ライトノベルぐらいまで? それとも、古典も嗜む?」
「文芸部は大歓迎!」
「その前に手芸部が体験入部を!」
「ふぉおおおお! クォーターってマジかァ!?」
「男兄弟とかいますかぁー!?」
「妹さんとか、いらっしゃいますか!?」
「やめろ、やめろ! 初日で家族構成まで聞き出そうとしている奴は落ち着けよ!」
きゃいきゃい、ぎゃいぎゃい、と人の言葉の波が私に覆いかぶさって来る。
いやぁ、騒がしい、騒がしい。けれど、どこか懐かしい騒がしさだ。こういう無邪気な騒がしさは大人になると、中々体験できないからね。
ただまぁ、まさか、この私がこの立場になるとは思わなかった。学生時代なんかもう、モブキャラだったからね? マジで背景。八方美人というか、浅く広くの人間関係で、誰ともそこまで仲良くならず、その代わり、誰からも強く嫌われない。
そんな穏やかな学生時代を過ごしていた私が、今では教室内の話題を掻っ攫う美少女転校生である。
まったく、何が起こるか人生分からない物だ。
や、本当に分からない。
なんで美少女になって、私は高校生をやり直しているのやら?
「………………おい、ちょっと退いてくれ」
「なんだよ? 順番はまも…………ひぃっ!?」
「つ、つつつ、土御門君? あははは、ど、どうぞぉ」
「こえー、やっぱり迫力違うわ……」
「不登校も多いし。硬派の不良って感じだよね」
などと私が気合を入れて女子生徒を演じていると、突然、ばっと人の波が割れた。
その割れた先に居るのは、見知った顔。
しかめっ面をした、土御門治明が、我がクラスメイトが、そこに居た。
「やぁ、治明」
「なんでアンタがここに居る? よ…………照子」
同僚とのいつも通りの挨拶。
けれども、事情を知らない周囲のクラスメイトたちからすれば、驚愕のやり取り。
「え? 知り合い?」
「何か関係あるのかな?」
「はっ、そういえば、土御門君が銀髪の美少女と歩いている姿、見た時ある」
「他の綺麗な女の子とも歩いているところ、見た時あるよ」
「ハーレムなの?」
「硬派だと思っていたのに」
「ラノベ主人公かよ……」
こそこそと、周囲での内緒話が聞こえる。
魔力を扱える者は基本的に、五感も鋭くなっているので、このような内緒話も直ぐに耳に入ってしまうのだ。
それは治明も同じらしく、しかめっ面をさらにひどくしている。
「それに関してはまた後で。二人きりで話そうじゃないか」
『きゃぁああああ!! 二人きりだって!!』
『おいおい、マジかよ!!』
なので、軽い悪戯のつもりで言ってみたのだが、予想以上の効果があって、実は私も驚いていた。治明に至っては、『やめろや、マジで……』と心底嫌そうな顔で、今にも反吐を吐き捨てそうな顔である。
気持ちはわかる。
だって、中身はアラサーのオッサンだもんね。
まぁ、元の肉体は灰も残さず消えたので、現状は言い逃れが出来ないほど女の子として、戸籍に登録されているのだけれども。
「説明、してくれるんだろうな?」
「もちろん、話せる範囲だけになるけどね」
さて、とは言ったものの、なんと説明したものか。
とりあえず私は、美作支部長との三日前のやり取りを思い出してみることにした。
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「学校に潜入? いえ、それが仕事ならば文句はありませんが、どういう意図があるのか、説明していただけますか?」
「もちろん。ただ単に、天宮さんに学校生活を謳歌してもらうというつもりはありませんよ」
美作支部長曰く、後山町は日本各地に点在する霊地……『境界が多く存在する土地』として登録されている場所らしい。
もっとも、京都やら東京やら、そういった魔境と比べれば全然格は高く無く、出て来る魔物のランクも一律して低い。数年に一度、ランクCの魔獣が出現するかしないかで、他はランクE、ランクF程度。ランクDの魔獣ですら一か月に数回ぐらいだ。
これは、芦屋という千年以上続く退魔の名家が土地を安定させ続けてきた実績によるもので、この土地からは本来、どのような召喚術を用いても高ランクの魔物は呼べないはずだったのだ。
「あの『懐古主義』が発動した術式。あれは、既存のどれにも該当しない、まったく新しい魔術でした。本来、魔術の大半は自身か、魔結晶に貯蔵した魔力を用いて発動させる物です。けれど、あの術式は外から、大地を通る龍脈から膨大な魔力をくみ取り、無理やり、境界ではない場所でもあの規模の召喚術を発動させたのでしょう」
「…………龍脈? ええと、確か、研修では『惑星という生命体が脈動させる魔力の流れ』という話でしたが」
「ええ、そうです。人間が生み出す魔力をオド(小源)。惑星が生み出す魔力をマナ(大源)と呼びますが、その量は比べ物になりません。人間一人の魔力など、惑星が生み出す魔力に比べれば、例外を除けば、本当に大したことなど無いのです。それを扱える技術があれば、どのような大魔術も軽々と発動させることが出来るでしょう…………本当に扱えるのならば」
恐ろしく流れが速く、膨大な河川を想像してみて欲しい。
確かに、膨大な水……つまり、魔力があるのならば、そこから沢山補給は可能だろう。けれど、流れが速いのならば、当然、足を取られて溺れるリスクが生まれる。
いいや、研修で習った話では、『術者が数人がかりで数か月の準備を行わなければ龍脈の利用は不可能』という物だった。しかも、その術式を発動させれば、膨大な魔力の流れに干渉するわけだから、波紋も大きく、隠蔽など出来るわけもない。
故に、龍脈を用いたテロリズムは不可能という判断を機関は下していたのだが、つい最近、その判断が覆ったというわけである。
「機関が解析したところ、『懐古主義』が発動した術式は、専用の魔道具、複数人での同時詠唱という課題はあるものの、今までの物とは比較にならないほどの成功率で龍脈の魔力を汲み取ることが可能だったようです。ですが、その代償として、失敗したら当然、酷い災害が生まれるのは避けられません。最悪、街一つが潰れる恐ろしい魔力災害が起こるでしょう。よしんば、術式が無事に発動したとしても、龍脈の活性化を避けられないという点では、我々は扱おうとも思えない失敗作なのですが」
淡々と説明してくれていた美作支部長であるが、その表情はどこか、いつもよりも不機嫌そうな仏頂面に見えた。
無理もない。
龍脈が活性化すれば、その魔力の影響によって、様々な問題が起こるらしいのだ。
例えば、怪異現象の多発。例えば、出現した魔物の強化。
そして、活性化した龍脈から魔力というエネルギーを受けて、新たに覚醒を得る人々が増えるという可能性。
「しかし、土地の管理と守護を放り投げているような犯罪者、テロリスト共にとってはこれ以上、有用な術式はありません。なので、我々はこの術式に対する対抗策を速やかに作成し、警戒に当たるつもりですが、それはそれとして、活性化した龍脈の近くに位置する町。そこで新たに発生するであろう問題にも先んじて対策を講じなければいけません」
「そこで、私の出番というわけですか?」
「はい。天宮さんには主に、後山町付近で起こる怪異現象の調査、及び、最も活性化の影響を受けやすい思春期の子供たちを探って欲しいのです」
「なるほど」
何かしらの外的要因を受けて、魔力を扱う素質に目覚めるのが多いのは、思春期の子供たちだ。あの研修会に集められていた素質ある者たちが、ほとんど子供だったように、後山町で新たな覚醒者が生まれる可能性は確かにあった。
そのために学校へと潜入して調査を行うのであれば、確かに納得できる。
「という名目で、ですね?」
「あ、はい。名目」
「ご自由に動き回って欲しいのです、囮として」
「なるほど、囮」
「活性化した龍脈の影響に関しては、専門家が密やかに行っているので」
「…………つまり、仕事をしている振りをしていろ、と?」
「いえ、実際に仕事はしてください。ただ、それで結果が出なくとも、別動隊がきちんと仕事を果たして、覚醒を未然に防いだり、怪異現象の解決にあたっていると考えるように。今回、貴方の本当の仕事はあくまでも、スパイを炙り出すための囮です。学校に潜入しているだけで仕事を果たしているということになるので、気負い過ぎて、周囲の子供たちから浮かないように気を付けてください」
「了解です」
色々説明してもらったが、役割は単純だ。
難しいことは考えず、周囲の日常を守ることに全力を尽くす。子供たちが非日常に惑わされて、道を違えぬように。
取り返しのつかない悲劇を起こさないように。
私が全力で動くことこそが、最高の釣り餌になるのだ。
現在、機関内で注目の的である私が動けば動くほど、スパイはそれに呼応して何かしらの動きを起こす可能性が高いのだから。
ただ、私が無事に仕事を遂げるためには大きな障害があったりする。
「ところで、美作支部長」
「はい、何でしょうか?」
「…………高校時代の勉強、まったく覚えていないというか、今の子供たちってどんな勉強をしているのでしょうね?」
「安心してください、天宮さん」
引きつった笑みを浮かべる私へ、美作支部長は仏頂面を崩して、僅かに微笑んで告げた。
「教材は全て用意しています。三日で最低限を叩き込みましょう」
「…………はい」
その時から、地獄の勉強漬けの毎日が始まったわけなのだが、天宮照子としての知性は、かつての私を遥かに凌駕するらしく、さほど苦労なく勉学を学び直すことが出来たという。
私はこの時、少しだけ今の肉体が好きになった。




